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自覚のない無関心と不寛容〜フロリダ銃乱射事件によせて

2016.06.28

2015年はLGBTにとって記念すべき年だった。

アメリカでは全州で同性婚が認められた。Facebookのプロフィール画像が一気に虹色で埋め尽くされたのを覚えているだろうか。

時系列は前後するが、ベトナムで、ルクセンブルクで、スコットランドで、アイルランドで、同性婚が合法になった。日本や台湾でも、同姓カップルに社会的地位を与えようとする地域が現れた。

そんな中2016年に起きた、フロリダの銃乱射事件。

犯人は乱闘の中で死亡し、動機は解明されていない。ただ、宗教か信条か、当事者か否かはわからないにしろ、ゲイのコミュニティに何らかの負の感情を持っていた、これは確かだろう。

僕は素直に、どうして、と思った。

ジェンダーの問題についてはよく母と話し合っていたし、自主的な勉強会にも参加しているとあって、以前からこのような問題について考える機会は多かった。

それでもなお、LGBT関連のヘイトクライムについて考えるとき、僕は言いようのない違和感を覚えるのだ。今回はこの違和感を少しでも、ときほぐすつもりでいる。

LGBTは「少数」なのか

電通の2015年の調査では、日本にもLGBT(ここでは「体と心の性が同じで性的指向が異性」ではない人)だと言う人は7.6%にのぼった。すると13人に1人がLGBTなわけで、30人クラスなら2人はいる計算になる。人口にして約970万人。これは左利きの人やAB型の「大体10%」という数字に近く、LGBTだと回答していない人もいる可能性を考えれば、おそらく1千万人(7.9%)になるかもしれない。1千万人といえば、人口第2位の神奈川県よりも多い。

なぜここでくどくどと数字の話をしているかというと、僕たちの多くはまだ周りにそういった人たちがいないと思っているからだ。左利きの人やAB型の人たちと同じくらいには身近なのだということを、まず知ってほしい。

昔は左利きの人は世界でも宗教上の理由で差別されていたし、日本でも「ぎっちょ」だとか差別的な呼び方をされて「矯正」させられることが多かった。右利きの方が多いから、今でも左利きの人は少し生きにくい。だが彼らはもう差別されてはいないし、当たり前のように左利きのまま生活できる。

AB型の人だって日本では特殊な性格だと「いじり」を受けるが(これは血縁という名目が振りかざされたホロコーストの過去を持つヨーロッパの一部ではタブーだ)、差別は受けない。

カムアウトはなぜリスクを持つのか

カムアウト、という言葉がある。いくつか用法はあるが、LGBTにとっては自分が性的マイノリティーであると周囲に明らかにすることを指す。

カムアウトすると周りと軋轢を生む可能性や、不当に掌を返したような態度を取る人や企業は残念ながらないとはいえない。でも、おかしな話じゃないか?カムアウトするまでそう悪くはない関係を築いていたのなら、なぜその人が実は自分と違う指向を持っているからって拒絶するんだろう。友人が「俺は実は人間しか食べれない」とかいうなら話は違うが、大抵の個人の嗜好(指向)はその人の人格を否定できるほど要素として大きな比率を占めていない。

だいたい、もし性的指向が人格や能力に関わるなら、「ストレート」なのに人格や能力に問題のある人がいることに説明がつかない。アップルの現CEOや何人もの著名人が自身がLGBTであることをカムアウトした。日本でも衆道など、同性愛的な行為が慣習として社会的に認められていた。有能な武将も例に漏れない。LGBTの人々の人格や能力が僕たちと違うなんて言説は科学的に証明できない。男女で傾向はあれど人格や能力(身体的でない)に明白で有意な差がないのと同じだ。

差別の理由が「だって珍しく」て「“ヘン”だから」というのは、理屈にならないのだ。だって、LGBTはちっとも珍しくないのだから。そしてヘンなのは、「誰を好きになるか」がその人の全人格を左右するかのように決めつけてしまう人たちの方なのだから。

もっと言うなら、この問題はジェンダーの問題である以前に、文化の問題であり、人権の問題であり、ぼくたちの社会の問題なのだ。

つまり、社会で暮らす誰もに関係していることなのだ。

アメリカの話に戻る。

「自由の国」アメリカ

「自由の国」アメリカ

ハーヴェイ・ミルク、という人がいる。

サンフランシスコで地域初のゲイの商店主としてカメラを販売し、コミュニティ活動家であった彼は、1970年代、ゲイであることを明らかにした人としてカリフォルニア州初の市政執行委員となった。彼は、少数派からの支持の高い新市長マスコーニ氏による選挙制度改革という後援も得て、4度目にして当選を勝ち取った。そして同性愛をめぐる政治的意見などでしばしば対立したダン・ホワイト委員の凶弾に倒れた。

ミルクは現在まで続くゲイ・パレードを始めた人物でもある。右は本人で、左はアカデミー賞にノミネートされ、脚本賞を得た映画”Milk”(’08)から。ショーン・ペンは主演男優賞。

ミルクは現在まで続くゲイ・パレードを始めた人物でもある。右は本人で、左はアカデミー賞にノミネートされ、脚本賞を得た映画”Milk”(’08)から。ショーン・ペンは主演男優賞。

ミルクはパレードや選挙活動の中で「カムアウトしよう」と呼びかけた。それは今まで周囲にひた隠しにし続けていたかもしれない「自分はゲイ(ないしLGBT)である」ことを告白することを促す強いメッセージだ。個人の「秘密」を明かすかどうかは個人の自由だが、ミルクが敢えてそれを「カムアウト」すべきだと社会に対して発信したことにはどのような社会的意義があるからなのだろうか。

僕は、自分が「多数派」であることにすら気づいていない人々にも身近な問題として考えてもらうきっかけになると思っている。もちろん、個人のプライバシーを利他的に、自己犠牲的に利用するということではない。隠さなければならないという状況は、人を勝手に罪悪感に駆り立てる。そうではないことを伝え、社会的に黙殺されてきた人々に「明日への希望」を与え、その結果として周りも性的多様性について考えるようになることを期待しているのではないだろうか。

自分の中に残る偏見はないか

ここまでかなり説教じみたことを並べてしまった。だがここ10数年の性的多様性に向けた世界のトレンドと、今回の事件をきっかけに、もっと多くの人が自分なりの性的な生について考えてくれればいいと思っている。そして、クサいきれいごとなのかもしれないが、少しでもこの世界が「誰にとっても生きやすい」ものになればいいと思っている。

さて、私は異性愛者の女性である。

最後にひとつ、あなたの中でこの記事全体の印象は変わっただろうか。

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