我が怒り、爆発せり- ロシア・サンクトペテルブルグにて-

2015.11.12
李優大

海外支部のコーナーにようこそ! 支部といいながら、留学・旅行中の東大生に寄稿をお願いしてるってだけなのですが、各地の東大生の活躍ぶりをお伝えできたらと思います。
第一弾はロシアから! ロシア留学してからというもの、日々の出来事に対して何故かひたすらブチ切れている李優大さんにお願いしました。 一体彼の怒りはどこから来ているのか?

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学生証
  1. お名前:李優大さん
  2. 所属:東京大学文学部歴史文化学科東洋史学専修課程4年
  3. 進路:今のところ、留学から帰った後、旧ソ連政治史を学ぶため東大大学院法学政治学研究科の入試を受ける予定。

私は、東洋史学専修課程に所属する者である。現在は、ソヴェト連邦の民族政策、ナショナリズム論を中心に学んでいる。
 
私は今、ロシアのサンクトペテルブルグにいる。
人口約500万、モスクワに次ぐロシア第二の都市である。東京大学国際本部の全学交換留学プログラムを通じて、サンクトペテルブルグ国立大学東洋学部中央アジア・コーカサス史学科に2015年9月1日から2016年6月30日まで留学することになっている。

サンクトペテルブルク国立大学(wikiより)

私の留学記が10月より東大新聞オンライン版で月に2,3本の頻度で掲載されている。これをお読みになってくだされば、私がどんな奴かは薄々ながらお分かりになると思う。

本音を言うと、東大新聞の投稿は、内容の面では結構面白いとは手前味噌ながら思っているのだけれど、新聞というメディアの特性上、どうしても泥を吐かせた魚のようなものでなければならないのであって、どちらかと言えばFACEBOOKの投稿の方が、ボクらしい毒の効いたねちっこい文章で個人的には好きなのだけれども。

このページの主と友人である関係(悪く言えばコネ)で、何か面白いことを書いてくれと言われた。曖昧な要求なので正直困っている。

このページの謳い文句を見るに、「東大生は全員つまんないガリ勉だ、って誰が言った」とある。多数の友人も賛同しているところなのだが、実際、最近の東大は二極化している気がする。昔の東大がどうだったかも、いつからが最近なのかもよく分からないのだが、そんな気がする。

要は何が言いたいかと言うと、東大では、「つまらないガリ勉」と「つまるガリ勉」との比率は、個人的な感覚として8:2くらいなのである。

これは暴言ではない。他の東大生に訊いてみると、まあだいたい同じようなことを言うはずだと確信している。因みに、東大生はガリ勉である。
「東大はガリ勉ばかりだからなあ・・・」と文句をこぼすのは、「寿司屋は魚しか出さないからなあ・・・」と言っているようなことと構造的には変わりない。

一つ問題がある。

このページでは、カルピスの原液的な「つまる」東大生を紹介するということなのだが、一体、何が「つまらなく」て何が「つまる」のかが私には判断しかねる。

自分の専門についてオタクチックな文章を書けば「つまる」のか、最近流行りのいわゆる「ぐろ~ばる」路線で攻めてみて「圧倒的成長」を遂げている様をアピールしたがる自己顕示欲だけは旺盛な「意識高い系」の人間が書くような、星占い並みにふわっとした内容の文章を書けば「つまる」のか・・・

・・・などと、「つまる」という用語の定義問題にぶつかっている時に、このページの主は私に「留学中に君はいろいろとブチギレているようで、それが面白い」とヒントを与えてくれた。

どうやら、私が留学中に怒っている様を書くと「つまる」らしい。
よって、以下のように、そうしたことに関連する説教じみた文章をこしらえた。いきなり下の文章を読むと何が何だか分かりにくいので、東大新聞オンライン版の投稿文(2015年11月11日現在、3本が掲載されている)からお読みになってから読んでいただきたく思

広告塔/一般化という悪魔の誘い

木曜日は、授業が重い。午前中に家事をしていろいろ読んだ後、12:40~14:10にタジク語、14:20~15:50にトルコ語、16:00~19:00にロシア語の授業がある。

昨晩は、上の階の愚かな西欧人どもが夜通しパーティをしていてよく眠られなかったこともあり、本当に頭が疲れる日となった。

寮に帰って共有キッチンを見ると、隣人の食器がそのままであった。連中がテーブルで音楽鑑賞をしている傍ら、私はため息をついて食器を洗う。
洗剤がなくなりそうなことに気づいた。

そこで、隣人のフランス語話者らと以下のような英語のやり取りが行われた。
「ロシアに遊びに来た」などと言っていた不勉強な彼らはロシア語を全く解さないのである。私は英語よりロシア語を能くする。私が英語をスラスラと話しているのは、ただ単に私が普段から論理武装しているからであり、自分の英会話能力は大したものではないと素直に認める。

「洗剤を明日か明後日に買ってくれないかな?」

「え、俺?俺、皿とか洗ったことないよ」

「この張り紙(「使った皿は洗え」と私が英語、ロシア語、ペルシア語で記した張り紙)を無視して、誰も洗わないから、私があなたがたの使った食器を洗わざるを得ないんだよ。おれはほとんどの皿を洗っているのに、あんたがたがおれに洗剤を買わせるというのは、アンフェアじゃないか
 
