こんにちは。私は東大多浪交流会というサークルに所属しているゴミ東大生、杉山太一郎と申します。いきなりですがタイトルにもある通り私は4浪です。あろうことか大学受験で4年間に渡り東大入試課に貶められ貴重な10代後半を浪費した末、齢22にして東大の学部一年に甘んじております。
上の文を見て、「東大多浪交流会」ってどんなサークル?と思った方も多い事でしょう。僭越ながら簡単に説明させて頂きます。東大に高校卒業後2年以上経過した(即ち2浪以上)後に入学を許された、東大入試によって人生を狂わされた人間の集まりです。現在の活動はコロナの影響で専らオンラインでの座談会に留まっていますが何故かメチャクチャ楽しいです。この前も1年生同士で2017年の入試問題が本番でどれくらい出来たかの話で盛り上がってました。あれ今って何年でしたっけ‥?
以前我々の交流会主催の対談会「多浪・仮面・宅浪交流会対談会」なるものを東大元仮面浪人交流会、東大宅浪交流会の2つの団体と協力して開催し、その対談内容をこのUmeeTで取り上げて頂いたので、我々の存在を覚えて下さっている方もいるかもしれません。ありがとうございます。無駄に脳内メモリを使わせてしまい申し訳ありません。
その際は対談内容が余りに常人の理解を(悪い意味で)超えた物だった為UmeeTの方に多大なご迷惑をお掛けしたので、企画を考案した戦犯の私はもう2度とUmeeTには仕事させて貰えんな、と思っていたのですが、先日遊園地のメリーゴーランドでワチャワチャ遊んでいたら記事を書いてくれた方からこんなラインが来ました↓
一気に現実に引き戻されました。何を言ってるのかよく分かりませんが、どうやらこの人は私に記事を書いて欲しいようです。ありがたいですね。UmeeTもうサービス終了とかで編集部がヤケになったのかな?とても正気の沙汰とは思えませんが、折角依頼を頂いた以上こんな私でも書ける事は無いか、と思い遊園地の帰りの電車で必死に考えた結果、見出しに有るようにカスみたいなタイトルを思いつきました↓
小学生が社会科見学で浪人生に取材することが仮にあったら、何も考えてなさそうな子供がとりあえず形だけ質問しようとして「どうして浪人しちゃったんですか?」って聞きそうだな、というクソしょうもない所から着想を得たタイトルでございます。どうして浪人したのかはおじさんだって知りたいよ。分かってたら毎年4月8日に予備校のクラス分けテストを受けるハメにならねぇよ。
上記の「どうして浪人しちゃったんですか?」は言い換えると「多くの現役生が難関大に受かる中1人だけ浪人するなんて、高校時代何考えて勉強してたんすか?」って事なんですが、それは長文対策ばっかやって英単語を覚えないとか、数弱の癖に数学の教科書をなぜか読んで頭に入れようとして一切手を動かして確認しようとしなかったとか、まぁ色々お決まりのパターンがあるので書いても面白くは無いと思います。というかそれを知りたきゃ浪人生のTwitter見れば良いですよ。現在進行形で間違った方向に全速力で突っ走ってる人間を沢山観測できると思います。というかそもそもこのUmeeTの読者の大半が現役で東大に合格したクソエリートの方々なのでわたくしめが一記事を割いて勉強法を堂々と語るのは気が引けます。皆さんすごいですね。1浪分くらい分けてあげてぇよ。
私が今回書きたいのはそういう『現役で志望校に受からなかった理由』ではなく、「何故現役で受かる大学はゴマンとあるのに浪人という道を選ぶのか?」言い換えると
「何故浪人してまで第一志望にこだわるのか?」
という『わざわざ浪人を選んだ理由』です。
2020年4月時点で日本の大学の数は781大学。日本の大学の数は増える一方で子供の数は少子化の影響でどんどん減っています。私立大学の4割が定員割れを起こしているこの時代、入ろうと思えばどんな人でも現役で大学に入れる時代です。そんな中で浪人を選ぶ人が出るのは理解に苦しむ、という方も少なくないでしょう。
もちろん人によってその理由は様々でしょ‥‥‥‥と、思われるかもしれませんが、長年実地(予備校)で浪人の実態を研究した結果、浪人をする理由は主に以下の3パターンに分類できることが明らかになりました。
①親からの強制
②その大学でしか出来ないことがある、何かしらの目的がある
③なんとなく
それでは早速順に見ていきましょう。③で腹を立てた奴は悪いことは言わないから今すぐブラウザバックしろ。多分この先読んでいくと怒りのあまり脳の血管が100本切れます。
