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混沌とエネルギーの渦巻く巨大国家・中国へ。非欧米留学のススメ【中国・南京】

2016.03.27

こんにちは。教養学部文化人類学コース4年の久光です。僕は先学期の1学期間、中国は南京大学へ留学してきました。今回は、英語圏でもヨーロッパの国々でもない、中国留学の魅力についてお伝えしたいと思います。

学生証
  1. お名前:久光陽太
  2. 所属:教養学部文化人類学専攻

どうして中国へ?


何故留学したかというと、ひとことでいえば「留学したさが募ったから」です。……身も蓋もない話ですが、留学生募集のポスターを見た瞬間、ぱっと何かがはじけ飛んで、その日のうちに留学を決めました。
理屈を考えると、学生生活やり残した感を抱えつつ就活シーズンを目前に進路選択に悩む中、留学はその「やり残した感」をとってくれると思ったからです。
そして、もともと旅行好きで、よその土地へ行ってそこの生活にどっぷりつかりながら見聞きするのが好きでした。留学は中国にどっぷりつかる最高の機会でした。
 
留学先を中国にしたのは、中国語という語学を通じて中国への思いが強まったためです。
僕の通った中高一貫校には面白い制度があり、中国語を学校で勉強し、機会に恵まれ、北京にも2か月ほど留学しました。大学の語学は、その都合もあって既習中国語を選択したのですが、それにより入ることになったインタークラスには中国のバックグラウンドを持つ同級生が多く、大きな刺激を受けました。
そうした経緯から、いつかもう一度中国に留学して、中国語を磨き、現地のことを深く知りたいという意欲を持っていました。
 
留学前に設定した留学の目的は三つです。
第一には、中国という場所に身を置き、現地の人と交流することで現地の人がどのように生活し、どのような考えを持っているか、現地事情への理解を深めること。
第二には、中国語の語学力を向上すること。
第三には、専攻の文化人類学の中国における研究の様子を知ること。
留学を終えた今振り返ると、どれも十分に取り組めたかなと思います。
 

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南京の留学生活事情

南京(wikipediaより)


僕が留学先に選んだ南京というまちは、日本でも名前だけはある意味よく知られていますが、上海から高速鉄道で1時間半ほどのところにあります。古都だけに史跡も多く、東京ほど混んでおらずすごしやすいところでした。
加えて、北京や上海といった第一級の都市と比べると日本人も段違いに少なく、必然的に中国語が上達する環境がありました。

南京大学の図書館


中国の大学は基本的に全寮制なので、僕もキャンパス内の留学生寮に住むことになりました。僕の部屋は二人部屋で、ルームメイトは中国語がほぼネイティブの韓国人のナイスガイでした。
南京大学では週1で中国語の勉強をしつつ、主には中国語で行われる文化人類学などの授業を、現地の学部生と一緒に履修していました。学期が始まってすぐのころはぜんぜん聞き取れず、スライドの文字を模写する日々が続き、ついていけるか不安でしたが、しばらくすると自分でも驚くほどのスピードでリスニング力が上がり、学期終盤にはおおよそ聞き取れるようになったのは、よいショック療法だったかなと思います(笑)。
週末は「旅行協会」というサークルの活動にも参加していました。あちらのサークルは全体的に日本のサークルよりメンバーの固定性が低いようで、「旅行協会」も数人の幹部メンバーが、数週間に一度イベントを企画して、一般学生から広く参加者を募るという形をとっていました。
この他に、南京大学では学部に文化人類学の専攻がないので、空きコマには大学院の文化人類学の授業を聴講させてもらっていました。ほかの授業と比べて少人数ということもあり、結局一番仲良くなれたのはここで出会った人たちだったように思います。

南京郊外を流れる長江

南京は危なくなかったの?

