【上野千鶴子先生と東大生のライブ討論】それでも消えない祝辞への疑問を、本人に投げかける




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上野千鶴子先生と現役東大生16人のライブ座談会、開催。

きっかけは、2019年度の東京大学入学式での祝辞でした。

今年の上野先生の祝辞が各方面で大きな話題を呼んだことは、記憶に新しいと思います。UmeeTでも先日、上野先生と編集部の対談記事を公開しました。

今年の入学式での祝辞について、東大生が上野千鶴子先生に直接聞いてみた

この記事の続編として、今回UmeeTは、「今年の祝辞、どう思った?」と銘打って、
現役東大生16人と上野先生によるゼミ形式での特別授業を開催しました。

短い中に濃密なメッセージが込められた祝辞。そのどこかが、心にひっかかった人。

実際に東大に通う彼らが感じた違和感や疑問を上野先生本人に直接投げかける、105分にもわたる座談会の模様を、一部ですがイベントレポートとして公開します。

「祝辞っていうのはね、あれは儀礼なの」

司会

まずはみなさんが、祝辞について思ったことを教えてください。

まつばら

僕は基本的に祝辞の内容に賛成なんですが、2点だけ気になった点があって。

まず1点目が、話の最終的な帰結があまり明示されないまま進んだので、はじめ不正入試の話とか、女性差別の話とかがあったときに、「自分の思想を述べるのに、祝辞の場所を利用している」という風に反感が出たのかなと。

2点目はぼく個人の意見なんですけど、東京大学の入学式ですから、入学した生徒は熾烈な入試を勝ち抜いて来て、やったあと幸せを感じていて、その親は子供の晴れ舞台を見に来ているわけで。

実際では炎上で言い争いが出た状態で入学式が終わってしまって、僕たちというか、そういう人たちにとっては、悲しいさみしい話だったと思うので…

上野先生

まず「祝辞は自分の思想をのべる場ではない」という評価、わたしには理解できません。スピーチって自分の思想にもとづいてするものでしょ。

最後までしゃべってみないと落としどころが分からないのも、スピーチにとってはあたりまえのこと。

司会

こんなツイートも話題になりましたね。

 

上野先生

そもそも考えてほしいのは、東大当局がなんでわたしを呼んだかということ。わたしは東大当局の期待に応えたんです。忖度したんです。

わたしにとって、東大の入学式の場に立てるのは、空前絶後。一生に一度、二度とないチャンス

その中の10分間、というものすごく貴重な時間資源を使って、きちんとコンテンツのあるメッセージを送りたい、しかも東大当局の期待に応えるメッセージを送りたい。

 

上野先生「その役割を果たしたことになぜ否定的な意見がでるのか。むしろ教えてほしいくらいです」

上野先生

それに祝辞っていうのは、ただの儀礼の場合が多い。

去年の祝辞を覚えてる人っていますか?過去にこれだけ話題となった祝辞はありましたか?

祝われている気がしなかった、そう言うけれど、わたしが本当に儀礼的に、「ここに来れてよかったね、頑張ったね、お父さんお母さんが励ましてくれたよね」って言ってたら、誰も覚えていません。それだけ。本当に時間の無駄。

炎上して色々賛否両論が起きたということは、今年の祝辞は、メモラブルなイベントになったんだから、めでたいことじゃないですか。

のだ

その賛否両論についてなんですけれど、わたし、あの祝辞があんなに炎上したのは、…あえてフェミニストに対する侮蔑的ないいかたをすれば、上野先生がいわゆる「フェミ」だと思われていたからだと思うんです。

スピーチは成功だったのよ

上野先生

だいじょうぶよ。少なくともあの場にいた18歳の新入生たちは、わたしのこと知らないでしょ。

のだ

いえ、知ってますよ!ツイッターとかで炎上してるときに「あの上野千鶴子が」って。

上野先生「ほんとに?え、18歳の子にわたし有名人なの?(笑)」

のだ

だからこそ、上野先生の言うことを「フェミが言うことだから」と素直に受け取らずに、ネガティブな反応をする人が出たのかと思っていまして。ますます偏見を強めることにつながったのかなって。

