ある日、UmeeTに卒業生からの取材依頼が入りました。
「東大卒業後、ハーバードMBA修了し、21年間インド紅茶の輸入・ネット通販会社を経営していました。そうした経験を活かして、新潮社から「衰退産業でも稼げます 代替わりイノベーションのセオリー」という本を出版しました。イノベーションはハイテクだけでなくローテクでも起こせることを示した本です。ぜひ「起業」のコラムでとりあげていただけないでしょうか?」
「イノベーション」といえば、「技術革新」と訳されることが多いわけですが、
それが衰退産業でできるのか……!?
ということで筆者の藻谷ゆかりさんに、お話を伺ってきました。
取材の前に著書を読ませていただいたところ、取り上げられていたのは、「商店」「旅館」「農業」「伝統産業」という4つの産業。
それぞれ画期的なイノベーションを起こした事例を4つずつ、計16事例の紹介をするとともに、日本を再生する3つのキーコンセプトが示されている、という内容でした。
その3つのコンセプトは、「ビギナーズ・マインド」「増価主義」「地産外招」。
藻谷さんがどのようにしてこのコンセプトにたどり着いたのか、伺って行きたいと思います。
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筆者:本日はよろしくお願いします。
藻谷さん(以下敬称省略):よろしくお願いします。
筆者:早速ですがお話を伺っていきたいと思います。著書を拝見して、とても読みやすく、また各事例にストーリーがあって面白かったです。読んでいて、明るくなるというか、ホッとするというか。藻谷浩介さんの「里山資本主義」が思い出されました。
藻谷:良かったです。
筆者:では、藻谷さんの経歴を教えてください。東京大学の経済学部ご出身ということですが、卒業後はどうされていたんですか?
藻谷:日興証券(今のSMBC日興証券)に入りました。そこが女子総合職をいち早く募集していたので。というのも、私、1986年4月入社なので、入社試験を受けていた時にはまだ、男女雇用機会均等法が施行されていなかったんです。でも前倒しで募集をかけていた会社がいくつかあって、まずはそこに入社しました。
筆者:どれくらいお勤めになったんですか?
藻谷:日興証券は、3年勤めた後、社内留学の試験に通って、ハーバードビジネススクールに2年留学して、夫と知り合いました。戻ってきて、3年勤めた後、外資系のメーカーに転職しました。
筆者:旦那さまとは留学中に知り合われたんですね。転職のきっかけは何だったのでしょうか?
藻谷:留学後に結婚して、すぐに年子の子供二人に恵まれたのですが、大企業で働きながら子育てをする、ということが自分としては両立しなかったのです。
夫は家事・子育てに協力的で、近所に住む義理の両親にも保育園のお迎えをお願いしたり病気の時に子供を預けられたり、恵まれた環境であったのに。今思うと自分の未熟さがあったと思います。それでも外資系メーカーに転職して、組織の中でうまく動こうとトライしたんですけど、なかなか子供を二人抱えながらやっていくことも難しくて。
組織内で働くことは諦めて、起業することにしたんです。
編集部:組織内でうまく動けないっていうお話はよく聞きますけど、それで辞めて起業してやる!ってすごい行動力ですね。
藻谷:実はその前年に、夫も起業していまして。夫は住友からハーバードにいって、帰ってから2年はドイツ銀行に勤めたのですが、辞めて起業していたんですね。だから起業のモデルがあって、ハードルはそこまで高くなかったんです。
筆者:それで、インド紅茶の輸入の会社を起業された、と。インド紅茶という選択肢は、どのようにして出てきたのでしょうか?
藻谷:留学時代のインドの友人が、日本に遊びに来た時にお土産にダージリン紅茶を持って来てくれたんです。それがなんと、緑色で。
筆者:お紅茶ですよね……!?
