こんにちは、三度のメシより議論が好きなSchipです。
この前の土日は東大入試でした。受験生の皆さん、本当にお疲れ様です。
ところで、東大現代文の模範解答に、完璧な正解はないことをご存知ですか。
先日SchipとUmeeTで共催した【東大現代文解答コンテスト】では、こんな話になりました。
ならば、出来たてほやほやの2017年の入試でも議論するしかない!
ということで、やります。
現役東大生による、2017年の東大現代文についての白熱議論の幕開けです。
※解答例だけ先に見たいという方は仕方ないですが → こちら
―解くから問うへ― Schipとは?
解き方を学び、問題を解く時代から、
問い方を学び、問いを立てる時代へ。
2017年の東大現代文は、伊藤徹『芸術家たちの精神史』から出題された。
問題は こちらで入手できる(2017/3/2時点)。
この記事は、ぜひ自分で問題を一読してから読み進めてほしい。
問題文の主題は、テクノロジーと人間の関係性だ。大学では「科学技術社会論」で学ぶ内容である。人工知能の台頭もあいまって、現在大注目の分野である。東大では 教養学部の学際科学科などで学べる (ファンキーな髪型の教授がいる)。
難易度は、そこそこ。一昨年の『傍らにあるということ』には遠く及ばないが、昨年の『反知性主義者たちの肖像』と比べると難しい。例年より、全体像を理解して記述することが求められる作問構成であった。
今年の大注目ポイントは、設問が一つ減ったことである!
これは何を意味しているのか…。
しっかり問うて解答を書いてほしいという東大からのメッセージなのだろう(そしてこれはSchipのメッセージと全く同じだ)。
設問を一つ減らした分、一つひとつの問題を深く考えてほしい。その声に耳を澄ませながら読み進めていこう。
闘いに挑むのは、この三名である。
名前:こだま
・学んでいるもの:言語学
・東大の好きなところ:食堂で温かいお茶が無限に飲める。
「お寿司だけは議論と同じくらい好きです。」
名前:ユージン
・学んでいるもの:社会学
・東大の好きなところ:キャンパスが広い。
「好きなスミスはアダムです。」
名前:かめ
・学んでいるもの:教育学
・東大の好きなところ:綺麗な建物と汚い建物が同居しているところ。
「本に埋もれて死ねるのなら本望です。」
(一)科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引していく不気味なところがある」とはどういうことか、説明せよ。
基本的には「問題を解決するためにつくった技術」が「問題を生み出し、新しい技術を要請する」というパラドックスを突けばいい問題だったね。
テクノロジーが「運動性」を持っているというのも、この問題のポイントの一つだと思う。第一段落で「自己展開」といっていたり、傍線部でも「展開」という言葉が入っていたり、「牽引していく」といっていたり。一回ぽっきりの話ではないという要素も表現したいところだね。
あと、「どこまでも牽引していく」という表現も気になる。「牽引」が暗黙裡に示している「不可避」な感じ、「抗えない」感じを解答では表現したい。
同じことが「有無をいわせず」「不気味なところがある」の語感を失わずに言い換えられるか、についても言える。
「どこまでも」「有無をいわせず」「不気味」の3つの語感は、テクノロジーが自律していて、自分で発展していくというところに共通の根があると思う。
全体の構造としては、「テクノロジーが自律的にXし続けることに、人間が抗えない」としてはどうだろう。
テクノロジーが自己展開していくという論点に関連してもう一つ要素を加えたい。
人間が最初に技術を生み出したとき、人間は技術に対して主導権を持っていた。それに対して、技術が自己展開する局面では、人間は技術が次々に提起する問題に対応して技術を開発し続けることになる。
ここでは人間は、主導権を奪われていて、半ば技術の奴隷になっている。この変化も、不気味さを説明するための重要な要素だからぜひ解答に付け加えるべきだと思う。
技術がつくった泥沼に、人間が引きずりこまれていくというニュアンスを解答でうまく表現できるといいね。
解答:問題解決のための科学技術が、ひとりでに新たな問題を作り出し、更なる技術を要請するという自己展開の過程に、人間を搦め捕るということ。(65字)
[広告]
(二)「単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由」とはどういうことか、説明せよ。
本文にある通り、テクノロジーそのものは価値判断と無縁だよね。その意味ではテクノロジーは確かにニュートラル。テクノロジーは、人間が「できる」行為を増やすだけで、「すべき」かどうかは触れない。「これ使ったら、これできますよ」しか言っていない。
だけど、「できる」行為が増えると、これまで問題にならなかったことが問題になる。テクノロジー自体はニュートラルかもしれないけど、そのテクノロジーを人間が使用するとなるとニュートラルではいられないということだろうね。
それはそうなんだけど…。俺はどうしても「ニュートラル」という言葉の響きが気になる。
ユージンの言っていることが筆者が伝えたいことだったと仮定すると、筆者の日本語が変だと言わざるをえない。
だって、問題を提示するだけでは、ニュートラルなままじゃない??
