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東大生がお盆休みにコロナに感染したら、あまりにも孤独だった話

2021.08.26

こんにちは。UmeeTでライターをしている者です。

突然ですが、この度、コロナ陽性と診断されました。

友人の陽性が発覚してから私の発症、診断、そして自室隔離生活の終わりまで、軽症ではあったけれど辛い思いをした体験、ちょうどお盆休みの時期の感染だったため誰にも助けてもらえず絶望に打ちひしがれた体験をここに残しておこうと思います。コロナを他人事だと思っていた過去の私のような人に少しでも伝わることがあれば幸いです。

また、自分自身がネットで見た「コロナの症状」と言われるものに惑わされて塞ぎ込む経験をしたため、この記事では正しい医療知識のない立場から症状について記すことは控えます。

連絡は突然に

8月8日(日)夕方、私のもとに1本のLINEが入りました。2日前に会った友人から、今日発熱して、PCR検査の結果陽性だった、とのこと。2日前に会ってるからもしかしたら濃厚接触者になるかもしれない、詳しくは明日保健所の人から伝えられるらしいから、連絡は明日か明後日になってしまうかもしれない、と。

こんなにも都内・学内でのコロナ感染が騒がれている中でも身近で陽性者を目にしたことがなかったので、まずは驚き。と同時に、いや、そういえば今日私も具合悪いな…と思って熱を測ったら37.7℃の熱がありました。大変だ!しっかり熱あるじゃん!

思えばこの日、10時間ほどよく寝て目覚めてからずっと頭と身体の痛みを感じていたのですが、よくある「寝すぎて逆に不調になる」やつだと信じて疑わず、訪れた店先の体温計で平熱だったこともあり、何も疑問に思わず検温もしていなかったのでした。濃厚接触した相手はいないけれど、少しだけ外出してしまったことを猛省しました。

コロナ対応に対し無知だった私は、「濃厚接触者」の定義が一般に公開されているものとも知らず、「とりあえず保健所から連絡がくるまで待とう」ということに決め、自室に閉じこもる生活をすることにしました。

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濃厚接触者に「なれなかった」

さて、保健所からの連絡がくるまではひたすら待機していようと決めた私でしたが、昼ごろになると友人から連絡があり、私は濃厚接触者には当たらないとのことでした。勝手に濃厚接触者判定されるとばかり思っていた私はびっくりでした。濃厚接触者じゃないのか。いやいや、でも症状あるし。濃厚ではないにせよ接触したし。

保健所から手取り足取り指示してもらえると思っていたばかりに、私は困惑しました。何すればいいの?今の私の状況って何?

濃厚接触者になってしまうことは確かに大変なことだけれど、一方で濃厚接触者に「なれなかった」私は保健所に頼れず、自力で対応しなければいけないのでした。

ネット検索すると、様々な自治体のHPが出てきました。渋谷区のフローチャートがわかりやすかったので引用します。

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kurashi/kenko/kansen/closecontact_flow.html

これは濃厚接触者向けのものになるので厳密には私の場合とは違うのですが、陽性者との接触があり、かつ症状が出ていることを考えれば、これに沿って対応すれば良さそうです。

これによれば、かかりつけの病院があればそちらに、なければ東京都の発熱相談センターに電話してPCR検査を受ける対象にあたるとのこと。それなりに行く近所の病院はあるがかかりつけというほどかは微妙、という感じだった私は発熱相談センターにかけることにしました。

しかし、発熱相談センターは何度かけても回線が混雑しているとのアナウンスが鳴って切れてしまいました。最近コロナ患者多いって聞くしなー、混んでるんだろう、などとそれほど重く捉えていなかったのですが、時間をおいて何度かけても繋がらず。Twitterで検索してみると、全く繋がらないという声が多数。もしかして、いつまで試しても無駄なやつかもしれない。