可哀想。一番叩けないタイプ。大体は親の「私は〇〇出来なかったから子供には〇〇出来るようになって欲しい」みたいなコンプレックスに基づいたものだから目も当てられない。ついこの前9浪して医学部を目指させた親が娘に刺殺されたという痛ましい事件がありましたが、やはり自分の進路は自分の意志で決めるのが一番だと思います。子供は親のエゴを叶える道具ではない!なんて言い回しはもう十分過ぎる程言われてきてるけど、そもそも親と子供は別の人間なんだからやりたい事も出来る事も親子間で違いが出るのは当然であって、それを理解していれば自分のエゴやコンプレックスを子供に伝える事は子供に大きな戸惑いを与えかねないし、やりたい事を見つけようとしている子供の精神の発育に悪影響を与えることは私のような多浪したバカでも容易に想像できる事だと思います。よくないよ。
まぁコレが普通ですよね。普通はその大学にいる教授とか、力を入れている取り組みとか、勉強以外では学園祭や部活やサークルを動機にすることも多いでしょう。方向性はそれぞれだけどどれも立派な動機となり得るしハタから見たらしょうもない理由でも、本人からするとそれをエネルギーにして1年間浪人の道を選ぶくらいに大切で大きな事なのだから他人があーだこーだ批判するのはお門違いだし、何より言われた本人が幸せにならないのでほっといてあげてほしいです。
一流大学を目指す理由として、例えば研究施設の充実とかで選んだりする人もいて、その人もこの②に当てはまると思ってるんですが、東大に入って割とマジでこの項目はバカに出来ないんだな、と思うようになりました。「地元の〇〇大学でも同じような研究ができるんだからそこで良いだろ!!!」と子供を説得してるお父さんお母さんにコレは強く伝えておきたいです。どうしても地方の一部では地元国立信仰の強い所もあるけど、文字情報としては同じような事をやっているように見えても持っている敷地や施設の数や研究機材の数はおそらく段違いで旧帝等の有名大の方が上です。子供が行きたいと言ったら行かせてあげてください。一部の我々の祖父母の世代の方はどうしてもこの考えには同意してくれないかもしれませんが一応伝えておきます。東大京大よりも長崎大や山口大の方がすごいだろ!って言って東大志望の知り合いは東大受験に猛反対されたそうです。東大行ったから良かったものの無理やり諦めさせられてたらそれこそ刺殺もんでしょうね。
はい。言うまでもなく今回の本題です。薄々感じてたとは思いますが他でもない私がこの③に該当します。学歴コンプがこぞって大喜びで叩くのが他でもないこの③の連中であり、そうでなくても一般の方々も、はたまた他の受験生からも理解に苦しむ対象として扱われるのがこの③の人たちです。
「なんとなく」というのは、ここでは「第一志望にこだわってるけど、その理由は大学の特定の「物」に惹かれたからではない」ということを指します。どういうこと?と思う方もいるかも知れませんが、例えば大学のブランドや知名度、他人からの評価と言うと分かりやすいでしょうか。具体的に物として提示できるものでない、付加価値・情報的な「虚の部分」に惹かれてしまった可哀想な人たちです。「一流大学に入って人生逆転!」とか言いながら具体的に何をやるか何も考えてなかったり、はたまた「自分は何も出来ないダメな奴だから良い大学に入って周りを見返したい」みたいな、もはや大学それ自体を見ずに自分の中に理由を見出しちゃうタイプの人もいます。何となくこのタイプの人達のイメージを掴んで頂けましたでしょうか。
もちろん上のような理由はそれまで勉強してこなかった高校生とかが勉強を頑張り始める動機としてなら悪くないものだけど、何年も浪人して同じ事を言っているようじゃ当然文句も言いたくなりますよね。分かります。私も親ならそんな子供捨てます。リセマラします。
しかしこういう、③みたいな人の大半は、私は単純に受験で「勝つ」と言う事をしたいだけなんじゃないかな、と思うのです。日本一の大学に入りたい、というのは私含め東大を目指した多くの人の動機ですが、それも言ってみれば受験を競争のゲームに見立ててある種楽しんだ結果生まれた心境であることが少なくないのではないでしょうか。私はそうでした。就職のことを考えて、もしくは周りの人にバカにされないような一流大学に入れれば良いといった理由ならわざわざ一橋大を蹴って浪人の道を進むことなんてしません。ハタから見れば正気じゃないこの選択をしたのも、「一橋に受かるくらい努力して学力も身につけたのに第一志望に『負け』で終わるのが許せない」といったクソしょうもない理由からでした。ここまで来て東大を諦めて先に進むのが癪だったのでもう一年やって自分が受かるだけの実力があることを認めさせてやろう(誰に?)という思いがあったことは覚えています。
