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卒業に寄せて【エッセイ・コロナ禍の大学を生きる】

2024.01.30

1月も終盤に差し掛かった授業最終日。

法学部を卒業するにあたって、駒場の法学部内定者が嫌というほど通い詰めるはずの「900番講堂」をこの目に収めたことがないまま卒業するというのは惜しいな、と思ったので、普段オンラインで受けていた駒場開講科目の最終授業に行ってみた。この3月に法学部を卒業した後は大学院に進むが、授業は全て本郷での開講になるから、駒場で授業を受けるのはこれが正真正銘最後の経験だろう。

初めての900番講堂は、広くて少し肌寒くて、本郷の法文1号館の教室とよく似ていた。必修科目でなかったこと、動画配信のある授業だったことも相まって学生も多くなくて、特筆すべきことは何もなかったのだけれど、それでも最初で最後の900番講堂での授業だからと、いつもよりちょっとだけ熱心にノートをとってみたりした。

授業を終えて、周りの2年生の若々しい会話を小耳に挟みつつ、重い外扉を開ける。外はすっかり暗い。時代錯誤社の学生と思しき誰かが何かを叫んでいる。すっかり葉が落ちた銀杏並木は寒々しく街灯に照らされていて、本郷のそれよりも明るい。ガラス張りの生協一帯から光が漏れていて、思わず引き寄せられる。夕食どきの学食はなかなかに賑わっている。購買部に入ると、店頭の「単位パン」が綺麗に1つ残らず売り切れていた。

学部生活最後の授業だった。2ヶ月後にはこの大学を卒業する。

4年前のコロナ禍始まりたてに入学して、緊急事態宣言下、いつになったら対面授業ができるのかもわからないままオンライン授業を受けていたあの頃、私たち1年生は「かわいそうな世代」として扱われた。

そんな中、新歓も満足にできていなかったUmeeTに加入した新人ライターの私には、唯一の1年生としてその世代の声を記事にすることが求められた。私自身の中にも燻っている思いがあって、それを恐る恐る文章にしたら、同世代の読者からすごく共感してもらえた。マイナスの感情を共有できることで報われた気がしたし、「仲間」が確かにいることを感じられて嬉しかった。

それから1年、2年と過ぎ、3年生の頭からはほとんどの授業が対面形式となった。もしかしたらこのままずっとオンライン授業だけで4年間を終えるんじゃないか、なんて考えていた入学当初からは想像もつかない。

あれだけ切望していた対面授業は、確かにすごく新鮮で刺激的で、ゼミで机を付き合わせてああでもないこうでもないと議論した時間は、まるで思い描いていた「東大での大学生活」みたいで嬉しかった。用もないのになんでか安田講堂を眺めてみたり、夜の総合図書館の写真を撮ってみたりしては、いやあこの大学に入れてよかったなあなんて、3年生にもなって思ってみたりした。

でも1ヶ月もすれば、たちまちオンライン授業が恋しくなった。わからないところは何度でも聞き直せる、スライドが見やすく声が聞きやすい、寝起き10分で参加できる、オンライン授業のなんと便利なことか。片道数十分の通学で削がれる体力、学食は激混みで3限開始時刻と戦いながら食べる昼食、対面とはいえ知り合いも探せない大教室での講義、対面での大学生活は嬉しいことばかりじゃない。オンライン時代に戻りたい。そりゃまあ、予想はついたことだけど。

時が経つにつれ、私を含め同世代の人たちにとって、「かわいそうな世代」であるという自認は薄れていった。それはウィズコロナ時代が終わったことの表れであって嬉しいことなのだけど、でも、どこか感情が迷子になっている自分もいた。あれだけ待ち望んでいた対面授業に少なからぬマイナスの感情を抱いている自分、対面授業の再開を手放しに喜べていない自分は、あの頃の自分に顔向けできないような気がして。

駒場生の頃の自分には、今ではもう思い出せないような大きな不安や絶望感があったのだと思う。けれど、その閉塞感を打破したいという思いからか、対面での大学生活を半ば神格化していた自分がいて、だけどそうして思い描いたキャンパスライフを、今の自分はこんなにも持て余している。

対面授業がないせいで、とか、対面授業さえあれば、とか思っていた自分は、対面授業が始まったところでさして変化もなく、あの頃のままの自分でいる。時代のせいにしていた不安感と無力感は、少し形こそ変わったけれど、依然としてのしかかってくる。

対面授業に追われる毎日はせわしなく過ぎるけれど、私はあの頃に取り残されている。「かわいそうな世代」であるというだけの理由で「仲間」の存在を感じることももうできない。本郷キャンパスでは、就活やら研究やら資格試験の勉強やら、みんなが各自の方向を向いて歩みを進めている。