もちろん自分の不快感や怒りを伝えないと相手は変わらないけれど、伝えたところで「あれだからフェミは」と言われたら、じゃあどうすればいいのか。かといって「もっと上品に伝えないといけない」と言うのはトーンポリシングじゃないですか。

※トーンポリシング:議論で訴えの内容そのものではなく、話し方や言葉遣い、態度を批判すること。問題となっている差別や抑圧そのものから論点をずらす点で、問題となっている。

上野先生

いわゆる「フェミ」っていうのは、女性差別と闘う人につけられるステレオタイプのレッテルね。「ジェンダー」とか「差別」と、ひとこと言っただけで防衛的に情報をシャットアウトする人は多くいます。

でも一つ聞きたいんだけど、スピーチがきっかけで分断がより深まったと思う?
分断は以前からあったんじゃないかしら。

わたしがあのスピーチをしたから、その対立が顕在化しました。

誰の記憶にもとどまらずスルーされるのではなく、結果としてそれだけの反発がきたのは、どこかでわたしのスピーチが彼らを突いたからでしょう。

ポジだろうがネガだろうが、意見が出たんです。むちゃくちゃいいことじゃないですか?

色んな意見が出た、だからこそスピーチは成功だったのよ。…と思いませんか?

「男は男で、大変だと思うの」

のだ

うーん、いや…その…スピーチは、反応がとにかく出た、世間に影響を及ぼした、という意味では成功だと思います。

ただ先生も予想外だと仰っていた、「女性はずるい」というようなネガティブな意見も出ていたのは、どういうことなのでしょう。

上野先生

そういう人たちは、わざわざネガティブな反応をするほどに、スルーできなかったということですね。

おおぞの

その人たちがスルーできないのは、結局男性も目に見えないだけで抑圧されている部分があるからなのかなあ、不満があるからなのかなあと。

本当に幸せなら、ほっといてくれるような気がします。

上野先生

男は男で、大変だと思う。

人間を男と女に分けるジェンダー二元論は、わたしが創作した概念ではなく、社会で多くの人々が実際に持つ考え方。それで女の子と違うプレッシャーをかけられて、親に押しつぶされそうになっている男子学生たちを、わたしはたくさん見てきました。

そういうところを見ていると、男の子も大変だなと思うし、事実声をあげる男性も一部にはいます。男性学とか、男性運動をやっている方々です。

司会

あまり聞き馴染みのない名前ですが。

上野先生

そういう男性が、本当に少ないから。「自分たちはこんなに辛い目にあっている」と声をあげる男は、女に比べると圧倒的に少数。

だから彼らは、辛い代わりに何かいいことがあるんじゃないか、としか思えない。それを普通わたしたちは既得権益と呼ぶのですが。

男性集団を上げ底にするような制度が、これまでの経路依存性のなかでできているのね。

 

上野先生

わたしは差別について語るときに、差別されている人たちだけにメッセージを送っているわけではないの。

わたしのメッセージを2割の女子学生だけに投げたって言っている人がいるようですが、もちろん差別する側、される側、全員に向けたものです。

上げ底になっている君たちは、それをいいと思っているの?っていうメッセージを、残りの8割にも投げているつもり。

傍観者にならない簡単な理由と、実践の難しさ

おかだ

今仰っていた男女の非対称性について、僕自身も男性規範の被害者、という意識はあるし、それを主張しろというのもその通りです。

他方で自分は自身の加害者性だったり、桁違いの量の恩恵を受けて今ここにいるという自覚があって。

たとえばこの祝辞もそうだし、自分自身が加害者なんだ、恩恵を受けているんだということを突き付けられた時に、自分はなにをすればよいのでしょうか。これは男性だけでなくて、たとえばミソジニーの女性もそうだし、自分の加害者性に対して、どう…

