牛角の「カルビ専用ごはん専用カルビ」は論理的にこの世に存在可能か?【東大生4人ガチ議論】

2016.11.02
杉山大樹

肉を食いたい。

その衝動に偏差値も学歴も関係ない。

突き動かされるままに、4人の東大生が焼肉チェーン店・牛角に入店した。

しかし、我々を最も惹きつけたのは、結果として、肉を食うことではなかった。

「カルビ専用ごはん専用カルビ」

牛角が打ち出した新メニューの、この文字列の虜になってしまったのである。

食べ放題メニューの中に入っていなかったので、誰一人食べてはいない。食べたかったけど知ったときにはもう食べ放題が始まっていた。

「カルビ専用ごはん専用カルビ」なんてものは、この世に存在していいのだろうか。

その問いに囚われた我々は、食べ終わってからというもの、4時間に及ぶぶっ続けの議論に駆り立てられたのである。(ホントにずっと議論してたし、ルーズリーフが10枚以上消費された)

ここからは、そんな哀しき4人の、全力の議論の顛末を見守っていただきたい。

<第一章 問題設定>「カルビ専用ごはん」に対して、あるカルビはさらに「専用」することができるか

我々がまず問うたのは、他でもないこの点である。

前提共有として、牛角という焼肉チェーンは、「カルビ専用ごはん」というものをそもそもメニューとして持っていた。

「カルビ専用ごはん」とは、ごはんに、海苔・ゴマ・タレなどを添加した、「カルビと呼ばれるものすべてに合う」ごはんのことである。

焼肉屋でありながら、「ごはんにひと手間加えることによって、結果として焼肉自体の価値をも上げようとする」試みであり、柔軟かつ優れた着想だと認めなければならない。

しかしそれも、ここで止まっていれば、の話である。

牛角はこの成功に味を占めたのか、大変な過ちを犯してしまったのだ。

すなわち、「カルビ専用ごはん専用カルビ」を生み出すことによって、である。

これがどれほど深刻な過ちであったか。世間は騙せても、東大生4人が集まったこの場において、看過されるわけがなかった。

端的に問題を指摘すれば、以下のようになる。

・カルビ専用ごはんは、「カルビと呼ばれるものすべてに合う」

・つまり、あらゆるカルビは、既にカルビ専用ごはんに対して「よく合う」

・その「カルビ専用ごはん」に対して、新たに「特定のカルビ」が、「よく合う」と主張している。(=カルビ専用ごはん専用カルビの存在)

⇒どのカルビも既に「よく合う」のに、新たな特定のカルビ「こそ」が「よく合う」と言うべきではないのでは?

この時点で、牛角は認めなければならない。

新メニューだったはずの「新たなカルビ」は、「単なる、カルビと呼ばれうるすべてのもののうちひとつ」でしかないということである。カルビならなんでもいい。特に工夫も要らない。とすれば実はこれは、全然新メニューではない。

さもなくば、「カルビ専用ごはん」は、そもそも「あらゆるカルビに最適」には成れていなかったことを認めるしかない。これも嘘になってしまう。カルビ専用ごはんを出した時点で、カルビとごはんのベストマッチは決まっていたはずなのだ。

どちらにせよ、大いなる欺瞞が明らかになったと言えよう。

しかし、誤解しないで欲しい。

我々は牛角が大好きである。

肉が食いたくてたまらなくて駆け込んだ我々に、牛角は格安で、たらふく旨い肉を提供してくれた。

感謝こそすれ、恨む理由などあるものか。

この問題に突き当たってからというもの、我々はあらゆる議論を尽くして「牛角を、詐欺師の謗りから救おうとした」のである。最強の弁護士軍団と思ってくれればいい。

それがここまで困難な道(片道4時間)になるとは、誰も想像していなかったのだ。我々もまた、この闇を侮っていた。

次章:そもそも「専用」とは何なのか?(マジの議論入ります)

<第二章 専用の定義> A専用のBとは何を意味するか?

