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東大生のメディアなら、やっぱり学問分野の凄い人たちも紹介しなきゃ!
というわけでそれぞれの分野の学問を突き詰めている東大生に、アツい思いを寄稿してもらうことにしました!
「三度の飯よりコレが好き」企画、記念すべき第一回は言語学!三度の飯より言語学が好きな教養学部の小玉さんに、その魅力を語ってもらいました!
突然ですが、言語って空気みたいなものだと思うんですよね。
言語は当たり前のように街中にあふれています。
ですが、ふだん、言語を「実感」することはどれくらいありますか?
友達と話していて、「ああ、話し言葉があるから意思疎通できるんだなぁ」と思うことありますか?
この文章を読みながら、「ああ、文字のおかげで、会ったこともない誰かの言葉が読めるんだ」と思っていますか?
そんな面倒なこと考えませんよね。
言語は空気のように、ふだんは全く気にならないんです。
でも、急に「あったことに気づかされる」のも言葉の空気らしいところです。
嫌な匂いがする時、自分が空気を吸っていたことに気づきます。言葉遣いに違和感を感じる時も、似たようなものです。
いい匂いがする時はむしろ、自分が空気を吸っていることのすばらしさを実感するかもしれません。素敵なフレーズに出会った時も、似たようなものです。
言葉の通じない外国に放り出された時なんかは、まるで空気が薄い時のように、不安で苦しい気持ちになるのではないでしょうか。
さらに言語は、これまた空気と同じように、大きな支配力も持っています。
もちろん空気がないと生きていけないのは当たり前ですが、息苦しくなくても、空気が”悪い”だけで気分が悪くなったり、頭が働かなくなったりするそうです。
言語も同じです。普通に話して読めている時だって、知らず知らずのうちにあなたは言葉に操られているかもしれないんです。
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Elizabeth F. Loftusという人の研究に、【言語による誤誘導情報効果】というものがあります。
彼女は被験者に交通事故の映像を見せ、「車がぶつかった時の速度はどれくらいだったか」と聞きました。
その質問の中で、「ぶつかる」を違う激しさを表す単語(hit < bump < coil < smash)で表現したところ、
同じ映像なのにも関わらず、より激しい単語で質問された人ほど、証言した車のスピードは速かったそうです。
窓ガラスが割れていたという人もいました。実際に映像では割れてなかったのに!
あなたの記憶も、質問の仕方によって歪められてしまうかもしれません。ちょっと怖いですね。
実は、そもそも、話す言葉によって世界の見方が変わっちゃうんじゃないか?!という意見は、言語学の中でずっと議論されてきたことなんです。
どういうことか、例えで説明しましょう。
まず、これを読んでいるあなたは、小さい時から日本語が話せるけど、全く英語は話せないとします。
一方で、そんなことありえませんが、あなたと同じ性格で、同じ生年月日に生まれ、全く同じ生き方をしてきたけれど、言葉は逆で、英語が話せて、日本語が全く話せない人がいたとします。
さぁ、あなたと、この英語を話すもう一人のあなたは、同じモノの見方をしているでしょうか?
ちなみに僕は、違う見方をしているんじゃないかなと思っています!
(ちなみにこれは、Edward Sapirという人が言い始めた【言語相対仮説】という主張です。)
さて、これまで、”言語は空気と似ている”という話をしてきました。
実は、言語学者の仕事は、その意識されづらい言語の存在をひたすら意識することから始まります。
ここが言語学の面白いところです。
身の回りにある言葉は、どんな言葉でも、深く考えてみることができます。
そしてそれは、言葉を話す人なら誰でも、やろうと思えばすぐできることなのです。
例えば、「ナカジマは嘘をついていたんだ」と誰かが言ったとしましょう。
なんてことはない一言です。
でも、言語学は、このたった一言に対してでも、あきれるほどしつこく、ツッコミを入れることができます。
ちょっと見てみましょう。
例えばまず、”ナカジマがナカシマでは無い理由”を考えることができます。
中島さんにはナカ「ジ」マさんもナカ「シ」マさんもいる。何を当たり前のことを、と思うかもしれません。
ですが、同じ「島」でも、ナガシマさんはいるけど、ナガジマさんはいませんよね。
(ナガジマさんは「長縞さん」、シマ模様が長いようにしか聞こえません!)
