非日常を歩く【やりたかったこと2020】

2021.02.11

先日、対策に難儀した第二外国語を含む、いくらかの科目の対面試験のために駒場に何度か行った。自宅から最寄り駅まで、徒歩と乗り換え時間を含めて、およそ60分から70分。Sセメスターではほぼ全く、Aセメスターでも2週間に3回のペースでしか駒場に行かなかった私にとって、列車に乗って、そしていくつかの駅で乗り換えて、駒場に行くことそれ自体が非日常と化していた。奇しくも高校時代と通学経路が重なっている私は妙な感覚を覚えた。高校3年間、よくよく観察してみると何日も何か月も顔ぶれにほぼ変化がない「戦友」とも言うべき他の乗客とともに満員列車に揺られた日々は、満員電車ごとどこかに行ってしまった。一番の原因は私自身が列車に乗らなくなったからなのだけれど。

このような「日常であった移動が非日常化してしまった」ということに、2020年の私は苦しめられた。実は私は大の旅行好きで、中学生時代から長期休みのたびに地図を開いては、さて今回はどこへ行こう、と考えてしまう類の人間なのである。大学に入ったからには何か新しいことを、となる場合もあるのだろうが、私に関しては、幸か不幸かそのようなことはなく、むしろ、これまでの学校生活では経験したことのないような長い長期休暇が降りかかってくる、との噂を聞きつけ、存分に「旅行なしには成り立たない大学生活」を満喫しようと企んでいた。

その思惑をひと思いに破壊しにかかったのが今回のコロナ禍である。人間たちが移動し、喋ることなどで感染が拡大する感染症と、旅行というものの相性は、どこからどう見ても良くない。3月末からの実に数か月間、居住する県からほとんど出ないという、旅行好きにとってはほぼ軟禁と言って差し支えない状態となった。おそらく多くの人々がそのような生活を営み、感染拡大防止に努めた。

その後、GoToトラベルキャンペーンがスタートし、旅行を取り巻く状況は、依然厳しいながらも少しずつ良くなっていった。そう、旅行そのものは、最大限の感染対策と注意をもってすれば、物理的にも、社会的にも、情勢が許せば不可能ではない。旅行という私が求める非日常のひとつは、このコロナ禍でもしぶとく生き残っている。

でも、私が本当に大学生活でしたかったのは、ここまで触れてきた、私が中学生や高校生時代にしていたような旅行ー行く前に目的地周辺のみどころを綿密に調べ、乗る列車や夜行バスを決め、宿を予約し、当日はそうして決めた行程に沿って移動するーとは少し違っているような気がしてならない。もちろんそのような旅行も十分な非日常であるし、知らない土地を訪れることにこの上なくワクワクする私にとって、旅行が至福のときであることは疑いようもない。

しかし、朝8時にしては異様に空いている列車に揺られながら私ははたと気づいた。私は、知らない土地で、知らない日常を見ることが好きなのだ。普段は行かないような地域に行く。この時点で旅行者、つまり私は非日常の空間にいる。しかし、訪れるどんな地域でも、その地域の人々の日常は流れている。初めて来た駅で乗客に揉まれながら時間ギリギリの乗り換えをしたり、1日に4本しかない路線バスに乗ったり。私が旅先でどんなアクシデントやイベントに巻き込まれようと、それを取り巻く地元の人々にとっては「いつもの光景」でしかない。その人にとっては毎日の光景であっても、私にとっては一生に一度、そのとききりの光景である。そんなことを考えながら様々な場所を気ままに移動してゆく、私は大学生活でそういった「旅」がしたかったのだな、と、目を瞑っても着いたことがわかるほど使い慣れた乗換駅で、やっぱりずいぶんと空いている列車を降りながら思った。

そう、気ままな旅なのだから、分単位の予定はむしろない方が良い。今日は疲れたからここまでにしよう、と勝手に決めて夕方まだ明るい時間に投宿してのんびり温泉に浸かるのも良い。降りる予定のなかった駅の駅舎に一目惚れして列車を降り、次の2時間先の列車までのんびり付近を散策するのも良い。きっと一生忘れられない風光明媚な景色に出会えるだろう。ひょっとしたら地元の方に話しかけられて、会話が弾んだら2時間なんてあっという間かもしれない。逆に、車窓が気に入って、列車に揺られたまま思いがけず終点まで行ってしまうというのも捨てがたい。この「旅」の感覚は、おそらく「旅行」では味わえない。

一時間先の自分がどこにいるかわからない旅。誰かの日常を覗く旅。でも、その日常は、いまはずいぶんと崩れてしまっている。何年か前、予讃線の中で出会って、おそらく採れたてのみずみずしいみかん(ひょっとしたら別の名前の柑橘類だったかもしれない)をくれた見ず知らずのおばさんを思い出した。彼女はいまも四国で元気に暮らしているのだろうか。そんなことがふと頭をよぎった。

旅先で、私の知らない日常に思いがけず出会える日々。そんな日々が近いうちに来ると良い。

この記事を書いた人
龍安寺の歌
旅とユーモアのある人生を求めています
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