議論を次に進めるために、まずは「専用」の意味を明らかにしておかなければならない。

『大辞林』によれば

①ある特定の人だけが使用すること。

②ある特定の目的だけに使用すること。

③特定の品物だけを使うこと。

とある。カルビ専用ごはん、について、明らかに②の意味で使っていると考えてよいだろう。「カルビを食べる目的」だけに使うごはん、ということだ。

(ここからしばらくの間、議論を分かりやすくするためにまずは「カルビ専用ごはん」を題材にする。「カルビ専用ごはん専用カルビ」の登場は、第三章の終わりを待たなければならない。)

 
 
まずはこいつから
 

しかしここで注意すべきなのが、「その目的だけに」と限定している理由は何なのかということである。

強い意味で「限定」する場合、規制されていたり・危険であったりするということになる。

しかし、いくら偉大であるとは言え、一企業であるところの牛角が、「このごはんはカルビ専用であり、他のモノと食べることは禁止されている」などと言えようか。当然言えまい。わけが分からない。

あるいは、カルビ専用ごはんは、カルビ以外と食べると「大変なことに」なるのだろうか。そんなごはんは、もうごはんではない。第一、そんなものを食べるのは怖い。

ここで、この「専用」の意味はやはり、

「そうするのが最もおいしいので、らその途に用いることをお勧めします」ということに過ぎないと確認できた。

つまり、「カルビ専用ごはん」は、あらゆるカルビに対して「最もおいしくなるように作られている」。

聡明な読者たちはおそらく、「何を当然のことをダラダラと」、と思っておられよう。しかし、この前提によって、実はそもそも「カルビ専用ごはん」自体の存在すら疑われることになってしまうのである。

次章:「あらゆるカルビに合うごはん」は、一体何に合うのか

<第三章 最適化の困難性> 「あらゆるカルビに合うごはん」は、一体何に合うのか

前章までから、経済学的に難しく言えば、

「カルビ専用ごはん」は「あらゆるカルビ」に対して「最適応答戦略を取っている」

と考えてよいだろう。

つまり、世の中にはさまざまなカルビがあるが、「そのとき出てくるカルビに対して、最も良く合うごはん」こそが「カルビ専用ごはん」たりうる、ということである。

しかしここで問題が起こる。

カルビ一切れ一切れは性質が少しずつ異なるはずである。そうでなくても、牛角は「タレ・ミソ・塩」などの異なる味付けのカルビを提供している。

それらに対して、「カルビ専用ごはん」は本当に最適化されているのか?

当然ながら、否、である。

どう見ても「カルビ専用ごはん」は細やかにその姿を変えてはいないし、「どの客がどのカルビとともにそのごはんを口に運ぶか」など把握できるはずがない。店員さんがかわいそうである。

では牛角は、そもそも「カルビ専用ごはん」を世に出した段階で、嘘をついたことになってしまうのだろうか。

そう決め付けるのは早計である。牛角はまだ守れる。

当然、数あるカルビのそれぞれに最適化できるわけがない。そもそも「カルビと呼ばれるものすべてに合う」ごはん、と定義されていたではないか。つまり、「存在するカルビの平均値」を取ったときに、その平均(ここでは「理想カルビ」と定義しておこう)に合わせて、ごはんを設計したと考えられる。

つまり、「カルビと呼ばれるものすべてに合う」ごはん、が「本当に最適化」していたのは、他でもない、平均値としての「理想カルビ」だったのである。

なぜ「理想カルビ」などという言葉をわざわざ用いたかといえば、そんなカルビは牛角に存在しないからである。

平均を取ったのに(もっともありふれたカルビのはずなのに)、なぜ存在していないのかと不思議に思うだろうか。

牛の個体ごとの差などを無視したとしても、牛角が提供しているすべてのカルビ、つまり塩のカルビ・タレのカルビ・ミソのカルビの、平均を取った味のカルビなど提供されていない。多分それはあんまりおいしくない。何味とも言えない半端な味である。

議論当時使われたわかりづらい図1

さて、ここまででようやく、「カルビ専用ごはん」が何を意味していたかを解き明かすことができた。ようやく「カルビ専用ごはん専用カルビ」に挑むための準備が整ったわけである。

しかし実は、もう目の前に答えがあるのではないか?

一旦そもそもの問いに戻ろう。我々が追い求めているのは、

「カルビ専用ごはん専用カルビ」は論理的に存在可能か。だとしたら一体何なのか。

ということであった。(ようやく「カルビ専用ごはん専用カルビ」の再登場である。)

これまでの議論で分かったのは、

「カルビ専用ごはん」は、「あらゆるカルビに合う」といいながらその実、(それを達成するために仕方なく)牛角が提供していない、平均値としての「理想カルビ」に最適化している。

ということであった。

つまり、新メニューとして現れてきた「カルビ専用ごはん専用カルビ」とはまさしく、この「理想カルビ」なのではないか?