‘ナカ’と’シマ’が合わさると、音がにごる、これは【連濁現象】と言われています。ついつい、アボカドをアボガドと言ってしまうことがありますよね。
それと同じです。
実は、母音に挟まれた音は濁音(”バ”とか”ダ”とか)になりやすいんです。
「中島」という音の中では、「周りの音を自分の仲間にしてやろう」という力と、「単語の中で似た音ばかりになるのは不自然」という力が綱引きをしています。
「中島」がナカジマになる時は、前者の勝ちです。
実は、清音(“ハ”とか”タ”とか)から見ると、母音は濁音の仲間なので、母音によって「シ」は「ジ」に引っ張られちゃうんですね。
(ちなみに、すべての名字の中の2割は連濁しているとか!あなたの名字はいかが?)
ナカジマ問題は一旦この辺で。「ナカジマは嘘をついていたんだ」にはまだお宝が眠っていますよ。
次は、「嘘」という言葉の意味について考えみようと思います。
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簡単そうに見えて、「嘘」という言葉、考えてみるとなかなか奥が深いんです。
ふつう「嘘」と言えば、「自分の利益のために、真実とは違うことをわざと言う」ということですよね。
でも、これに当てはまらないような「嘘」はいっぱいあります。
例えば、誤って本当じゃないことを言ってしまったり、「嘘」のつもりで言ったのに本当のことだったり、そもそも相手のために本当のことを言わない時だってありますよね。
もっと言えば、「えー嘘だぁー」という時の「嘘」はどうでしょうか。「なんか嘘みたいな話」ということありますね。信じられない、くらいの意味でしょうか。
さっきの「嘘」からはずっと“離れている”ように感じませんか?
「嘘」にはたくさんの種類があります。
しかもその中には「いかにも”嘘”らしい」ものと「らしくはないけど”嘘”と言い表せる」ものまでいろいろ入っているんですね。
(ちなみに、専門用語では、【プロトタイプ】とか【家族的類似】とか言います。)
もう一度だけ、「ナカジマは嘘をついていたんだ」に戻らせてください。
最後のが一番強敵ですよ。
それは、文末の「んだ」です。一般的には「ノダ」と言います。
「え、それ?」って思いましたか?じゃ、だまされたと思って次の「ノダ」たちの役割を考えてみてくださいね。
「顔色悪いね」「ちょっと風邪ひいてんだよ」 ・・・理由?
「ちょっとお願いがあるんだけど」 ・・・前置き?
「実は来月、結婚するんだ」 ・・・告白?
「ほら、いつまでも寝てないで、さっさと支度するんだ」 ・・・命令?
「おお、君はJavaも書けるんだね」 ・・・おどろき?
「彼は犯人ではなかったんです」 ・・・探偵?
「ダメと言ったらダメなんです」 ・・・エレキテル連合?
よくある説としては、ノダは<情報付加・関連づけ>をしている、つまりは、会話の場面に不足している情報を、新たに持ってくる時に使うのだという説があります。
でもこの説明はちょっとざっくりし過ぎかもしれません。
実は、全部の「ノダ」をひっくるめて上手に説明する方法は、まだ見つかってないんです。
(もしいいアイディアを思いついたら是非教えてください!笑)
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さてみなさん、これを機に、言語という空気を”深呼吸”してみてはどうでしょうか。
ふだん使っている言葉、今、目の前にある言葉について、ちょいとツッコミを入れてみる。それが、言語学による生活の彩り方だと僕は思っています。
この記事でそんな面白みをちょっとでも感じてもらえたら、とってもうれしいです。
絵: yume kamikura