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【エッセイ・宇宙を泳ぐひと】第11回 ノンホロノミック、空を飛ぶ夢

2021.12.24

笑っちゃうぐらい壮大な宇宙と
何でもない生活の狭間を
溺れるように泳ぎつづける。

そんな宇宙を泳ぐひと
宇宙工学研究者の久保勇貴さんによる
連載エッセイ。

夢の中で、空の飛び方を完璧にマスターしたことがある。

大学の学部生の頃に見た夢、場所は、大学の構内だった。行き交う学生たちの白い視線など一切気にすることなく、僕は必死で手足をジタバタさせていた。空を飛ぼうとしていたのだ。はじめはどれだけジタバタもがいても体が宙に浮き上がることなんてなかったんだが、ある瞬間突然、自分の手の平と腕でググッと空気の塊を押して体を持ち上げる感覚が分かったのだ。そこからは早かった。手で空気を押して体が持ち上がった瞬間に、今度はすかさず足で空気を蹴る。動作と動作の間には一瞬重力で引きずり降ろされるけれど、地面に落ちるよりも早くまた空気を押す、空気を蹴る。手や足を動かした反動で体のバランスを崩しそうになりながら、それでもなんとか体幹で踏ん張って、休みなく手足をもがき続ける。初めは見て見ぬふりをして通り過ぎていた学生たちも、僕の体が段々と宙に持ち上がっていく様子を見て、続々と足を止めて見物し始めている。そうこうしているうちに、気づいたら僕の体はものすごい高さまで持ち上がっていて、目の前には建物4階分ぐらいの高い木のてっぺんの枝が見え、眼下には呆然とした表情で僕の方を見上げる学生たちの人だかりが見えた。自分の力だけで宙に浮く方法をマスターした瞬間だった。

その日から、もう夢の中では僕は完全に宙に浮く方法をマスターした気でいるので、色んな夢で当たり前のように宙に浮くことができるようになった。しかも、宙に浮くだけではなくその高さからムササビのように手を広げ、滑空で空を飛ぶこともできるようになった。滑空している時は、手をバタバタさせても上には上がれないので段々と高度は落ちていくのだけれど、そこからまた先ほどのように手足で空気の塊を押す動作を繰り返すと高度を上げ直せて、そうやっていつまでもどこまでも遠くに飛ぶことができた。ある時はアパートの屋上から飛び立って寝静まる深夜の街を見下ろし、ある時は世界遺産の敷地内でこっそり手足をもがいて宙に浮き上がり、歴史的な建造物を空から優雅に見物した。つい最近は、崖の上の体育館みたいな建物の中を端から端までビュンビュン飛び回りながらミュージカルをやった。意味が分からないだろうが、僕にも分からない。

まあ起きている時に冷静に分析すると、あの空気をググッと押す感覚は水泳のクロールや平泳ぎの時に水をかく感覚を脳内で再現しているんじゃないかとか思うけれど、夢の中ではそんなことには一切思い当たることもなく、僕は当たり前のように空を飛ぶことができるのだ。夢というのは抑圧された願望の表れだそうで、たぶん、空を飛ぶことに異様な執着があるんだと思う。

人間が宙に浮いている時、その姿勢運動(体の向きの運動)は面白い性質を示す。たとえば以下の動画を見てみよう。この動画は、国際宇宙ステーションができたばっかりの頃、宇宙飛行士の人が周りに何もつかまるところの無い空中で頑張って体の向きを変えようとしている映像だ。

なるほど、手足や胴体をうまく曲げたりひねったりすることで体の向きを変えていることが分かる。この姿勢運動の基本的な原理はいわゆる作用・反作用の法則に従っていて、たとえば下の図の①のように「気をつけ」で浮いている状態から、②のように手を挙げればその反作用で体は逆方向に回って向きが変わるというような仕組みになっている。

とまあ原理自体はさほど難しくないんだけれど、実はこの原理を使って自在に体の向きを変えるのはそう簡単ではない。たしかに図の①→②のように手を挙げれば一時的には体の向きを変えられるけれども、②→③のようにまたそのまま手を下げて「気をつけ」に戻ったら元の向きに戻ってしまう。同じように、「右向け右」をしようと腰をひねってみても、またそのまま腰を戻せば正面に向き戻ってしまう。体全体の向きを変えて「右向け右をした気をつけ」の状態になるには、単純に体をひねるのではなく、下の図のようにあえて一度遠回りな方を向いてから上手い手順で「気をつけ」に戻るというややこしい体の動かし方をする必要があるのだ。先ほどの宇宙飛行士の動画でも、よく見ると実はこのようなことをやっていたのだ。

