突然ですが、みなさん、UmeeTの連載エッセイ『宇宙を泳ぐひと』を読んだことはありますか?
なんと今回、このエッセイが本になったんです!
そこで書籍化を記念して、著者の久保勇貴さんにインタビューしてきました!
UmeeT初代編集長の杉山大樹さん、『宇宙を泳ぐひと』編集担当のチロルさんもお呼びして、三人で連載にまつわる諸々を自由に語っていただきました。連載のウラ話、久保さんの頭の中をうかがい知れるインタビューになっています!
読んだことがない方は、まずはこの連載をチェック!
〈プロフィール〉
まずは久保さん、『ワンルームから宇宙をのぞく』の出版おめでとうございます!
ありがとうございます!
UmeeTでエッセイ『宇宙を泳ぐひと』の連載をすることになったのには、どんな経緯があったんですか。
僕と久保くんは元々大学で演劇をやっていて、一緒に即興演劇とかをしたりする顔見知りだったんだよね。
そうそう。
久保っちが書いていたブログをたまたま見たときに、衝撃を受けた。
自分にはマネできない、不思議な魔法みたいな文章。
「こんなに凄いもの、ネットの海に放流してる場合じゃないから!」って、UmeeTでの連載を提案したんだよね。
僕は、久保さんの文章は完全に詩だと思ってます。
詩かあ。 確かにそうかもね。 中学校の頃に僕、生徒会長やってたんですけど、卒業生代表の答辞で、僕は詩を読んでたんですよね。
まじ?
文章プラス最後詩で締めてた。だから詩みたいなものって昔から感覚として持ってた気がするな。だから今書いてるものとかも結局、「詩を書きたいんだけれど、それだけ言っても伝わらない気がするから、補足も書いてる」って感覚に近い。
この本の「あとがき」で書いていた「自分は本が読めない」って話を読んだときに、なんか納得したんだよね。
”普通の”人たち、左脳で書いてるような人たちは、意味のある整理された文章のイメージがあって、それを元に書いてる。東大に入る人たちの大多数はそっちがすごくできるってことなんじゃないかなって思う。
でも久保っちはそうじゃなくて、超右脳型。感覚が先にあって、なんとか文章に翻訳している。読んだり計算したりっていうのも、言葉が先にあるんじゃなくて、イメージでなんとかしてきていて、結果的に東大まできちゃったみたいな。
うん。
そういう意味では、頭の良さの種類が全く違う、違うけど同じ東大というところに来たんだなって。
だから「みんなすごいな」と思いますね。僕は当たり前のようにいろんなことを映像で理解しようとしてきたけど、意外にみんなそうじゃないんだって。
だからそういう意味で構成はすごいですよね。この長さで論理的に組み立てるのではなく構成するっていう。それが多分、読み手としては「おお」って最後に持っていかれるポイントかなあと。
UmeeTで書いてた頃は、ある種ロジカルに構成していたんです。
関係性を図で整理したりしてたな。やっぱり苦手な部分ではあるから、時間かけて積み上げる感じで書いてた。
[広告]
久保さんは太田出版のウェブメディアOHTABOOKSTANDでも連載されて、UmeeTでの連載と合わせて出版に至ったわけですが、2つの違いはなんですか?
UmeeTの連載を10回やって、がっちり組み立てた文章に自分が飽きてしまったような感じが少しあったんだよね。
あれはあれで良かったし僕も好きでやってたんだけど、さっき杉山さんが言った「魔法」的な書き方をもっと突き詰めたいなって。ロジカルにやりすぎても、いまいち遠いところまで行けないような感じがしてたんだよね。
だから2つ目のOHTABOOKSTANDの連載は、自分の中にあるものだけじゃなくて、本を読んで外の論理を取り込んだりとか、あるいはそもそも論理を立てないような文章にしてみたり。
意識の切り替えがあったんですね。徐々にって感じですか、それとも結構はっきり?
