【瀧本哲史インタビュー】革命抑止大学東大:革命、起こしませんか

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本稿は、瀧本ゼミ顧問の瀧本哲史氏と、そのゼミ生によるインタビューです。

第一弾「流されるまま東大:消化試合としての人生」

第二弾「地方大学東大:高値掴みする東大生」も併せてお読み下さい。

  1. お名前:瀧本哲史さん
  2. 所属:東京大学法学部卒業
  3. 進路:学部卒業と同時に東大大学院法学政治学研究科助手に採用。助手の任期後、経営コンサルティング会社McKinsy&Companyで主に通信、エレクトロニクス業界の新規事業、投資プログラムのコンサルティングに従事する。その後、2000億円近くの債務を抱えていた日本交通の経営再建に取り組む。現在はエンジェル投資家として活躍する傍ら、京都大学で、起業論の授業を担当。東京・京都で、学生に対し企業分析と政策分析の自主ゼミ「瀧本ゼミ」を開く。

士族平定プロパガンダ

ゼミ生: 前回までの記事が好評を博しており、なんとインタビュー三回目です。それで一回目二回目の記事を見返してみたんですが、 大きなメッセージとして「自分、そして、東大を含め環境を相対化しろ」というのがあると思いました。

瀧本 : 相対化は大事ですね。 企業分析でも、競合と比較して初めて、会社の価値が分かります。あと、競合だけじゃなくて、「会社がどのような沿革を辿ってきたか」も大いに参考になる。

ゼミ生: 空調世界一のダイキンが、実は大阪金属工業の「大金」で、内燃機関や精密機械からスタートした、とかでしょうか?

瀧本 : ダイキンの意外なヒット商品が、戦時中のイ号潜水艦の空調設備ですよね。潜水艦の冷房はイノベーションで、長期作戦行動を可能にした。戦後になると、民需にシフトし、エアコン開発を伸ばしていった訳です。

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大阪金属工業株式会社の空調が搭載された、イ号潜水艦

同じように、沿革から東大を見てみると、そもそも東大って革命抑止大学なんですね。

東大のおおもとは、もともと1868年に元勲たち(明治維新での功労者)が設立しました。ところが、当時は革命の真っ最中で、特権を奪われて血気立ってる士族がゴロゴロしていた。まあ、革命と言っても、市民が貴族を倒したのではなくて、有力藩の下級武士が政権を乗っ取ったという話ですが。

実際、この先10年で、西南戦争に代表される士族反乱もたくさん起きている。そもそも、下級武士クーデーター事件後の内紛と、「世が世なら俺たちが政権とっていたのに」という勢力の結託が多い訳です。為政者からすると、気を抜くとフランス革命みたいに「革命返し」されて、自分たちは島流し、みたいなことも考えられた。自分たちも元・下級武士ですが、後から、同じような下級武士が上がって来られないよう、梯子を外しておかないといけない

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日本最大規模の士族反乱であり、2016年現在、日本最後の内戦である、西南戦争(1877年)。

そこで、なんとか士族に別の目標を与える必要があった。勉学を頑張れば立身出世しますよ、と。これが学制と帝国大学です。以後、私立大学も含め、立身出世ブームの立役者は全国の下級武士の社会階層です。

そういう意味では、「学問のすゝめ」だってプロパガンダだとも捉えられます。「お前ら刀持ってウロウロしている場合じゃないぞ、これからの時代は学問だ」と。学制を敷いて、全国の優秀な人材を選抜して、地元で不満をためないように中央に吸い上げる仕組みを作ったのですね。

再度、革命・クーデターを起こさないように、「学問」という新しい「管理された競争」を創りだす。そしてその優勝賞品は、統治権ではなく、帝国大学入学。なんと「がんばったご褒美に、僕たちの”家来”にしてあげよう」という仕組みですね。ある意味、シュールというか、ほぼブラックユーモアに近い。

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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言へり」 有名なフレーズはアメリカ独立宣言からの引用とされている。

官僚の低コスト大量生産

瀧本 : そんな訳で、無事、東大は官僚養成機関になっていきますが、基本的なシステムとしては低コスト大量生産ですよね。マスプロ講義というのは、マス・プロダクション=大量生産という意味です。「富国強兵」「殖産興業」で、大量かつ高速に西洋先進国をパクるのがミッションとなります。

東大の沿革をたどっていくと江戸時代の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)。つまり、外国語文献を読む組織に遡る訳で、そのころから「翻訳」が学問だったんですね。

それに関連して、東大生一般には、ゼロから文章を書く能力がありません。入試で問われていないし、その後も、ほとんどトレーニングされていない。中高でも、一部のきちんとした私立学校を除いて、事実と論理に基づいて文章を書く教育はなく、「感想」を書かせる「作文」があるのみです。

西洋の大学の伝統の一つの系列である、リベラルアーツ系のカリキュラムだと、作文はチューターがついて徹底的にやる。しかし少人数教育なので、とてつもなくコストが掛かる。一方、日本は後進国で、とりあえず追いつかなきゃならなかった。だから、目の前の実利(=官僚の生産と工業力の向上)に絡まない指導はしない

リベラルアーツというのは「自由人のための学芸」なので、少人数エリート教育なのですが、東大はそれと真逆の「家来」ないし「高級奴隷」(アリストテレスは「ものを言う道具」と呼んだ)を造る制度を用意していると考えると納得できます。もちろん、改革をしようとはされていますが。

 ▶次ページ 沿革で分かる大学の特色 

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瀧本ゼミ

ビジネスと政策へのリサーチを通じて、 よりよい意思決定の方法を習得し、 社会にインパクトを与えるために行動する

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