このような「宙に浮いた人が、とある『気をつけ』の状態から『右向け右をした気をつけ』の状態に移行する問題」は、実は自動車を駐車場に停める問題によく似ている。例えば縦列駐車をする場合、車は直接真横に動くことはできないけれど、一旦前に出てハンドルを切りながら下がると結果的に真横に動いて駐車できるのは日常経験からも分かるだろう。上の図と下の図を見比べると、「わざと遠回りすることで、動けない方向にも動ける」という似たような現象が起きていることが分かる。

宙に浮いた人の運動では、関節を動かした時の一瞬一瞬の胴体の回転速度は作用・反作用の法則に従って決まっていく。作用・反作用の法則が胴体の回転速度に対する拘束条件となっているのだ。同じように、自動車の運動も一瞬一瞬は車輪が向いている方向にしか進めないという速度に対する拘束条件が課せられているので、実はこれらの運動は共通の理論で扱えるのだ。このように、一瞬一瞬の物体の(回転)速度に対して拘束条件が課せられた運動を、専門用語でノンホロノミック運動と言う。宙に浮いた人間の運動と自動車の運動なんて似ても似つかないように思えるけれど、実は数学的には同じ理論で繋がっている。数学ってすごい。ちなみに、「ノンホロノミックがあるならホロノミックは何なんだよ!」とツッコミを入れたい人のために説明しておくと、ホロノミック運動とは速度に対してではなく位置に対して拘束条件が課せられた運動だ。例えば電車のようにレール上しか動くことができないという条件を課せられた運動が典型的なホロノミック運動の例になる。この場合、どう頑張っても電車はレールの上しか動けないので制御としてはつまらない問題になる。

先ほどの二つの例のように、ノンホロノミック運動では一瞬一瞬は自由に動けないのに、一時的にわざと遠回りに動くことで結果的にいろんな状態に自由に到達できるという面白い性質がある。こういう、自由に動けないのに自由に動けるという特徴こそがノンホロノミック運動の最大の面白さと言えるだろう。違う見方をすれば、瞬間的にはあえて遠回りする方が結果的に近道になることがある運動だとも言える。ただし、遠回り経路をうまく設計すれば自由自在に動けるとは言っても、その経路を設計するのはとても難しい。何を隠そう実は僕も、先ほどの宙に浮いた人間の問題を博士論文のテーマとして今まさに研究している。車の例ではせいぜい加減速とハンドルの2種類の量を操作するだけなので、経験を積めば人間の頭でも器用に運転することができるのだけれど、宙に浮いた人間の場合には関節の十数個の角度を同時に操作する必要があるので、難しい問題になる。簡単な運動パターンについては宇宙飛行士も経験的に体得しているようだが、複雑な運動になるとなかなか直感では扱いきれないのだ。ウンウン唸りながら数式をこねくり回し、どうやったらこの問題を解けるかを毎日毎日考えている。ずいぶん物好きな研究に思えるかもしれないが、知れば知るほど奥深い問題なので飽きずに研究し続けている。僕がもし、あの夢のように本当に空を飛ぶことができたなら、自分の研究した手法を使って誰よりも華麗に体の向きを変えてやろうと思う。その小さな野望が、研究に対する大きなモチベーションになっているんだろう。

人生も、ノンホロノミック運動みたいなところがある。

人生だって、一瞬一瞬の行動は色んなことに縛られている。宿題はしなきゃいけないし、洗濯はしなきゃいけない、お金を稼がなきゃ、電車に乗らなきゃ、ご飯作らなきゃ、水ダウ見なきゃ、待ち合わせ行かなきゃ、保育園迎えに行かなきゃ、部活行かなきゃ、そうやって、色んな事をこなさなきゃ僕らは生きていけない。あなただけの人生なんだからあなたの人生はいつだって自由だ!ってのはまあその通りなんだけど、多分現実はそんなに簡単じゃない。明日から急に仕事辞めて、ハワイで路上タップダンスしながら生活するのはもちろん不可能とは言わないけれど、とっても難しいことだ。車は、いきなり真横に動くことはできない。

それでも、やっぱり人生は自由だろうか。一瞬一瞬は不自由でも、少しずつ前に進んだり後ろに戻ったり舵を切ったりすれば、どこへだって行けるのだろうか。敷かれたレールの上を走るだけでなく、自らの手足でアクセルとハンドルを操作する余地があるのだろうか。明日も僕らは生きるためにやるべきことをやらなければならないけれど、それでも人生は、ノンホロノミックだろうか。

宇宙飛行士の選抜試験が始まる。前回の2008年の募集から実に13年ぶりとなる公募だ。その空白期間の長さもさることながら、応募資格にも大きな変更が加えられていることがニュースとなった。身長・体重制約は大きく緩和され、理系大卒でなくても応募できるなど、かつてなく門戸が大きく開かれる募集となる。