藻谷:そうなんです!私も、ダージリンって緑色だったの!?と思いました。実は新鮮なダージリンって緑色で、時間が経てば茶色くなるんです。
編集部:知りませんでした。
藻谷:数年後に、起業しよう!と思った時に、その時のダージリンを思い出したんです。日本で販売されている紅茶って、産地のインドやスリランカ、今ではケニアや南アフリカから、一回イギリスに運ばれて、ブレンドされる、というようなものが主流なんです。インドから直接空輸される、新鮮なお紅茶ってないなって思って。
ちょうど、千葉県の海浜幕張駅の近くのシェアオフィスが、月4万円しないくらいの安めの賃料で貸し出していたので、そこからスタートしました。
筆者:そんなすぐに軌道に乗るものなのでしょうか?
藻谷:そうですね、徐々にという感じでしょうか。1997年ってインターネットの黎明期で、ネット販売をやる人も少なかったんです。あと女性だってこともあって、ちょっとした取材とかにも来ていただいて。1年目は手探りでしたけど、徐々に広まって行った感じです。
筆者:旦那さまも起業していて、藻谷さんも起業。家庭内の稼ぎが不安定になる、という心配はなかったのでしょうか?
藻谷:私たち、いつかどこかに移住したいっていう気持ちがあって。移住する上では雇われている方がリスクがあるわけじゃないですか。自分たちが起業して会社ごと移住しようと考えたんです。
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筆者:移住についてはお二人の共通の認識として、ご結婚当初からあったのですか?
藻谷:私に関しては都会育ちで、将来ニューヨークやロンドンで暮らすことはあっても、まさか長野で暮らすだなんて、昔は1ミリたりとも思っていませんでした(笑)
筆者:まあ、結構な田舎ですしね(笑)
藻谷:でも山口県出身の夫と結婚して、夫は地方で子供を育てたいっていう気持ちが強くて。最初はお互いの仕事が落ち着くまで、都会にいたのですが、いずれは地方に移ろうというのは話していました。私自身も受験の厳しい世界で育っていたので、子供達には普通の公立の学校から、好きな大学に行って欲しいと、思っていました。
筆者:長野の出身なので、長野を選んでいただけたのは嬉しいのですけれど、どうして長野にされたのでしょうか?
藻谷:夫が金融系の仕事をしているので、東京に2時間で出られる場所が希望でした。あと夫が、湿気が苦手で(笑) 那須の方も考えたていんですが、湿気を逃れて長野新幹線の方に。でも松本だとちょっと遠い。そしたらたまたま北御牧(現・東御市)に土地を見つけたので、ここだ!って。
筆者:東京に用事があったら行きやすくて、子育ての環境としてものびのびとやっていけますもんね。
藻谷:はい。実は私、今年の三月まで昭和女子大で教えていたのですが、長野から日帰りで通っていました(笑)
筆者:長野に移られてからは、インド紅茶の方は続けられていたんですか?
藻谷:もちろんです。インターネット通販なので、当初の予定通り、そのまま持って行きました。
筆者:子育てがひと段落して、東京に戻ろうとかは、思われませんか?
藻谷:全く思わないですね、快適すぎて。子供達もそれぞれ大学生や社会人として家を出ましたけど、夫婦二人は長野にいるつもりです。
筆者:ふるさとが快適って言われるのは、嬉しいですね。
筆者:最近、お紅茶の会社は起業譲渡されたとか。
藻谷:はい。今年で長野が17年目になるのですが、昨年譲渡しました。21年間やっていました。
筆者:譲渡しようと思ったのはなぜですか?
