芥川賞……
言わずと知れた新人文学賞で、数ある文学賞の中でもその知名度は日本一レベル。昨年はピース又吉さんの『火花』が受賞したことでも話題となりました。毎年受賞作はメディアでも大きく取り上げられています。
でも思ったんです。受賞作以外の作品って意外と読んだことないなって。
そして思ったんです。受賞作発表の前に勝手に俺らが選んじゃおうって。
という訳で
芥川賞、勝手に選びました
今回は100%勝手に行った選考会の結果を、そのコメントともに発表します!!!
何はともあれまずは候補となっている5作品を紹介しましょう。
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ではさっそく受賞作品の発表です!!!
…と言いたいところなのですが、ここで選考方法を簡単に説明しましょう。
(東大文学研究会の2人によると、以上のプロセスが実際の選考を再現したものだそうです。細部にまでこだわります。)
以上の方法で受賞作品を選びました。しかしなんと最初の投票結果では、
3作同時受賞!!!!(めでたい)
vとなってしまったのでもう一度決戦投票を行ったところ、
「ジニのパズル」「美しい距離」の2作に決定しました!!!!(やっぱり同率1位だった)
それではそれぞれの受賞作品について、簡単なあらすじと各参加者のコメントをご覧ください。まずは「ジニのパズル」からどうぞ。
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在日朝鮮人で、現在オレゴンの高校生である少女ジニは、東京、ハワイ、オレゴンとその10代をたらい回しにされるかのように過ごしてきた。彼女が東京の朝鮮人学校に通っていた頃のことを、まるでパズルのように様々な記憶の断片として回想していく様を描いた作品。
僕は本作を推した。これほどの傑作に出会えたことに、感謝せずにはいられない。現代日本文学、あるいは僕らの社会や精神世界が陥っている、内的な閉塞感や短絡的なヒューマニズムを、この作者は「ジニ」という少女の繊細かつ大胆な物語を通して安々と克服している。瞠目すべき才能と呼ぶしかない。小説は幼稚な少女の視点で語られ、少女の視点のまま終わる。それがいったい何の瑕瑾になるのか。繊弱な、あるいは鋭敏なこの感性こそが、この小説に国境を越えていく無涯無辺な抒情性を与えているのである。 選考の際、他の方から、「空が落ちてくる」というストーリーの安っぽさ、またこの小説が扱っている民族的・政治的問題ゆえに文学としての純粋な評価が下せない、という指摘を拝聴した。前者については、おそらく小説の欠点であると同時に魅力であるかもしれず、この中編小説の細かなディテールが「空を受け入れる」という言葉に信憑性を付与していると感じたが、読者の視点に委ねられるべき議論であろう。後者の指摘については、まったく無用だ。無理に政治的メッセージを押し付けるのが文学の試みではなく、またこの作品の意図でもない。本作が、純粋な感動の現場に即して読まれることを、切に願っている。
一読したときは単純にあまり面白いとは思わなかった。もしこれが手記だとしたら面白いが、文学的価値はあるのだろうかと。しかしさだひさくんの「まだ大人になっていない語り手による回想」という解説を聞いてから読み返すと、たしかに違う角度から読むことが出来た。その意味では「キャッチャーインザライ」ような青春小説の要素も感じることが出来るし、題材の珍しさはあってもその描き方はある意味古典的な方向で完成された作品だと感じる。最後に救いがあるのもとても良かった。
主人公の若さゆえの勢いと、テーマのインパクト、作者の作品への情熱が相まって、五作の中で最も熱量のある作品となっていた。全体を通し最大熱量を持ったのは「転」であり、「結」は一転して少女の自己存在の消化にフォーカスが当てられる。これに、導入部分のストーリーの切れ端、主人公の中での散逸した思考が「革命」として具現化する箇所などの「パズル」のような重層的な構造とが、ある少女の(淡い)「パズル」が作りあげられる過程を色鮮やかに描き出している。表現や接続に荒い部分も垣間見えるにせよ、その勢いを見事にまとめきった力作である。
言語・国籍・人種による分断をベースに、常に「共同体のはずれもの」として生きてきた主人公ジニの困難、そして私たちが生きる世界の暴力性が、詳細に、丁寧に描かれている。また物語の舞台となる場が興味深く、本作の強みの一つになっている。この作品が日本において発表されること自体も、作品の意味を豊かさにしている。物語を「パズル」的に語る構成が珍しい。この、ある種混乱した手法でしか自らの過去を語れない(自らの過去を再編集できない)という事実が、告白の構造を持つ本作に、より強いリアリティを与えている。一方で、「苦悩した主人公が何らかの体験を通してそれを乗り越える」という物語の流れはステレオタイプな「純文学」の型に納まってしまった印象があり、また文章に不自然な個所が散見されるというマイナスの点も見逃せない。しかし、新人の賞である芥川賞においては十分な力を持った作品であると考えた。