思い描いたキャンパスライフと現実との差は、駒場と本郷の差によるところもあったとは思う。3年生になって以降、たまの用事で駒場を訪れると、あまりの活気に驚いて、居心地の悪さすら感じたものだ。昼休みに混み合う銀杏並木だとか、「2階」が存在する学食だとか、二体前のスペースで歌の練習をする集団だとか、私の知らない駒場の姿に勝手に疎外感を覚えた。

このまま駒場に何の思い出もなく卒業してしまうのか、と思って、4年生にして初めて、対面の駒場祭に出店した。法学部の有志で集まり、若々しい1年生に交じって売った焼き鳥は、大人気なく全力で叫び続けた甲斐もあってか中々の売れ行きだったようだ。

店頭で、「コロナ世代の4年生が青春を取り戻すためにやってます」という文言を告げるとウケがいいらしい、という現金な理由で、そんなことを叫んでみたりもした。親世代の来場者から、「かわいそうにねえ」「本当に大変だったね」なんて言っていただけたけれど、同世代からの反応は薄い。私たちがもう、自分たちを「コロナ世代」と思っていないことの表れかもしれない。

駒場祭期間中、3日間にわたり駒場じゅうを走り回って、忘れられない駒場での思い出ができた。だけどそれと同時に、なんだか疎外感を抱いていた駒場にも、実はそのあちこちに、たしかに思い出が眠っていることにも気付かされた。

雨の日にスポ身のテニスができず、代わりにフリスビーで遊んだ柔道場。隔週で対面開催だったフランス語の授業の後、駒場祭クラス企画のための話し合いをした1号館の教室。久しぶりに会った旧友と立ち話なんかしてしまうと叱られる、黙食が徹底された学食。オンライン駒場祭の日、霧雨が降って輝いて見えた銀杏並木。

駒場で「日常」こそ送れていないけれど、駒場に思い出がないと言ったら嘘になる。駒場を拠点とするサークルに複数入っていたし、空き教室に友人と集まってオンライン授業を一緒に受けたりもした。オンライン世代ながら、キャンパスライフを送りたい!!と奮闘していただけのことはある。

私はその頃の思い出を「キャンパスライフが送れなかった頃」の記憶としてカテゴライズしてしまっていた。それで必要以上に被害者意識を抱いたり、はたまたキャンパスライフへの憧れを強めることでそれを楽しみきれない自分に悩んだりしていた。だけど、あれはあれで私の「大学生活の思い出」だったんだと、卒業を控えた今になってやっと思えた。

もちろん、駒場に本当に一つも思い出がない同期がいてもおかしくない。あの頃はそういう時代だった。だけど、思い出って人それぞれ違っていて当たり前なはずだ。

3年生になって本郷で知り合った駒場祭メンバーの多くはこの3月で卒業して、それぞれの道に羽ばたいていく。

一人一人、人生のストーリーも違えば、感じ方も違っている。

でも、大学という初めての環境にひとりぼっちで放り出されたあの頃の私は、孤独の中で少しでも仲間の存在を感じたくて、必要以上に「かわいそうな世代」を自認していたのだろうと思う。そして、そんな人は私だけではなかったから、あの頃私が書いた文章に共感してくれる人がいたのかもしれない。

卒業まであと少し。4年間が本当にあっという間に感じられ、自分はどれだけ成長できたかと焦る気持ちもあるけれど、こうして銀杏並木を歩けば思い出せる記憶があることが、4年前とは確実に違う自分を感じさせてくれる。

私はもう自分のことを「かわいそうな世代」とは思っていないけれど、そうやってグルーピングせずとも、今の私にはこの大学で出会った素敵な友人たちがいる。

4年間、様々なきっかけ、様々な縁で出会った友人たちとの思い出は人それぞれ違っているけれど、その一つ一つがキャンパスの景色に紐づいているのなら、ここ駒場、そして本郷の景色を介して、友人たちと、あるいはかつて「かわいそうな世代」の一人だった顔も知らない同級生たちと、共有できる記憶がきっとあるはずだ。それってすごく素敵だ。

あれだけ閉塞感に押し込められていた頃の記憶だって、こうして振り返ればこの銀杏並木を多少なりとも色付けてくれる気がするのだから、大抵のことは案外いい思い出に昇華されてくれるのだろう。

そう考えたら、今後きっと降りかかってくる困難も、まあ何とかなる気がしてくる。何とかなってほしい。生きづらい時は、またこの銀杏並木を歩いてみようか。

悪くない大学生活だった。4年間ありがとう!

2年前、大雪の日
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