「東大生は悟りから遠い人が多いですね」MBA僧侶・松本紹圭氏が語る!

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☞学生証

  1. お名前:松本紹圭(しょうけい)さん
  2. 所属:東京大学文学部哲学科卒業
  3. 進路:卒業後、神谷町光明寺に入門。一般社団法人お寺の未来理事。インターネット寺院 彼岸寺・お寺カフェなど革新的なプロジェクトを立ち上げ、現在は未来の住職塾の塾長を務める。

 

主人公がお坊さんから求婚されるドラマがあったり、お坊さんがぶっちゃけるバラエティがあったり・・・。

いまメディアでじわじわ人気のお坊さんですが、あなたはインドで経営を学びMBA取得し、インターネットで仏教界のいまを発信したり、「未来の住職塾」で若い僧侶にお寺の経営を教える、仏教界の起業家とも言われるお坊さん・松本紹圭さんをご存知でしょうか?

自身の学生生活について、進路について、仏教について、赤裸々に語ってくださいました。

全ての悩める人間、必読です

 

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真面目な学生ではなかったけれど

祖父が住職で、死を身近に感じる機会が多かったという松本さん。死への不安を解決したいという思いで、幼い時から仏教書や哲学書を読んでいたそうです。

 

その一方、小学3年生の頃にはすでにプログラミングを始め、C言語で遊んでいたといいます。機械を作る会社の経営者だった父の影響だったそう。一番得意な科目は数学。考え方もかなり理系的だと自覚されていたとか。

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— とんでもない小学生ですね。なぜ理系に進学しなかったのでしょう?

 

数学も好きでしたが、真理そのものに関心がありました。数学への興味も、真理のひとつの表現形式として適しているのでは、というものでしたが、思考のフレーム自体を扱う哲学こそ根本だと考えるに至りました。

 

— 北海道の田舎出身で、もっと大きな世界を見てみたいと上京、東京大学に進学したそうですね。やっぱり勉強に打ち込んだ大学生活だったんでしょうか?

 

ごめんなさい。いざ大学に行ってみると、全然真面目な学生にはなりませんでした。当時はもちろん僧侶になるという考えも全然ありませんでしたし、飲んでばっかりで、夕飯はたいていヤキトリ屋とか(笑)

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自分で哲学書を読むのは好きでしたが、哲学科の授業の古典講読にはぜんぜん興味が持てなくて。大事な勉強だとは思うんですけど。卒業できる程度にしか授業は受けてなかったですね。

 

— そ、それはめちゃくちゃ意外ですね。バイトやサークルなどはやっていたんですか。

 

プログラミングができたこともあって、ウェブデザインをフリーランスでやったり、あと仲間と音楽サークルを作ったりしましたね。

 

— (なんかすごく学生生活謳歌してる感じだ・・・!)

何者にもなりたくなかった

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–卒業後の進路はいつ頃決まったんですか。

 

就職するなら広告業界が向いているんじゃないかと、漠然と考えていました。

それで、その業界の先輩に話を聞いたりしましたね。今考えてみれば、広告業界というのは大勢に向けてメッセージを伝える、ある意味布教的な側面を持つ業界なので、宗教と通じるものはあります。

ただ、就職することを具体的に想像すると、将来きっと自分はこんな感じになるな、というのが見えてしまって。私は、先が見えない方が良かったんですね。何者にもなりたくなかったんです。

 

— なぜ何者にもなりたくなかったんでしょう?

 

本来何者でもないからじゃないでしょうか。そう思いませんか。

 

— (取材班全員、目が点になる)

 

みんな色々なラベルで自己規定をしているでしょ。それがアイデンティティとか言われたりする訳ですけど、そんなのどうでもよくて、重荷に過ぎなくて

東大に入るまでは、東大まで行けば選択肢が広がるはずだと思っていた。でも入ってみると、みんなすっごい縛られていて。選択肢が広いようで狭いというか。「東大に入ったのだから〜にならなければならない」、みたいな。

人生楽しんだら良いと思うんですよ

— 何者にもなりたくなかったというのは、ニーチェやハイデガーの思想に近いものがありますよね。

何者にもなりたくなかったという感情があったから興味を持ったのか、それとも西洋哲学を勉強してそう思うようになったのか、どちらが先だったのでしょう?