あのまま意識を変えずに書き続けても面白いものを書けたかもしれないけど、せっかく変わるし全く同じ脳みそで書いててもなとは思った。
私はUmeeTの「宇宙を泳ぐひと」の久保さんのスタイルがめっちゃ好きなんです。
OHTABOOKSTANDの連載では「久保さん感」がちょっと薄くて、より「一般的なエッセイ」に近づいたような感じがしていました。
うん、あのね、そうなんですよね…そうなんですよね…
それはどういう(笑)
いろいろ悩んでてね。OHTABOOKSTANDで3回ぐらい書いた時に、「久保さん感が弱い、説明的すぎる」みたいな意見をもらって。
僕としては、自分の中での論理から抜け出そうとしていたんだけど、逆にその分「自分の世界観」が薄れたのかなって。
でもあのUmeeTのスタンスのまま書き続けるのは正直きついだろうなと思っていました。「宇宙的なものと日常を繋げる」というUmeeT連載でのつなげ方が、結構大きな縛りになっていると感じていました。
UmeeT連載後半ではもう結構ネタ切れみたいな話はされてましたよね。
そうだね、毎回何かストックがあるわけでもなく書いてたからね。確かにしんどさはあった。
外の論理を取り込もうとしたのも、もう自分の中にあるものだけではやりきれなかったからでもある。。
なるほど、いろんな理由で連載間に変化が生まれていたんですね。
連載から本にするにあたって、変えたところについてお聞きしたいです。
UmeeTの連載は、意図的に口語的なふわっとした表現をあえて多く使ってたんだけど、本にするにあたって結構それは直された。そして、直してよかったなと思う。
同じ太田出版でも、ウェブメディアのOHTABOOKSTANDでやってる時と、本で出版する時で、違った点はありましたか?
連載の時はあんまり何も言われなかったんだけど、本になるときに結構改稿したね。
やっぱ紙にする時に違うんだ!
これまでは自分のツイッターのフォロワーとかフェイスブックの友達とか、自分のことを知っているという人に届けばいいという感覚だった。
でも本は、初版で何千部。となると当然、全く知らない人に届くことになる。「久保のことは知らないけど読みたい」と思ってもらえなきゃいけない。
そうなった時に、もっと一人称感を弱めないとダメだなと。
一人称感?
久保が個人として語ってる感じ。
今までは僕の人となりや性格を知っている人が読むから、一人称感が強くても良かった。でも、不特定多数にとっては読みづらい。友人には「エッセイ特有の臭み」と言われましたが。
臭みを消すと、純粋なコンテンツ勝負になった。本にするための編集工程で、世界観の面白さで手に取ってもらう、という方面にシフトしたんです。
[広告]
読ませてもらっている中で、想像力に関する話がたくさん出てくるなと感じました。久保さんにとって、想像力とはなんでしょうか?
確かに、想像力について結構書いてたね。
第2回「父ちゃんとじいちゃんとコロナと太陽」や、第5回「ガウスびっくり、僕らぐんにゃり」が特にそうかもしれません。
宇宙と人間の世界を結び付けて考えるというのも、想像だなあって思いました。
確かに、一貫してそういうことは書いてる気がする。
自分がそういうものに陥りがちだから、戒めのために書いてる気がするね。
コロナの時も、中国人とか外国人に対しての差別感情がツイッターとかで渦巻いていて、自分もそういうのに影響されそうになったり。そういう自分が自分の中にいるからこそ、「いや、いかん!」みたいなね。
なるほど 、そういうことなんですね。
ずっと書いてて思うのは、エッセイって自分の中にあるものを出すことしかできないし、それをいかに素直にさらけ出すかだなってこと。自分の弱さみたいなものが出てるような気がするね。
エッセイを書くときに、「自分の中にあるものをメッセージとして伝えたい」のか、「書くこと自体に意味がある」のか、どちらの感覚で書いていらっしゃるんですか?
最初ブログとか書いてた時は自分本位だったけど、読み手を強く意識するようになって……いやでもやっぱり今も自分本位かな。
この本は自分のことしか書いてない。別にアドバイスも何も書いてない。
「一緒に頑張ろうぜ」みたいな、背中を押してあげることもない。
ただ、ひとりの弱々しい人間が、何かをを思って、「世界ってこうだね」みたいなことを書いてる感じだからね。
でも久保さんが連載の第1回で書かれているように、「文字は光子だから背中を押す」んですよね?