仕方がないので、近所の病院①にも電話してみましたが、繋がらず。今日休診日なのかな…?と思いつつ近所の病院②にも電話してみると、こちらは既に夏季休診

これはどうしたものか。既にフローチャートに書かれた手段は使い尽くしてしまったけれど、コロナの疑いがあるのに何もしないでいるわけにもいかないしなあ、ということで区の保健所に電話することにしたのですが、電話に出たコールセンターの方に「今日は祝日で保健所が空いていないので対応しかねますね…」と言われて初めて気がつきました。

今日、8月9日(月)、祝日じゃん。

全く認識していなかったのですが、山の日の振替休日で祝日なのでした。この時ほど「山の日」なる新入りの祝日を恨みに思ったことはない…

しかし、今日が祝日となると、近所の病院に繋がらなかったことにも納得がいきます。タイミングが悪かった、明日まで待つしかない…ということで、2日目も何もせずに就寝しました。このときはまだ平和だった…

ちなみに、東京都の発熱対応センターには夜まで何度かかけてみましたが、依然繋がらず。

この2週間で半年分ぐらい電話をかけまくりました

地獄の始まり、見捨てられ続けた3日目

そしてやってきた自宅療養3日目、8月10日。

朝、診療開始時間すぐに近所の病院①に電話をしたのですが、依然繋がらず。なんと近所の病院①も夏季休診に入ってしまっていたのでした。

胸騒ぎがし始めました。もしかして、どこの病院も夏季休診に入ってしまっているのではないか。そうだとしたら、私はいったいいつになったらPCR検査を受けられるのか。

焦りながら、一度でも行ったことのある近所の病院を手当たり次第検索しましたが、嫌な予感は的中、どこもかしこも休診中でした。病院の夏季休診日程なんて今まで気にしたことがなかったけれど、本来のお盆よりもこんなに長くとっているものなのか。そりゃ医療関係者の方にお盆も休みなく働けとは言わないけれど。初めて、辛い、と思いました。

都の発熱相談センターは依然繋がらず、再び区の保健所に電話すると、感染症対策課が今ふさがっているから、と直通番号を告げられただけで終わりました。発熱相談センターは24時間やっているのでそちらにもまたかけてみてください、お大事になさってください、と丁寧に対応していただきましたが、そりゃ24時間やってるなら深夜にかけた方が繋がりやすいかもしれないけれど、病人が深夜まで起きてるわけないじゃん、こんなに頭ガンガンに痛いのにそんなこと、と思ってしまいました。電話の履歴は03始まりのいろんな番号で埋まっていく、でも誰も助けてくれない。自分がコロナなのかもわからない。いつ検査を受けられるのかもわからない。発熱相談センターの電話口から聞こえる、何十回と聞いた機械音に涙が出てきました。

誰も助けてくれなかった

時間をおいて感染症対策課にかけるとやっと繋がり、PCR検査を実施している区内の病院のリストの見方を教えていただきました。ここまで長かった…

しかし、私が得るのに2日かかった情報が、なんとネット上で一般公開されていたことには驚きました。そんなことどこにも書いてなかったのに。

自治体によるので確実ではありませんが、PCR検査を行っている病院は、自治体の医師会のサイトで公開されていることがあります。私と同じ境遇にある方は一度チェックしてみることをおすすめします。

やっとリストを手にし、検査を受ける病院を探し始めましたが、徒歩圏内の病院は全て夏季休診中。片っ端から公式サイトを調べ、残った病院はわずか4つだけでした

でもやっと病院を見つけられた、これで検査が受けられる!と思ったのが午後3時。近めの病院から電話をかけ、「PCR検査を受けたくて…」と言うと、食い気味に「今日は終わってます」と言われてしまいました。2つ目の病院も、「最近コロナ患者多いですからね、早いうちじゃないと埋まっちゃいますねー」とのこと。

最近大変なのは知ってるけど、そこまでとは知らなかった。私だけじゃない、こうして検査も受けられずにいる人はたくさんいるはず。コロナの現状を自分は全くわかっていなかったことに、今更気づかされました。ここまでの流れだって、私にもう少しコロナ対応の知識があれば短縮できたのかもしれない(とは言っても日曜→祝日→夏季休診の流れはどうしようもなかったけれど)。自分が今までコロナについてあまり知ろうとしてこなかったことを深く反省しました。

