故郷の停電を解決するため、海を越えて東大へ!インドネシア出身・テオの逆留学記

2018.12.26

Theodorus テオ

「留学記」といえば、東大生が海外に留学した時の体験記であることが多いですが、「東大に」留学している人の話、聞いてみたくないですか?

過去に、多様な留学生たちが登場してきた「逆留学記」シリーズはこちら。

今回は、東大で電子情報工学・電気電子工学を学ぶインドネシア出身・テオに、東大での留学生活について語ってもらいます!


こんにちは。インドネシアから来た、留学生のテオです!

現在は工学部電子情報工学科・電気電子工学(EEIC)に所属しており、前期課程は理科一類22組(中国語クラス)に所属していました。今は主に専門の勉強をしていますが、留学生のチューターやインドネシア留学生協会など、課外活動もしています。

この逆留学の記事では、自分がどうやって東大まで入ったのかをはじめ、留学生としての生活について、少し書いてみたいと思います!

困難を上回る希望を見出して

まず、なぜ日本に留学したのか。

高校生時代、大学をどうすればいいか迷っていた時に、日本が大好きな親友に、日本政府が募っている国費で日本に留学できる奨学金のことを教えてもらったのがそもそもの始まりです。

当時私は、インドネシアで人気のある日本のポップカルチャーとメーカー以外は、日本についてよく知らなかったのですが、親友は私のために日本語を少し教えてくれたり、日本政府奨学金のための筆記試験の過去問を印刷してくれたりしました。

それがきっかけで、私も日本の文化やライフスタイルをはじめ、大学や研究にも興味を持ち、親友に相談したりネットで調べたりしました。

また、私は元々子どもの頃からロボットや電気製品に興味があったのですが、

当時のインドネシアでは、ラジオ、テレビ、車などのような身近な電気・機械製品のマーケットは日本メーカーが圧倒的なシェアを占めており、「テクノロジーといえば日本」というイメージがありました。

それに加えて、日本の大学について調べて行くうちに、日本の大学は歴史的に工学分野での研究成果が豊富であり、最先端技術の研究に取り組んでいる大学や会社も多数あることを知りました。

インドネシアの大学では、工学分野だと、力が入れられている分野はやはりまだ、経済発展において直接的な実用性をもつ分野に限られています。例えば、機械・土木・電気・採掘などです。

私が高校時代にもっと知りたいと思った量子の世界、ナノスケール技術などのデバイス(またはエネルギー系)の授業を提供している大学は、インドネシア内で見つけることができていなかったのです。

「インドネシアではできない自分のしたい勉強が、日本だとできるのでは…?」

こんな経緯で日本に留学しようかと真剣に考え始め、日本大使館の奨学金に申し込みました。

そして2015年12月。

インドネシアのバンドン工科大学の産業技術工学科に通っていたときに、日本大使館から文部科学省の奨学金に合格したというメールをもらった日が、私の留学の旅が開幕した瞬間でした。

とんでもなく幸せな1日でした!

しかし、国費留学生プログラムに合格した後になって、

「インドネシアで学び続けるのと、日本の大学で学ぶの、どちらのほうがいいかな」

という不安が今更ですが頭の中に浮かんで来ました。

というのも、国費留学生プログラムに合格したといっても、どの大学で勉強できるかはまだ決まっていなかったのです。国費留学の場合は来日して一年日本語を学んでから、入れる大学が決まりますから、希望する大学に入れない可能性もあります。(国費留学生の制度はこの後説明します)

また、インドネシアでの大学生活にもう慣れて来ていましたし、友達ももうできていました。さらに学費免除の奨学金まで頂いていました。

しかし、今から考えてみると、その悩んでいた時間も一瞬でした。

前述した理由に加え、留学という難しい挑戦にあえて立ち向かってみたい、家族からできるだけ独立した生活を始めたい、異なる社会の中で成長したいなどと考え、日本の大学に留学することを決断しました。

留学には覚悟が必要です。現地の名門大学を中退して、来日した友達もたくさんいます。

自分の選択に伴う困難を前もって予想して、自分に「大丈夫、絶対に頑張るから」と誓えるまで、あらゆる起こりうる難事と、留学生活への希望の間での行ったり来たりを繰り返します。

そして、留学するものは、困難を上回る希望を見出して、海を渡るのです。

国費留学生とは?

