東大生がみた、福島第一原子力発電所のいま。

2016.07.07

UmeeT編集部

東日本大震災から5年を過ぎた今。

この5年間、多くの東大生が『被災地』と関わってきただろう。筆者もその一人である。

高校生の時、自分が進路を決めるちょうどその最中という人生の節目。

人の日常が、暮らしが、幸せが一瞬にしても脆く崩れてしまうのを目の当たりにしたあの日から『人が幸せに暮らし続けられる社会』って何なんだろう。と考えてきた。

そして、高校生のあの時の無力感が、大学生になった筆者が『被災地』と関わる源泉となっていた。

ただそんな筆者でも、どうしても、立ち入ることが難しい、もしくは憚られるような問題がある。

それが福島第一原子力発電所の事故。

東京にいて、報道されるのは『汚染水が漏れた』『遮断壁がうまくいっていない』『メルトダウン隠蔽問題』といった事故発生直後または収束作業に伴って生じる不具合がほとんど。

何が起きているのか、よくわからない。

きこえてくるのは『安全だ』『危ない』の極端な声。

そして何より、『だから原子力は危ない、反対だ』『いや、実際は必要でしょ』

原発の是非をめぐるイデオロギー問題のように捉われがちで、話すことさえタブー視さえされているかもしれない。

良いとか悪いとか、賛成だとか反対だとか、危ないとか安全だとかではなく。

一人の、東京に暮らす、大学生として『いま』をみてみたい。

そんな思いを抱いていた時に、福島第一原発の廃炉作業を社会に伝える活動をしている一般社団法人AFWの存在を知った。

なんと定期的に、一般の人の原発視察を企画しているという。

『福島県内の方、もしくは復興に従事されている方を最優先させていただきます』

視察の応募ページにはそう書かれていたが、ダメ元で視察をお願いするメールを送ってみた。

熱意が伝わり、受け入れてもらうことが決まったのが、4月。

奥から1号機、2号機、3号機。

そんな経緯を経ていちえふ、東京電力福島第一原子力発電所へ行ってきた。

(注)いちえふ=東京電力福島第一原子力発電所の通称。

いちえふに行く前に、説明を受けるため訪れたのがJヴィレッジ。元々サッカーのナショナルトレーディングセンターとして、東京電力が福島県に寄付をした施設である。

事故の発生後は、いちえふで作業される作業員の方の拠点となっている。6000〜7000人の作業員の方のために毎日150往復のバスが、ここJヴィレッジからいちえふへと向かう。

実はこのJヴィレッジはいちえふから20km圏内ギリギリのところにある。

遠すぎず、近すぎないところに、事故の収束作業を行う拠点があったこと。事故への対応を行うにあたって、間違いなく大きな役割を果たしてきた。

Jヴィレッジから20km。40分ほどバスを走らせると、いよいよいちえふである。

構内に入るためには『入退域管理施設』を通らなければならない。

入退域管理棟

セキュリティの関係上写真がないのだが、この入域は空港の入国審査を想像してもらえばよい。

金属探知機をくぐり、ロシアの空港の入国審査の無人バージョンのような(筆者主観)ボックスの中で渡されたIDカードとパスワードで入域をする。

無事に入域を終えると、構内に入る準備として手袋と靴カバーが渡された。

正直、「え、これだけでいいんだ」、という驚きであった。

というのも原発というと全身防護服で身を包んだ作業員の方の姿がイメージされるし、仮に防護服でないとしてもマスクはするだろう、と予想していたからだ。

防護装備は、本当にこれだけ。

今回の視察はバス内からであり外には出なかったこともあるが、防護装備はこれだけであったのは意外に思われるのではないだろうか。

防護装備を終えると、各人に線量計が渡される。

線量計の使い方について説明を受ける。

実は一般の視察者である私たちだけでなく、いちえふ内に入る作業員の方は、常に線量計を身につけている上に被ばく量を徹底的に管理されている。

1日に設定した基準量を超えないように1日あたり10時間に制限された作業時間を正確に測りながら作業中に浴びた累計線量が測られる仕組みである。

また退域時には、血圧を測る時と同じように結果が紙で出てくる。

同じ人が線量の高い箇所で作業し続けることがないように作業場所も定期的に変更されているらしい。

さらには辞職した後も個人の被ばくデータは管理され続けるそうだ。

目に見えないものを、できる限り見える化する取り組み。

ちなみに私が滞在した1時間でのβ線、γ線の被ばく量はゼロであった。(計測可能下限よりも下回っているという意味である)

歯医者さんで1回歯のレントゲンを撮るよりも、はるかに少ない被ばく量。

一方でこの徹底した被ばく量の管理は、ここが『普通』の現場ではないことを想起させた。

しかしこの1年で、『普通の現場』にする取り組みは大きな進展を見せている。

今回、内部に入ることはなかったが

1200人が利用できる大型休憩所の運用やコンビニの開店、給食センターの設立による暖かい食事の提供が開始されるなど、労働環境の整備が格段に進んでいる。

(大型休憩所。)

加えて線量の低下に伴って、全面マスク不要エリアが拡大しているように作業環境も改善しているそうだ。

テレビでよく映されていたような、全身防護服で夏の非常に暑い過酷な環境下で作業をしている状況はなかった。

(施設内で見つけた張り紙。『普通』の現場と変わらないのではないか)

コンクリートで舗装された道。立ち並ぶ建築物。そして整然と並べられる、処理水が入ったタンク。

(フェーシングといわれる、コンクリート舗装がされた斜面。雨水が地下水となることーそしてそれが建屋内に入ってしまうことを防ぐためーに施されているそうだ。)

