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ロシア、カザンの想い出 ~とある政治学博士の旅行手記~

2016.02.23

学生証
  1. お名前:熊倉潤
  2. 所属:法学政治学研究科博士課程
  3. 進路:日本学術振興会、政治学者

2014年7月上旬、カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)から空路、モスクワに戻った私は、ある用事のため、休む間もなく、カザンに向かった。
カザンとは、ロシア連邦を構成する共和国の一つ、タタルスタン共和国の首都だ。
夕方(と言っても高緯度地域の夏は夕方が非常に長い)、モスクワを出発した列車は、翌日カザンに到着する。この時も列車はほぼ遅れることなく、翌日の午前中にヴォルガ川を渡り、昼頃にはヴォルガ川のほとりの港町カザンに到着した。

カザン行きの列車の車窓より。3000km超の果てないヴォルガ川
そして夕焼けが、静寂が街に溶け込む

私がカザンに来たのは約一ヶ月ぶりのことだった。カザンの国立図書館で博士論文の史料を集めるため、その年の6月上旬に来たことがあった。
そのとき泊まった宿は、旧市街の丘の上にあるイタリア式のホテルだった。

今度はそのようなお洒落な場所ではなく、カザン川の北岸に開けた新市街にアパート(ロシア語ではクヴァルティーラквартира)を借りることにした。
アパートは前回カザンに来た時に知り合ったタタール人の友達リャイサンさんが手配してくれた。ちなみに、リャイサンさんは当時カザン大学の学生で、その後日本の大学に念願の留学を果たすことになる。タタール語、ロシア語のバイリンガルで、英語と日本語もできる才色兼備の方だ。
 
私がそのクヴァルティーラの前に到着してしばらくすると、リャイサンさんの知り合いの不動産屋(不動産屋とはいえ私と同じくらいの年で、私より見かけの若い好青年だった)が現れ、その後大家の太ったおじさんが到着し、部屋を案内してくれた。日本風に言えば2LDKで、大きな窓もあり、インターネットも使えるので、一人暮らしには申し分ない。私はここで一夏を過ごすつもりだったが、大家のおじさんはそのような短期の賃貸にも嫌な顔をせず、快く応じてくれた。
私は少数民族のことを研究しているので、大家さんがロシア人ではなくタタール人だったらと秘かに期待していた。しかし、大家さんに尋ねると、残念ながら彼はタタール語が一言もできないロシア人だった。それでも彼の話は大変面白かった。
彼は若い頃、空軍にいて、シベリアで輸送機を飛ばしていたらしい。退役後は、ある仕事で中国の新疆ウイグル自治区のウルムチに赴任した。そのときの休暇の話とか、彼の目に映った中国人の特徴とかを聞いた。

ちなみに別の機会で会った伝統衣装のタタール人女性。大家さんの写真が残っていなかったので、彼女の美貌に負けないほどの心優しい人だったと記憶してほしい。


彼はまた親切な人だった。携帯電話のSIMカードの契約のためにエムテーエスMTC(元々はソ連が農業集団化をしたときに農業用機械、トラクター等を管理した機関の名前だが、現在は大手携帯電話会社の社名になっている)の店まで、車で乗せていってくれた。
なぜ契約が必要かというと、国土の広いロシアではその土地のSIMカードを持っていると安く済む仕組みになっていて、そのとき私の番号はモスクワのものだったから、彼がわざわざ最寄りのエムテーエスまで連れて行ってくれたのだ。
彼のおかげで、私はタタルスタンの電話番号を手に入れることができた。しかし彼の親切はそれだけに留まらなかった。私が外国人なので、市の当局で登録が必要だった。
普通は、大家はそのような登録を嫌がるものだが、彼は私を車に乗せて、カザンの街の郊外にある政府機関(それがまた道の分かりにくい場所で、随分と長い間近辺を探すことになった)まで連れて行ってくれた。

行き来した街中のモスク(この建築様式はタタール式と言われる)


それから間もなく、部屋のインターネットの調子が悪いことも判明した。そのとき彼はまた町外れのインターネット会社まで行き、原因を究明し、Wi-Fiの機器を買ってくれた。たった2ヶ月で出て行く私のために彼が奔走してくれるので、私はすっかり恐縮してしまった。


大家の世話になっている間、私はタタルスタン共和国のアーカイブ(ロシア語ではアルヒーフархивという)に通い、博士論文の執筆を急いだ。私の博士論文のかなりの部分はそのときに書かれたものだ。一部は削られたが、残りの一部は完成版にも残っている。

私が通ったカザンの旧共産党アーカイブ(アルヒーフ)の建物。多くの古文書や公文書が保管されている。


そのときの文章を見ると、もうだいぶ推敲されて当時のものではなくなっているが、そこでの日々の匂い、たとえば大家がある日持ってきてくれた大家の奥さんの手作りジャム(のようなもの)の匂いを思い出す。
ロシア人は、全員が全員そうであるわけではないが、客に優しいし、それからなぜか夏にふんだんに取れるベリーを使ってジャム(のようなもの)を手作りし、それを客に振る舞うのが好きなようだ。

ジャム(のようなもの)とわざわざ断ったのは、そのジャムがほぼ液体で、日本のジャムとは少し違うからである。


2014年の夏はそのようなわけで、私は大家の人柄に恵まれ、美味しいジャムに事欠かない生活を送った。
 
ただその間ずっと私はカザンの街にいたわけではない。私がカザンに行った目的は二つあり、一つはカザンのアルヒーフで史料を集めて博士論文を更に深みのあるものにすることだったが、もう一つはカザンを拠点にヴォルガ川流域の各地を旅行することにあった。
その夏、私はヴォルガ川を南下してサマーラ、ヴォルゴグラード(旧スターリングラード)、アストラハンを巡った。更にそこから東へまた西へ移動して、カルムイク共和国やアディゲ共和国、オレンブルク、バシコルトスタン共和国、ウドムルト共和国、チュヴァシ共和国(どれもロシア連邦を構成する共和国)にも足を運んだ。
このときのヴォルガ川紀行についてここで書くと、字数を超過するので、機会を改めたい。

クレムリン(お城)のモスク
内部は青く鮮やかに飾られている


いずれにせよ、夏の間、カザンのクヴァルティーラを拠点に研究と旅行を存分に楽しんだ私は、8月23日にカザンを出る夜行列車で同地を離れ、モスクワに戻ることになった。
そのときも大家は、私を車に乗せて、列車の中で必要な食べ物、飲み水を買うようにと、わざわざ食料品店を経由してカザン駅まで送ってくれた。大家はまた次の夏にも私がカザンに来るようにと言った。カザン駅の前まで来て、私は何回も大家に礼を言い、握手し抱擁して別れた。駅舎で列車を待っている間、非常に寂寞とした思いがした。

モスクワ行きの列車に乗り込むためにホームに出ると、ちょうど振り出した雨に濡れた。夏の終わりを告げる冷たい雨だった。
 
これがカザンの最後の想い出で、私はそれからカザンに帰っていない。
 

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熊倉潤
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