例えば、「今日は挨拶について話しましょう」と先生が教室で言ったとして、それは挨拶の価値には触れていないというか。
それはどうだろう。
例えば、マスメディアの「論点設定力」が話題になる背景には、問題を設定すること自体が結論に影響を及ぼすことが仮定されているわけだし。問題を提起すること自体が、価値判断に影響を及ぼすという主張も正しい気がする。
今の例だと、「挨拶について話しましょう」と言っている時点で「挨拶=すべき」が成り立っている気がする。とはいえ、こだまの言いたいことは分かる…。もうちょっと詳しく言うと?
例えば、「この化粧品を使ったら、美人になりますよ」と言われたとき、化粧品は技術にしか過ぎないのだけど、そこには「化粧品」を使ったほうがいいという含意があるという気がする。
技術は、直接的には価値判断を含んでいないけど、間接的に価値判断を含んでいるということ??
「Xできる」ということは、実は「Xすべき」を含んでいる??
聞いていて思ったのは、技術が間接的に価値判断を含んでいるというのは、擬人化すると口の上手いセールスマンのような感じ。「決めたのはあなたですよ」と言いつつも、結局提案したことが大きく決断に影響している。
その場合、「Xできる」ことが論理的に「Xすべき」を含んでいるのではなく、さっきもちょっと触れたけど人間の側が「Xできる」から「Xすべき」を引き出してしまっているということだね。「できる」ことと「すべき」ことって本来は異なるはずなのに、そう簡単には切り離せないってことだね。
よく読むと、傍線部の前には、「テクノロジーは、テクノロジーを統御する目的とは無縁でなければならない」 って書いてあるね。「なければならない」ということは、放っておくと、テクノロジーは目的と関わりを持ってしまうということを暗示しているね。そこの媒介を人間がしているというわけか。
その意味では、「Xできる」ことが提示された場合、人間は「XかYか」を決断するのではなくて、「Xを断るか」を決断しているということになりそうだね。「XかYか」がニュートラルな決断だとしたら、「Xという誘惑があるんですが抗えるか」という決断はニュートラルではない。そして、「Xを断るか」という解釈のほうが、「ニュートラルなものに留まりえない」という傍線部の語感には近そうだ。
もっと言うと、「留まりえない」という表現は、テクノロジー自身もテクノロジーを制御できていないことを示唆していると思う。古典でいうところの「自発」のニュアンスを感じる。人間も抗えないが、テクノロジーも抗えない。その不気味な「運動」それ自体、「システム」それ自体をうまく描き出せる解答でありたいね。
技術と人間の関係が複雑化させているような気がするな。技術と人間の相互作用によって、人間も技術も統御できない巨大なシステムが動いていくという怖さが、筆者の表現から伝わってくるね。
本文から明確に導出できることではないけれど…。「できること=すべきこと」となっている世の中の潮流に筆者は警鐘を鳴らしていそう。例えば、「妊婦の97%が中絶を選んだ」というデータの引用の仕方一つとっても。
テクノロジーが「中絶すべき」だと警告してくると人間は反発したくなりそうだけど、「あなたの子どもは染色体異常ですよ」という事実だけ伝えて、暗に「中絶したほうがいいですよ」と示してくるのが怖いな…。無意識に突きつけられているので、人間は気付いたら問題に絡め取られていて、逃げられなく成っているというか。
傍線部の前が「『すべきこと』から離れているところに」となっている面白さもそこにあるのかもね。『すべきこと』から離れてる。つまりは、テクノロジー自体は何も言わないからこそ、そのテクノロジーについて人間の側が何かを言わなければならない。その時に、「できる」ことの領域と「すべき」ことの領域が重なり合ってしまう。
これまでの議論とは関係ないのだけど…。よく設問を見ると「…理由」とは「どういうことか」という構造になっているよね。これって、どういうことなのだろう。傍線を「理由」まで引っ張ったのには、どういう意図があったのだろう。「…」の理由を聞きたいなら、「…」に傍線を引っ張って「なぜか」と聞けばよかったはずなのに。不思議だ。
解答2:テクノロジーによって可能性を提示されただけで、人間はその可能性の誘惑を断ち切るか否かの倫理的決断を迫られてしまうということ。(62字)
解答3:テクノロジーはただ可能性のみを示すべきで、現にそういうものだという想定が、テクノロジーによる行為の実現への誘惑を一層厄介にしているということ。(71字)