ここで、少し国費留学生について説明したいと思います。

「国費」が付いている理由は恐らく「私費留学生」と区別するためです。私費留学生の友達とは受験制度がもちろんだいぶ異なっているし、進学制度も違います。

国費留学生は、日本での学費や生活費などを、日本政府による奨学金という形で支援されている留学生のことです。学部留学生の場合は在外日本国大使館を通じて手続きが行われます。

これは国内選抜から始まり、インドネシアの場合は高校での成績や卒業試験に基づいた書類手続き、筆記試験、面接試験で専攻が行われます。

そして面接試験に合格できた応募者は在外日本国大使館から文部科学省に推薦され、次は、文部科学省が各国の推薦された応募者を選抜するのです。

国ごとに国内でのプロセスがあると思いますが、インドネシアの場合は奨学金の決定まで6か月間もかかります。

さらに、文部科学省からの奨学金受給が決定されて、来日できることが分かっても、どこの大学に入学し勉強できるかはまだ全く決まっていません。この時点まではただ専攻が決まっています。

修学制度として、日本の国立大学に入学する前に、国費留学生は「予備教育機関」に入学します。この予備教育機関とは東京外国大学の留学生日本語教育センター(東外大JLC)か大阪大学の日本語日本文化教育センター(阪大CJLC)のことで、

いずれかの学校に入学し、集中的な日本語教育およびその他の予備教育(理系は数学・化学・物理あるいは生物など)を受けることとなります。

で、どうやって進学が決められるの?

簡単に説明すると、メインとなる要素は「予備教育機関での成績」「各大学の枠」「留学生間の競争」で、どこの大学に入学できるかが決まります。

東大に合格できた場合は、一貫して専攻が変更できないため、進学振り分けにもそのまま入学以前に決まった専攻(つまり学科)に進学します。

東大学部生の国費留学生の人数は、国費留学生をまとめるオフィシャルな組織が存在しないためわからないのですが…。少なくとも私の学年では20人ぐらいの友達がいます。

大きくはありませんが、「困ったときはお互い様」という感じで皆と仲良くできます!

日本語がほとんど話せない状態から東大合格まで

来日して一年間、東京外国大学の留学生日本語教育センターに学部進学留学生のための予備教育を受けました。

ここではインテンシブな日本語の授業に加え、日本語での理系科目や実験の授業を受けていました。

予備学校での試験は、日本語(発表、作文、読解、聴解など)はもちろん、数学、物理、化学(または生物学)もありました。全部日本語で受験しました。

まだ一年間ぐらいしか日本語の勉強ができていなかった私にとっては、日本語の作文は本当に大変でした。

毎回の作文の練習で、先生に赤ペンを入れられていない部分はタイトルと、最初と最後の文章だけ、なんてこともありました。無茶苦茶な作文ですね(笑)

日本語での苦労は、理系科目にも影響しました。というのも、物理の問題などで、問題の設定が正確にどうなっているかわかりにくい、回答を日本語でどう説明すればいいか迷う、というような苦労があったのです。

実はインドネシアにいた時は、(奨学金受給の発表後でさえも)日本語は文字と語彙と文法しか勉強していませんでした。

文字といっても、平仮名と片仮名以外には、読み方には全然触れずに、数百の漢字と該当する意味を勉強しただけです。文法も、最初に勉強する『ある』と『いる』の区別しかできませんでした。

あまり勉強しなかった言い訳としては…インドネシアでの残りの時間を、なるべく家族や友達と一緒に過ごしたかったのです。

入学時には自己紹介すらできなかった私でしたが、勉強の結果先生方に信頼していただき、東京外国語を卒業した時は謝辞までさせていただきました。まるで光のような速さで進化した一年間でした。

苦労の末、希望の専攻と大学に合格できたことを知ったときは、言葉では言い表せないほど嬉しかったです。

東大を選んだ理由

そもそも留学先として、なぜ東大を選んだかと言えば、

最初に思い浮かべるのは充実している教育制度です。専門学科や研究室の質は世界的に評価されていますし、教養的な学びもできる環境です。

また、東大は非常にグローバルな環境だと考えました。他の大学より留学生の数が多く、出身地も様々で、国際的なプログラムなども豊富な東大は、留学生にとっても過ごしやすい環境や社会なのではないかと考えました。

しかし、東大を選んだもっとも大きな理由は、東大で学ぶからこそ作ることのできる、広い人脈です。東大に関係のある人々の多くはすばらしい力を持っていて、インパクトを生み出せる方々だと信じています。

