Umeetをご愛読の皆様。お初にお目にかかります。東京大学経済学部所属の岩永淳志と申します。
突然ですが、僕は今、和歌山県に留学しています。
和歌山県の中でも、僕が留学しているのは和歌山県民すら知らない人の多い海辺の町、美浜町です。
そしてさらに、その美浜町民ですらほとんど足を運ばない600人余りの村、そこに僕は1年間住むことにしました。そのために大学も休学しています。
「地方の村に留学ってどういうこと?」皆さんはそう思われるでしょう。
これから、「自分がなぜ地方に住み始めたのか?」そして、「地方に大学生が住むこと」について説明していきます。
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そもそも、どうして僕が和歌山の一村に興味を持ったのか。
僕と、和歌山県美浜町の出会いは約1年前、2018年の8月まで遡ります。
アニメが好きだった僕は、アニメの聖地巡礼(背景に描かれた景色のロケ地を巡る旅)が趣味で、大学生になってから日本各地の聖地をウロウロしていました。
そんな僕が、特に好きなアニメの一つが「AIR」という、2005年放送の京都アニメーションのアニメです(注:原作であるゲームは2000年発売)。
家族愛をめぐる感動的なストーリーと澄み渡るようなメロディーを持つ楽曲で有名で、放映から15年、原作ゲーム発売からはもうすぐ20年が経とうとしていますが、今だに根強い人気を保つ作品です。
高校1年生の時に初めて観て大号泣し、今でもBGMが流れるだけで涙ぐんでしまいます。
そんなAIRは、いくつかの村の風景をモデルとしているのですが、その大部分が和歌山県の美浜町にありました。
主人公とヒロインが歩く町並み、感動的なシーンの背景となった海岸。それらがアニメの背景そのままに存在しているという情報を知り、いつか必ず行ってやると心に誓いました。
そして大学2年生の夏休み、5日ほど何も予定が入っていなかったタイミングを狙って、僕は一人深夜バスに乗り、和歌山県美浜町へ行きました。
大好きなアニメの聖地を見ること。それが、僕が美浜町を訪れた最初のきっかけだったのです。
実際に訪れた美浜町はとても閑静な町で、観光客の姿も、地元の住民の姿すらもほぼ見られませんでした。
昔ながらの瓦屋根の家々と大きな松林、そして全長4kmの煙樹ヶ浜が広がる小さな町でした。
ですが、ただ好きなアニメの聖地だから、ただ綺麗な風景で自然豊かだったからという理由で留学したのでは、もちろんありません。
きっかけは、この町を巡っている最中に見つけたとある地名でした。
「アメリカ村」
そこにあるのは、ただの古民家が集まった小さな集落です。
バス停の周りを見渡しても欧米風の建物はなく、ただ堤防と瓦屋根が続くばかり。
それを「アメリカ」というのは、あまりにも不自然でした。
「何でこんなところが「アメリカ村」と呼ばれていたのだろうか。」
そんな疑問が、旅を終えた後も残りました。
気になって仕方なかった僕は、家に帰り、アメリカ村についてネットで調べてみました。
すると、この村が昔、カナダに移民を送り出してきた移民母村だったということが分かったのです。
そしてさらに、カナダに出稼ぎに行った人たちが欧米風の文化をもたらし、かつては欧米の建築が建っていたり、村人が洋装をしていたりもしていたそうです。
普通なら、そこで「へーそうなんだ」で終わりだと思います。
でも、僕にとってはこれは見過ごせない情報でした。
遡ること、僕が高校生のとき。
当時、僕は図書室の司書さんと仲が良く、見つからない本を探してもらったり、本のお勧めを聞いたり、世間話をしたりしていました。司書さんと話すのは、僕の密かな楽しみになっていました。
そんなある日、図書室でカゴに積まれた古い本の山を見つけました。それらは、新刊が入庫したために図書室に置けなくなり、廃棄される本の山でした。内容が古すぎる本、あまり人気のないジャンルの本などが積まれていましたが、中には面白そうな本がいくつかありました。
