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【エッセイ・宇宙を泳ぐひと】第4回 カオスと後悔の物理学

2020.05.24

笑っちゃうぐらい壮大な宇宙と
何でもない生活の狭間を
溺れるように泳ぎつづける。

そんな宇宙を泳ぐひと
宇宙工学研究者の久保勇貴さんによる
連載エッセイ。

「今年も、ゴールデンウィークを故郷で過ごす人たちの帰省ラッシュが始まっています。」

「各種交通機関のUターンラッシュは、本日ピークを迎えようとしています。」

「上り線、大和トンネル付近で10 kmの渋滞が発生しております。」

こんなニュースを、今年も聞くんだと思ってた。

静かなゴールデンウィークだった。こんなに静かなゴールデンウィークが来るなんて、去年誰が予想できただろうか。いやあ、人生ってほんと予測不可能だなあ。まあそりゃあ予測不可能なのは当たり前なんだけれど、こんなにも日本中で一斉にそれを実感することもそうそう無いと思う。僕もまさか、無料配信になったでんぱ組.incのライブを観ながらひとり自宅でペンライトを振るゴールデンウィークになるとは思ってもいなかった。全くゴールデン味の無い日々を嘲笑うかのようにペンライトはゴールデンに光り輝いていた。

ところでこの世の中には、どんなにすごいスーパーコンピューターで計算しても絶対に予測不可能であることが数学的に証明されてしまっている物理現象がある。ちょっと宇宙での例を挙げてみよう。

天体の重力だけを受けながら宇宙空間を動いている宇宙機は、楕円の軌道を描きながら飛んでいく。これは高校の物理学や地学とかでも習ったかもしれない。ケプラーのなんちゃら法則みたいなやつ。こういう二つの物体の間での運動は「二体問題」と言って数学できれいに解けてしまうことが分かっているのだけれど、ここにもう一つの天体が加わって「三体問題」になっただけで、実はとたんにきれいに解けなくなってしまう。そしてただ複雑になるだけでなくて、将来の動きを完全に予測することが不可能になってしまうのだ。

説明のためにシミュレーション動画を作ってみた。万有引力だけを受けながら運動するA、B、Cの3つの物体の三体問題を考えよう。さらにこのA、B、Cと全く同じA’、B’、C’を用意して、A’のスピードをほんのすこ~し(0.0000000001%ぐらい)だけAのスピードからずらしておく。現実では全く観測できないほど小さなズレだ。この状態でA~CとA’~C’を全く同じ位置から同時にスタートさせて運動のズレを見ることにしよう。

では、動画を観てほしい。A~Cを白い星印で、A’~C’を赤い点で表している。また、AとA’は通った道筋が分かりやすいように点線で軌跡も描いている(画面が暗いとちょっと見にくいかも)。

最初に与えた0.0000000001%というスピード差は、二体問題ならば位置のズレが全く見えないほど十分小さいはずだ。しかし、実際にはある瞬間から唐突に2つの軌道がズレ始め、そのズレはまたたく間に大きくなっていき、ぐちゃぐちゃバラバラになる。両者の軌道とも、規則性は全くない。そして最終的にはAもA’も遥か彼方へ飛んでいってしまうが、その飛んでいく方向も全く違っている。なんともカオスな状態だ。そう、実は数学・物理学の世界でもまさにこの現象を「カオス」と呼ぶ。れっきとした専門用語として「カオス」な状態なのだ。

カオス。カオス。うん、かっこいい響き。

くっ!出たな、デスペラードカオス!

喰らえっ!カオスコントロール!!

カオス、カオス、カオス。うん、かっこいい響き。

しかし、厨二心をくすぐられている場合ではない。カオスは恐ろしい。

このカオスというのは「単にランダムでぐちゃぐちゃな状態」とは全く異なる。実際このシミュレーションの計算でも、それぞれの物体の一瞬一瞬の運動はきちんと運動の方程式という秩序に従っている。運動自体にはランダム性は無くて、完全に方程式で未来は決まってしまっているのだ。え、それなら予測できるんじゃね?と思いきや、カオスな運動ではほんの少しでも誤差があるとその誤差はまたたく間に急成長してしまうことが証明されている。今回は0.0000000001%のズレにしたけど、これより1万倍小さなズレにしてみても、100億倍小さなズレにしてみても、やっぱり同じように最終的に必ずぐちゃぐちゃバラバラになってしまうのだ。そして当然、現実世界でも無限の精度でスピードを測ることも制御することも不可能だから、結局「三体問題」では遠い未来の運動まで予測することは絶対に不可能ということになってしまうのだ。

