2019年の東大在学中、アニメの聖地巡礼をきっかけに休学して和歌山県美浜町三尾地区に移り住んだ岩永淳志さん。
休学中にはUmeeTにて三尾での日々の様子をUmeeTに寄稿してくださっていました。
そんな岩永さんが今年、26歳の若さで和歌山県議会議員選に初出馬・当選!日々県議として活動されています。
人口わずか400人ほどの漁村に定住するまで、そして県議となった岩永さんの今をインタビューしてきました!
岩永さんが三尾と出会う経緯、三尾での暮らしはこちらの記事をご覧ください。
──5年前の寄稿記事では、1年ほど休学して和歌山県美浜町三尾地区に移り住んだところまで書かれていました。そこから定住するに至るまでの経緯を教えてください。
2020年に休学を終えて一度東京に戻り、経済学部の3、4年生として過ごしました。ただ、その後もなんだかんだ3ヶ月に1回は和歌山へ通っていました。定期的に地域に通ってイベントを企画したり、友達を連れて行ったり。
──東京ではどう過ごされていたんですか?
地域での経験を経て、農業やバイオテクノロジーにすごく興味を持ったので、農学部の五十嵐先生という方に会いに行き、先生の勧めで農学部の大学院に進むことにしました。
ただ、「大学院も面白いけど、岩永くんはぶっとんでるから(笑)、学問にとどまらず民間のぶっ飛んだ会社の社長の話を聞いてきたほうがいいんじゃない?」と言われて。そこで紹介されたのが、そこで紹介されたのが、全国の農家さんや漁師さんの出品を助けるアプリを運営する「ポケットマルシェ」の高橋博之さんと、藻を使ったプロジェクトを行っている「ちとせグループ」の藤田朋宏さんでした。
その2社の社長に直談判しに行ったら、面白がってくれて、2社でインターンをすることになりました。当時は2ヶ月に1回ほど三尾に戻って展示活動や遊びをしつつ、東京ではその2社で週の半分ずつインターンをするという生活を続けていました。
という感じで、和歌山で抱いた興味から、農業とバイオテクノロジーへの関心をどんどん深めていったのが、三尾に戻るまでの2年間ですね。大学4年生と修士1年のときです。
ちょうどその時、自分の進路に悩んでいた時期でもありました。就職活動もしていて、内定まではいかないもののインターンなどは順調でした。ただ、「なんか行きたいところがないな」という気持ちになってきていて。
──就活ではどんな業界を志望されていたんですか?
ゴリゴリに官庁志望でした。国家公務員試験の教養区分も受けようと思っていたので、多分まだ実家には教養区分の過去問が山のように積んであるんじゃないかな。
ただ、とある省庁のインターンの時に、「スマート農業を使って面白いことをしろ」というグループワークがあったんです。周りのみんなはドローンとか、もっとハイテクノロジーなデバイスを使ったプロジェクトを立案しようとしていて。でも僕はちょうど三尾から戻ってきたばかりだったので、「三尾にいるおじいちゃんおばあちゃん農家に『明日から自分でドローンを使ってください』と言ってもできるわけがない」とめちゃくちゃ思って。
だから「もっと手前の、そもそもスマホの使い方教室を一斉にやって強制参加させるような仕掛け作りの方が大事じゃないか」と主張し始めた途端、当時オンラインでしたが、職員さんに「そういうのは求めていないから」と言われてしまい、それで「なんか違うな」と。
そんな経験をしていく中で、憧れていたはずの官僚などの王道ルートに対して、少し斜に構えた目線が培われてしまったというか。「イケてないな」という気持ちがムクムクと湧いてきて。だんだん普通の就活をやめるようになり、その頃にはちょうどポケットマルシェ、ちとせグループ、そして三尾の活動で自分の時間が埋まるようになっていたので、もうええかと就活をやめてしまった感じです。
──就活を辞めることに葛藤はなかったんですか?