その本のことを司書の先生に話したところ、「捨てられるだけだから、転売しなかったら持っていっていいよ」と、僕が持って帰りたい本を持っていくことを許してくれました。
僕は無料で読みたい本を持って帰れると喜びながら、それらの本を持って帰って読みふけりました。今でもその本たちは優しい司書さんとの思い出であり、僕にとっての宝物です。
さて、そんな中の1冊に、こんなタイトルの本がありました。
「カナダ移民排斥史」
出稼ぎのため、日本からカナダに渡ったカナダ移民が現地で受けた排斥の様子、彼らの苦悩を描いたこの本は、当時の僕にはとても衝撃的な内容でした。
特に印象的だったのは、とある漁夫の一生が書かれた章です。カナダで過酷な環境に身を置きながら、必死に子を育て生きる男の一生、英語と日本語が混ざった言葉を話す子供たち、太平洋戦争中の日本に戻るか悩む男の苦悩。日本史の教科書にのっていない日本の田舎とカナダの歴史があるんだ、と興奮気味に読み進めました。
その男の生まれ故郷は、和歌山県の三尾村というところでした。その男のドラマの舞台の半分を占めるその村は今どうなっているのだろう、と当時の僕は思いを馳せました。
そして、僕がたまたまアニメの聖地を巡るために立ち寄った村。それがかつての三尾村、和歌山県美浜町大字三尾だったのです。
家で貪るようにみたアニメと学校の司書の先生からもらった本、高校生の頃の別々の思い出が、この和歌山の田舎で偶然にも一致しました。
そんなきっかけで、この村と僕には何かご縁があるんじゃないか、そう思い始めました
そこで、僕はこのアメリカ村に住むことにしたのです。
「縁があるだけでいきなり留学!?」と、僕の行動を早計に思われる方もいるでしょう。
しかし実は、僕は以前から地方に住んでみたいと思っていました。
大学で地方から来た人と話したり、地方で暮らしたことのある人と話していると、都会で「当たり前」なことが地方ではそうではないと感じることがあります。生活スタイルから、教育、価値観まで、同じ日本という国の中でも大きく違うのではないかと思うのです。
地方に住んでみて、こうしたギャップを肌で感じたいというのが、僕の留学の動機でした。
実際に訪れてみると、やはり違いが鮮明にわかります。
東京で暮らしていて、終電を逃して最寄り駅から30分ほどかけて歩いて帰ることがたまにあったのですが、もし和歌山の最寄り駅で終バスを逃したら、1時間半歩かないと帰らないといけません。そもそも終バスは17時台。車なしでは生きていけません。
その一方で、少子高齢化、若手の流出が進み、住んでいる人は大部分が高齢者です。代わりに運転してくれる身寄りも少なく、もう運転したくないけど運転せざるを得ない状態にある高齢者が多くいます。そこをカバーするように運転代行付きのデイサービス、移動スーパーなどがありますが、旅行で遠出するなどといった外出はカバーできていません。
確かに、このような車社会についての情報は、東京でも得ることができます。しかし、実際に住む人にとって何が大変で、どんなサービスを利用していて、どんな思いを抱いているのか、このような観点からみた感情的な所まで踏み込んだ現状は、実際に訪れたからこそ知ることができたと確信しています。
そして僕は、こうした都会と地方の違いももちろんですが、もう一つ、別の違いについても知りたいと感じていました。
それは、経済学的に求められる理想と実際その通りにはならない現実の違いです。
大学生になってから僕は経済学の道を志し、授業で勉強をしていたのですが、しばしばここで学べることだけでは十分ではないように感じることがありました。
例えば、消費税を導入することは、経済学的には死荷重(本来消費されるはずだったのに税の負担から消費されなかったもの)を産むという点からよくないとされているのですが、現実問題、日本で消費税は導入されています[1]。このように、理論だけで説明できない現状がたくさんあるのです。
もちろん、経済学部で学ぶことは、現実の問題を考える上で基本となるとても大事な教養だと思います。しかし一方で、現実に直面する問題に対して、座学で教わることだけでは太刀打ちできないということも強く感じていました。