一流の研究者である先生方から教えてもらえるにとどまらず、日本全国からの優秀な友達にも出会えることは大きなモチベーションとなりました。また、すばらしい卒業生や先輩達とも繋がりを作ることができるのは、ありがたいことだと思いました。

実際に入学してみても、東大で会った人々の多くは、やはりみんなそれぞれ、何かしらの凄さを持っていると思います。一見わからなくても、その人のすごいところを見つけると、もう「なんだこの人」としか思えません(笑)

留学生の友達や先輩方の中では、国に教育などの道で貢献したいと熱心に考えている友達、五・六ヶ国語を自由に操れて国際レベルで活躍している人、(日本語の勉強は本当に大変なのに)日本語の習得に成功した先輩達などがいます。

他の、留学生でない友達には、熱心に研究をしている人(小学生のころから研究してきた人や、一年生から研究室に通っている人など。すごい…!)、日本社会の役に立ちたい人(ヘルスケア・高齢化社問題面、エネルギー問題面、日中関係面など)、趣味をがっつりやっている友達などなど。

学生だけでも、言い切れないほどすばらしいな人材がいます。また、優秀なだけでなく優しい人も多くいて、本当にラッキーだったと思っています。

同輩・先輩たちに助けられて

入学後、これまでの大学生活の中で、インドネシア留学生会、日本手話サークル、五月祭条委員会などの、色々な課外活動に参加してきました。

最初に始めた活動は「在東大インドネシア留学生協会(PPI東大)」です。

PPI東大は、インドネシア出身の学生達が自由に議論できるスペースを提供するための組織です。ゲストスピーカーを招くなどして、研究やインドネシアのこと、様々なことについてディスカッションしています。

東大にはインドネシア人留学生はそこまで多くないと思われるかもしれませんが、2018年春調査によると、63人もの学生がいます。その中の3人は学部生です。

ここでは、External Division(渉外ディビジョン)というチームに所属し、主に他の団体との手紙やメールのやり取りを担当していました。

また、この協会は誰でも暖かく歓迎する雰囲気に満ちています。私にとっては家族のような存在で、もし解決できない問題に直面した時は、まずはインドネシア人の仲間たちに相談します。

例えば、本郷キャンパスから終電に乗り遅れた日(後で述べる五月祭のこと。ファイナル日でした)には、

本郷キャンパス周辺に住んでいる先輩達に連絡し、結局一人の先輩に泊まらせていただいて、すごく助かりました。

それから、量子力学の考察が必要だった自由研究とか、経済学、国際関係、日本史のレポートとか、あるいは意気消沈したときの相談とか、多くのインドネシア人の先輩達にお世話になっています。

前に会ったことがなくても、研究が忙しくても、メールでわざわざ貴重な時間をとってくれます。何か質問した時に、丁寧に説明してくれない人には今まで一人も会ったことがありません。

もちろん何でもかんでも他人に頼ってもいいということではありませんが、

困ったときや道が開けないと思ったときに助けてくれる家族のような存在は、留学生にとって大事な気がします。

五月祭で「東大歴史と偉人ツアー」を企画

また、二年生前半に入ると、空きコマを勉強以外のことで埋めてみたいなと思い始め、留学生の先輩と色々相談しました。

すると一人の先輩が「私は五月祭のキャンパスツアーをやっていたよ。委員会に入ってみたら?」と勧めてくれました。

それで、ツアーが好きな私はチャレンジをしたくて、五月祭委員会に入ることを決心したのです。

具体的には、企画局に所属して、キャンパスツアーを担当させていただきました。

あなたは五月祭の時に、キャンパスツアーのフラッグを掲げる委員の姿を見たことがあるでしょうか?