上野先生

簡単。傍観者にならないこと。

女性差別に対して男性が声をあげると、やっぱり空気が変わるの。男がいうのと女がいうのは違うんですよ。

ミソジニーに同調して、その時一緒に笑ったらあなたたちは共犯者。いじめもセクハラも同じ。

パク

女性と男性が言うことの重さが違うことが残念だと思います。結局、性差別がある環境を、女性の力だけで変えることは難しいということでしょうか。

上野先生

当たり前です。あなたの言う通りよ。

同じことを女が言うと「それは考えすぎ」「被害妄想」と言われがちよね。

もう一つ、男の嫌な分断支配に、「キミは別」と言ってエリート女の心をくすぐることもあります。そういう分断支配をするのよね。

差別をなくすというのは、

一方に差別される人、他方に差別する人がいて、その関係を変えるということだから。

一方だけ変わったって、差別はなくなりません。

きくち

もっともだと思うし、先生の言葉には勇気づけられています。

いっぽうで、なぜ嫌な思いをしている自分の方がこんなに頑張らなきゃいけないの?と思ってしまいます。

授業中、上野先生の祝辞をネタにした男性教員がいたんです。自分はそれにすごく憤りを覚えたし、それに笑った学生たちにも、なんでそこで笑うんだろうと思いました。

でも指摘する勇気はありませんでした。その教室には2人しか女子がいない中で、なんでそこで自分がすごいバクバクしながら、こんなに頑張らなければいけないんだろうって思って。悪いのはどう考えてもその先生なのに。

 

上野先生

そうね。ノイズたてるときに、ちょっとしたスキルを使うのはよいわよ。

たとえば「先生、それイエローカード~」とか。

やり方はいろいろあります。でもその時その場で言わなきゃダメ。

くりもと

男性と女性のお話で、男性が優遇されて生きている、女性は差別される被害者、みたいな傾向があるじゃないですか。ちょっと単純な枠組みではあるんですけど。

ただ女性の中でも、可愛いことを求められて、それに応じるとちやほやされて、わたしはそれでいいんだ、と現状に満足している人もいます。彼女たちの生き方に対して、なにか思うところはありますか。

上野先生

あのね。カワイイって言うのは、あなたを絶対に脅かしません、という保証みたいなもの。

カワイイと言われて喜んでいる場合じゃないと思うんだけど、でも、カワイイとちやほやしてくれる。エサ撒いてくれるのよ。

男性のホモソーシャルな集団の中にはたくさん資源が割り当てられています。その中で一番力のある資源は、権力とカネ。男の期待する役割を果たすと、それを分け与えてくれる。

だからそれにぶら下がっている方が得をする、と思っている女の人たちもたくさんいるでしょう。

司会

でもその生き方は、本人にとってでさえ、本当に好ましいとは限らない、と。

上野先生

他人の期待する役割に応えて、自分の翼を折って、自分の気持ちを抑えて過ごす人生と、

嫌なことを嫌と言い、やりたいことをやりたいと言って生きる人生と、どっちが楽しいかしら?

「波風たてたら、苦しいでしょう」と言われるけれど、自分を抑える方がもっと苦しくない?

他人が求める役割を演じて、一生を過ごすの?

司会

ちなみに上野先生が「フェミニスト」という矢面に立つ役割を自ら引き受けたのはどのような思いからなんでしょうか?

