※この記事は、UmeeTプレゼンツ・クリスマス企画『空きコマだけで楽しみ尽くすクリスマス』の第2弾です!詳しくはこちらをみてね。
「クリスマスやクリスマスイブに何をするか」。そういわれても困る。恋人などいるはずがないし、ひとりや友達どうしであっても、サンタ帽をかぶってチキンをふりまわし、プレゼント箱でバドミントンなどはしたくない。そういった日本的なクリスマスのたのしみかたは誠にわたしに合わない。そもそも、上京以降は12/24や12/25において、ファミチキを食べる以外に「クリスマスらしい」ことをした記憶がなく、普通に平日または休日としてあつかって適当に過ごしてきたのだ。
しかし今回、クリスマスらしいことをする、ということになった。どうしようか、と3分くらい熟考したすえに、忘れられがちな「クリスマスはキリスト教の行事である」という側面に注目することにした。
わたしにとって身近なキリスト教関連の物事といえば…そうだ、数年前からスマホに入っている聖書のアプリだ。言語好きなので、世界中の1300以上の言語に翻訳された聖書が読めると聞いてインストールしたのだが、結局放置されていたのである。
https://apps.apple.com/jp/app/%E8%81%96%E6%9B%B8/id282935706
というわけで、新約聖書を105分かけて読むことにした。わたし自身はキリスト教徒ではなく、なじみもない。母が日蓮宗であることもあり、心を落ち着けたい時や周りの人が亡くなった時には、法華経の一部を写経することにしている。しかし、クリスマスイブという日であるし、キリスト教の教え・考え方にはいつかどこかで触れたいと思っていたから、いい機会である。
当然、膨大な量のテキストを全部読めるわけはないのだが、何から読めばいいのかわからないので、ChatGPTくんにきいてみる。105分で新約聖書をイチから読むなら?というプロンプトで、考えさせたのが以下のお品書きである。
① ルカによる福音書 1–2章 ここが核です。
② マタイによる福音書 2章 ルカとの対比用。
③ ヨハネによる福音書 1章1–18節 物語ではなく「意味」。
④ ルカによる福音書 10章・15章 イエスの教えの核心をつかむ部分。
まず福音書って何だ。ルカもマタイも誰だか知らないぞ。そういうレベルであるが、とりあえず言われた通りに読んでみることにした。後でネット検索してみたところ、「マルコによる福音書から読む」ことをおすすめしている記事が多かったのだが、①②④はどれも、まったく知識がないわたしからしても、意味がわかりやすく、興味深いものであったので、結果的にはよしとする。
なお、導入の部分において「UmeeTにプライベートを捧げすぎではないか」との鋭い指摘があったが、そのとおりで、なんとわたしはまだ卒論の直しへの対応が終わっていなかったのに、24日・25日にネタ企画の取材?実行?をしてしまったのだ。誠にアホである。これを書いている26日時点では終わっているが、まだ「完成」はしていない。大丈夫なのだろうか。
25日の方の企画については…がんばったので記事が公開されたらぜひ読んでください。
何と私はもう4年生で単位を取り切っており、授業は趣味で取っている週1コマだけ。空きコマという概念が存在しないので、しかたなく時間が空いている水曜6限にやることにした。これは空きコマなのか。7限なんてものは本学にはたぶん存在しないのだが、そこには目をつぶって、タイマーで105分測って、言われた通りに読んでいく。
駒場の情報教育棟の自習室に突入し、PCとスマホの充電コードをさして、いざ「クリスマスっぽいこと」開始。
全部読み終わっても35分時間が余ったので、17分使って疑問点をChatGPTに質問した。さらにのこりの18分で、台湾語(台湾華語とは別物。中国語の方言で、厦門の方言と近い)に訳されたルカによる福音書2章を、日本語の共同訳と比較しながら解読する遊びを行った。まあこれは私が台湾語に興味があるからというだけなので、おまけである。
文字数が膨大になりそうなので、②③④はカットし、①の部分の感想と、台湾語解読作業について書く。
「AIに頼りすぎではないか」との指摘もあろうが、それに関しては一言申し添えておきたい。特に何も考えずAIに頼ってしまってすみません。
内容が内容なので、以下、まじめに書きます。
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スマホのアプリで新共同訳を読みながら、気になったところをノートにメモしていく。
物語式になっていて、小説のようにどんどん読みすすめられる。
1章では、「エリザベト」「ガブリエル」「ヨハネ」「ヨセフ」「マリア」…といった、聞いたことのある人名がたくさん出てきて、英語圏の人名というのは聖書から多大な影響をうけているのだと、実感させられる。