「南京」

率直に言って、多くの日本人が「南京」と聞いて最初に思い浮かぶのは、やはり南京大虐殺でしょう。「南京へ行っていました」というと、日本・中国問わずよく聞かれたのが、「南京って日本人が行って大丈夫なの?」という質問でした。

結論からいえば、勿論大丈夫ですし、かたく身構える必要はないと思います。たしかに、やはり土地柄、過去の出来事と向き合うことからは逃れられません。授業や会話の中で、南京大虐殺に話が及ぶことはあります。
当時の建物は意外に残っていますし、市内の地理感覚をつかんだあと、「○○(市内のどこか)では何がおこった」と聞けば、やはりその事実は重みがあります。特に世代が上になるほど、つらい記憶や、日本に対する負の感情はあるようです。日本国籍を持つ一人として、かつて起こったことには真摯に向き合いたいと思っています。
 
しかし、少なくとも僕に関していえば、街を歩いていて嫌な思いをするということはありませんでした。それどころか、街の人に良くしてもらったこと、楽しかった記憶でいっぱいです。留学中、中国の友達に「中国の南京は日本でいうところの広島だよ」と言われたことがありましたが、そうだなと思いました。
南京は、一面では特殊な意味のある街ですが、同時に、現代中国の普通の街でもあります。南京にも他の街と同じように、日本のアニメを見て育ち、「日本が好き」といってくる若者も多い。
過去のこと、今のことに関わらず、我々はとかく、よく知らないことについて単純明快なストーリーを求めてしまいがちです。しかし、現実はそう簡単ではない。中国での5か月は、そうした単純なストーリーを壊してくれる出来事の連続でした。必要なのは、そうした単純なストーリーを超えて、自分の言葉で何かを語れるようにすることだと思います。そして、そういうことについて特に深く考えさせてくれるという意味でも、南京は留学するのによい土地なのでは? と思います。

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中国へ行くことの楽しみ


中国という国は、近くて関係の深い分、日本国内で手に入る情報も多いけれども、その情報はある種のステレオタイプ的なところに収束してしまう傾向があると思います。現地に飛び込んで新しいことを知れば知るほど、そうした一面的な言説の裏にある、それだけでは捉えきれないものが見えてくる。そこに、中国を知る楽しさがあると思います。 (余談ですが、南京出身で東大に留学していた張予思氏と開沼博氏のこの対談は面白かったです。)
日本では、中国に対して否定的な情報が目に付きやすい傾向にあります。日本で中国に関する報道といえば、「反日」か「軍事的脅威」、そうでなければ「経済の失速」「深刻な大気汚染」「爆発事故」「少数民族の弾圧」「不衛生なトイレ」「人々のマナーの悪さ」といった負の側面をとりあげたものが多いと感じます。最近の「爆買い」報道も、ともすれば中国人観光客を成金としてあざ笑うような風潮がありました。こういった報道に接し、「ああよかった、中国はまだ遅れている」「日本はまだマシだ」というふうに思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし、それでは何か大事なものを見落とす可能性がある、と僕は思います。上にあげたようなキーワードは、確かに現代中国の一側面を表してはいるでしょう。しかし、それが全部ではない。
意外に思うかもしれませんが、いまや中国の方が日本より進んでいると思うところも少なくありません。たとえばオンライン決済。今や、南京では誰もがスマホにアリペイ(支付宝)という決済アプリを入れており、これを使えば切符の購入から、公共料金の支払い、街の食堂でのお会計、個人間の金のやりとり まで、全て指一本で済ませられます。企業を見ても、シャオミ(小米)の企業価値はいまやソニーを抜いたとまで言われる。(この記事に詳しい。)街中に行けば、「こんな高いもの、誰が買うんだ」というほど高額なブランド品が、当たり前に並んでいる。
確かに中国は発展途上国で、経済発展のゆがみや、一党支配の弊害による深刻な問題を抱えています。しかし同時に、中国は経済大国で、日々何かが変わり続けている国で、何よりも先に、13億人以上の人の日々の暮らしがある。
その多面性を知ることが、中国へ行くことの楽しみだと思います。そして、海を隔ててすぐ隣に住む私たちとしては、それをもっと知らなければならない、と思うのですが、いかがでしょうか。

