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オンラインの祭りに何を思う【エッセイ・コロナ禍の大学を生きる】

2021.12.01

駒場祭、閉幕。1週間と少し前のこと。

2020年入学、法学部の内定を持つ私にとって、駒場で迎える最後の駒場祭だった。もっとも、後期課程に進学しても私のフィールドは本郷ではなくて、きっと自室のままなのだけれど。

2018年、高2で訪れた駒場祭を覚えている。その日はあんまり寒くなかった気がする。せっかく行くなら人気の企画を見ようと息巻いて、黄色い落ち葉を踏み締めて人混みを掻き分け、名物企画の整理券の列に並んだ。なんとか入場できた立ち見席、ステージで東大生が魅せる景色に息を飲んだ。東大生、すっごい。なんでもできるじゃん。

3年後、今年、そのステージに立った。

私は「なんでもできる」東大生にはなれていないけれど、それでもたしかに東大生になっていた。本番30分前、ステージに立って、カメラ位置の確認をした。客席のど真ん中を陣取っているこのカメラが、今日の唯一のお客さんらしい。高2の私が教室の後ろで目を凝らして見たこのステージを、贅沢にも独り占めしている。幕が開いて、眩しいスポットライトを浴びて、カメラに向かって必死で笑いかけた。今日のお客さんには、顔がない。

世界がウイルスに支配されて2年、大変な時代の中で、駒場祭は去年に引き続きオンライン開催となった。

高校3年間、文化祭参加団体の責任者を務め、祭りに魅入られた青春を過ごした私はたぶん、自慢じゃないが人より学祭への思い入れが強い。いや、正直ちょっと自慢だ。それが私のアイデンティティだから。

そんな中で、大学2年になった今年もご縁を頂いて、駒場祭参加企画の責任者を務めることになった。元通りとは言わずとも、規模を抑えればあの「祭り」をまた味わえるのでは、と、ちょっとだけ期待していた。そんな中でのオンライン開催の知らせだ。まあ、時勢を考えれば当然。中止にならなかっただけマシといったところか。

それから本番までの3ヶ月は、色々なことを考えた。オンライン開催の駒場祭では、当日会場での呼び込みや立て看板による宣伝ができない。だけど私たちのつくるステージを、なるべく多くの人に見てほしい。

思うに、ステージは私たちの自己満足の場ではない。もちろん日頃の活動の成果を多くの人に見てもらいたいという思いもある。だけどきっとそれは私たちだけのためのステージではない。見てくれるお客さんに伝えたいこと、感じてほしいこと、そういうメッセージをたくさん込めている。そして、そういう思いで作られたステージはきっと、観客の心を動かす力を持つ。ちょうど3年前にステージに魅入られた17の少女が今ここにいるように。

たくさんの人にメッセージを届ける、という意味で、オンライン学祭というのは、確かに障害であった一方で、プラスに働く面もあった。2020年入学、以来受けた対面講義はたった6回、きっと世界で一番オンライン授業にお世話になっている世代だ。オンラインの利点なら嫌でもわかる。

駒場を訪れるのが難しい人にも届けることができること。録画配信を使えば、スケジュールの制約をある程度取り払えること。匿名性のもと、企画を覗くハードルを下げることができること。「東大の学祭」には興味がない人にも、ピンポイントに企画を見てもらえること。

オンラインだからこそ、見てくれる人はきっといる。最後の駒場祭、オンラインを言い訳にしたくない。そんな思いで、SNSや広告媒体での宣伝に励んだ。

お客さんの顔は見えないけれど、見えないからこそ想像する。どんな人に届けたいのか。届けたい人に届けるために、どんなアプローチができるのか。オンライン学祭も悪くないかもしれない。

対面の学祭で、銀杏並木の雑踏の中で声を張り上げて呼び込みしていた時代には、たしかに憧れるけれど。だけど、見えないからこそ、一人一人に寄り添える気がする。お客さんは、雑踏の中の一人じゃなくて、このネットの海から私たちを見つけてくれた運命の人だ。

「魅せ方」に関しても、考えることは多かった。効果的なカメラワーク、マイクの調節、画面の向こうに伝えるための声、表情、仕草。「生」を伝えることはできずとも、それに近いものを届けたい。共同責任者たちと話し合いを重ねた。

責任者に就任してから、考えに考えた8ヶ月だったけれど、カメラが回り出してからは一瞬だった。「本番」の高揚感に包まれて、全員の感情が光って、今までで一番いいものが出せた、と確信した。

カメラが止まって、寄せ書きとプレゼントをもらった。責任者、お疲れ様でした、なんて泣かせてくれるじゃないの。楽しい8ヶ月だった。

企画終了後、清掃チェック受付場所に指定されていた「学術企画本部」の場所がわからなくて、銀杏並木を右往左往した。向こうから歩いてきた赤法被の駒場祭委員2人に声をかけて、マップを広げて一緒に探した。霧雨が降ってきて、黄色い落ち葉が光っていた。

不意に、ああ、これが祭りだった、と思った。普段なら生まれることのない交わりが生まれる場所。「知らない人」が、「仲間」に変わる場所。高揚感の中で、結束と団結が生まれる場所。それが、祭りだ。と、思う。そこで生まれた繋がりは一時的なものかもしれない、だけど、その経験はきっと一生モノだ。

正門横のテントで軽食を頬張る委員に、一日お疲れ様です、と声をかけて、門を出た。

嬉しかった。これが祭りだ。お客さんの顔は見えないし、キャンパスはやけに静かだし、銀杏並木の落ち葉はまだ踏まれずに残っているけれど、それでもこのオンラインの駒場祭に、「祭り」の片鱗を見た気がした。

責任者を務めたステージの終演後、駒場祭委員として書類の受け渡しのために教室を訪れたのは、高校からの友人だった。

高校の文化祭、団体責任者だった私に、文化祭運営委員として連絡をしてくれていた彼女が今、3年の時を経て、赤法被を着ていた。

集合写真の陣形になろうとわちゃわちゃする企画構成員を見ながら、どちらからともなく、こういう形でまた関わるとはね、エモいね、と言った。

大学生になって、時代も変わって、「新しいこと」に挑戦しようと息巻く自分もいるけれど、それでもやっぱり私は私のままだ。祭りが好きだ。それがたとえオンラインでも。

私も彼女も、思い出にしがみついて生きているのかもしれない。思い出って美しいから、丁寧に抱いていたくなる。だけど丁寧に抱いて育てたら、それはまた新しい思い出を生んでくれるみたいだ。

だからきっと、今日ここでつくった思い出も、いつかまた新しい思い出で心を照らしてくれる。静かなキャンパスで生まれた、「祭り」の思い出。大変な時代だけど、駒場祭を経験させてくれてありがとう。

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