東大生が、自分の研究への愛を語る「三度の飯よりコレが好き」。
今回は、第69回駒場祭で人文学をテーマに企画展示を行った「ジブン×ジンブン」のみなさんにご協力いただき、研究テーマや研究への思い を語っていただきました。
人文学の研究って何の役に立つの?
そう思うあなたにこそ読んでほしい、文系院生の熱意と葛藤。人文学の未来を一緒に考えてみませんか?
───今日はよろしくお願いします!早速、皆さんの研究内容について教えてください!
木村さん:明治末ごろに発足した、神道雑誌の出版を目的とする団体「神風会」という団体を中心に、近代の「神道青年」たちが神道の言説をどう受容し、どう発信していたかについて研究しています。
「神道」という概念自体そもそも自明じゃなくて、古代、中世、近世、近代…と時代とともに変化していくんですけど、近代でそれがどのようなものだったかについては、今までの研究であまり触れられてこなかったんですね。
だから、そこに目をつけ、今では名前も忘れ去られたような神道青年たちに着目して、メディア研究を行っているという感じです。
廣川さん:私も、木村くんと時代的には似ていて、明治初期の地域博覧会をテーマに研究しています。
博覧会って言われてまず思い浮かぶのって、万国博覧会の方だと思うんですけど。
愛知万博のマスコットキャラクターのモリゾーとかキッコロとか。
私が扱っているのは現代の万国博覧会じゃなくて、明治初期に日本で開かれ始めた博覧会です。
明治政府が万国博覧会に刺激を受けて日本国内で博覧会を試し始めたのと同時期に、日本全国の地方都市でも地域博覧会が爆発的に拡大していたんです。
私は、中でも石川県金沢市における地域博覧会を対象として、そこでどういう動きがあって、西洋から流入した「博覧会」という概念がどう消費されていったかについて考えています。
須河原さん:僕は、農業アルバイトの動向について研究しています。
農業ってご存知の通り今すごく人手不足で、特に収穫期は大量に労働力が必要になるんですね。そういう短期間の柔軟な労働力って確保するのがすごく難しいんですが、それを補う方法の一つとして農業アルバイトという形態が現れました。
これは主に都市の青年層を労働力の供給源としているのですが、そもそも制度自体新しく、まだ全容もつかめていない。
しかも、人の移動にかかわる新しいライフスタイルとも結びついているということで、研究のテーマとしては意義あるものなんじゃないかなと思っています。
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───みなさんかなり違ったテーマで研究されている感じなんですね。それぞれ研究テーマを定めるまでにどういう経緯があったんですか?
木村さん:僕の場合、 一番大きなきっかけは、ちょうど大学に入ったころ、全国の多くの神社を包括する組織神社本庁に関して白熱した議論が展開されていたことだと思います。
議論を横目に見ていたら、「国家神道の復活」だと批判する人がいたり、でも一方で神社界の人たちはそれに激しく抗議していたりして。
なんでこんなにもめてるんだろうって率直に疑問を持ちました。
それで考えていくうちに、そもそもここで問題になってる国家神道っていう概念って自明なものじゃないし、その解釈が立場によって違うわけで、そしたら議論が噛み合うはずないよなって思ったんですよね。
それで卒論で明治における神道概念ってなんだというところからはじめて、そこで資料として使った雑誌に着眼点を移してきたという感じです。
ちなみにこれが僕が扱ってる雑誌なんですけど……。
───すごいですね。図書館にしかなさそう。
これなんかヤフオクで700円くらいで手に入れたんですよ。
───ヤフオク!?!?
意外と掘り出しもの多いんですよ。
───新聞や教典ではなく、雑誌というメディアに目をつけたのはどうしてですか?
木村さん:まずは、名前も忘れ去られたようないわば「雑多」な人たちが集まってできているというところに惹かれますね。
なかでも近代青年たちって教育を受けているぶん、一筋縄では宗教を信じないという一面があると思います。
そういう大学教育を享受する青年たちをどう説得するかという問題意識が当時の神道にはあったんですよね。
確かに、今の我々だってすぐには信じないですよね。
そういう自分と同じように近代教育を受けた青年たちが神道概念というものをどう受容したのかというところに迫れれば、ある意味近代の延長にある我々が今神道について論じる際の参照点にもなる。
それに、ビッグネームではない人々に光をあてるという意味でやる意義もあるんじゃないかなと思っています。
───自身の環境が研究テーマを決めるのに深く関わっているんですね。廣川さんはいかがですか?
廣川さん:私も地元が富山で、父のルーツが石川県と北陸に地縁があって、金沢という都市が身近だったというのはもちろんありますね。
歴史上の用語だった「博覧会」がこの地で行われていたんだって思えることでリアリティが大きく変わってくるんです。
ただの用語から、実際に身の周りで起きていた「出来事」になるんですよね。
そこにビビッときて、これはもう当事者意識を持ってやるしかないなって。
───地域博覧会をテーマにした理由についてはどうですか?
