難民問題、文化人類学、東京大学新聞…。連想するのはどんな人でしょうか。
いわゆる「意識の高い」人? 正義感の強い人? 高い目標へと突き進む、ザ・東大生みたいな人?
ちょっぴり身構えていた取材陣が出会ったのは、飾らないけれど教養のある、飄々としつつ熱量ものぞく、
少年の感性と大人の落ち着きをもつ、そんな素敵な人物でした。
前半は、須田英太郎さんとミャンマーとの出会いから、彼の素顔に迫ります。
修士1年の須田さん。
文化人類学を学びながら、東京大学新聞オンラインの編集長、NPO「人間の安全保障」フォーラム事務局員などで活躍しています。
※「人間の安全保障」フォーラム;紛争や難民問題など、個人の生存・生活・尊厳を脅かすさまざまな問題に対して学際的にアプローチし、社会的な実践活動を行う東大発のNPO。
–もともと紛争や難民問題に関心があったんですか?
いや、全然。
「ザ・何も考えていない高校生」でした。
文科一類で入学したんだけど、法学が面白くなくて。
大学1年の冬に土井香苗さんというヒューマンライツウォッチ(人権NGO)の日本代表が講師を務めるゼミに入りました。
調査対象を3つの国から選べて、僕はたまたまミャンマー班だった。
そのゼミがきっかけでミャンマーに興味を持ち、大学2年の夏に仲間とミャンマーに行ったんです。
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–……ほんとに偶然だったんですね。現地はどうでしたか?
衝撃的でした。
僕らが行ったのは2011年だったけど、ミャンマーで民主化が始まったのが2010年だったのね。
インタビューも全部秘密にしなきゃいけないし、知られたら相手に危害が加わる。
だから落ちあう店を決め、僕らと現地の人とで店への出入りの時間をずらして警戒しながら話をききました。
尾行されて宿に私服警官が来たこともあった。
人権って当然僕らは持っているものだと思っていたけど、彼らはそれを得るために闘っている。
「闘わないと、人権って手に入らないものなんだ」
それがすごく印象的でした。
それで3年のとき、休学してまた2ヶ月間、ミャンマーに行きました。
–2度目のミャンマー。何か変化はありましたか?
2回目は違うショックがありました。
前の年はインタビューも秘密にしないといけなかったのに、1年後には検閲なしで新聞がじゃんじゃん出ていて
ラジオでも政権批判をしていた。飲み屋で普通に政権の話をできるようになっていた。
「こうやって本当に変わるんだ、政治って」衝撃を受けました。
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–1年でそんなにも変わるんですね……。ミャンマーでの2ヶ月間は、どんな活動をしていたんですか?
前半は、民主化運動をしている人たちと行動を共にしてディスカッションやセミナーに参加したり、
銅山開発による強制立ち退きの現場で、現地の人々の写真を撮りながら取材したりしました。
すると、故郷を追われて農業ができなくなった農家のおばちゃんたちに言われるんです。
「自分たちの状況を、思いを、世界に伝えてくれ」って。
最初は興味本位で、知らないものを見たいと思って行っただけだったけど、こうやって必要とされることもあり得る。
世界に対して発信するっていう役割もあるんだ、と初めて気づかされた。
後半1ヶ月は、ロヒンギャというイスラム系の少数民族の避難民キャンプへ行きました。
当時所属していたNGOの人から「避難民キャンプに通って、向こうで1番効果的なやり方でお金を使ってきて下さい」と言われ、
現地の人に話を聞いて小学校の改修とかを行っていました。
当時はロヒンギャの問題について日本語で発信しているものって全くなかったから、写真を撮って記事を書いて、
ネット上で発信もしました。
単純だけど、皆が関心を持っているが行けない場所に自分がいて、発信できることがめちゃくちゃ面白かった。
発信するとたくさん反応が来たりすることも新鮮でした。
—「伝えなきゃ」という義務感みたいなものはあったんですか?
うーん、それも思ったけど……。ロヒンギャの1人に言われた言葉は印象に残っています。
その子はもともと大学生で、紛争以来危なくて授業に行けなくなってしまったので、一緒に色々なところを回って案内や通訳をしてもらっていました。
それを言われたのは、バイクに乗って移動していて、彼を後ろに乗っけて拠点の村に戻ろうとしていたとき。
彼は大学生でそれこそエリート中のエリートなのに、今も避難民キャンプから出られない。でも僕は、自分が行きたいところにどこへでも行けるわけじゃん。
君は本当に自分のやりたいことは何でもできる環境にあって、僕らの状況とはかけ離れている。
そう言われたとき、
「ああそうか、こうして自分のやりたいことがやれる自由があるというのは、その自由を使って
自分が見たことに対して責任をとる必要があるということなんだ」と思いました。
僕にはすごく責任があるなと。
見てしまったし、しかも自由に発言できる。なら発言しなきゃいけない。
–須田さん、ありがとうございました。
少し意外でした。
世界に目を向ける人は高校時代も留学していそう、紛争や難民に関心のある人はもともと正義感が強そう、そんなイメージを勝手に抱いていたから。
須田さんはそうではなかった。
むしろ、知らない誰かの感情やことばをまとわぬように、気をつけているように見えました。
むつかしい顔で語るでもなし、大義をふりかざすでもなし。
肩の力をぬいて、あくまで軽やか。
だからこそ、重い。
前半は、須田さんとミャンマーの出会いから「発信」を意識するまでの軌跡をうかがいました。
後半は雰囲気も一転。
「伝える」をテーマに、須田さんが発信や表現について考えていることを楽しく語ります!