座学だけの大学生活にしたくない。
その思いをより強くしたのは大学一年生の春休みに参加した「南京フィールドワーク研修」でした。
これは、東京大学リベラルアーツプログラムの研修の一つで、僕は南京に1週間滞在しました。
その間、南京大学の学生2人と東大生1人で作ったチームのメンバーと、ほとんど行動を共にしていました。
そこでの僕たちの研修課題は、「南京の町中をひたすら歩き、南京に住む人々の生活をドキュメンタリーという形で描き出す」というものです。
そこで僕は、文献でも、インタビューでもわからないことがあるということを知りました。
その研修に参加するまでは、文献や写真をみれば自分が行ったことのない世界を知ることができるのだと思っていました。
しかし、南京のはずれに住む家族と1日を共に過ごし、同じご飯を食べて、学校から帰ってきた娘さんに勉強を教えて、生活に入り込むことで、ようやく初めて学べることこと、気づくことがたくさんありました。
その家族と一緒に生活していると、いかに娘さんに対して両親が愛情を注いでいるかがひしひしと感じられました。行儀の悪いことには異常なほどに怒るけど、娘さんが楽しい日々を過ごすためには一生懸命。娘さんもそんな両親が大好き。娘さんが着る服が、高級服ではないけど綺麗な服ばかりなことからも、愛情が感じられました。
南京の街並みを見るだけだったら、今やインターネットで簡単にできます。でも、その町の外れのスラムのような商店街で、一人の家族が、貧しいながらも必死に、でものんびりと、娘の将来のために生活をしていることは、実際に行って一緒に生活をしてみなければ分かりませんでした。
そして生活を共にすることでやっと気づけたことが、文献や写真から分かることよりもはるかに大切なことでした。
だから、ただ文献を調べたり、1日、2日滞在してインタビューするだけではなく、そこに住みたい、自分自身の経験を通して地方について知りたいと思うようになったのです。
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こうして僕は和歌山の片田舎に住むようになったのですが、実は学生が地方で勉強すること自体は新しい発想ではありません。
例えば、自然豊かな農山漁村に一年単位で移り住み、地域の小中学校に通いながら、四季折々の自然の中で様々な自然体験活動や集団生活などを体験する「山村留学」や、都道府県の枠を超えて地域の学校に入学し、高校3年間を地方で過ごす「地域みらい留学」など、小学生から高校生を対象とした地方で生活をする教育システムは存在しています。
留学による効果についてもいくつかの事例が挙がっています。
地元で一番頭のよかった生徒が、大阪から来たさらに頭の良い留学生と出会ったことで、お互いに高めあえるようになり、今まで考えられないような優秀な大学に進学したという事例や、地方留学の受け入れ態勢を整える過程で地元の人たちとの交流が生まれた事例など、地方留学自体が一つの刺激になっているようです。
しかし、一方でこれらの制度は小学生から高校生が対象であり、大学生対象の国内越境を伴う教育プログラムは現状では少ない状態です。
ですが、僕は大学生にこそ、地方で過ごす意義があるのではないかと考えています。
理由は大きく分けて2つあります。
1つは、大学生は自分が選択できる幅が広いから、もう1つは、大学生はよりアクティブに地方に関わることができるからです。
僕自身がここでの生活を始めるときに痛感したことでもありますが、大学生は小中学生、高校生と比べ、多様な身の置き方が可能です。
例えば、研究活動に打ち込んだり、留学に行ったり、長い期間で旅行に行ったり、サークルに打ち込んだり、インターンで活躍したり、などなど。
限られた時間の中でも自分次第で時間を使うことができます。休学や長期留学を考えれば、さらに選択肢は広がります。
つまり、僕たち大学生は、一番いろんなことができる可能性があるのではないでしょうか。
そんな可能性を持つ人たちが地方の取り組みの活性化に寄与することで、今までの小中学生、高校生ができなかったことができるようになるのではないでしょうか。