その一瞬一瞬では問題なく予測できているように見せかけて、全体としては正しい予測が絶対にできないという恐ろしさ。ある都市伝説によると、博士論文の最終審査の時に「あれ、君、カオスの計算しちゃってね?」と教授に指摘され、一発不合格にされた学生がいたらしい。うん、カオスは恐ろしい。実際の宇宙ミッションでも、そういうカオス的な領域に入ってしまったら宇宙機の制御は非常に大変なことになる。

「ふーん、宇宙ってやっぱり複雑なんだなー(鼻ほじほじ)」

と思っているあなた。鼻から指を抜きなさい。他人事ではない。

そう、カオスは珍しいものではない。というか、現実なんてほとんどのものがカオスだ。入試問題で出てくるような解ける方程式なんてほんのわずかで、ほとんどの方程式がきれいには解けなくて、ぐちゃぐちゃで、カオスだ。世界はどこもかしこもカオスなのだ。

てかそもそも人間がカオスだ。人間の行動なんてきれいに解ける方程式で全部表せるわけがない。恋愛の方程式がどうのこうのとか言うけれど、たとえ好きな人との一対一では通用しても、たった一人の恋敵が登場するだけでたちまち関係は複雑ぐちゃぐちゃドロドロになってしまう。ああ、三体問題。三角関係。自分自身でも気づきもしないようなほんの少しのすれ違いで、別れたり付き合ったり、あなたのことが好きかもしれない、好きじゃない気がする、好き、好きじゃない、好き、好きじゃない。ああ、カオス。というか三体問題どころではない。学校のクラスなら四十体問題、学年全体で二百体問題、職場で町内で千体問題、地球の裏の名も知らぬ人のちょっとした行動で世界は気付かぬうちに変わってしまって、巡り巡って七十七億体問題。その七十七億体問題の中に僕らの人生はある。人生は真の意味でカオスで、予測不可能だ。

んー、なんだか、途方に暮れてしまいそうになる。人生がそんなにもカオスで、全く予測不可能だなんて。そんなのどうしたらいいんだ。22歳で就職、28歳で結婚、30代で出産、40代でマイホーム、昇進、退職、娘の結婚、孫の誕生……。そんな人生設計も全て、カオスの闇に呑み込まれていく。なんだか、お先真っ暗みたいじゃないか。

この点、カオスに対する工学の態度ははっきりしている。とにかくカオスを避けることだ。たとえば三体問題と言えども、その一瞬一瞬ではきちんと方程式に従うから、短い時間だけなら動きを予測できる。だからこまめに観測して、少しだけ動きを予測して、ずれている分を修正して、また観測して、予測して、修正する。計画通りにいかなかったことは、計画通りにいかなったまま受け入れて、改めてその誤差も含めた目標を設定し直して前に進む。そうやって、予測不可能な状態に陥る前に最善の手を打ち続けるのだ。そうやって工学は人間を乗せた宇宙船を正確に月へたどり着かせたり、3億キロメートル彼方の小惑星に60センチメートルという精度で探査機を着陸させたりする。工学は賢明で、前向きで、偉大だ。

人生もそんな風に生きられたら、どこまでも遠くに行けるのだろうか。どうせ予測できない遠い将来のことなんかにくよくよ悩むことなく、目の前の現実を受け入れて、目標を更新して、決断する。過去も振り返らない。だって仮にその過去を変えられてもそれが本当に現在の自分に良い影響を与えるかも予測できないことだから。カオスだから。だからうじうじ後悔しない。目の前とほんの少し先の未来だけを見据えて一目散に走り続ける。一年先のことは分からないから、一日先のことに集中する。昨日のことはしっかり反省して、一年前のことに振り回されない。

そんな風に生きられたらいいなあ。将来の不安も後悔も全部無意味なものだと割り切って突き進みたいなあ。そうすれば、こんなちっぽけな地球なんか飛び出して遥か宇宙の彼方にも行けるんだろうか。

小学三年生の頃、Sモトくんという親友がいた。「モト」の漢字が「元」だったか「本」だったかもはっきり思い出せないけれど、当時彼とよく遊んでいたことは覚えている。四コマ漫画を二人でよく作っていた。漫画と言っても紙に書くのではなく、1コマ1コマを二人で交互に身体で表現していくという遊びだった。前衛的すぎる。前衛的すぎるけれど、当時の僕らは前衛的だなんてこれっぽっちも思ってはいなくて、ただただ夢中でゲラゲラ笑いながら遊んでいたのだった。