ありましたよ。東京でのインターン先の2社どちらかに就職することも考えたけど、一番難易度が高いのは和歌山だなと思いました。最終的にお前は何がしたいんだ、と考えた時、やっぱり和歌山にはポテンシャルがあるし、僕はここが好きだし、就活時の価値観も含めて今の自分を形成してくれた「育ての親」のような場所。だからその和歌山に対して何かしたいという気持ちが強かった。
ところで、2020年ごろの休学中、三尾で解体予定だった古民家の取り壊しを思いとどまらせたことがありました。「高台でめっちゃ良いじゃないですか。めちゃくちゃ価値があるから取り壊さないほうがいいっすよ」とか言って焚き付けて、軽い気持ちで「誰も買い手がいなかったら僕が買いますよ」とか言っていて。
そうしたら2年後の2022年頃、持ち主のおばあちゃんから電話がかかってきて、「あの家をいい加減処分しようと思っているんだけど、本当に更地にするか、買うって言っていた岩永くんにあげるか、どっちかにしようと思うんやけど」と言われまして。「あ、やばい、言ってしまったな」と(笑)。
進路に悩み始めると同時に和歌山についてももう少し本腰を入れて本気で向き合いたいという気持ちが日々湧いてきていたタイミングで古民家の話がありました。すごく葛藤はあったけど、「これもご縁だし、この流れで古民家を譲り受けることになるなら、もうこの流れに乗っかって、この地域でできるところまでやってみよう」と。そうして古民家を譲り受けて、インターンを2社とも辞め、住民票を移して三尾に住み始めたというのが、定住に至るまでのプロセスです。
大学院に在籍しながらでしたが、ちょうど絶妙にコロナ禍だったので、オンライン授業と集中講義を駆使してなんとか単位をかき集めて卒業しました。
──三尾に住み始めてからはどういう生活をされていたんですか?
最初に、休学中に居候させてもらったゲストハウスのオーナーがやっているまちおこし団体「NPO法人日ノ岬アメリカ村」の理事になり、(理事は議員になったタイミングで辞任しましたが)そこの手伝いを今もずっとやっています。
ただ、そこだけだと稼ぎがないので、近くにある和歌山工業高専で研究アシスタントをして、あとはテレワークでできる細かいバイトをいくつか掛け持ちしながら、最初の1年を過ごしました。
その後、昨年に自分の活動を法人化しようということで、「一般社団法人Kii-Lab(きいらぼ)」という団体を作りました。ここは僕一人しかいない法人で、個人事業主のような形で独立して、空き家活用や子供たちへの学習支援、大学生が来た時のコーディネートなどをやっています。県からも移住希望者への空家マッチングなどの仕事をもらったりして、少しずつ実績が積み上がってきたかな、というタイミングで、今年に入って選挙があったという流れです。
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──そして今年、和歌山県議会議員に立候補されたわけですね。
もともと政治には興味があって、いつかは行こうと思っていましたが、地域で課題に向き合っていると、地方自治が本当にめちゃくちゃ大事だと思って。国が良いことを言っていても、基礎自治体や県の担当者がメッセージを捉えきれていないと、全然違う方向に行ってしまうことがあるんです。
例えば、スクールバスって学校から4km離れていると乗れる対象になるんですが、3km、2kmでも歩くのは大変ですよね。20分くらいかかりますし。「通り道でいいから乗せてよ」という話が地域で話題になるんですが、役場の人は「4km以内は国の方針上乗せないことになっている」と言うんです。でも文科省のマニュアルをよく見ると「地域の実情に基づいて柔軟に対応してください」と書いてある。それなのに窓口では「いや、4kmなんで」と断られてしまう。
こういう典型的な窓口業務の壁があるんですが、日本の地方はポテンシャルを持っているので、地域の住民や行政が良くなればなるほど上向きになるんじゃないかと思っていました。
この御坊・日高という知名度ゼロの地域で、行政の姿勢や地域の魅力の掘り起こしなど、白紙の状態から作り上げていくことに可能性を感じていました。そんな矢先に今年、知事が亡くなったことに伴い、本来行われないはずだった補欠選挙が行われることになって。
三尾が含まれる美浜町や日高町、御坊市といった一帯を「面」で見て、広い視点で連携を取っていかないといけない。そうした思いが地域の人との議論で出てきていたので、日高郡というものを一つとして見て、良い面・悪い面をつなげていける県議会議員の仕事をやってみたいと思い、日高郡選挙区から立候補しました。
──当時26歳、ほぼ最年少ですよね。
そうですね。県議会議員としては歴代最年少ではありませんが、現役では最年少です。
それこそ歴代最年少市長として話題になった東大出身の芦屋市長・高島さんは1歳違いで、間接的には知っています。そういう人がいることへの憧れもあり、「若くても挑戦できるんだ」とは思っていました。
──その若さで政治の世界に入ることへの不安はありませんでしたか?