そう、反響を聞いてるとね、あれが刺さったこれが刺さったと言われるから、結果的に何かが届いてるんだろうね。
久保さんの文章はすごく置いていかない文章だと思うんです。
杉山さんは魔法とおっしゃってましたが、自分にとってはむしろ、かなり多くの人にとって共感できる読みやすい文章。
だからこそ いろんな人に広がると判断されて、書籍化に至ったのだろうと思ってて。確かに久保さん自身のことを書いてるけど、独りよがりではない文章ですよね。
確かに自分でも意識しているかも。
実は、最初に書いた文章って劇団綺畸(注:東大の演劇サークル)の「稽古場ブログ」だったんだよね。公演の一ヶ月前ぐらいから、役者が毎日交代で書いていたブログ。
僕はそこで、詩みたいなものを書いてたんだよね。今みたいにエッセイとして整えていない、感動の中心だけを書いたものが多かった。
その時に、「におわせぶりだ」と言われたのがすごく嫌だったんだよね。自分の中では、すごく筋の通ったことを書いてるつもりだったけど、文脈や論理が通ってないと、人から見たら誰かの戯言ツイートと変わらなく見えちゃうんだなって思って。
だから稽古場ブログから自分のブログになるときには、少し説明して、どこに面白みがあるのかを提示するようになった気がする。
公のものになるにつれて、徐々に開かれていくって感じがしますよね。
でも、開ききったらいいってもんでもないところが難しいですよね。そこのチューニングなんだろうな。
さっきも少し話したけど、説明的すぎると途中から言われ始めて、自暴自棄みたいな時もちょっとあったんだよね。
説明してもダメだし、しなくても伝わらないし…エッセイというものの限界なんだろうかと思ったりしたけど…。
でも本にするにあたっての改稿で、自暴自棄で諦めてたような文章をもう一回再構成し直して、それはそれで諦めずに書いて良かったなと思ったし、まだまだ書けること色々あるなって思った気がした。
[広告]
これから久保さんがやってみたいことはなんですか?
新しく、フィクションも書いてみたいな。
自分が演劇をやってたのもあって、芝居や映画で人を感動させるのもスゴイと思うから。
ブログやり始めてちょうど6年ぐらい経って本になったから、フィクションも6年ぐらいちまちま書いたら、やっと本になるくらいかもしれない。けど書きたいし、エッセイもまだやれる気がするな。
フィクションを書くとしたらやっぱり宇宙に繋げるんですか?
うーん、そうかもねぇ
毎回宇宙の話と絡めてくるのがすごいなって思ってました。
やっぱり宇宙工学研究者やJAXA研究員として書くとなると、ただの日常じゃなくて宇宙と絡めないといけない、という縛りを感じますか?
だからと言って丸腰で挑めるほど何かを持ってるわけでもないんだよね。
もし今後フィクションを書かれるのであれば、小説を書いてるって意識しないで書いてほしいなあと僕は思います。ジャンルを意識しすぎると久保さんの良さが失われる気がして。
確かにな、ジャンルで縛ってかけるほど自分の中にストックもないし武器も何もない、さっき言った通り丸腰だからね。
エッセイを書き切ってみて、自分の体験に縛られる必要があるんだろうか?と思った。でも一方で、自分の感動したものじゃないと書けない!とも思う。
するとエッセイを軸に、フィクション的な要素をワンスパイス加えるぐらいでもいいのかもしれないな。またちょっと書いたら、読んでおくれよ。
ぜひ読ませてください。たぶん大したことは言わないですけど、よろしくお願いします。
最近は、テーマとか無くめちゃくちゃで書きたいときは、noteとかに、わーって殴り書きしてるんだけど、それはそれで面白い。
例えば最近、生ハムの原木の話を書いたnoteがあってね。生ハムの原木ってなんかすごい言葉じゃない?