文章の構成からして目を引く作品でした。内容が細かく章立てられ、一つ一つに題名がつけられている書き方に始めは少し驚きましたが、読み進めていくうちにその意図が徐々に見えるようになり、手紙形式の文章が挿入されているのを見たときには、思わず「うまい!」とうなりました。また、はっきりと主人公ジニが「救われる」様子が描かれているので、さわやかな読後感を味わうことが出来ます。多少青臭く、展開が読みやすいような表現も多いのですが、全体として見たときには非常にまとまっていたといえます。
続いて「美しい距離」についてのコメントです。
不治の病に冒され、残り幾ばくも無い余生を病院のベッドで過ごす妻とその周囲の人間との交流を、夫の一人称の視点から描いた作品。
今回の候補作の中で、個人的に一番推したのがこの作品です。他の方からも出てきた感想としては、とにかく描写が丁寧かつきれいで、他作品に比べると粗が目立たないというのが多かったです。内容としても「闘病」「死」といった、とりたてて新しくもないテーマだったことから、ある意味、候補作の中で一番保守的な作品だったといえます。保守的であることは一見マイナスに見えるかもしれませんが、その普遍的テーマであるからこそ、読者側としてはある意味読みやすく、描写のリアルさ・丁寧さから、親族の死を経験したことのある方・ある一定の年代の方は、グッと引き込まれると思います。また、「美しい距離」という題名と内容の親和性が高く、文中にも「距離」を意識した描写が多いことから、納得感も生まれます。あえて「粗」をあげるとすると、冒頭と末尾の惑星の話はあまり必要ではないのではないか、妻の父と「私」の関わりがもう少しあってもよかったのではないか、などでしょう。惑星の話は確かに、よくまとまった文章の中において、異物感がありましたし、「私」と妻の出会いのきっかけである妻の父(「私」の元上司)が、妻の闘病中にほぼ出てこなかったのは不自然ではありました。とは言いつつも、やはり全体を通してみたときに、非常に大きな瑕疵とは言えないため、「美しい距離」という題名に相応しい「美しい」文章でした。
現代における闘病や介護、葬式といった場面における人間の心の動きを、ここまで精密に、丁寧に描写した作品にははじめて出会った気がする。「距離」という概念を用いて、死んでいく人間と残される人間、その周りの人間たちの関係性を描いていたのは見事だった。ただ、ところどころ見受けられた制度について説明的文章が長く続くような箇所の解釈や、「私の感受性の問題」という考え方をこちらがいらいらしてくるくらい多用してくる主人公をどう捉えるべきなのかについてはよく分からなかった。
力作であり、完成度も高く、作者の筆力に感嘆してしまう。介護の問題、それも恋愛という感情がおそらく弱まる年頃にある夫婦間の「美しい距離」を、リアリティーをもって描き切っている。 が、いくつか不満もある。冒頭とラストの、惑星やエントロビーといった文章は不要であると思った。また、「ぷちんぷちん」など多用される擬音語や、来客者との煮詰まっていない描写など、題材に見合う切迫した文体を獲得していない。最も疑問に思ったのが、主人公の妻への献身的な愛の根源が何たるか、また、くしくも五候補作すべてが一人称小説でありすべての候補作に通じることだが、「私」という主体に個性が与えられていないことである。
死という普遍的な事象を扱いながらも、「死に行く人に向き合う人」を通して、様々な人間間の「距離感」について扱っている。扱う事象に引きずられない、現代的なテーマ選定と言えよう。時間と状況の不可変な流れに伴うそれぞれの心の揺らぎや変化、それらに丁寧に寄り添い、ナチュラルに描き出している。そういったひとつひとつの掬い上げ方、その背景に見える観察眼は、五作の中で群を抜いて光っていた。欲を言えば、読者と作品の間の距離を更につめて、それぞれの登場人物にもう少しリアルな人間性を描き出してほしかった。