初めに受けた印象は、『製鉄工場のようだな・・・』であった。

無機質な、どこにでもあるような工場。でも、ここはいちえふなのである。

(4号機燃料取り出し装置と3・4号機排気筒)

テレビの中で広がっていた光景。それがいま目の前にあるということ。

うまく言葉にできない、非常に不思議な気持ちであった。

いちえふ構内に入って、本当に放射線量は大丈夫なのか。と疑問に思う人もいるだろう。

答えはYESであり、NOだ。

出発した入退域管理棟の近く。ここではカゼをひいたときや花粉症のときに使うのと同様のマスク1枚で、屋外で作業できる。

線量計をみると、0.9μSv/h。

低い、と思った。

というのも、事故の直後に出された『学校において屋外で活動しても良いかどうか判断する基準』となったのが3.8μSv/h。

1日8時間屋外で活動したとして、1年間で20mSvの被ばく量に抑えることを仮定して出されたのがこの数値だ。(μSvはmSvの1000分の1)

ちなみに、CT検査を1回すると一瞬にして約7mSvの被ばくをすること

飛行機で日本ー欧米間を往復するとそれだけで0.1mSvの被ばくをすることを考えると

原発構内にも関わらず0.9μSv/hであることの、数字の低さがわかると思う。

(構内のいたるところにおかれる線量測定器。)

この数値が、4号機の横に行くと17μSv/hに上がった。

(目と鼻の先に、4号機。)

そして今回は通過しなかったが、建屋内の線量が非常に高い状態の続く2、3号機の横を通過するときにはこの値が200~300μSv/hにまで達するそうだ。

一方で5・6号機の付近では線量がぐっと下がる。

5・6号機は1〜4号機と少し離れたところに位置している。

事故発生時には定期検査中だったことと、津波被害を逃れた1台の非常用ディーゼル発電機が作動したことによって冷却ができたために大きな被害を免れた2機なのである。

5号機、6号機。

線量が、建屋との距離によって大きく左右されることがわかる。

線量が下がっていて防護服なしで作業できる場所が増えているということ。

一方で依然として線量が高く入れない場所が存在すること。

徹底した安全管理ができていること。

作業員の方の作業しやすい環境が整いだしてきたこと。

制御が進んでいるからこそ、バスからの視察とはいえ一般の大学生が入ることも可能だということ。

ここまで読んでこられた方は、『そうか、事態は思ったより落ち着いているのかよかったよかった』と思われるかもしれない。

でも、何も減ったわけではないことに向き合わないといけない。

廃炉までに気が遠くなるような過程を、歩んでいかなければならないということも変わりはない。

放射性物質除去作業を終えた後の処理水は日々増え続けている。

今のペースでタンクに貯め続けていたら、残りの貯蔵容量は1年分ほど。どう判断を下していくのだろうか。

積み上げられた汚染水のタンク。巨大なタンクも、3日で1つのペースでいっぱいになってしまう。

それを少しでも減らすために必要な、地下水の流入を防ぐ措置。

建屋内に流入して汚染されてしまった水の、放射性物質除去作業。

(多核種除去設備ALPUS。)

作業で日々出てしまう廃棄物や、解体作業に伴って増えていくかもしれない廃棄物。

これらが減ったわけでもない。外へ持ち出すことも、できない。

(使用済み防護服が入れられている灰色のコンテナ群)

メルトダウンの結果、どのような形状で残っているのかさえ定かではない溶け出した燃料棒。(燃料デブリという。)取り出す作業は不可欠。

しかし線量の高さゆえに建屋内には人が容易に入ることはできない、叡智を結集して挑むことが求められている。

きっと、30年、40年かけていくのだろう。

それが正直な感想。

(凍土壁。この筒の中に塩化カルシウム水溶液を流し込むことで筒と筒の間を凍らせ、壁をつくる仕組み)

今回の視察を通して、『職場』としてのいちえふの姿も垣間見えた。

現在、いちえふで作業されている原発作業員の方々は1日あたり6000〜7000人存在する。

実はその半数は、福島県内出身の方である。自宅が原発事故によって帰宅困難地域となった作業員の方も多い。

それでも、ここが彼らの職場なのである。

原発は、地域雇用を支える存在であったし、現在もそうであり続けている。

『地域』で生きることを奪った原発はまた、『地域』で生きることを支えるものでもあるのだ。

(多くの作業員の方が、すれ違うたびに挨拶してくださった)

再び入退域管理棟に戻ってきて、1時間弱の視察は終わりである。

作業が一歩一歩進む様子を『正しく』理解するということ。

東京という−電力を消費しているだけにすぎない−都市に生きている私たちが、どう向き合うか、関わるかということ。

『正しく』知って、買うこと・訪れることで、前に進もうとする土地を支えること。

できること、できないこと。わかること、わからないことと向き合うこと。

そんなに遠くない未来、どこかに関わるかもしれない筆者にとってはちょっと立ち止まって

どう生きていきたいか、この先にどんな世界を描いていきたいのか考える大きなきっかけとなった。

事故前は『緑の発電所』と言われたいちえふ。

1000本あった桜の木は、収束作業のために4割ほどにまで切り倒されてしまったと聞いた。

それでも。

来年もまた、この桜たちが花を咲かせることを

そしていつか、その桜の花を穏やかに見られる日が来ることを願わずにはいられなかった。

(最後に。今回の視察は、容易に実現したものではなく一般社団法人AFWさまのご尽力があってこそのものでした。代表の吉川彰浩さまに、この場をお借りして改めて感謝申し上げます。そして記事内の写真は全て、東京電力さまから許可をいただいたカメラで撮影されたものであり、一般社団法人AFWさまに帰属します。)

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