宇宙とか全然関係ない、「生ハムの原木って何」っていう。なんかある時期から急にインスタとかで「わー、生ハムの原木!」とかみんな言い始めて、怖かったんだよね。
すごく特殊な言葉遣いのはずなのにみんな使っているから、本当にハムって木からできるんだっけとまで思うほど混乱して…っていうのを書いた文章なんだけど。で、これがある友達に「頭ぶっ飛ぶほどすげえ」みたいに言われて。だからこういうわけわかんないことも書きたいよね。いまだに理解できない生ハムの原木…
原木の勢いにさすがに笑ってしまった。いや、でもそうなんだよ確かに。みんな急に置いて行かないで欲しいよね。
みんなすごく知った顔して、イタリア料理とか行くと「原木じゃん」みたいな感じで、すごい原木ともう仲良しなんですよ既に。
そんなにみんな世界のことを分かって、僕だけ分かってないのかなみたいなことって、他にも色々あるんだよな。みんな人とコミュニケーションをとるのって普通にやってるけどもっと怖くないのかなとか、スポーツの応援するのとか自分が関係ない赤の他人が勝った負けたになんでそんなに影響されてるんだろうみたいな。でもみんな分かったような顔してる。なんかね、そういう世界、怖いよね。
久保さんのエッセイって「こわい」っていう言葉がよく出てくるなって思うんですけど。
うん、僕はね、めちゃくちゃビビリなんだよな。
でもプラスの感受性も豊かな感じがします。
久保さんがさっきからおっしゃってる「感動」が久保さんのエッセイの真ん中にあるのかなって。感情を膨らませるのが上手だなと。
僕はやっぱり、怖いんだよね。
例えば勉強についても、UmeeTのお布団の回で書いていますが、怖いからずっと勉強やってた。意外に東大生とかそういう人が多いのかなと思ったりする。
刺さったねあれは。
あの回は東大生から反響が多くて、結構そういう人いるのかもって思った。世界、怖くないですか?
「怖い」を自分からあまり表現しない人が多いからこそ、「怖い」を表現されてるとすごい共感するのかもしれないですね。
そうね、大人になると「怖い」とか言えないもんね。
久保っちにとっては、望んで「感受性が豊か」になったわけではないし、褒められるものだとも思ってないのかもしれない。
「普通にしていられるお前ら、すごすぎて怖い」ってことなのかも。みんな程度が違うだけで、社会に適合するのに慣れてしまったのかも。
HSP(highly sensitive person)という言葉があるんですけど、僕はそのチェックリストの全部に当てはまるんだよね。音と感情がすごく結びついていて、音の大きいバイクが通り過ぎただけで、その後5分ぐらい気が沈んでしまったりとか。僕は避けられずそう感じてしまっている。
でもそのおかげでこのエッセイがあるわけですもんね。
[広告]
最後に、東大生にメッセージがあればお聞きしたいです。
本では、勉強に対する葛藤やいろんなもののしがらみについて書いています。同じような学歴をたどってきた東大生だからこそ共感してもらえる点は結構ある気がします。
僕は東大生として書いているという意識はあまりないけど、東大生の読み手の感想はぜひ聴きたい。だから生協で見つけて買ってもらえたらいいな。
久保さん、今日はありがとうございました!
こちらこそ、ありがとうございました!
いかがだったでしょうか?気になった方は、ぜひ本を手にとってみてください!
そして、この書籍発売を記念して、UmeeTでは宇宙工学の権威・中須賀真一教授をお招きして、久保さんとのトークショーを開催します!
宇宙工学者の視点から見た『ワンルームから宇宙をのぞく』の魅力をはじめ、それにとらわれずお2人の研究分野についてもお話いただく予定です。
授業後・キャンパス内・無料での開催ですので、気軽にお越しください!
日時:5/24(水)19:00〜20:30(開場18:45)
場所:東大生協本郷書籍部(本郷キャンパス内)/ オンライン
トークショー終了後には、久保さんによるサイン会も開催します!
詳細・お申し込みはこちら(https://todai-umeet-yukikubo.peatix.com/view)