空港に降り立つと、すぐに独特の香りが鼻をつく。入国カウンターにて待ち構えているのは、白装束を身につけ黒い円環状の紐を頭につけている色黒の男性達。案内掲示板には、授業中眠気に耐えながら何とか書いた文字のような見慣れない言語。「Taxi?」と執拗に話しかけてくる客引きをあしらいながら、私はどうしようもなく日本から離れた場所に来たのだと実感した。そう、ここはサウジアラビア。砂漠とビル群、ラクダと車がどよめき合う、カオスな場所だった。
こんにちは、工学部電気電子工学科3年の高山乃綾(たかやまのあ)と申します。私は今年の2月に、東大の「サウジアラビア プリンセスヌーラ大学国際交流体験活動」に参加しました。そして約10日間にわたって現地の女子学生と交流し、アラビア文化を垣間見ました。今回は本プログラムで知った、サウジアラビアの「クレイジー」な側面を皆さんにお伝えしようと思います。
皆さんは「アラビア」と聞くと、どんなイメージをもたれるでしょうか?千夜一夜物語だとか、アラジンだとか、そういった具体的なものを思い浮かべる方もいるでしょう。
その一方で、西洋にも東洋にも振り分けることのできない、どこか遠い存在に感じていたり、ひょっとすると女性の人権が我々よりも認められておらず、未だ宗教の戒律に縛られた「遅れた」存在だと思っているかもしれません。かくいう私も、イスラム教はムスリマ(イスラム教徒の女性)にアバヤ(身体を覆い隠すための黒い服)の着用を義務付けているなど、女性にとって複雑な宗教なのだろうかと漠然と考えていました。
だからこそ東大の体験活動プログラムを見ていたとき、サウジアラビアに女性のための、しかも理系分野に特化した大学があるのにとても驚きました。2019年まで、イスラム教徒の巡礼以外の目的では外国人が一切立ち入ることのできなかったサウジアラビアでですよ!これは絶対に参加するしかないと思い、私はプログラムの面接に臨みました。面接を担当された先生から「現地の学生に日本文化を教えることはできますか?」と尋ねられたとき、反射的に「盆踊りサークルに入っているので、盆踊りを踊れます!」と叫んだことは記憶に新しいです。(ちなみに踊る機会は一度としてありませんでした)
そんなやりとりを経て、私は遂にサウジアラビアへと飛び立ちました。
私たちは大学の職員の方が運転をするマイクロバスでリヤド周辺を移動したのですが、その運転ぶりの荒さに閉口してしまいました。3車線かと思えば4車線、目を離すと今度は4.5車線になっていたり、少しでも前の車の歩みが遅ければ呼吸の回数とほぼ同じくらいにクラクションを鳴らし続けたりしていました。道を空けてもらうなら、某YouTuberよりサウジ人に任せた方が良さそうだと思ったものです。
窓から見える車の中には我らが日本のトヨタや日産もありました。窓は砂に塗れ側面はボコボコにされ、文字通り馬車馬のように異国の地で働かされている彼らに、私は袖を濡らすことしかできませんでした。そんな脅威の運転具合にもかかわらず、不思議と研修中に事故車を見つけることはありませんでした。しかし現地の女子学生曰く、よく道路にひっくり返った車が散乱しているそうです。
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日本が生み出したサブカルチャーが世界各国で人気であることは言を俟ちませんが、それでも現地の女子学生たちの熱の上がりようには驚きました。
日ごとに入れ替わり立ち代わり学生が私たちに同行してくれたのですが、ほぼ毎回と言っていいほど「〇〇というアニメは知っているか」「誰々という声優は知っているか」と聞かれました。私もそれなりにアニメや漫画は知っていると自負していたのですが、途中から彼女たちの博識ぶりについていけませんでした。
あまりにもよく知っていたので、あるとき彼女たちにどんな媒体で日本のアニメを見ているのか聞いたところ、嬉々として御用達のアプリを見せてくれました。そこには数々のアニメが、ご丁寧にアラビア語フル字幕付きで掲載されていました。どんなに贔屓目に見ても、日本の法律に則れば明らかに違法のアプリでした。一緒に行った友人の一人に対し「このアプリはillegalですかって聞いて欲しい」とけしかけたのですが、結局聞くことは叶いませんでした。
当然、プログラムには毎日のスケジュールがあらかじめ設けられていたのですが、それに従って動くことはほとんどありませんでした。「あれ、今日って博物館にいくんじゃないの!?」「約束の時間から20分経ったけど、いつになったらバス来るのかな」こんな会話を友人や引率の方としているうちに、私たち自身も「どうせ時間通りに行ってもいないだろうから、多少遅れてもいいや」とサウジ人の感覚に呑まれていきました。
ある日の朝私たちの疲労を慮って、引率の方がプログラムリーダーの先生に対し、「今日は早めの20時くらいに大学の寮に到着して欲しい」と伝えてくれました。先方は揚々と承諾してくれたのですが、結局帰路についたのは22時すぎ。もし日本人であれば、たとえ交通渋滞などのやんごとない理由であっても「遅れてすまなかった」の一言があると思います。ですが、現地スタッフは私たちにアラビア語訛りの巻き舌で一言、「See you later」──
形式上の謝罪さえないその一種の潔さに、私は驚嘆しました。おそらく彼女たちは、遅れたから謝るという考えさえ思考の俎上に置いていなかったのでしょう。あくまでも予定は「予定」であり、それが結果的に上手く運ばなかったとしても、元々自分たちの手の内にあることではないのだから仕方ない。そういった考えは、「どうしようもないけど、とりあえず謝意の言葉だけは述べておく」という日本人的マインドをもった私には、新鮮なものでした。むしろ、何も対処することができないにも関わらず謝罪だけは一丁前に添えることは、見方を変えれば「不誠実」な行為なのではないか、とも考えさせられました。