これなら、牛角は何も嘘をついていない。矛盾無く、潔白だといえる。

牛角を救い出す結論を見出せたように思えた。しかし、戦いはまだ終わらなかった。実はすでに論理の綻びがあることにお気づきだろうか。

牛角が陥ったのは、それほどまでに、深い闇だったのだ。

次章:論理の綻び。「理想カルビ、不味そう問題」

<第四章 理想カルビの破綻と、「専門」の意味の転回> おいしそうだからこそ・・・

前章までで、「カルビ専用ごはん専用カルビ」は、牛角が提供するあらゆるカルビの平均(理想カルビ)であるという結論を見出した。

しかし、思い出して欲しい。ここでいう理想カルビは、「牛角が提供しているすべてのカルビ、つまり塩のカルビ・タレのカルビ・ミソのカルビの、平均を取った味」。つまりなんともいえない中途半端な味のカルビである。(全然理想的じゃない)

一方、新メニューとして提示されているのは

どう見てもおいしそうである。絶対にそんな中途半端な味ではないし、あろうことか「1頭の牛から2つしか取れない部位」などと紹介されている。平均なわけない。相当な上位互換である。

皮肉なことに、どう見てもおいしそうであるからこそ、ここまでの論理は破綻してしまっているのだ。

この窮地を脱するには、大胆な転回が必要である。今一度定義に戻ろう。

カルビ専用ごはんとは、「あらゆるカルビに、最も合うごはん」であった。

カルビ専用ごはん専用カルビとは、「あらゆるカルビ専用ごはんに、最も合うカルビ」であろう。

ここで気づくことがある。

確かにカルビはさまざまある。個体値を無視したとしても味付けも切り方も違う。

しかしカルビ専用ごはんは、ひとつしかない。(カルビの個体値を無視したように、それぞれの米の違いなどは軽微なので無視してよいだろう)

となれば、カルビ専用ごはん専用カルビは、「あらゆる」ではなく「単に」、カルビ専用ごはんに最適化されていればよい。

つまり、以下のように書いたとき

・カルビ〔専用〕ごはん

・カルビ〔専用〕ごはん<専用>カルビ

〔専用〕と<専用>では実は全く意味が違うのだ。

A〔専用〕B は、あらゆるAの平均(理想A)にBが最適化しているのに対して(平均最適化)

A<専用>B は、「そのA」に対して最適化すればよい(局所最適化)

まさか、この連続して使われていた専用という言葉が、1回目と2回目で違う意味をはらんでいたとは。全くもって予想を超える深み。まさに難問にして良問。東大入試も裸足で逃げ出すレベルである。

これによってようやく分かることがある。

カルビ専用ごはんは、確かに「あらゆるのカルビの平均に、最適化されたご飯」であるが、すべてのカルビが、カルビ専用ごはんと食べたときに同じ味がするわけがない。

すべてのカルビの中でカルビ専用ごはんとの組み合わせを調べていけば、カルビ専用ごはんを最もおいしく食べるためのカルビがあるはずだ。その存在に何の問題もないのだ。

平均点が高いのと、ひとつの科目だけずば抜けているのは全く違う。平均点で一位の秀才でも、他はダメだけど数学だけずば抜けている変態に、数学で挑んだら負ける。普遍的な、全体最適と局所最適の違いの問題だったのである。

ここに宣言しよう。

牛角の「カルビ専用ご飯専用カルビ」は論理的にこの世に存在可能だった。

いやーよかったよかった。これでこの世にごはんとカルビの「究極の組み合わせ」(公式ホームページより引用)が生まれたわけだ。めでたしめでたし。

もういい加減議論はいいから食べたい・・・究極のカルビ丼食べたいよぉ・・・

ん??

本当に「究極」か?? 本当にこれ以上ないと言えるのか??

あえて言おう。ここからが「カルビ専用ごはん専用カルビ問題」の、最も面白いところなのである。(4時間議論してるから、こんなもんじゃないよ)

私たちは「カルビ専用ごはん専用カルビ」の存在を認めてしまった。まさにそのせいで、もはや終着のない、決して「究極」にたどり着かないカルビ丼探求の闇に葬られてしまったのだ。

さすがに一気に書くには長すぎる(読むのも長すぎますよね)ので、真の闇を探るのは、後半に譲りましょう。お楽しみに。

後半はこちら:カルビ専用ごはん専用カルビ専用ごはん専用・・・終わらない無限連鎖。と、その先の感動の結末(ホントに感動しますよ)

最後に・この飯テロみたいな記事のせいで肉が食べたくなっちゃった皆さんへ

お詫びにタダで肉を食える方法を教えます!

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ぜひ肉を食べてください。就活やめちゃったから絶対お肉食べられない僕のことは気にしないでたらふく食べてください。

これまで延べ1万人以上が就活しながら肉を食べたらしいです。あぁカルビ食べたい。。。

この記事を書いた人
杉山大樹
初代編集長です。今でも執筆記事数が1位という老害ぶりですが、PV人気記事は大体他の人が書いてます。昔のも今のも、見てみてくださいな。。。!
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