残りの病院も、サイトをよく見たらかかりつけ患者以外お断りだったり、前日午前までに予約が必要だったりで、結局まだ何もできないまま3日目も寝ました。

症状が比較的軽かったのは救いでした

唯一同じ苦しみを同時に共有しているはずの、私の感染源と思われる友人と苦しみを共有できなかったことも辛かったです。相手にとって私は陽性とわかったわけでもない状態なわけで、そんな私に辛いよねとか言われても、こっちの方が辛いわとか思われてしまうんじゃないか、と思ってろくに話ができず、でも自分はおそらく陽性者だから、家族に絶対にうつさないようにと細心の注意を払って生活しなきゃいけないし、周りの人たちに気を遣わせてしまうだろうからコロナの疑いがあることもあまり言えない。陽性が確定しないせいで、そんな板挟み状態にいました。この日が一番辛かった。

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ようやく検査へ、しかし何も変わらない現状

4日目、午前の早いうちに病院に電話を入れ、ついにPCR検査を受けられることになりました。初めてかかる病院でしたが、自宅どころか自室での隔離生活4日目の身には、病院に行くためのわずかな外出が本当に嬉しかったです(久しぶりに聞いたセミの声に感動してスマホのボイスメモに残したほど)。

自宅療養中に何度も聞きました

検査結果は翌日にわかるということでした。感染を避けるため、向かい合ってしっかりと問診、とはいきませんでしたが、やっと有識者に頼れた安心感がありました。コロナについてあまりにも無知だったため少し質問しましたが、コロナの薬はありませんから、一般的な解熱剤と風邪薬でやっていくしかないですね、とのこと。じゃあ陰性だったら、と聞くと、陰性だとしても、風邪というのはほとんどがウイルス要因ですから、どちらにせよ自力でウイルスと戦ってもらうしかないね、と。

そう、検査を受けたって何も変わらないのです。私の場合は重い症状が出ているわけでもないし、陽性でも陰性でも、結局はこの症状が治るまで、家にこもって寝ているしかないんだなあと。

それでも、検査を受けて自分の不調の要因がコロナなのかどうかが明らかになるというだけでも、十分救いに感じられました。わからないものというのは怖いものです。謎の痛み、がコロナの症状、になれば、それだけで少しは安心できると思いました。

5日目にして判明した陽性、かかってこない電話、先が見えない恐怖

翌日夜、病院から電話があり、検査結果が陽性だと知らされました。発症から4日が経った12日でした。どうせ陽性だろう、とは思っていましたし、体調不良の原因がわかる安心感もありましたが、それでも「自分がコロナ患者だ」という事実には恐怖を感じました。同居家族は全員PCR検査を受けないといけない、明日来られますか?と言われ、家族にも迷惑をかけてしまっていることを改めて実感して苦しかったです。幸いにも家族全員が陰性だったこと、家族外に濃厚接触者を作らなかったことは救いでした。

電話口で医師より、これから保健所から電話がかかってくるから、行動制限などについての話はそこで聞けると言われました。

しかし待てど暮らせど電話は来ず、わかったのは自分がコロナに感染していることだけ。陽性とわかってからは、自分の状態がわからない恐怖から解放されこそしましたが、だからと言って生活が何か変わるわけでもなく、症状もなくならず、今の生活がいつまで続くかもわからないという不安が続きました。

自宅では、自室にこもり、家族ともほとんど接触せず、母に運んでもらった食事を一人自室で食べて過ごしました。同居家族に移してしまうかもしれないという恐怖が重荷だったのも事実ですが、一人暮らしで自宅療養生活を強いられていたら、文字通りたった一人で家事をこなしながら療養するのは本当に大変だっただろうと思います。看病してくれた家族には本当に感謝しています。

