小さい頃から神童と呼ばれ、優秀な進学校に入学し、そのまま東大に入学する。
そんなエリートという名のレールの上をただ走ってきただけの東大生がごまんといます。
これは大げさだという東大生も、傍から見ればみんな一緒です。
そんな東大生がようやく自分の意志で道を選択する機会が「就活」です。
親や周囲の人のプレッシャーから逃れて、自分のやりたいことをしようと思います。
しかし、今までレールの上を走ってきた東大生にはやりたいことなんてありません。
五里霧中になった東大生が芸人になりたいというように思うことに、僕自身はまったく違和感がありません。
芸人という職業を馬鹿にしているわけではもちろんありません。ただ今まで唯一の取柄だった学力という武器を捨て、エリートのレール上にはないと世間的に思われるであろう職業の一例として挙げただけです。
自分で道を選びたいと考えた時、レールからとにかく外れたいと思うのは自然の摂理です。
むしろ「レール上にある政治家や公務員、商社、大手有名企業といったところに就職するほうが勇気が必要だ」と思ってしまうほどにです。
自分が意志を持って選んだ道のはずが、またまたレールの上なのです。
まるで仏さまの手の中を駆け回る孫悟空になったかのような錯覚を覚えます。
これが俗にいう「レールコンプレックス」です!(僕が今勝手に作りました)
このような苦悩を抱えた東大生に対して、メッセージを送ることが出来るのは同じ東大生だけです。
そして、その架け橋となるのが「UmeeT」です。
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UmeeTは、東大生の中でも特に“変な人”にフィーチャーしています。
“変な人“とは、「レールから外れた道を、強い信念を持って突き進んでいる人」です。
これをしばしば「東大生なのに〇〇な人」と表現しますが、これには少し誤解が含まれることを指摘しておきます。
たとえば、「東大生なのに僧侶の人」や「東大生なのにアイドルの人」などが既にUmeeTで取り上げられています。
このような言い方は、「僧侶」や「アイドル」がさも『東大生にはふさわしくない、下等な仕事』であるかのようです。
もちろんそんなことはまったくありません!!!
注意したいのが、「東大生なのに」という言葉の意味です。
ここで使われる「東大生なのに」は、「東大の学力を活かすことが難しいだろう」ということなのです。確かに僧侶やアイドルに学力は必要ないように思えます。
しかし、記事を読んでみてください!
東大生はしっかりとその学力を仕事に活かしています!
結局能力を活かすも殺すもその人自身によるものなのだということがよくわかります。
才能、能力の意味を持つ”talent”という英単語の語源となった「タラントの話」はご存知でしょうか?
聖書の中で、タラントは貨幣の単位として用いられる言葉なのですが、主人からお金を預かった使用人が地中に埋めて保管しておいたことを叱られるという話です。
「持っている才能は眠らせておくだけでは意味がなく、使うことが大切」というのがこの話の教訓です。
「東大生なのに〇〇な人」の記事は、この教訓話のような存在になればいいなと思っています。(思ってもらえるように努力します。)
それに加えて、「東大生なのに〇〇な人」は強い信念を持っていることもわかると思います。
レールから外れるために、重い重いハンドルを切ったのです。
東大生の中では、結局レール上の人生を歩んでいく人が多いのは紛れもない事実ですが、他人事として、ただ凄いなぁの一言で終わらせて欲しくありません。
レールから外れるために切ったハンドルの重さと同様の力で、アクセルを踏まなければいけません!
ここから先は、レールはあっても勝手に進んでいってくれるほど甘くはないです。
レールの上を進む人こそ、強い信念が必要なのではないでしょうか?
最後にこの曲を送りたいと思います。
線路は続くよ どこまでも
野を越え 山を超え 谷を超え
遥かな町まで 僕たちを
楽しい旅の夢 繋いでる
レールコンプレックスを克服して、己の道を歩きましょう!
だらだらと書いてきましたが、なんだか最後は就活本みたいな話になってしまいました。
絶賛就活中の自分がこんなことを書いているというのは皮肉なものです。
かくいう僕、男子校の化身はこんな教訓のあるような記事をほとんど書いてないですw
「男子校こじらせコラム」が主な仕事です!
くだらないですけど、ぜひ一度読んでほしいと思います。
ためになる話のほうがやっぱり人気なんですけど、くだらない話も箸休めにいかがでしょうか?
僕にとっては、「ばっかじゃねぇの」が一番の褒め言葉です。
くだらねぇ、それわかる~と思ったときには、シェアしていただけると幸いです。(コメントもいただけるとなお嬉しいです)
これからもよろしくお願いします!