空を飛ぶことに異様な執着がある僕の、その異様な執着が芽生えたのはけっこう幼い頃にまでさかのぼると思う。明確にそれがいつだったかは覚えていないけれど、気づいたら僕は宇宙に行きたかった。宇宙飛行士になりたかった。小学校低学年の頃には既に、宇宙飛行士以外になりたいと思える職業はなかった。当時、兄が持っていた『13歳のハローワーク』という本を借りて読んだりもしていたけれど、そこに載っている数々の職業を見てみても、僕がなりたいと思えたのはやっぱり宇宙飛行士だけだった。ふわふわ宙に浮いた人のイラストと共に、「宇宙飛行士になるのはとっても難しいよ~」というようなことが、その本には他人事のように書いてあったような気がする。

東京大学の航空宇宙工学科というところが、どうやら歴代の宇宙飛行士をたくさん輩出しているらしいということを知ったのと、本格的に高校受験の勉強を始めたのは同時期だったように思う。幸運にも恵まれた学習環境を与えてもらい、その上に僕の勉強に対するわずかばかりの適性もたまたま乗っかって、地域一番の進学校に合格することができた。大学受験もなんとか現役で合格し、そのまま東京大学の航空宇宙工学科に進学した。もちろん紆余曲折も挫折もたくさんあったけれど、それでも自分が正しいレールに乗れているという感覚はずっとあったように思う。

宇宙飛行士に求められる資質というのは心身の健全性や英語を含むコミュニケーション能力を基本としているけれど、求められる人材はその時の国際情勢やJAXAの方針に左右されるので不確定だ。そして新卒採用があるわけでもなく、何年後にやってくるかも分からない、というかそもそも次のチャンスがあるのかも分からない公募をひたすら待たなければ機会すら得られない。自分の人生の適齢期にその公募が来るかどうかは全くの運任せだ。そこに正しいレールなんか用意されていない。目指そうと思っても、どちらに進めばよいか分からない。自分が目標に近づいているのかも、遠ざかっているのかも分からない。宇宙飛行士とは、そういう職業だ。もちろんそんな情報は随分前から知ってはいたけれど、大学を卒業する頃に僕はそのことを痛烈に思い知った。当時の僕にはやっぱり本当になりたいと思える職業は宇宙飛行士以外に無くて、けれど、自分が順調に乗れていると思っていた正しいレールなど本当は存在しないことに気づいて途方に暮れたのだった。どちらに進めばよいかも分からないまま僕は大学院に進み、博士課程まで研究を続けてきた。

人生はやはりノンホロノミックなのだろう。人生は決して、敷かれたレールの上をただ走るようなものではないのだろう。それは希望でもあり、絶望でもある。きっと僕はこれからどこにでも行けるし、何にでもなれる。けれど、今自分が進んでいる方向で宇宙に近づけるのかは分からない。人生は、数式でモデル化することはできない。運動を解析して最適な経路を計算することはできない。かと言って、自動車を駐車場に停める時のように正しいハンドル操作を経験的に体得することもできない。人生は一度きりだから。信じた道を進んでみたあとでその道が正しかったかどうかを知ることしかできない。このかけがえのない僕の人生は、どうしたって一度きりなのに。試しに進んでみた方向が間違っていても、やり直しなんかできないのに。

待ち望んでいた公募だけれど、正直なところ自信はない。ようやく始まった、というよりも、とうとう始まってしまった、という気持ちの方がやっぱり強い。数え上げればキリがないほど、自分に足りないものがあるのを知っている。信じていたレールなんて存在しないことを知っている。けれども、絶望に飲み込まれたくはない。一度きりの人生だけれど、一度きりの人生だからこそ、わずかな希望があるならばそれをかき集めて前に進みたい。僕は、きっと誰よりも上手に空を飛ぶことができる。だって、そりゃあもう夢の中で何度空を飛んできたと思ってるんだ。なんてったって崖の上の体育館みたいな建物の中を端から端までビュンビュン飛び回りながらミュージカルやってんだぞ。何だそれは!意味わかんねえだろ!僕にも分からんぞ!君たちにそれができるか!できんだろう!どうだ参ったか!僕が一番上手に空を飛べるんだ!

夢というのは抑圧された願望の表れだそうで、どうやら空を飛ぶ夢は向上心や成長に対する願望を表しているらしい。どういう道を辿れば宇宙に行けるかなんて、分からない。遠回りしているように見えたって、実はそれが近道になっていることだってある。人生は、ノンホロノミックだから。そのことを希望だと思い込んで、前に進んでやろうと思う。

宇宙を泳ぐひと

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この記事を書いた人
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久保勇貴
東京大学大学院 航空宇宙工学専攻 博士課程。JAXA宇宙科学研究所にも籍を置き、様々な宇宙開発プロジェクトに携わる駆け出し宇宙工学者。 自身のブログ『ハルに風邪ひいた』『コンパスは月を指す』で宇宙を軸としたりしなかったりする文章を書く。 Twitter: astro_kuboy
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