めちゃくちゃありました。ただ、政治は誰でもできる仕事ではない中で、ちょうどタイミング的に、これから自分の事業(Kii-Lab)が忙しくなる、銀行に借り入れに行く直前のところで。「今ならいける」と思いました。ちょうど自分の人生を考え直すタイミングだったんですね。半年後だったら仕事に集中したくて出馬しなかっただろうなと思います。本当に色々なタイミングが重なりました。
──地盤もない中での選挙でしたが、勝算はありましたか?
いや、全然負けると思ってた。無理やろう、と。でも何人かに相談したら「いいんじゃない?」と言われて。若いからこそ失敗してもやり直せると思っているので、そう思えるうちに政治をやりたいと思いました。60歳くらいで「落ちたら人生終わり」と思ってやると、当選するために悪いことでも何でもしてしまいそうじゃないですか(笑)。干されたとしても「知らんし」と思えるくらいの年齢のうちにやりたかった。
──県議会議員の良さはどういうところですか?
県レベルで物事を捉える、俯瞰する「鳥の目」を持てるところが大事だと思います。県は国と町の間で中途半端な立ち位置で、独自で決めることは少ないです。右から来たものを左に受け流す立場ではありますが、だからこそ広いテーマを自分事として考えられる。
先ほどのスクールバスの例で言えば、個別の町の解決は町議会の仕事ですが、「4kmという制限を外していこう」という全体の制度としての方針を立てられるのは県なんです。僕の住む町が解決しても、隣の町で解決していなければ意味がない。町という単位にこだわらず、日高郡全体を面で見られるのがやりがいです。
補欠選挙がなければ県議会議員にはなってないと思いますが、結果として県全体の方針や、県内の先進的な取り組み、逆に過疎が進んでいる地域の取り組みなどを知ることができて良かったと思っています。自由な時間を使って、未来のために大事な準備ができている感覚です。
──実際に議員になってみて、見え方は変わりましたか?
和歌山県ってね、結構頑張ってる。みんなが知らないだけで、例えば梅酒の輸出を県を挙げてオーストラリアに展開していたり。向こうではレッド、ホワイト、ロゼみたいに「プラムワイン」として楽しまれています。
他にも山椒の生産量が日本一でクオリティが高かったり、新幹線の座席シートの織物や高級ニットのシェアが最大だったり。式典に呼ばれて行ってそれを知って、「え、これすげえじゃん、日本トップじゃん」となるんですが、地元の人すらそれを知らない。「なんでこんなに知られてないの?」と思い、積極的に発信しています。最近は目指せ県議会議員インスタグラマー(笑)。多分和歌山のインスタグラマーって案件取れなくてしんどいと思う。だから県議会議員がやるのがいいんじゃないかなと思って。
──今の課題は「発信」にあるということでしょうか。
そう思います。というか地方全体としてそうだと思う。
インスタでバズる場所って、バズる前からずっと美しかったはずなんです。知られていなかっただけで。知られていないから、地域の人たち自身が「この地域は何にもない」と諦めてしまっている。みんな絶対「何もない」って言う。わざわざ何にもないのに和歌山に移住してきて〜みたいに。いや、ないことないやんみたいな。地域の人の感覚がまず「何にもないことない」にならないと。
でも最近はだんだんとこう、なんかこの地域面白くできんじゃんって思ってる数名が、大人たちにバレることなく半地下の状態で地域を興していこうと、隠密に動いてる。そういう人たちが日の目を浴びられるように、発信のチャネルを作ろうっていうのが今の僕の動きかな。
──発信と言いつつ、外だけじゃなく内側にも目が向いてるっていうか、意識改革みたいなところもあるんですか。
そうなんですよ。そこが大事だと思う、これからの地域って。自分たちが自分たちの地域に誇りを持ってる状態がめちゃくちゃ大事だと思う。でもそういう地域って多分全国ですごく少ない。
──議員になって生活は変わりましたか?