 

どうなんでしょうね。例えばニーチェなら、キリスト教の縛りへのアンチテーゼという点に共感していました。

 

自由になりたいと常々思っていたんです。

就職活動は、すごく社会規範に改宗するような感じがあって。今思うとプライドが高かったのかもしれません。

 

意識高い系とかいうんですか? 就職活動で、自分を高値で売ると。僕は値段をつけられること自体に耐えられなかった。だから給料が高いとか、低いとかそういうこと自体に身を投じることが嫌で。

 

その点お寺はいいんですね。そういうモノサシの関係ない世界に自分は入るんだ、という少なくともそういう気持ちにはなれたし。

まあ最初は給料なんてなんでもいいんで、とにかく自分を置いてくださいって言うところから始まったんですけど。光明寺に。

 

— 光明寺で、色々革新的なお寺のスタイルを提案されていますよね。ライブや、お寺にオープンテラスを作ってカフェにするなど。なぜ始めたのでしょう?

 

「なぜ」と理由を聞かれれば、いろんなふうに答えられます。

でも、あえて学生さんへのメッセージとして言いたいのは、「なぜ」とかはひとまず置いておいて、人生楽しんだらいいと思うんですよ。別に難しく考えないで

 

自分の場合は、このお寺に住み込みをするようになって、ああこんな良い場所があるんだな、と思って、それをいろんな人に知ってもらえたらと。動機はシンプルです。

普通お寺って地域住民の集いの場だったりしますけど、この辺(神谷町)はオフィス街で、住民ではなく働く人が多いので。そういう人たちのサードプレイスになればいいな、と。

 

最近、仏教に少し興味があってお寺を訪ねてくる人たちから、よく聞かれるんです。仏教って、色々難しいですけど、一言で言うとなんなんですか、って

私は最近はこう答えています。「enjoy life」です、と。

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— え!?仏教のイメージとは反するように思えますが。煩悩を捨てろとか求めるな、とかじゃないんですか!?

 

enjoyのレベルが違うんですね。enjoy my lifeじゃないんです。lifeそのもの。

「エゴ=私」であるという視点からenjoyしよう、というのがenjoy my lifeだとすれば、本当の立ち位置ってそこじゃないんだよなあ、という。

 

何者にもなりたくないと思っていたって言いましたけど。ほんとうは、何者にもなりたくない、というよりは、自分がどう思おうとも、何をしようとも、私は初めから何者でもない、ということを知ること。

 

そういう地平から見れば、あとはlifeをそのままenjoyする以外にないというか。それは別に煩悩の赴くままに色々貪るとか、快楽主義に走るとか、そういうことではないんですね。それは結局苦しむことになりますから。

そのメカニズムをよく知るということが仏教であると考えます。

 

映画のマトリックスって見たことありますか。みんなシステムの中に生きていながら、ほとんどの人はそのことに気がつかない。仕方のないことですが、人間の現実社会もそういうところがあるんじゃないでしょうか

お坊さんの仕事は、色んな人と関わる縁の中で、人を自由にする気づきのきっかけを様々なかたちで提供していくことだと思っています。

ニンジンをぶら下げて頑張り続ける東大生たち

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画像提供:stocksnap

— 東大生は縛られている人が多いと・・・。

 

あのね、

東大に入るような人が受けている教育が影響してるなと思うんです

 

果実を常に未来に先送りする。目の前にニンジンをぶら下げて頑張らせる方式というか。人参ぶら下げて頑張って走って、手に入れたら褒められて、また次の人参が出てくるという。