藻谷:一つは、大学でスモールビジネス論を教えていたのですが、教科書に書いていないことを教える面白さを知ってしまって。そして、自分の会社をみてみると、もう20年やっているな、と。ある統計では、会社が20年続くのは、1000社中4社なんです。そう考えるとある程度やったなって思いまして。
それから周りの方で事業譲渡された方がいらっしゃって。アトリエ・ド・フロマージュという東御市にあるチーズの会社、ご存知ですか?そこの方もジャム会社に事業譲渡して、ご自身は「里山のくらし商店」っていうのをやっていらっしゃいます。入浴剤や柿酢や、ソバハチミツの販売を、近所の人たちとできる範囲でやってらっしゃるのを見て、私も違うことしてみたいなって思ったんですね。それで、知り合いにインドの雑貨を扱っている方を紹介していただいて、その方に事業を買っていただきました。
筆者:その後、藻谷さんはどうされたんですか?
藻谷:自分がやって来たことを形にしなきゃと思って、本にまとめることにしました。起業や事業承継についての執筆や講演活動をするために、「巴創業塾」を始めたんです。
編集部:おお!ここで本のお話になるんですね。
筆者:本当にそれまで、様々なご経験をされてきたのですね。「衰退産業でも稼げます」という本に関してですが、昔から調査研究をされていたんですか?
藻谷:まず、ハーバードビジネススクールの教え方がケーススタディー(事例を見てそこから何を学ぶかを考える)で、昭和女子大でもケーススタディーで講義をしていました。本を書くときに今までなかった分野のことを書こうと思って。で、衰退産業の本ってあんまりないんですよね。やっぱりみんな、流行っている方をやるので。
でも本にはなっていなくても、衰退産業の方でも上手くやっている人はいて。需要がなくて後継者もいない衰退産業で、上手くやっていけている例外っていうものは、本当に経営上参考になることが多いと思ったんです。
筆者:もともと個別事例はよく見ていらして、でも衰退産業に関しては誰も書いてないから本にしよう、ということなんですね。
藻谷:そうなんです。
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筆者:著書の中では具体的に4つの産業にまとめられていましたが、このフレームは最初からあったのでしょうか?
藻谷:そうですね。最初八十二銀行さん(長野の地方銀行)とかのお話を伺って、やっぱり銀行さんで抱えている問題は「商店」なんだけれど、どうしたら良いのかっていうお話があって。それから「旅館」も「農業」も後継者問題が深刻。「伝統産業」っていうのは、私も着物を3年前から着始めて、問題意識があったんですね。それでこの四つにまとめて、新潮社さんに出したらOKがでたので。
編集部:稼ごうとか、イノベーションしようっていう時に、衰退産業を選ぶことって少なそうですよね。
藻谷:でも逆に、衰退しているところほど、IT化が進んでいないとかあって、チャンスなんですよ!
筆者:確かにむしろ、そこどうしてまだアナログなの?というのは、多いですよね。16事例、どれも面白くて実際に見に行ってみたいなと思いました。
藻谷:特に7事例は長野県ですから親近感があったかもしれませんね。
筆者:そうですね。長野県の山ノ内町の事例が取り上げられていましたが、私もちょうど昨年、一人でフィールドワークに行きまして、銀行の方にもお話を伺ったので、お!でた!って思いました(笑)
藻谷:山ノ内町の事例は、「やる気があって、お金とノウハウのない若者」に対して、資金と運営のノウハウの提供をし、店長を若者に任せるという、理想的なパターンなんですよね。経営する意欲のある若者にできるだけ資金的な負担がかからないような、「WAKUWAKUやまのうち方式」と私は名付けたのですが、これは全国でやっていってほしいですね。
他はどんな事例が面白かったですか?
筆者:「農業生産法人こと京都株式会社」の九条ネギのブランド化が面白いなと思いました。生産と販売を九条ネギに特化して、年商400万円から年商10億円に成長ってすごい!
