千葉演習林、秩父演習林、田無演習林、北海道演習林、生態水文学研究所、富士癒しの森研究所。
2020年の夏、実習で訪れるはずだった場所だ。
私は農学部の森林環境資源科学専修に所属している。
農学部にはSPタームと呼ばれる独自の学期があり、どの専修も毎年その時期に数多の現地実習が予定される。当然中止になった。
進学先が内定した後のガイダンスで先輩たちは「夏休み半分潰して山を駆けずり回るのはきつかった」と口々に文句を言いながらも充実した表情をしていた。
自分たちも通算で1ヶ月にも及ぶ実習を通じてフィールドに根ざした勉強ができる。
そう思っていた。
講義さえできなかったSセメスターに宿泊を伴ううえに県境をまたぐ実習ができるわけがないというのは当然だ。
現地に行けない分、先生方は少しでも現場を感じられる授業になるように力を尽くしてくださった。自宅に郵送された樹木の種の発芽記録をとったり、林業で使われるロープの結び方を動画を見ながら実際にやってみたりと枚挙に遑がない。
だけど、果たして自分が後期課程で身につけるべき専門性とスキルを身につけられたのかというと自信がない。
きっと身につけられてはいない。ものすごい無力感。
夏の実習は中止になったが、11月に1度だけ入念な感染症対策を実施したうえで山梨県に実習に行く機会があった。
そこで聞き取りを行った地元の方から「教科書や論文だけでは森の、地域の実態はわからない。都合の悪いこと、感情的なことは書かれないからだ」と言われて衝撃を受けた。
文字情報ではわからないことを知る機会を失ったんだと気付いた。
悲しかった。
理論と実践という言葉がある。
2020年、自分たちはパンデミックに「実践」を学ぶ機会が奪われた。
単位が認定されてもパソコンとにらめっこして学んだ理論だけじゃ不完全なんだろうなと思う。
森林を自分の目で見たかった。
何のために文三から農学部に来たのか。
フィールドなき農学に意味があるのか。
悩んでいるうちに3Aセメスターも終わろうとしている。
卒業研究ではフィールドに軸足を置いた、理論に実践がともなったことをやりたい。
ぼんやりとそう考えている。
2020年にできなかったこと。
情勢が許すかどうかはわからない。
大学生活最後の1年。
少しでも自分がこの場所にいることに意味を与えられる1年にしたいと思う。
書き手変わりまして、編集部わかなです。
新型コロナウイルスに翻弄された2020年。思い描いていたけれど実現しなかったこと、やりたかったけれど泣く泣く諦めたことに、一人一人がやりきれない思いを抱えて一年を終えたことと思います。
行き場のないその気持ちを共有し、少しでも消化すべく、上のようなエッセイを書いてみませんか?編集部にて審査・編集の上、記事として公開させていただきます。
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