中国は多様である

雲南省麗江のある村


今回の留学で改めて認識したのが、中国国内の多様性です。どの街でも同じ社会主義的アパート群や、金太郎飴式の観光開発などで、一見どこでも大して変わらなく見える中国国内ですが、今回の留学期間中に色々な所へ出かけたり、色々な人の話を聞いたりしていくと、中国国内各地のローカルなもの(言語、食事、人々の生活…)の多様性は、実際のところヨーロッパ州に勝るとも劣らないのではないかと思うようになりました。ヨーロッパ州と同じくらいの広さの土地に、ものすごく多様な人々が生活していて、それぞれにそれぞれの当たり前がある。しかもただ単に多様なだけではなくて、それが巨大国家の枠組みのなかで、ダイナミックに交錯しているわけです。
例えば方言差。「広東語」「上海語」といった地方語は日本でも有名ですが、中国の方言差はなかなか激しくて、南京周辺の場合、同じ「市」のなかでも言葉が通じないことが多々あるようです。当然、少数民族地区に行けば中国語ではない言葉を話す人たちも多い。1月に雲南省の村にあるナシ族の友人の実家に1週間ほどお邪魔したのですが、かの地では中国語とは全く別言語の「ナシ語」をしゃべっている。それも、民族混住地域でチベット族なども多いので、隣り合う地域で違う言語を使っていたりする。そうした場所でも、学校の授業は小学校から中国語で行っている。
次に生活の差。南京の周りを見るだけでも、地下鉄が走り高層ビルが林立する南京都心の暮らしは、日本の大都市とそれほど大差ない。でも、そこからたった70㎞の農村へ行けば、三輪電動バイクが幅をきかせていて、街に出稼ぎの若者を送り出している。村と街の習慣も大きく違うから、例えば最近中国で話題になったようですが、その人たちが村での習慣をそのまま上海に持っていって、電車の中でヒマワリの種を噛んで殻を床に捨てたりすると、ネットに晒し上げられ、批判される。
こうした多様な現状は、あるものは少数民族問題として語られるものかもしれないし、あるものは都市農村格差の問題として語ることもできるものでしょう。「農村は遅れている」「少数民族地区は貧しい」、こうしたステレオタイプ的言説は、中国の大都市でもよく聞かれますし、実際に大きな政策課題になっています。でも、それだけでは片付かないこともあって、例えば友人の実家近くのナシ族地区では観光開発が進み、大きなお金を手にする人もいるようです。しかし、観光の担い手が必ずしも地元民族の人でないこと、ヨソから来た彼らが地元のイメージを勝手に作り出して商売をしていることなど、また別の問題が生まれている。
色々な人々が、一つの国としての歴史を共有していて、一つの体制の下で、ダイナミックに、複雑に、混淆して、さまざまな社会現象をおりなしている。それによって発生している問題ももちろんあるけれども、そうした場所の複雑な現実を少しずつ知っていくのが、中国を知る面白みだと思います。

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まとめ~非欧米留学のススメ~


最後に、留学といえば英語圏の国々やヨーロッパ、というのが定番だと思いますが、僕はそれ以外の国に行くことも、意義のあることだと思います。
大きいのは、その国・その地域の論理で世界を見ることができるようになること。我々が当たり前だと思っている概念、あるいは、欧米先進諸国で唱えられていて、普遍的だと思われている概念も、例えば発展途上国であり人口大国で、政治体制も違う中国に行ってみると、全然そうでなかったりします。その土地にはその土地なりの事情があって、我々にとって当然のことが、決して当たり前でないことに気づかせてくれる。「周縁」からこそ、見えるものがある。そういうとき、僕は一番面白いなと思います。
留学の醍醐味とは、自分の「当たり前」が崩されることだと思います。そうだとしたら、「世界のルールを作っている方」もいいですが、もしかしたら「背景が違うのにそのルールを適用される方」を見た方が、面白いものが見えてくるのではないでしょうか。これを読んだあなたも、是非中国へ!

この記事を書いた人
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久光 陽太
はじめまして! 久光 陽太です。UmeeTのライターをやっています。よろしければ私の書いた記事を読んでいってください!
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