藻谷:作物の種類を絞るのって、リスクがあると思われがちですけれど、逆に絞らない方がリスクのあった例だと思うんですよね。
筆者:あとは「代替わり」っていうポイントがすごく重要なのだと思いました。私の親戚も農家で、漠然と子供の誰かが継ぐのかな、なんて思っていましたけれど。ちょうど代替わりの時に、子が親から、親も子から、独立しないとイノベーションはできないんですよね。
藻谷:完全にクーデターみたいにしないとまずいです。親にとって子供はいつまでも子供で、手伝うっていう感覚ですけど、子供が新しいことをやっていかないといけない時に、親が口出すとやりづらいですよね。
筆者:引き継いだからには黙っていて、と。
藻谷:はい。いま事業継承って問題になっているんです。みなさん70,80代になってもお元気な方が多いですよね。そして自分が何十年もやってきたことを、簡単には辞められません。そうすると結構口を出す。子供は新しいことにチャレンジしづらい。
もしくは、子供継いでくれないなら廃業、という例が少なくありません。でもそうじゃなくて、例えば若い人、場合によっては地元の人だけでなく外の人に継いでもらえれば、地域活性化にも繋がりますよね。渋温泉の小石屋旅館さんも、外から若者が来て、という良い例だと思います。
筆者:それこそ古民家のリノベーションを上手くやって、お風呂は地元の温泉に入ってもらうとか。そういう形で地元と繋がるっていう方法が徐々に広まって行っているのかな、と思いました。
藻谷:そうですね。やっぱり今の若い人は既存のものをうまく利用するのが上手なんですね。戦後に新しいものを作ろうとしたのとはまた違った価値観が出て来ていて。そういうのが外国人から見たらすごく魅力的だったりしますよね。ビルの中での綺麗なお手洗いより、古民家の中の綺麗なお手洗いの方が魅力的に感じられます。
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筆者:継承された方が、もともと継ぐ意思はなかったとしても、一度他のお仕事をされてからその事業にいらしてってというのが、重要だと感じました。
藻谷:ゆりさんも長野から一度離れて感じることってきっとあると思うのですが、みんながその気持ちを持てば良いなと思いますね。継ぐにしても一度離れるっていうのは重要です。知見も広がりますし、人脈も広がりますから。
筆者:実際に16事例にしぼったりされたのはどういう経緯がありあましたか?調べて見つけた、という形なのでしょうか。
藻谷:取材とか読んだり調べたりしたのは倍以上ですね。もちろんもともと有名な事例もありました。でも改めて深くお話を聞くと、ちゃんと引き継ぐべき「価値観」があって。大量生産品に対する対抗心というか、お金を儲けるというよりは、「こういうものを残したい!」っていう価値観が見えて、素敵だなと思いました。どの事例も失敗されていたり、場合によっては借金をされたりしていて、それを跳ね返した事例なので、読者の方も引き込まれる、ヒューマンドラマがあると思います。
筆者:3つのキーコンセプトですが、こちらは藻谷さんが導き出したのでしょうか。
藻谷:はい。まず、この本を書く時に最初にポイントになると思ったことがこのビギナーズ・マインドで。よく地方創生に関して、「若者、よそ者、ばか者」っていう言い方しますよね。「ばか者」って失礼じゃないか、って思っていたんです(笑)
そう感じているうちに、スティーブ・ジョブズが愛読していたといわれる本の中に「ビギナーズ・マインド」という概念がありまして、まさにこれだ!って。いつもアップデートされた無の心を持った人の気持ちを「ビギナーズ・マインド」として提示しました。
「増価主義」については、経営の本としては初めて書いたかなと思います。「地産外招」という言葉を私が思いついたのは、松本のお豆腐屋さん、富成伍郎商店の富成さんを事例インタビューしたときでした。
富成さんはほんとに頑固で、「店頭販売したい、通販では売らない」って言うんですね。松本って言っても駅の近くとかじゃないからほんとに「出向く」という形になるのですが。「手渡しの商売にこだわりたい、このお店に買いに来て欲しい」っていうのを聞いて、これ、むしろ招いているな、地産「外招」だな、と思いつきました。
筆者:確かに、ここでしか売らないっていうのをそこまで拘られると、ちょっと行きたくなりますよね。
藻谷:そうなんです。そういうので地方が潤うっていうか。私も昭和女子大の授業で紹介したら、みなさん、松本に行こうって(笑) そういうのがないと行かないじゃないですか。
筆者:いろんなものが、スーパーやコンビニで手に入る時代であるからこそ、手渡しの商いに拘るっていうのが、重要なんですね。
藻谷:お値段の設定も、日本一になったから高くしてやろうとかではなく、ね。
筆者:今度帰省の時に言ってみたいなと思います。特に長野などの地方は車社会だからこそ、ちょっと回ってみようかっていうのがありますよね。
筆者:ところで、「衰退産業でも稼げます」という本はどのような方達に読んで欲しいですか?
