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【ジェンダーはミルクレープ?】『進化が同性愛を用意した』坂口菊恵教授に聞く、主流でないものへの愛

2023.11.19

地球の生き物には同性愛が溢れていて、人間の歴史にも常に同性愛があったことを、膨大な研究例を挙げて示した、坂口菊恵教授の『進化が同性愛を用意した: ジェンダーの生物学』。

淘汰されず残り続ける同性愛には、どんな役割があるのか。

坂口教授は、性行動は生殖のためだけではなく、性別を問わず協力するためにもあると言う。生殖以外の性行動を、人間はいつしか過小評価し始めた、と。

坂口教授の研究に通底するのは、「主流でないものへの愛」

同性愛者などLGBTQを「常識的でない」と排除するのではなく、精緻に見つめ、活躍の場を整えることが、人間が昔持っていた伝統的な智慧を活用し、社会を豊かにすることにつながるのではないか、と。

坂口教授がその結論に至った道のりを、書籍だけでなく、本人への2時間に及ぶ取材から紐解きます。まさに目から鱗。あなたの常識が大爆発します。

学生証
  1. お名前:坂口菊恵 大学改革支援・学位授与機構 研究開発部 教授
  2. 備考:東京大学 情報基盤センター 客員研究員。今年の6月、「進化が同性愛を用意した: ジェンダーの生物学」を出版された。

淘汰と選択 – 見方によって変わる仮説

──著書の中で、ある特徴が生存や生殖で不利に働くことで淘汰されていく「性淘汰」の代替として、社会的な協力で有利になる行動が選択されて残っていく「社会淘汰」という言葉がでてきました。同性間の性行動が多くの生き物に見られるのは、社会関係において必要な役割を持っているからだ、ということですよね?

生物間の関係における協力をベースに見るか、競争をベースに見るかでも見え方が違うんです。

実際には両面あって、例えば私たちの細胞や配偶子は普段、生き物として共存できるくらいの協力関係にあります。子どもを残すにしても、常にオス・メス同士が互いを出し抜こうと闘っているわけではなく、協力して育てているという面がある。それを前提に考えてもいいんじゃないかと。

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同性間性行動が社会生活において担う役割

全体をみると、それぞれの性行動が必ずしも集団の中で繁殖を目的とするものではないんです。例えばオスのイルカのペアにおいては、海の中でバディとして互いに守りあって生きていくための関係性の保障である場合があります。このような社会的な意味合いも考慮する必要があると思います。

──生物学的に個々の個体がいかに子孫を残すかの競争に目が行きがちですが、それだけではない集団における協力関係にももっとフォーカスを当ててみると。

元々、英語ではselectionという単語が使われていました。これに「淘汰」という訳を当てるとどうしても「何かを蹴落として進化する」イメージがあって。selectionが「良いものが残っていく」ことだとすると、悪いものを蹴落とすことは似ているようで少し違いますよね。

サイエンスもある意味、研究者が持っている先入観を補強して支持するようなエビデンスを集めていくことだと思うんです。元々のベースにある考え方が競争なのか協力なのかで、かなり仮説が変わってくるのでは。

──科学は公平中立な立場を守っていると思っていましたが、確かに研究者の仮説や考えはどうしても権威的な学説・定説やその時代のトレンドなど、様々なバイアスがかかっているのかもしれない…考えさせられますね。

「研究課題として何を設定するか」は研究者の持つ前提に依存する

集団の傾向として捉える性行動

本書では、多くの種でオス、メス共に性役割に流動性が確認された例を紹介しました。その中で、性行動は必ずしも子どもを残すために行われているわけではないこともわかってきました。今まで研究者たちが考えてきた、各個体の一つ一つの行為が繁殖成功度の上昇につながるとは限らず、もっと確率論的な、大きい集団で見た時の行動の傾向として捉えた方がいいと。

──なるほど…。そのような性表現の多様性・連続性から考えると、ジェンダーをどのように捉え直したら良いのでしょうか。

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「ジェンダー」はもともと生物学上の概念

現在のジェンダーとセクシュアリティの二分法を捉え直さないと説明できないことがあると考えています。例えば、あるオスの動物がメスの行動をしていたとして、実際には自分のことをメスだと自認しているのかどうかは、その動物の言葉が分からないので確認できませんよね。

──確かに!その個体自身の認識は確認のしようがない…。

ジェンダーロール「その性別としてどのような行動をするか」は、動物でも観察できます。ジェンダーアイデンティティは、その個体が自分をどのような性別を表現する者として認識しているかということで、自我同一性に関係します。いずれも「ジェンダー」として社会学的な説明に使われるのが通例になってしまったために、生物学的な観点においても性役割がさまざまな要因によって変動することが、かえって見えづらくなったきらいはあります。

これまでの神経科学が想定してきた枠組みでは、同性愛・両性愛の性的指向とトランスジェンダー間の流動性を、うまく説明できていないのが現状です。ある性別に割り当てられている性行動のバリエーションはヒトでも他の動物でも変わりうる。発達や学習も加味した上で性差を考えなければいけないんじゃないかと。一連の行動がカスケード的に決定されるというのが全てではなくて、周りの環境を見ながら自分でプログラムを組んでいかなければいけないような行動もあります。