キャンパスツアー担当の仕事は、実現したいツアーのテーマ、ルート、話を考えたり作ったりした後で、五月祭の際に来場者を案内することです。

私は「東大歴史と偉人ツアー」を企画しました。このツアーは安田講堂、三四郎池、赤門のような本郷キャンパスの名所を巡りながら、東大の歴史と大学にゆかりのある著名な人々を紹介します。例えば、夏目漱石や小柴正敏や梶田隆章のような東大出身の有名人を登場させました。

この五月祭委員会への入会は、私にとって初めての、日本人学生の組織に入った経験でした。

学生としての勉強と、委員としての仕事をどうやってバランスよくとっていくかは、とても勉強になりました。また、企画局の先輩や友達とどのようにして親しみを失わずに、しかし敬語で話していくかということも重要な文化学習でした。

また、ツアーの中でも実際に来場者とコミュニケーションをとったり説明をしたりして、とても貴重な経験になりました。

ツアーを担当していない時にも他の委員の仕事も担当させて頂いたので、本当にキャンパスツアー担当だけという感じを超えて、五月祭の一部として活動している気持ちにもなれました。

五月祭の最中も夜まで学校にいて、最後の片付けまで他の委員と一緒にしていた思い出は、いまでも鮮やかに心に残って忘れられません。

ただし、日本語がまだ沢山改善すべき点がたくさんある私にとって、ツアーのことで辛い思いをせざるを得ないときも時々ありました。

日本語の面では、原稿作りのために、日本語の公式的な書き方を学ぶことはもちろん、日本語でしかできない調べ仕事も時々必でした。

書類仕事などについても、経験不足な私は色々先輩たちから教えて頂きました。

私を助けてくれた、数多くの先輩達や友達がいなかったら、この五月祭委員会での活動は二年生前半における最高の時間だったということは言えなかったに違いありません。

大変お世話になった五月祭委員会でした。

In many times, we cannot win everything

現時点ではたった一年半しか東大で大学生活を送ってきていませんが、だんだん東大での面白いことと困ったこともわかってきました。

まず、面白いと思ったのは、入学してすぐ所属する教養学部のことです。

教養学部では、専門の勉強や理系の基本的な科目にとどまらず、第二外国語、文系の総合科目、主題科目、全学自由研究ゼミナールなどの勉強を通して、様々な新しいものとの接触や体験ができたと思っています。

例えば、太陽電池を学びたい私は杉山先生の全学ゼミナールを履修して、駒場IIキャンパスで実際に量子ドット太陽電池を作って、変換効率を測定して、考察するという経験をすることができました。

それから、第二外国語で中国語を勉強したおかげで、北京でのサマープログラムでも中国語で会話が少しできて、とても嬉しかったです。すごく知識の面では実りが多い一年半でした。

しかし、正直に言えば、入学の時点で進学先がもう決まっていた(しかも変えられない)国費留学生としては、一年半教養学部での授業を受けるのは長すぎる気がします。

もう少し早めに専門科目に集中したいという情熱があっても、まだ色々な必須科目を取らないといけないのです。

目指している専門以外の勉強中に、よく「面白いけど、この科目のためにけっこう時間を消費しているし、本当にこれは将来の目標の役に立つのかな?いや、役に立つだろう。教養も大事だ。」と自分に言い聞かせることよくした覚えがあります。

これについては、他の留学生からもよく耳にしています。たとえば一年半ではなくて、一年だったらもっと専門に集中できるのではないでしょうか。

まあでもやはり、「In many times, we cannot win everything」ということは正しいでしょうね。様々な面白いことに接触したいならば、専門勉強だけを早めに勉強できないでしょう。

もし、教育制度がどんなに良いとしても、あくまでもその学生自身がどれぐらい上手くその制度を活かせるかは非常に大事です。私は制度以外にも困ったことがありました。

それは日本語です。東大にまだ二年しか通っていない私にとって、日本語が一番の壁となりました。

これは、ソーシャルの面ではなくて、勉強の面です。自学自習や受講および試験の際、日本語でやったら時間がまだ結構かかります。

特に試験の際には、日本語で早く答えられないと次の問題に進むことができないわけで、言語能力不足に足が引っ張られたと感じることも少なくありません。

私の場合は言語を変えることで、自由に考えられる範囲が伸びたり縮んだりする気がします。

自然科学のみならず、哲学などでも表現の仕方が正確でないと、議論が違ったり成り立たなかったりしますよね。

語彙力不足だったり、表現の仕方がわからなかったり、科学のことを厳密に議論しようとするとき、時々どう表現すればいいのか分からなくなるのです。

実験報告書やレポートや議論も同様で、より正確に書きたいならばまだ英語でしかできないので、日本語コースをとっている私はもっと日本語も頑張りたいです。皆さん、どうぞ色々教えてください!