藻谷:代替わりを希望している人よりは、まずは都会の40〜50代で、退職後にどうしようって考えてらっしゃる方ですね。退職後にただお金が欲しいというわけではない方が多くて、じゃあ出身地に戻ろうかとか、Iターンしようかなみたいな気持ちを後押しできたら嬉しいです。第二の人生を。
あとは事業承継を促進したい商工会とかの方達にもお読みいただいています。みなさんお元気で、自分で頑張って来たことだからなかなか手放したくなくて、でも子供は継がないから勿体無いのです。そういう時に金融機関さんに相談したり、M&Aの会社に登録したりしてくれれば、若い世代の人たちは参入しやすくなりますよね。
編集部:衰退産業ほど、「頑固な親父」は多い気がしますもんね。
藻谷:事業承継と地方移住が重なればもっとハッピーじゃないですか。それこそ地域活性化につながります。
藻谷:もちろん、ぜひ東大生含め大学生にも読んで欲しいです。ハイテクばかりが注目されるのってどうなのって思っていまして。もちろんハイテクを極めたいって思うなら、極めてもらいたいですけれど。世の中には様々な価値観があって、それに気づいて欲しいなって思いますね。もちろん学生の時や若い時は自分の好きなことを深く学んで欲しいです。
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筆者:学生として残りの生活をどう過ごすか、考えたりするのですが、東大生に何かアドバイスはありますか?大学で学んだことで活かされていることとかでも。
藻谷:あまり関係ないのですが、教養学部時代の生物の講義で聞いた話が印象に残っています。「生物は進化するほどメスがオスの選択権をもつ」と、「フィーメール・チョイス理論」っていうらしいのですけど、その時教わったんです。それで、自分も直観的にいいなと思った人を選びたいなと思いました。
編集部:えっ、そういうお話ですか……!
藻谷:いや、本当に、理論的な話なんですよ。オスは自分の子孫をできるだけ増やしたいから、生物学的にはチャンスがあれば子供を多く作りたい。でもメスは妊娠の機会が限られるからよりセレクティブになりますよね。だから女性は、直観的に良いなっていうのを大事にしないとダメですよ。主観と客観と直観があって、自分の直観を、ビジネスでも恋愛でも大事にして欲しいですね。
筆者:ビジネスと恋愛に関連性があるんですね。
藻谷:それは絶対、あると思います!ビジネスでも恋愛でも、相手に上手くアピールして説得していくことが重要ですからね。スティーブ・ジョブズが典型例ですが、優秀な経営者はモテるということはあります。ここは待とうとか、ちょっと押して引いてみる、とか。そういう意味で経済学が物理学的だとしたら、経営学は生物学的だと思います。
編集部:まさか、恋愛のお話を伺うとは……
藻谷:それから、ちゃんと稼ぐことも忘れないように。タイトルに「稼げます」って書いたので非難される方がいるんですけど、「稼ぐ」と「儲ける」は違います。稼ぐというのは、のぎへんに家。ちゃんと家に持って帰って、食べていくっていう意味ですよね。儲けるは信じる者ですから、物の価値を信じさせてっていうものじゃないですか。稼ぐっていうのはすべてのひとにとって重要です。そして、公私ともにいろんなことを経験して行ってほしいと思います。