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【男子校こじらせ第2弾】男子校という名の竜宮城から、社会に帰ってきた僕は。

2015.12.25

どうも男子校の化身です!
ク~リスマスが今年もやってくる~♪なんて曲が聞こえてくる季節になりました。
高校時代よくケ〇タッキーで勉強していたので、この曲をエンドレスで聞いていました。本当に恐ろしい曲ですよね。
クリスマスって非リアの数だけ、絶望があると思います。
そういえば最近東大生のクリスマスの過ごし方がやばいみたいな記事が話題になりましたよね。まぁつまりはそういうことです。
ちなみに僕は高校時代辛すぎて「Our X’mas」なんていう詩を書いたりしてました・・・
一応サビの部分だけ紹介しておきます。
雪降る町と
雪降る部屋 一人
White X’mas
クリスマスツリーは
萎んでいた
こんなサイテーな(?)ポエムを書いていた自分も、こんなポエムを書かざるを得なかった自分の心もどっちも痛すぎます(><)
どうせこじらすなら、インフルエンザとかのほうがよかったですw

男子校こじらせたらどうなるの?

さて本題に移りたいと思います。
前回東京大学に入学した男子校出身者の運命について書かせていただきましたが、「こじらせ」という面についての具体的な説明が不十分であったので、再び筆を取らせてもらいました。
「こじらせ」とは、共学出身者には永遠に理解することが出来ないであろう、頭の中に根を張り巡らせた思考です。

よって、いかに女性との接し方に慣れ、彼女が出来ようと、それから男子校出身者が解放されることはありません!
ではその「こじらせ」の思考とはどのようなものなのか、具体的に説明していこうと思います。

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こじらせその1 勘違い

男子校出身者は小学6年生

まず始めに、男子校出身の東大生は、基本的に中高一貫校に属しているため、6年間女子との接点がないままに思春期を過ごしているということを念頭に置かなければいけません。
つまり、男子校出身者の男女関係における思考は、小学生の時点で止まっているのです。

神童と呼ばれしあの頃・・・今も心は当時のままです


男子校という名の竜宮城から現実に帰ってくれば、自分だけが小学生のままで、周囲の「女の子」たちは皆身長が伸び、胸も膨らみ、化粧をする「女性」に様変わりしてしまっているのです。
自分も一気に成長できる「玉手箱」があればいいですが、そんなものは存在せず、出来上がるのは見た目は大人、頭脳は子供という逆コナン!
本当にお粗末様です。
共学出身者は自身が小学6年生だった頃のことを思いだし、そこに6年分の性欲を付け加えていただければ、それが大学1年生の男子校出身者です。

女子がどのような生き物であったのかを忘れているため、女子とどのような会話をすればいいのかわからない。
その結果、男子とばかり話してしまう、ということは前回も紹介したので、女子との話し方を思いだした時点からの話をします。

女性という未確認生命物体


ここまでの書き方で勘のいい人は気付いているかもしれませんが、男子校出身者は「女性」というものを過度に意識し、別の生き物として捉えてしまっています。
おそらく共学出身者は男も女も同じ人間として、それほど区別しないのではないでしょうか?
「女性」を過度に意識することが、「勘違い」に繋がるのだと思われます。

あの子僕のこと好きなんちゃうかな

男子校出身者は、すぐに女性が自分に気があると思いこんでしまいます。
そのパターンをいくつか紹介します。

正直、これを書きながらも、「いや、これはさすがに好意あるだろ」と思ってしまう自分がいます。
好きじゃないのに、自分の食べかけのソフトクリームくれますか?

間接キスですよ!
 
好きじゃないのに、「彼女はいるの?」とか聞きますか?


「私を彼女にして下さい」に同時通訳されて聞こえてるんですけど!
 
・・・取り乱しました。
女性のみなさん、男子校出身者はこれだけのことで勘違いしてしまいます。
(さっきから男子校的な趣味で超美人の女の子の画像ばっかり使ってしまって申し訳ありません)
よく動物園での注意書きで、触らないこと目を合わせないことからかわないこと食べ物をあげないことなどがありますが、それとまったく一緒です(笑)

参考元
前回も言った通り、男子校出身者は動物園のおサルさんです。
細心の注意を払って接してあげて下さい。
まだまだこじらせは続きます。男子校出身で、東大に入るような奴だからなのでしょうか?ついつい色々と考えてしまうのです。

こじらせその2 定義付け

遅れてきた青春の宿題(ホームワーク)

定義付けとはつまり、「恋愛とはなにか」、「好きってどういうことなんだ」という悩みのことを指します。
誰しもが一回は通ったであろうこの難題に、大学生になってようやく対峙する。
自分で言うのもなんですが、なかなか微笑ましいことではありませんか。
答えを出すことではなく、悩むことにこそ意味がある、この青春の宿題(ホームワーク)

大学生になってみて考えるとまた違った難しさが伴ってきます。
中高と遊びなれた共学出身者のチャラ男やチャラ女が、付き合っては別れを繰り返したり、乱れた性を露わにしたりと純愛を真っ向から否定しにかかってくるのです。
そんな奴らを見て、マジックテープかよと揶揄してみたり、自分のことは棚に上げて、サルかよと罵ったりするのは言うまでもないことですが、彼らを見ていると恋愛の幅が広すぎてなにがなんだか分からなくなってしまいます。

デートってどこからがそうなんだよ

恋愛についてだけでなく、デートについても様々な定義がなされます。
ある者は「女子と二人で出かけた時点でデートだ」と言い、ある者は「恋愛感情があるかも知れない異性同士が一緒にどこかに出かけることだ」と言います。
ある者たちがデートと縁遠いところにいることには、彼らの名誉のため触れないでおきます・・・
これらの定義付けが、実際の恋愛にどう役立つのかは不明ですが、男子校出身者は色々と考えてしまうのです。
恋愛に目もくれず、勉強だけをしてきたおサルさんは、自分の独壇場である机の上に「恋愛」という未知なるものを載せて、どうしたものか悩むしかないというわけです。

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最後に

男子校出身者は集い、知恵を絞り、周囲に追いつくべく、「玉手箱」を探し求める。
悩みながらも行動しなければ、短い大学生活は終わってしまう。
しかし、両想いだと思っていた女子には友達としか思えないと言われ、勘違いであったことに気付かされる。
「こじらせ」を克服できるその日まで、東京大学で男子校出身者は学び続けていく・・・

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男子校の化身
山の上の男子校で修行してました。
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