そしてもう一つ。そこまで勝ちにこだわった理由として、それまでの人生で「勝ち」が何一つなかったから、と言うのが挙げられます。高校時代までの私は劣等感の塊でした。運動が下手、成績が良くない等と言ったスペックの低さはもちろん、人の話を理解できない、家事が一切できない、自分が何を考えているのか言葉で伝えようとしても全く伝わらない、感情をコントロールできない‥いちいち挙げるとキリがありませんが、人間として終わっていました。本気で自分は死んだ方が周りのためには良いんだろうなと考えるほど自信を無くした時期に辛うじて腐らず学校生活を送れたのは、勉強だけは学内で平均レベルを死守できていた事、そして「こんな自分でも頑張れば東大に行けるかも知れない、東大に行けば良くわかんないけどとにかくスゴイ人がいっぱいいて、そういう人たちに触発されてもう少しまともな人間になれるかも知れない」といったバカみたいな希望からでした。本気でこんな事を夢見ていたのですから当時の知能の低さが窺い知れます。ですがそのお陰で真面目に頑張れました。
「将来のやりたい事」なんて、そもそも日常生活も一人でまともに送れないレベルの自信を無くしたバカが考えられる訳ありません。どんな仕事に就いても窓際でいびられる未来しか想像できませんし、将来の仕事に関して様々な情報を取っても全部実感のない、どこか遠いスゴい世界の他人事のように受け流して終わってしまうでしょう。そんな私にとって「頑張る」は「学校のおべんきょうをがんばる!」以外に思いつきませんでした。
本来大学受験というものは、例えば将来この仕事につきたいとか、はたまた興味のある分野についてもっと深く学びたい等といった動機が最初に生まれて、その後で「手段として」特定の大学を目指し受験勉強をする、という流れがあるべき姿なのでしょう。しかし世の中には一定数やりたい事もないのに大学進学を志す人がいます。大学入学を通過点ではなくゴールとして捉えている人がたくさんいます。私と同じで彼らは単純に入学したその先の事が考えられないのだと思います。
周りがどんどん先に行く中1人だけ何も決まっていない、好きなことすら分からない、そもそも目の前の学校の勉強で手一杯でそんな事を考えている余裕がない(でも結局勉強も大してできない)こんな人達が自分の現状を見て満足できるわけがありません。進学校の生徒なら尚更です。少なくとも、仮にも成績優秀だった時代がある人間にとって勉強もできずやりたいことも決まらず自信を失い何も考える気力が起きず、考えることから逃げ、プライドの高さと能力の低さの間でバカみたいに悩んだ時、そこから這い上がりたいと思うのは当然です。その這い上がるきっかけが「目の前の勉強を頑張っていい大学に入る」だとしたら、その人達にとって受験は自分の人生を変えるレベルで大切なものになり得ると思います。失った自信とズタズタにされたプライドを何とか取り戻そうと、自分の一番得意な勉強で何とか舞おうとしたから私はあくまで東大受験に拘りました。幸いなことに、東大は学部選択の余地もありますし、良くも悪くも学歴が重視される世の中で東大卒のカードは大きく有利に働き得ます。上記のように全ての自信を失った元優等生が自分のプライドの為にもう一度好きなことを見つけるのも含めて、一からやり直そうと必死になるのはいわば当然と言えるでしょう。
ダラダラと書いてきましたが、要するに怠惰を極めて何も考えられない癖にプライドだけは一丁前だからこのタイプの人間は浪人するのです。でもそのおかげで行動を起こして学力をつけ、曲がりなりにも東大入試を突破するだけの力を私は身につけました。動機はあまりにアレですがそのおかげで少しでも前に進めると思えるならば、浪人は決してマイナスにはならないと私は思います。
なんだか言い訳みたいな記事になりましたね・・柄にもなく真面目な事を書こうとするからこんなことになるんです。もしこの記事で浪人に興味を持ってくれた変態がいらっしゃいましたら、東大多浪交流会のツイッター(@uT_ARO)をフォローして頂ければ更なる深淵が覗けますので是非ご覧下さい。
今度こそUmeeTから2度と仕事来ないでしょうね!それでは!!