陽性判定から6日が経っても保健所から電話は未だ来ず、就業制限通知の手紙だけが届いたタイミングで自分から電話したところ、報道にある通りの大変な状況のため、保健所でも対応が間に合っておらず、発生届を参考に緊急性の高い患者から優先的に対応しているということでした(結局保健所から経過観察の電話がかかってくることはその後も一度もありませんでした)。思っていたよりもだいぶ大変なことになっているようでした。

一度も連絡が来なかったのは不安だった。

自室での療養生活には慣れてきましたが、それが習慣化すればするほど、ふとした時の虚無感は大きくなりました。今日もただ寝ていただけで過ごしてしまった。家から一歩も出ず、何なら食事以外の時はベッドからも出ず、1日が終わってしまった。SNSで友人たちの投稿を見ては世界から取り残された気持ちになりました。今考えると大袈裟なくらい病んでいました。

デリケートな話題ということでコロナにかかったことを友人にあまり言っていなかったのも孤独感の一因だったかもしれません。事情を伝えた友人や仲間たちとの電話やリモート会議は、咳で苦しいながらも、とても救いになりました。友人がかけてくれる優しい言葉は本当に嬉しかったです。ずっとずっと孤独を感じていたので、コロナ患者同士で匿名で繋がってチャットや電話ができるサービスみたいなものがあったら、私のような自宅療養患者で救われる人も多いかもしれません。いいと思ってくれた人、誰か実装してください……

自宅療養生活は10日間続きました(ちなみにこの期間で痩せてしまいBMI17台になりました。恐ろしい…)。

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コロナはすぐそこに

発症から10日が経過し、解熱し、症状軽快から72時間を経たということで保健所の方の判断で自宅療養期間を終了し、今はカフェのアクリル板に挟まれた席でこの記事を書いています。重症化することもなく無事に回復することができたことは本当に喜ばしく、運命に感謝していますが、外出が解禁されてから1週間が経った今でも後遺症の息苦しさは続いていて、それがいつまで続くのかわからない不安と闘っています。どうして私だけ、と思ってしまうこともあるし、もう少し感染対策のしようがあったのではないか、と自分を責めたことも何度もありました。しかしこの経験を経て私の意識は確実に変わりました。

今回の経験で植え付けられた恐怖心は今後消えることはないはずです。今は本当にコロナが怖くて仕方ありません。家の中の共有物を触らないように生活していた習慣はしばらく抜けないだろうし、人混みを想像するとまだ怖いです。家から出て一発目に入ったのはドラッグストアで、持ち運び用の手指消毒液を買いました。

むしろ今まで持っていなかったのが問題でした

リビングに入れなかったため長らく見ていなかったテレビでは、チャンネルを回しても回してもワイドショーがコロナの話を扱っていて、医療現場の現状とか重症患者の死亡例なんかの話に耳を塞ぎたくなりました。

これだけ大変なことになっていれば、自分のような軽症患者に対応している暇がないのも当然だなあと思いつつ、しかし不安でしょうがなかった私の日々も、自分と同じような境遇にある人がきっとたくさんいるという事実も、それらをどうしても他人事のように感じていた過去の自分も、色々なものが重くのしかかってくるようです。しかしこの経験は決して無駄にはならないと信じています。

相変わらずウイルスに支配された世の中だけれど

これまで、記事を書く中でコロナ禍を話題にしたこともありました。しかしその時の私にとってのコロナ禍とは、「人々が様々な不自由を強いられている時代」でした。その認識は確かに間違いありません。

しかし今回の経験で私が知った「コロナ禍」は、「人々が病魔に苦しむ時代」でした。コロナは確かに「厄介なもの」だけど、それ以前に病原体であって、そのウイルスに苦しめられている人は常にどこかにいる、そしてそれは思っているよりも近いところにある、そんな当たり前のことに、自分が患者になってみないと気づけなかったことは大きな恥です。でも、きっと過去の私のような人は他にもいるだろうと思います。今回の私の経験をこうして公開することで、何か変わることがあればと思い、こうして記事にしました。これを読んで、少しでもコロナ禍について考えてくれる人がいれば幸いです。

1日も早く、世界がこの恐怖から自由になれますように。

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