上野先生

わたしがフェミニストという看板をはずさないのは、先輩方からの恩を忘れないためなんです。

わたしの考え方や言葉は、前の世代のいろんなおネエさま、オバさまたちから受け取ってきたもの。実際の親子関係でなくとも、わたしはその人たちに、学恩があるからです。

それに自分はフェミニストでいた方が楽なんです。ストレスがずっと少ないから。

 

加害者になりつづけた男なんていない

おおぞの

わたしは女性であっても、いろんな場面で加害者になってしまうことがあると思います。

女性である自分が、弱者になることもあるからこそ、自分が強者になることもあるから気をつけようという意識があると思うんです。

だから今ここにいらっしゃる男性の方ってほんとうに凄いなって思っていて。男性で、加害者の立場しか経験したこともない人たちは、他の人がいくら声をあげたとしても、そもそも気づけるのか疑問です。

上野先生

うーん…加害者になりつづけた男ってどこかにいるのかしら。

文脈によっては男も「弱者」の立場を経験しているはずよ。

最近、セクハラ、DV、性虐待の加害者に、自分の加害者性と向き合わせるときは、「あなたも被害者であること」を理解させることからスタートするのが効果的だと研究で分かってきています。

あなたがどんなに辛かったか、たとえばキレて妻を殴った時に、どんなに傷ついたか。それって大体、男の自尊心が傷つけられているから。だからこそ、自分がどんなに辛い思いをしてきたか、からスタートする。

被害者の痛みがわからないと、加害者としての自覚も持てないから。

おおぞの

そうなんですね…!

上野先生

だからわたしはね、強者は100%強者ではいられない。強がらず、弱さを認め、支え合って生きてくださいって言ったんです。

強がると加害者になりますが、弱さを認めると、自分が被害者になる。

だからまず自分の弱さを認める。そして自分と同じ弱さを、他の人も持ってるって思えたら、ちゃんと気を付けてふるまえるでしょう。

司会

なるほど。それではジェンダーは、この「自身の弱さと向き合う行為」にどのように影響するのでしょうか。

上野先生

女はこれまで、弱みをさらす訓練をしてきた。これはフェミニズムの基礎である、「個人的なことは政治的なこと」の考え方とつながるのよ。

夫との関係でも職場でも、個人的な問題には違いないけれど、みんなどこかで共通の原因がある。その原因を、女が探してきたら、根っこがつながっていることがわかった。

ところが男は、これが難しい。

男の子同士の会話はパワーゲームで、「どれだけ相手にマウンティングできるか」が重視されがち。それが骨の髄まで身体化していると、脱洗脳でもしないと弱みを認めにくい。だから可哀想だなあと思います。

にのみや

この「弱さを認められない弱さ」が、男性の生きづらさにつながっているのでしょうか。

上野先生

そうね。でもそれはDNAやホルモンで決まっているわけではなくて、要は学習と訓練だと思う。だから男の子が泣き言を言ってもいいし、こんなに辛いっておいおい泣いたっていいし。

その人たちがずっと強者なら、問題を感じないかも。

でも、どんなに強い人も、いつか会社から「あなた明日からここに来なくていいです」って言われたり、権力の座から離れたりします。そこから「弱者」になっていく老後が、人生の終わりに30年くらいある。なかなか死ねないのよ。

司会

だれでもいつか「弱者」になっていく時がくる、と。

上野先生

そう。その時、女は最初から弱者だから落差が少ないし、自分が弱いことを受け入れて弱音を吐ける。

わたしは自分が女で本当に良かったと思います。弱音がはけてよかった。

だからね、男女問わず弱音を吐けるようになったほうがラクよ。これもスキルと訓練だからね、慣れたらできるんです。

自分が弱いことが認められない弱さ、他人のつらさに共感できないつらさが、男性の生きづらさにつながっているんじゃないかしら。

恵まれていることへの責任

司会

男であること、女であることそれぞれが「生きづらさ」を秘めているんですね。

いっぽうでスピーチで話題となったのは、ジェンダー問題についての話だけではありません。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

司会

スピーチ終盤に織り込まれた東大生へのメッセージも話題になりましたよね。

きくち

わたしは祝辞のこの部分にとくに感動しました。メッセージに勇気を貰えたことに感謝しています。

ただわたしは、そこに2%くらいのもやもやがあります。

上野先生

もやもや?