もともと興味を持ったのは万国博覧会の方でした。学部1年のとき日本美術史入門という授業をとって。そこで聞いた明治時代の工芸品のくだりがすごく面白かったんです。
日本の工芸品って、万国博覧会を通じて外国に輸入の販路が開けると、欧米からのまなざしを内面化して、日本の技術すごいでしょっていうポーズを突然取り出すんですよね。
いわゆるジャポニスムが生まれてくるのも、明治時代前半の万国博覧会がきっかけです。
過剰な装飾が効いた工芸品がいっぱい出てくるんです。
万博を通じて日本の工芸品がどんどんパワーアップしていくんですよね。
博覧会にはモノと人と場があって、当時の情報が一堂に集まります。いわば時代のまとめをしてくれる場なんですよね。
モノを人々がどう価値づけていたのか、そういうものの見方とか時代の空気の感じ方を、博覧会を通して知ることができたらな、と思って。
その辺りから万博と日本の文化の繋がりに興味を持ったという感じです。
───そこから地域博覧会の方に興味が移ったんですね?
そうです。
きっかけになったのはロバートキャンベル先生の一言でした。
学部2年生の初めごろ、ちょうど万国博覧会に関する本を読んでて、「最近、明治時代の日本の地域の工芸品と万国博覧会の関係に興味があるんです」って先生になんとなく話したんですよね。
そうしたら、「そもそも地域で博覧会があったのを知ってますか?」って言われて衝撃を受けて。
2年生の半ばごろから地域博覧会について情報収集を始めるようになりました。
須河原さん:僕の場合、離島が好きというところから始まりました。
───離島??????
須河原さん:もう30島くらいは回ってますね。
───30……!?すごい数ですね……!!そもそも離島に興味をもつきっかけってなんだったんですか?
須河原さん:離島に初めて行ったのは大学1年の冬で、東京の青ヶ島という島でした。
そこの自治体、実は人口が日本で一番少ない村なんですよね。もともと地図帳とかで人口が一番少ないっていうことを知ってて、単純に行ってみたいなと思ったのが最初でした。
実際に行ってみたら、やっぱり外界から隔絶された島という特殊な環境だと、全然暮らしも違って。行かないと想像もつかないような人の暮らしってあるんだなと思って、離島に興味が湧くようになりました。
それで「島のイメージと人の移動に関係があるんじゃないか?」と思い、卒論は離島にくる人々を対象に、離島がどういう風に見られているかについて研究したんですけど……。
自分ではちょっと失敗だったなと思うところもあって。対象を絞りきれなかったんですよね。離島に来る人にも色々いて、夫婦もいれば、単身でやってくる人もいる。
そんなとき、農業アルバイトっていう人たちの存在を知って。
離島にくる人以上にあちこちを転々としながら生活する彼らの暮らしを追えば、人の移動のあり方にもっと迫ることができるんじゃないかと。
───研究テーマの裏にはそういう変遷があったんですね。
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───みなさん全く別の学問分野で研究されてるように見えますが、研究の裏にある思いにはかなり共通点があるように思いました。
木村さん:そうですね。2人の話を聞いて、結局人文学って人間を取り巻くテクストとコンテクストを研究するということなんだなって思いましたね。
須河原さん:人文地理学でいえば、地表面の景観とか、「地域」という概念それ自体が一つのテクストですよね。地域の見え方、見せ方、見られ方が人文地理学という学問のテーマの1つになっている。
廣川さんの博覧会研究なんかは、まさに地理学でも行われている研究です。
あと、地理学は地域のコンテクストを扱う学問でもありますね。例えば今観光とか移動とか、都市から地方に人を呼び込もうという動きが広がっていると思うんですけど……。
でも「人を呼び込んだらそれで成功」ではなくて、長続きしなかったり、すぐ戻ってしまったりする人もいる。移動は、都市から地方へっていう簡単な流れではないんですよね。
結局、「地域を取り巻く人々がどういう地域を作ろうとしているか?そのために何をして、来る人にはどう見られているか?」という人々を取り囲むコンテクストを細かく見ていかないと、その実態を解き明かすことができないんです。
廣川さん:私の研究でいえば、地域博覧会に出品されたモノが主なテクストで、地域博覧会という場には、モノを巡るどんなコンテクストが流れ込んでいるかを考えているという感じですかね。
地域博覧会そのものというよりは、それを開かしめた文化ってどういうものだったんだろうっていう思いが強いです。
コンテクストが複雑に入り混じった博覧会をいかに整然と面白く描けるかっていうのが腕の見せ所だなと思ってます。
木村さん:僕も雑誌というテクストそのものというより、そこから見えてくる当時の青年たちの息遣いや単行本には残らない時代の雰囲気を重視している印象があります。
もちろん表現としては激烈なものも多いんですけど、当時の若い人たちの息遣いを感じるのはすごく面白いです。
これまで研究されてきたビッグネームの神道学者の講義を享受する側にいた人たちを掘り起こして、文脈化していくことを起点に、これからの研究を続けていきたいなと思っています。
───みなさんの研究テーマに対する思いの強さが伝わってきますね。単刀直入にみなさん自分の研究対象は「三度の飯より好き」ですか?
木村さん:面白いからやっているっていうのは確かにあるんですけど、宗教研究の場合、好きかどうかの問題って他の分野よりもデリケートだと思います。
実際、神道が好きだからやってるっていうと必ずしもそうとは言えないんですよね。例えば政治的な信念は今の神社界のそれとは異なっていますし。
だから自分の中でアンビバレントな感情はずっとあります。神道が好きかっていう質問には、これからも曖昧さと向き合いつつ答えを出していかなければならないのかなと思います。
あと、研究対象だけじゃなくて研究そのものが好きかどうかという話でいうならば、好きだけじゃ研究はできないし、好きだけではしない方がいいとも思います。
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