──ジェンダーとセクシュアリティを綺麗に分けるのは難しいのですね。

ミルクレープモデルの提案

ジェンダーとセクシュアリティに関する生物学者のこれまでの認識は、丹沢あんぱんみたいな感じです。

薄皮のあんぱん

丹沢あんぱんって外側が薄皮のパンで中身にあんこがぎっしり入っているんです。要するに生物学的素因が重要なあんこの部分で、ジェンダーは単なる文化的な装飾で、ペラペラの皮の部分に過ぎないよね、という感じ。

──すごい分かりやすい喩え…(震)ジェンダーは軽視されてきたわけですね。

生物学では遺伝子や性行動のような法則的なものが「み」として重視されますが、ジェンダーについては「なんかそういうのがあるよね」程度の認識なことが多いと思います。

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ジェンダーは生物学的要因と環境要因が相互に影響し合うミルクレープ構造

結局ジェンダーってなんだろうかと整理してみると、下図のようなモデルになると思っていて。

モデル図

性的指向と性別違和は別々に語られ、このように並べて議論することは避けられてきました。

セクシュアリティとジェンダーアイデンティティの関係性ですが、ミソは子どもの頃の性役割行動(ジェンダー・ロール)と大人になった後の性別違和を分けて2段階で考えることです。

子どもの性役割行動が自身の割り当てられた性と異なった場合、例えば女児のような行動を示した男児は、その多くは大人になると左側のセクシュアリティの多様性を示すことになります。その他、大人になった際に右側のジェンダーアイデンティティに違和を持つ人もいます。

また両者ははっきり別のものではなく、社会や環境要因によって相互に影響しあいます。生物学的な素因は、それらを取り巻く社会や環境とミルクレープのように層状になって影響し合うようなもので、切り離して考えることはできないのです。

──生物学的要因はアンコのように塊で社会・環境要因と独立であるわけではなくて、ミルクレープのクリームと生地のように層状に存在しており、相互に絶えず影響を及ぼし合っているということですね。

ミルクレープ:
皮とクリームが相互に重なる

 

坂口教授を分野を越えた研究に導いた、「主流じゃないものを愛す」価値観

──ジェンダーの生物学のように、様々な分野を越境した新しい研究を行うようになったきっかけはありますか?

これに限らず、今の研究者が関心を持っていること以外にも目配りしておかないといけないと感じていて。アカデミアで取り上げていないと、自分たちは本当の歴史を、本当の世の中を知っている!というカルトや陰謀論の暗躍を野放しにする事態にもつながると危惧しています。分野を横断した教養はどんどん無くなってきているけれども、やっぱり大事だと思います。

──坂口教授の研究では、人文社会学的な視点が濃く投影されていると感じます。周りの理系学生は自身の専門分野に特化している学生が多いので気になって…。

──言葉が適切かはわからないですが、サブカル的な感じがします。花形の研究分野に一直線というよりは、主流でないものへの愛、のような…。

自分が主流じゃないから。家出上京人なので、家から追い出されているような東大生には大変シンパシーを感じてました笑。そもそも、私たちの世代だと女性で地方から東京の大学に行くとか、専門職に就こうとすること自体が「主流じゃない」特殊事例だったので。

研究自体は、このような分野横断的な研究手法は進化心理学や文化人類学では割と常套手段なんです。

最近流行りのマインドフルネスも、伝統文化の智慧を現代科学に導入した好例です。

しばらく前に、ストレスマネジメントに使えるかもしれないと仏教やヨーガを学んだ北米の研究者が神経科学にマインドフルネスを導入したことで、アメリカで爆発的に広がりました。今や日本人よりもよっぽどアメリカ人の方が禅をやっているくらいに。

今、イーロンマスクさんが脳に電極を埋めこんで人間の頭をパワーアップさせようとしているんですけど、昔だったら例えば瞑想をすることでそれと同じようなことをやっていたわけです。

私も実は、東大にいるときに脳波計いっぱい買って頭につけさして、東大生を秀才から天才にしよう!って一生懸命やってたんだけど。

──そうだったんですか?!そんな魔改造しようとしてたんだ…

人間の頭をパワーアップ(こわい)

インスピレーションが空から湧いてくるような東大生にしようと思ったの。

──やべ〜〜笑

でも、そういう脳に磁気をかけるとか脳波計を頭に巻いてっていうのを毎回の勉強の時にはできないでしょ。そう考えたら、神社にお参りに行くとか、瞑想するとか滝行するとか…。頭をパワーアップさせる方法って昔からあるよねと。毎回脳波計のバンドつけなくてもいんじゃね?って思って。

──人文社会系、自然科学系の両方の視点を持つ先生ならではの発想ですね。被験者側としては結論に落ち着いてよかったです…笑。本日はありがとうございました! 

***

ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました!いかがだったでしょうか?

科学、ジェンダー、マインドフルネスなどなど盛りだくさんの濃いインタビューで、一理系学生として、自身の研究と社会学的なつながりについても改めて考えさせられました。質問ひとつとってもエピソードや話題の広がりと深さが凄まじく、楽しくお話を聞かせていただきました。坂口先生、本当にありがとうございました。

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