大学生が、今まで自分と縁もゆかりもない場所で新しい刺激を得るためには、必ずしも海外に留学へ行く必要はないと思うのです。
そして、選択肢が増えるということは、自分で考えて行動しなくてはいけなくなることが多くなるということです。
地方で暮らすにしても、どこで働くのか、何を目的にするのか、どんな交友関係を築くのか、自分は一体何がしたいのかなど、考えることは様々です。
高校生までは、自分で選択しなくても、「とある学校の学生で」「ホームステイ先で住んで」「誰かが用意してくれたイベントに参加して」地方生活を送ることができます。
しかし、大学生は自分で考えなくてはいけません。
大変ではありますが、自由に自分の身の振り方を考えることができるのも、大学生の地方留学の魅力です。[2]
そして大学生が、自分で住み始めた町についてしっかりと考えることで、地方に働きかけることもできます。
特に地方の現状はとても厳しいと言わざるを得ません。僕が住んでいる三尾集落も半分以上が高齢者で、半分以上の家々が空き家で、廃屋です。
そんな地方の現状に対して、若い有望な人材がおらず、まちおこしをしたくてもできる人がいないような状態が多々起こっています。
そこに大学生が地方に住み着くことで少しでも地域のまちおこしを推進する力になるのではないでしょうか?
実際に、町おこしイベントが助成金の停止で立ち消えになってしまった際、地元の大学生が中心となってクラウドファンディングを実施し、イベントを復活させたことがありました。
このように、大学生がキーパーソンとなって地元のまちおこしを盛り上げている様々な例があります。こうしてアクティブに地域に働きかけることができるのは大学生という立場が大きく影響していると言えるでしょう。
三尾地区でも京都外国語大学の方と三尾をルーツに持つ日系カナダ人との交流が活発に行われており、同大学は三尾の地域おこしにも大きく寄与しています。
僕は、大学生が地方に与えることのできるものは少なからずあると考えています。特に勝手を知らない都会育ちの大学生は、影響力のあるヨソモノになれるのではないでしょうか。
「大学生が、地方で長期滞在しながら、知らない場所で自分にできることを探すために考える。」
海外で留学する、起業する、とはまた違うかけがえのない経験が得られるはずです。
しかしこれは、僕の妄想にすぎないかもしれません。何しろ、地方留学した大学生の前例がないので、実際にどうなるかはよく分かりません。
だからこそ、実際に和歌山に留学し、自分自身で確かめたいのです。
僕の挑戦はまだまだ始まったばかりです。これからどうなっていくのか、自分が何をしていくのか、全く決まっていません。
だからこそ、一日一日を大切にしながら田舎暮らしを送りたいと思っています。
田舎暮らしのリアルをまた発信する予定です!
更新お見逃しなく。
以下参考文献
・隠岐島前高等学校 新魅力化構想(2019年9月28日閲覧)
・まちの魅力を改めて知り、伝える場を。「とおかまちあるき」開催(2019年9月28日閲覧)
[1] ここでは、物品税と一括固定税の比較では一括固定税が経済的非効率を生み出さないが、実際には物品税が多く導入されていることを引き合いに出して、いかに経済学が示唆する内容が非常に理想的であるかを強調したいため、この例を用いています。筆者は経済学部の一介の学部生であり経済学的な議論としては表現やそもそもの考え方に誤謬があるかもしれません。あらかじめご了承ください。
[2] ただし、現状大学や地方自治体等が地方の短期研修等で地方に大学生を派遣する際は概して、何かしらのテーマが与えられ、地元の人がコーディネートしたスケジュールごとに「お客様」として扱われるケースが多々あります。これは大学生の自由な部分をある程度縛ってしまうとも取れます。一方で、与えられたテーマに関して若いヨソモノの力で地域になんとかいい影響を及ぼしてほしいというコーディネーター側の明確な目的があるので、その点からしたら以上のような形で派遣が行われることはいいことでもあると考えています。