極め付けは最終日です。最終日ということもあり、私たちは空港近くのモールに連れて行って欲しいとお願いをしていました。しかし15時までに大学を出ないと間に合わないところ、私たちは何故かプリンセスヌーラ大学の学生たちとゲーム対戦をさせられる羽目に。しかもそのゲームは「鉄拳」という、 筋骨隆々のアバターを動かして戦う日本の格闘ゲームです。どうして異国の女子大学に来てまで三島一族の確執に向き合わなければならないのか──向こうの学生たちは鼻息を荒くして待っています。
しかしそれまで散々向こうの「横暴」に振り回されてきた私たちは、「最終日だけでも抵抗しよう。八百長試合をして、一刻も早く負けてしまおう」と画策しました。私たちと言いましたが、他の友人の名誉のために言っておくと言い出しっぺは私です。
私が少しPS4を触ったことがあるため、日本陣営として私が出場し、そのあと現地の学生との第一試合であっさりと負け、そして急いでモール行きのバスを出してもらう、このような算段でした。鉄拳は私も明るくないため、手を抜かなくともすぐに負けてしまうだろうと思っていました。
しかしなんと泥沼の7回戦までもつれこみ、結果私の勝利。嬉しさなど微塵も感じられない中、先方から再戦の要求が。「こちら側のコントローラーが途中から動かなくなったから、この試合は無効だ」もはや勝ちなどどうでもよかった私たちは「そっちの勝ちでいいからモールに行かせてくれ!」と叫びました。叫びも虚しくしっかり最終戦まで楽しませてもらい、なんと私が優勝。
時刻は15時直前、私たちは挨拶もそこそこに大学を出ようとしました。しかしここでプログラム長の教授から「インタビューに全部答えるまではモール行きのバスを出さない」というお怒りの電話が。結局私たちはモールに向かうことができませんでした。その前に「鉄拳さえクリアしてくれたら、インタビューは途中で切り上げてもいい」と本人から許可が出ていたにもかかわらずです。
そんな感じで、側から見ればサウジ人に振り回された私たちでしたが、実際その時は怒りといったマイナスな感情は抱きませんでした。それどころか、「またあの人たちやってるよ」と肩の力を抜いて笑っていたのを覚えています。予定だとか約束だとか、そういったものに行動が縛られがちな私にとって、行き当たりばったりなのに最終的にはどういうわけか丸く収まっている彼らサウジ人は、どこか憎めない存在になりました。
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このままではサウジアラビアのネガキャンになりかねないほど、プログラム中のキテレツなことばかり述べてしまったので、最後に現地学生たちの様子について伝えます。
女子大学であるプリンセスヌーラ大学は、大学内に教室間を移動できるメトロが走っているほど広大なキャンパスでした。通学生もいればトルコ、シリアといったアラビア諸国出身の寮生もおり、人種の多様性も確保されていました。学生たちは金銭的に手厚くサポートを受けられ、学費・生活費といった資金面の心配をすることなく、学業や課外活動に打ち込むことができるそうです。
またキャンパス内では男性の目がほとんどないため、先述のアバヤを身につけず、私たち日本人学生と変わらない格好をした学生も大勢いました。あるとき学生のうち仲良くなった一人に対し、私は思い切って「アバヤを強制されていると感じることはないの?」と聞いてみました。すると彼女は「この服は私たちムスリマ自身が着たくて着ている。これを着ていると守られていると感じるし、何より私は私だなあって思える」と優しく生地を撫でながら言いました。アバヤをはじめとした伝統衣装は、彼女たちムスリマのアイデンティティを支える大切な装置の一つなのだと、身をもって知ることができました。
授業終わりには大学内の体育館にて友人たちとバスケやバレーを楽しみ、恋愛話にも花を咲かせる彼女たちは、宗教や文化を越えて、なんの変哲もない「学生」でした。
また、サウジアラビアでは皇太子主導の「ビジョン30」という大規模な国家改革の下、近年急速に都市開発が進められています。世界中の企業の支社が軒を連ねる経済地区や、明明と輝くリヤドを見下ろすことのできるタワーが続々と興隆しています。その一方でバザールや遺跡といった、従来のアラビア文化を色濃く表すものも大切に保護するなど、文化と文明を同時に成り立たせようとする様子に、とても感銘を覚えました。勿論このプログラムでサウジアラビア、ひいてはイスラム世界の全てを知れたとは思いませんが、西洋でも東洋でもない世界の一部を覗く機会を得ることができて、非常に貴重な経験になりました。
イスラム世界では香水文化が非常に発達しており、ブホールという香木を燃やしてその香りを髪の毛や服にまとわせるという習慣があるそうです。鼻につくとすぐにそれとわかるような、独特の艶やかさをもった匂い。私はそんなブホールの香りに病みつきになりました。すると学生のうちの一人が、わざわざ彼女の母親に頼んでブホールをお土産として私にプレゼントしてくれたのです。「これを嗅いで、時々私たちのことを思い出してね」そう彼女は言いました。帰国後、荷解きをしようとスーツケースを開けると、プンとブホールの香りが部屋中に立ち昇りました。10日間で出会った友人たちを懐かしく思います。目を閉じると、そこにはサウジアラビアのあけすけな青空がどこまでも広がっていました。