冒頭から天使が実際に出てきて、人間に何か(例えば、ヨハネやイエスの誕生の予告)を言いに来るのだが、興味深いのは、神仏のように夢ではなく直接人間界に出てきている点だけでなく、天使を見た人間が「恐れる」様子を見せ、それに対して天使が「恐れるな」と言っているところである。日本において、もし仏の姿が見えたら、ありがたやありがたや…となるはずなので、面白い違いだと思った。
ただ、いくら天使であっても、急に現れたら恐れると思う。それはビックリでもあるが「畏怖」という側面もあるのかもしれないし、「天界からきた存在に自分が対面している」ということそれ自体、恐ろしいことかもしれない。
印象的だった言葉は、天使ガブリエルの「神にできないことは何一つない」、そしてエリザベトの「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。
古事記にでてくる日本神話の神たちは、亡くなってしまうし、独力であらゆる物質を創造・管理したりできるわけではない。兄弟の神に嫌われれば荷物持ちもやらされる。しかしキリスト教の神は、「できないことは何一つない」全知全能の、唯一の神である。そうはっきり書いているわけではないが、登場する天使や神を讃える人間の言葉を通じてそう理解できる。物語形式で間接的に基本的な考え方が分かるようになっているのがいい。
2章ではイエスの誕生が描かれる。イエスは「救い」をもたらす「メシア」という存在であることが強調されているが、興味深かったのは、シメオンという人物の「この子は、(中略)反対を受けるしるしとして定められています。──あなた自身剣で心を刺し貫かれます──(略)」という言葉である。誕生の時点で、この後十字架にかけられるような運命が予言されていたということだ。ChatGPTいわく、「救い」は安心して受け取れるものではない、ということを意図したものであるらしい。物語として読んでも、伏線がはられているかのような感じで、引き込まれる。
18分余ったので、台湾語解読をしようということになった。1年間、第三外国語の授業で台湾語を学習し、その後も自主的になんらかのことをしていたので、基礎的な読解力はあるはずなのだが、いざ見てみると、これが知らない単語ばかりなのである。確かに、授業で習っていたのは会話であるのに対し、聖書は書かれた文章であるから、むずかしい言葉が増えるのも当然である。
台湾語は、漢字だけで書かれる場合、ラテン文字だけで書かれる場合、漢字とラテン文字が混ぜ書きされる場合があるが、聖書については、漢字だけのものと、ラテン文字だけのものが用意されている。漢字から意味が推測できない分、難易度が高いということで、今回はラテン文字(白話字)版を選択した。読むのは、ルカによる福音書の第2章である。
台湾語の原文をノートに書き写し、わからない単語があれば下に和訳を書き、最後に文の全体の訳も書いておく。授業の予習のように地道な作業だ。辞書はhttps://sutian.moe.edu.tw/zh-hant/ を使用した。訳の部分は台湾華語で書かれているため、そこが分からない場合はさらにネットで調べた適当な中国語辞書をあたった。
hông-tè(漢字:皇帝)「皇帝」、pan-pò͘(頒布) 「公布する」、hō͘-kháu(戸口)「戸籍」、phó͘-cha(普査)「全数調査」といった、とうてい日常会話では使わなさそうな語がどんどん出てくる。「リス」の言い方は知らないが先に「全数調査」を覚えたのである。今後趣味が全数調査になったら、台湾旅行で台湾人にphó͘-cha(ポーツァー)と言いまくる所存である。
結局、18分でわずか3文しか解読できなかった。しかし、訳の仕方が日本と微妙に違ったりするのがおもしろいし、なにより、日本語の次に好きな言語である台湾語にひさしぶりに触れることができたので、楽しくはあったからよしとする。今後も暇つぶしにルカ福音書の台湾語版を読もうと思う。そうすれば、YouTubeで生の鶏肉を食べる動画を見ているよりも、QOLが上がりそうな気がする。
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そんなわけで、私が105分で実行したクリスマスらしい取り組みについて書いた(なお、25日当日は…)。仏教や神道にしか興味がなかった私だが、「聖書って実は面白いな!」と思うことができ、興味範囲が広がった気がして、誠によかったのである。今後、まずはルカの福音書・マルコの福音書を全部読むなどしてみたい。
わたし・不可説にしてはきわめて真面目な記事であるので、ゴーストライターがいるのではないかと、勘の良い読者の方なら疑われるかと思う。しかしそんなことはなく、むしろここは「コイツ真面目な記事も書けるんだ…」と感涙にむせび、涙を流しすぎて江東区が水没し、感動のあまり親類縁者全員にわたしの記事やUmeeTというメディアの宣伝をして回るべき場面であるということを最後に申し添えておきたい。