夫婦、家族、仕事仲間、義父母、担当医、看護師、要介護認定調査員、そして生者、死者……。さまざまな人と人の「距離」を見つめながら、主人公は妻の死に向き合い、静謐にそれを受け入れる「美しい距離」に近づいていく。その過程は細部に至るまで丁寧に描かれ、「愛する人の死」という誰の身にも起こる大切な出来事を真正面から捉えている。語られるエピソードはどれも、妻の死に向き合う主人公の生々しい実体としてのまなざしを感じさせる。テーマが普遍的であるために強烈な「目新しさ」のようなものはないが、むしろそういった「目新しい」手法では到達するのが困難な精緻さの作品であり、受賞に足る力作だと考える。
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以上、受賞作品について各選考員からのコメントでした。ここからは惜しくも受賞に至らなかった3作品について、特にその作品を推していた選考員のコメントを載せていきます。
幼いころから「普通」が分からず、大学生の頃ようやくその行動のすべてがマニュアル化されたコンビニ店員という存在に居場所を見つけ、それから18年間ずっとそのアルバイトを続けている主人公の狂気を描いた作品。
現代版『人間失格』といっても過言ではない作品だと思った。「普通」が何なのか分からず、周りの人間とのズレを感じる主人公。あまりにも極端に狂っている人格を描くことで、逆に日々誰もが感じている漠然とした不安感や疎外感のようなものを描き出すその様は、まさに太宰治の『人間失格』である。周囲の人間の話し方が混ざって自分の話し方になるという感じ方や、現代でも人間は縄文時代と同じようなムラ社会に生きているに過ぎないといった指摘にはハッとさせられる。またこのようなタイプの作品は、「コンビニ人間」というテーマ設定やプロットだけでなく、圧倒的な書き切る力がなければ台無しになってしまうため、その点も評価したいと思った。一方で、語り手と主人公の性格との乖離があるのではないか(ここまで狂っているのにこんな冷静な分析が出来るのか)という疑問や、「白羽さん」というキャラクターの解釈の仕方が分からないという指摘も挙がった。特に後者については自分も最後まで捉えきれず、また彼の発言が説明的にすぎるのではないかという印象も受けた。受賞2作の評価が高くそれに押される形もあって受賞には至らなかったが、優れた作品であることには間違いない。
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高熱を出して意識を取り戻さなくなってしまった娘とバラバラになりつつあるその家族を、看病する父親の一人称の視点から描いた作品。
随所に技術の巧みさが見え、その高さは五作の中でも一番といっても過言ではない。幼い娘を通して自己や他人、妻との在りかたを捉え見つめなおすその流れは、登場人物を少ない描写で的確に描き出すその技量もあって、終始主人公の思索という視点に留まっていても狭さを感じさせなかった。しかし分量の少なさゆえに、他の候補作に比べて作品としての熱量にやや欠け、技量でまとめきってしまった印象を受けた。現代性に欠けるという指摘もあった。是非次回作に期待したい。
あひるを飼い始めたことでだんだんと自宅の庭先に子供が集まるようになり、その子供たちとの交流を楽しみ始める老夫婦の姿を娘の視点から描いた作品。
分量が短いことや、主人公の描かれ方に違和感があるなどの理由から受賞作とはしなかった。しかし、後者の理由はむしろ、この小説の精巧さの表れではないかという考えも提示された。つまり、主人公による語りが絶妙に抑制されていて、作品の随所にかすかな違和感を散りばめているのではないかという考えである。例えば、父母の主人公に対する距離が挙げられる。何の問題もない親子のように語りながら、ところどころに突き放すような態度が表れている。また例えば、主人公の小学生たちへのまなざし。少なからず好意的に語っていると見せかけて、彼女自身から子供たちに接触を試みたことはない。巧みに操作された語りの結果として、主人公の像が違和感のあるものに読めたとすれば、それは語り手の術中にはまっていたことになる。なにより分量の少なさに注目して、「芥川賞を受賞できるか」という点における評価は低かったのであるが、物語の可能性を豊かに残しながら進むその語りは見事に組み立てられており、間違いなく素晴らしい短編である。
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以上、各作品についてのコメントでした。正直、どの作品もすごく良かったです。芥川賞といっても、読むとしたらせいぜい受賞作品が単行本化されてからという方がほとんどではないでしょうか。今回の候補作のうち、「あひる」が収録されている『たべるのがおそい vol.1』以外はすべて大学の図書館に行けば読むことが可能です。今回の記事を読んで気になった方は是非、(本当の)受賞作品以外も読んでみてください。