 

それをずっと繰り返して、受験勉強に勝ってきて、やっと入るという人がすごく多い。それをまた先の人生でもやろうとしているワケですよね。常に「何者かにならなければいけない」という強迫観念を背負って前へ前へ、と。それはけっこう苦しいこと。・・・そうこうしているうちに死ぬんですよ。

 

早く、みんなもっと、自由になったら良いのに、というのがメッセージですね。

 

— 自分自身の生き方を鑑みても友人を見ていても、正直、ニンジンをぶら下げられた馬という例えはしっくりきます・・・。ただ、そもそもどうやってlifeそのものをenjoyするのか、分からないんじゃないかなって。

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考えすぎなんですよ。頭で。私も人のことは言えませんが(笑)

もっと感じることとか大事にしたほうが良い。考える癖がついちゃっている。

 

いつもどこか欠乏感を感じながら、ここではないどこかを目指し、将来「何者かにならなければいけない」という焦りと不安を抱えている東大生は、少なくないんじゃないでしょうか。私もそうでした。

 

でも、実はそういうストーリーは自分の頭の中にあるフィクションに過ぎない。本来、人は何者でもなくて、「私」という実体はどこにもありません。足りないものはないのであって、「これでいいのだ」ということです

 

本来のenjoy lifeから遠い、そういう価値観の人が社会を作っていくポジションに立つから、こんな息苦しい世の中になっちゃうのかもしれません。

 宗教、好きじゃないんですよ

— たとえば、ビジネスにおけるマーケティングも本来、世の中の価値観を変えたり、人の心を豊かにしたりするものですよね。

そう考えると「人を自由にする気づきのきっかけを様々なかたちで提供していく」って、必ずしも仏教じゃなくても良いな、と思ったのですが。

 

いい質問です。

「宗教というのは月を指す指だ」とよく言われますよね。月というのは、あえて言うならば真理ですね。真理そのものはダイレクトにつかんだりできるものじゃないけど、それを指すものとして宗教があると。

 

私は、伝統的な教団宗教型の宗教の時代はもう終わったと感じています。

自分自身、いわゆる仏教教団の信者を増やしたいという気持ちは全然なくて。そもそも宗教現象には興味があるのですが、教団という構造には違和感があって、そういう意味では宗教、好きじゃないんですよ

 

最近の自分の感覚としては、僧侶だからとか、袈裟を身につけているとかは、どうでもいいんです。

何者でもない私が、なにかしらの、コミュニケーションを媒体するもの、言葉とかを通じて、宗教の先にある月にいざなうことなのかなと思っていて。

その際に、どんな体系だって良いんですけど、私にとっては仏教はすごいしっくりくるんですね。相性が良いんです。

同時に、客観的に比較してもかなり良くできた完成度の高い体系だと思うので、結構オススメですよ、という感じですね。

 

— 「何者かにならなければいけない」という強迫観念から脱却することは可能なのでしょうか?

 

可能です。私自身、前はそういうところにいたけど、今はいない。

 

「何者かにならなければいけない私」自体がないんだ、というのを、思い込むんじゃなくて、ほんとにそうだったと知ることが大事。

 

縁によって今ここにこうして現れている経験、感じていることをappreciateしていけば良いと思いますね。

 

今も、こうしてインタビューというセッティングで、私もいろいろ喋っていますけど、私の言葉は縁によって生まれた共同作業のおかげです。皆さんがいなかったらこういうことは話していませんから。

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まっすぐな目で、真摯に私たちの疑問を受け止め語ってくださった松本さんの言葉は、痛いほど自分自身にも刺さりました。

それと同時に、固定観念をほぐされて、背中にしょった重い荷物が軽くなるような気持ちにも。

 

松本さん、ありがとうございました。

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ABOUTこの記事をかいた人

Kansiho

前代表。東大文学部、ネットサーフィンとウェブ制作が趣味です

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