彼と喧嘩をした理由は、しょうもないことだった。彼が僕の家に遊びにきた時に、僕の兄の釣りゲームのおもちゃを壊してしまったのだ。手が滑って釣り竿を壁に投げつけてしまい、竿の部分がポッキリ折れてしまったのだった。もちろんわざとではなかったし、その時Sモトくんも謝ってくれたと思う。けれど僕は拗ねていた。いや、拗ね散らかしていた。そのままずっと拗ね続けて、気まずいムードのまま何十分か過ごして、Sモトくんは「そろそろ帰るよ」と言って、玄関先で「今日はなんだか楽しくなかったなあ」と呟いた。僕は、なんだか、どうしても、そのひとことが許せなかった。その日からSモトくんとは遊ばなくなった。僕はSモトくんのことを避けて、陰で彼の悪口を言った。Sモトくんは他の友達と遊ぶようになった。僕も他の友達と遊ぶようになった。Sモトくんも僕の悪口を言っていたかは分からない。僕はまだ生まれてから10年も経っていなくて、幼くて、野蛮で、残酷だった。

それからほどなくしてSモトくんは引っ越すことになった。Sモトくんの最後の登校日の放課後、彼の周りをたくさんのクラスメイトが取り囲んで別れの言葉をかけていて、その輪から外れたところに僕はひとりで立っていて、でも、なんか言わなきゃと思って、その人だかりに近づいていって、ガサガサッとクラスメイトをかき分けて、Sモトくんと1秒間だけ握手を交わして、そのまま逃げるように走り去った。それが最後だった。Sモトくんが僕の握手に気付いていたかも分からない。結局ひとことも、言葉をかけることはできなかった。僕は、幼くて、野蛮で、残酷で、弱虫だった。

素直にごめんと言っておけば、Sモトくんと仲直りできたのだろうか。引っ越した後もたまに会いに行くぐらいの仲でいられたのだろうか。もしかしたら、15年以上経った今でも友達でいられたりしたのだろうか。でもカオスだ。人生はカオスだ。予測不可能だ。あの時ああしておけば今はこうなっていたはずなのに、なんて予測は不可能だ。だから遠い過去のことを後悔するなんて無意味だ。そんなことに振り回されず、さっさと前に進むべきだ。そうだ。その通りだ。その通りなんだけど。その通りなんだけどね。後悔しちゃうなあ、やっぱり。後悔しちゃうよ。だって、無意味だけど、本物だ。僕の後悔は本物で、僕だけのもので、誰にも渡したくない。

色んな人が、色んな後悔を抱く。

「あの時素直に好きって言えばよかった」

「諦めずにバンド続けてればよかった」

「もっと留学とか挑戦しておけばよかった」

「なんで一言声をかけてあげられなかったんだろう」

「最後って分かってたらもっと優しくしてあげたのに」

「あの時自分が引き留めていれば、こんなことにはならなかったのに」

後悔があるから人は人なのかもしれない。Sモトくんのことを後悔しているから、僕は僕なのかもしれない。

できれば、不安も後悔も全部振り払ってどこまでも遠くへ走りたいけれど、時には後悔だってしっかりと抱きしめたい。手の届くところにしまっておいて、たまに見返しては適切に落ち込みたい。んー、ダメだなあ。人間だなあ。工学みたいに賢くはなれないなあ。

在宅での研究活動もかれこれ2ヶ月が経とうとしている。最近は本当に研究、散歩、買い物、ランニング以外の行動を取っていない。ギャルゲーでももう少し行動パターンあるんじゃないか。これじゃあフラグの一つも立たない。というか、たとえ空から降ってきた美少女をキャッチしても「すみません、密はちょっと……」とか言って逃げられるに違いない。なんという世の中だ。

買い物に行く。19時はお惣菜の値引きの時間だ。店員さんが「触れるもの全て半額にする装置」で白身魚のフライをピッとやると、すかさずおばさんが手を伸ばす。それを見ていた男子大学生はあくまで平静を装いながら、店員さんの次なる半額ターゲットへ先回りを始める。そこへもう一人の店員さんが登場。三体問題だ。軌道が複雑になっていく。さらに主婦が加わり、老夫婦が加わり、四体問題、五体問題、六体問題。ああ、カオスだ。カオス、カオス。工学者の端くれとしては、とにかくカオスは避けるに限る。ここは賢明に、お惣菜コーナーは素通りすることにしよう。いや待て、メンチカツが美味そうだ。メンチカツだけ買おう。あ、クソ、取られた。え、あのコロッケめちゃめちゃ安いじゃん。いや待て、昨日もコロッケ食べたよな。やっぱりこっちの健康そうなサラダにするか。あれ、でもサラダは半額じゃなくて2割引なのか。どうしよう。あ、コロッケ取られた!てめえコノヤロー、許さんぞ!!!

んー、工学みたいに賢くはなれないなあ。

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この記事を書いた人
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久保勇貴
東京大学大学院 航空宇宙工学専攻 博士課程。JAXA宇宙科学研究所にも籍を置き、様々な宇宙開発プロジェクトに携わる駆け出し宇宙工学者。 自身のブログ『ハルに風邪ひいた』『コンパスは月を指す』で宇宙を軸としたりしなかったりする文章を書く。 Twitter: astro_kuboy
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