東大に改善してほしいこと

最後に、東大に改善して欲しいことを述べさせてもらいます。

それは、学生が自由に願望を表明するフレームワークがないことです。

インドネシアの大学の話を少しさせてもらうと、学生団体運動はインドネシアで非常に活発で、例えば、学生団体の活動をサポートする団体を、大学側が各学科に設立していたります。

団体活動を通して、学生は勉強以外にも、社会にソーシャルサービスを提供することができ、また政府に対する見張り役の役割も果たすことができます。

2018年9月2日、インドネシアのロンボク島(バリ島の隣)でM6.9の強い地震が発生したときには、数々の大学の学生団体がすぐに緊急支援を募集したり、ボランティアとしてロンボク島に赴いたりしていました。(例を挙げると(インドネシア語):[1]UI,[2]UGM,UMY

また、学生団体というプラットフォームを用いて、発展途上の地方あるいは国境線などへ、大学生を小学生の先生として、または地方の開発プログラムのチームメンバーとして派遣する、という活動も良く行われています。

大学の学生団体はインドネシアという国にとって欠かすことのできないものなのです。

もちろん、日本とインドネシアでは歴史や社会が異なっているため、もしかすると学生団体は日本ではなかなかできない事情があるのかもしれません。

日本の歴史上で起こった学生運動、「東大紛争」について、日本史の授業で勉強したことがあります。

過激な学生団体は、政府に過剰に反対したり、邪魔をするデモを行ったりするなど、社会または民主主義に悪い影響を及ぼす恐れがあることは私も十分理解できます。社会のために治安や安定性を求めるのは当然のことでしょう。

しかし、考えてみると学生団体の活動のクオリティは、ほかならぬ、その大学の学生次第だと思います。

私が信じているのは、優秀な人材が集まった東大にもしこのような運動プラットフォームがあれば、学生がもっと様々な形で社会に還元できるようになるのではないでしょうか。

このような団体があれば、学生達は一緒に活動ができて、一つの学科または大学としての願望や体勢を表明することができます。

そして、その活動を通じて、学生同士の団結や東大全体における共同体意識を強めることができたらいいという望みは、空頼みではなくなると思います。

さいごに

東大に入学してから約一年半。

全体的に言うと、楽しいことも多かっですが、大変なこともいっぱいありました。

勉強の面に限らず、大学や社会の場で、どうやって人々がお互いの距離を取り、良い人間関係を維持していくか。言葉、価値観、習慣などに関してやはり時々異質に感じることは少なくないです。

しかし、今私は日本語を話す日本にいます。日本社会で生きています。東京に住んでいます。東京大学で勉強しています。

全ては私の希望であり、意識的に行った決断です。

だから、どんなに困難があっても、私は私自身の決断を強く信じて、活かしていきたいです。

また、学科での専門的な勉強も将来に活かしていきたいと思っています。

電気電子工学は幅広い技術を扱う、工学の一部門として、実践的に応用できることの多い学問です。例えば、電気工作をいじくりまわすことで、身近に必要なものを実現することができるのです。

今現在具体的に深く学びたいと考えているのは、エネルギーと物理デバイスの分野です。

エネルギー分野では、古典的な発電および給電から、太陽光発電のような再生可能エネルギーや最先端発電技術まで、すべて面白いと感じています。

また、物理デバイスについては、コンピュータやスマートフォンで使われるトランジスタをはじめ、電子デバイスの効率向上についても学びたいです。

やはり、エネルギーとデバイスは我々の生活に欠かせないものだと思います。

私には将来、やりたいことがあります。

子どもの頃から、故郷インドネシアでは時々、エネルギー不足が原因で夜中の停電が起きていました。停電になると、様々な事が中止を余裕なくされます。夜中の勉強なんてもってのほか。

もし停電がこのまま頻発したら、国の発展に重要な人材も十分に育てられないのではないか、と危惧しています。

この状況を変えるために、私は勉強したい人がいつでもきちんと勉強できるような環境を実現したいと思っています。

インドネシアは太陽光をはじめ、地熱や波力などのような再生可能エネルギー資源に富んでいますが、それを上手く利用するのには発電システムや太陽光発電の知識が必要です。

どのような形でこの問題の解決に取り組むかはまだ決めていませんが、東大で得た知識やスキルを、この問題の解決に少しでも役立てたいと思っています!皆さんの応援をお願いします!

この記事を書いた人
Theodorus テオ
はじめまして! Theodorus テオです。UmeeTのライターをやっています。よろしければ私の書いた記事を読んでいってください!
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