「いや、俺はそうは思わない。俺はそもそも洗わない
 
「誰も洗わなかったら誰が次にきみの使った皿を使うんだい?これらはきみだけのものじゃない。きみの言葉には全く論理がない。第一、きみらは知らないだろ、おれが毎朝ゴミ出しをして、トイレも掃除して、生活環境を維持していることを。きみらは何もしていないのですよ」

「・・・(「何言ってんだコイツ?」みたいな眼差しを私に向ける)」

まあ、寮の隣人であるフランス文化圏の連中は、以前私が散々流すなと注意したのに食べ残しを大量に流したために水道管が詰まってしまい、シンクがドブ池状態になったときも、「3日くらい経てば勝手に直るだろ」などと訳の分からないことを言って、ドブのそばで平気で飯を食える野蛮人集団なので、ある程度こうした返答は予想していた。

彼らの面を見ながら飯を食べるとまずいので、ロシア語の上手い韓国人と、日本通のベラルーシ人と、昨年自動的にロシア国籍を取得したタイムリーなクリミアの人間と、気さくなブルガリア人のいる部屋に行くことにした。

最近はこの東側同盟と夕食を共にすることが多い。彼らとロシア語で政治談議などしながら飯を食べているほうが、100万倍楽しい。
食事を終えて戻った。テーブルが片付いていた。

「あいつちょっとキレてるからやばくね?」と思ったのだろうか・・・そう思っていて欲しいのだけれど。
そして、彼らは例によって夜のネフスキー(サンクトペテルブルグの繁華街)へと去っていった。きっといつも通りナイトクラブから4時頃にタクシーに乗って大声で騒ぎながら戻ってくるのだろう。

夜のネフスキー通り

「国際経験」などというフワッとした四文字だけ引っ提げて帰国した後、異性との酒の場で中身のないしょうもない話をさも武勇伝であるかの如く語りがちなボンボン「留学生(笑)」とは正に彼らのことを云うのであろう
彼らのせいで、「フランス」に対する印象が、一般化というものの危険性は認めながらも、ますます悪化していっていると言わざるを得ない。不潔、野蛮、自分勝手、横暴という印象を、事実と合致しているかどうかに関わらず、確実に作り出してしまっている。

留学生は、ある種の広告塔である。

彼らのふるまいが、彼らを程度の差こそあれ見知った外国人の、彼らの国に対するイメージの形成に相当大きな影響を与えているというのは、認めたくはないが、認めざるを得ない事実である。

血の日曜日事件が起きた場所

国民性とかいうものは個人的には虚構と思っていて、その真実味をあまり信じたくはないのだが、それでもやはり、留学生活のなかで様々な国の人間と日夜触れ合うという異常な状況において、一般化という悪魔が私の思考のあり方に影響を与えていると認めざるを得ない。
 
例えば、先述の東側同盟での話題の俎上に上がったことだが、みな口を揃えて、それぞれの個人的な経験のなかで出会った中国人留学生は、共有空間の扱いが非常に悪い、キャンパス内で常に固まって行動し、全くロシア語は使わず常に中国語を話し、閉鎖的共同体を形成すると言う。
 
それは私の経験と照らし合わせてもあながち間違いではない。そして、現にその状況はロシアに限らず東大でも見られるし、また実際に現在留学中のある日本人が仲良くしていた中国人に「もうわれわれのコミュニティには関わらないでくれ」と言われたことも付記しておかねばならない。

血の上の救世主教会


そのようなイメージは事実とは完全には合致しないにしても、そのイメージによって生まれる「平均値」は、悲しいことに、払拭するのがかなり難しいものである
 
そして、ある国の人間に対してあるイメージを抱いている人間が、その国の人間と再び会ったとき、彼乃至は彼女がそのイメージ通りの行動をとれば、サンプル数はたとえ微微たるものであったとしても、そのイメージは更に拭い去り難いものとなる。
 
ただし、中国人の友人の名誉のために付言しておくが、私には素晴らしい中国人の友人がたくさんいるし、もちろん、地域によって習慣なども大きく異なる15億人の中国人全員がこのようなふるまいをしているとは決して考えていない。ただ、比率として、上のような人間が相対的に多いことは認めざるを得ないような気がすると言っているのである。
 
逆に、私は、例の野蛮人らにどういうイメージを植えつけているであろうか。「日本人は潔癖である」「掃除が趣味」とかいう印象を持たせているかもしれない


私たちは、海外に行ったとき、自らのふるまいにはくれぐれも気をつけなければならない。渡航先で愚かなことをしでかせば、現地の人間に悪いイメージを与えてしまい、次に来た日本人は冷遇されるかもしれない。
 
「○○人は××だ」という十把一絡げ的な思考を極めて嫌う私でさえ、外国人との生活の中で、ある国の人間に対するイメージを抱きたくなくても抱いてしまうのである。ゆえに、われわれは、海外に行くことがあれば、「次に使う人のことを考えてトイレはキレイに使おう」に近い精神でふるまわなくてはならないと思う。

住んでいる寮の近くの風景
この記事を書いた人
李優大
はじめまして! 李優大です。UmeeTのライターをやっています。よろしければ私の書いた記事を読んでいってください!
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