変わりましたね。勉強意欲がなければ今まで通り過ごすこともできるけど、それだと仕事をしていないことになる(笑)。
今までも色んな人に会って話を聞くことはしていたけど、議員になってからは使命感を持って、今まで会わなかったような遠くの地域の人にも会いに行くようになりました。今まではKii-Labだったり高専の研究助手だったりの自分の仕事をしながら、その傍らでアンテナを張っている感じだったのが、議員になったことでアンテナを張ること自体が仕事として成立するようになったのが大きいですね。元々趣味でやっていたことの延長なので、楽しくて仕方がないです。趣味で草野球をやっていたのがプロチームに入って対戦相手が広がったようなイメージ。
──アンテナを張るのが趣味、か…。我々編集部が実際に和歌山を訪れた際にも感じましたが、岩永さんの地元の方々との交友関係、愛されている姿には驚かされます(現にこの取材中も、地域の自衛官の方が事務所を訪れてご歓談されており、取材陣一同、岩永さんの人望を感じて圧倒されていました)。アンテナを張り巡らすコツはありますか?
正直、東京だったら埋もれていたと思う。田舎、東大卒、27歳、というだけでみんなが覚えてくれるので、ご縁が繋がりやすいんです。あとは、東京だと1人2人と知り合って終わりですが、ここではコミュニティが狭いので、「あそこで知り合ったあの人とこの人が知り合いだった」みたいなことが頻繁に起きます。その代わり悪いことをしたらすぐに知れわたるけど(笑)、そういう面白さがあります。
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──今後の展望を教えてください。
御坊・日高の地域をよくしていく仕事につきたい。和歌山のためにできる仕事がしたい。よく、「次は国会だ!」と言われるんだけど、僕は地方自治に貢献できる人材であり続けたいです。
──最後に、現役の学生に向けてメッセージをお願いします。
僕は過激かもしれませんが、「東大生はみんな5年で卒業しろ」と言いたいです(笑)。もっと休学してほしい。
最近は就活が早期化していて、進振りと同時に就活を考えるような時代ですが、それはもったいない。正直、就活するだけなら選抜コミュニティとかに入っておけばいいじゃないですか。せっかく大学にいるなら、そのポテンシャルを活かしてキャンパスの外に出て、社会経験を積んでほしい。それが僕みたいに人生を180度変えるきっかけになるかもしれません。全員休学しろ!って感じです(笑)。
──ありがとうございました!
大阪生まれ東京育ちの岩永さんが三尾という小さな集落に魅入られ、和歌山に身を捧げるまで。
政治だとか地方創生だとか言われるとややこしく考えてしまいがちですが、岩永さんを見ていると、「愛する和歌山をもっとよくしたい」「和歌山の魅力をもっと知ってもらいたい」というまっすぐな気持ちを軸に、地域住民と話し、面白いアイデアを考え、県の立場から実現していく、すごくシンプルな作業なのかもしれないと思いました。
もちろん、地縁も経験もない中、27歳の若さで県政に挑まれることは相当に難しいことだと思いますが、その苦難を感じさせず、和歌山の魅力を語り地元の方々と楽しそうに交流される岩永さんの屈託のない笑顔が印象的で、いわば人たらしのような岩永さんにとってこの仕事は天職なのだろうと感じさせられました。今後のご活動も応援しております!