きくち

自分は恵まれている環境に置かれた、だから誰かのために役に立たなければいけないのか。東大生だから、お金持ちにうまれたから、恵まれているから、誰かを救う人になりなさいというのは、強いプレッシャーになりうると感じます。

わたし自身も将来の道を考えたりするときには、せっかく東大に来たらこうなんなきゃいけないんじゃないかとか、自分が誰かの役に立てていない時に、せっかくこんなに恵まれているのに、という罪悪感のようなものを感じることがあるんです。

上野先生

わたしのスピーチをノブレスオブリージュ(※編集部注:身分の高い人が持つ社会的責任)のことだと言った人がいるそうね。

ノブレスオブリージュをそれだけ強く自分に刻んでいる恵まれた人なんて、どれだけいますか?なかなかいませんよ。

恵まれている人もいない人も、みんなエゴイスト。基本は自己利益を追求する。恵まれた人だけがエゴイストであってはいけない理由はない。現実にサクセスした人っていうのは、恵まれていて、かつ自己実現を追求して成功した人でしょう。

たとえばもしあなたがのびのびと、ノブレスオブリージュみたいな「枷」もなく、自分のやりたいことを追求したら、だめ?

きくち

えっと…だめではない?

上野先生

うん。のびのびと、って言った時の、あなたのやりたいことは何ですか?

きくち

わたしの受けてきた教育の影響もあると思うんですが、結局誰かの役に立つ事だと思います。忖度もありますけど、自分が得た東大という環境に行けるんだったら、そこを有効活用しないといけないんじゃないか、と思う自分もいるというか。

ただはっきりとは分からないです。

上野先生

18歳じゃ「本当にやりたいこと」はわからないわよね。

でも「人の役に立つこと」という動機はあるなら、それは義務じゃなくてあなたの選好よね。

誰かの役に立つ、というのはものすごく楽しくて嬉しいこと。他人から感謝されるから。

医者はどんなに性格が悪い人でも必要とされます。ある救急医が言ってたけれど、「この現場で自分が絶対的に必要とされている」というリアルな実感にアディクトするんだそう。それが報酬だから。

義務感からではなく、あなたも誰からも強制されずに自分に選んだものを追求していけばいいんじゃない?

司会

いっぽうで「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」というスピーチ中の言葉にもある通り、恵まれた人だからこそできることもあるように思えますが。

上野先生

恵まれた人にはね、余力があります。それは事実です。

それで恵まれてない人たちはね、余力がない。力を出すことができない、頑張ることも出来ないところにいる人がたくさんいる。

あなたたちは周囲に自分と似た人たちしか知らないだろうけど、世間に出たらいろんな人がいることが分かります。

問題はそこにある余力を何に使うか。自己利益の追求のために使ったっていいのよ。

たとえばアートや音楽など、世間の直接的な役には立たないだろうけど、自分が本当にやりたいことをのびのびとやってる人が男女ともにいれば、それはそれで他の人にとっては社会の希望になる。

人が才能を開花させる姿って美しいから。それはそれで、そういう風に生きていけばいい。

お金儲けが好きな人はお金もうけに邁進すればいいけど、市場が判定を下すわね。

きくち

なるほど…

上野先生

自己利益を追求しちゃいけないなんてことは誰も言わないわよ。

自己利益を追求していくのは、自分の幸福(プレジャー)のため。そのプレジャーの中に、「他人の役に立つ」ことがアイテムとしてあれば、ものすごいいいことよ。ボランティアだって自己満足のため、って言えばいい(笑)。

「じゃあ、ああ生きてきて楽しかったって言おうよ」~まとめに代えて

たに

結局、男性が持ちがちという話が出た「弱さを認められない弱さ」が、祝辞への反発が出た理由につながるんじゃないかと思うんです。

ジェンダー問題というのは自分の中の問題として捉えられてないという価値観と結びつくからこそ、反論も出てきたのかもしれません。

それなら自分の痛みを認めて、そのうえで成長していくためにはどうすればいいのでしょうか。

上野先生

そうねえ。あなたたちは痛みに耐えすぎなのよ。

あなたたち東大生は突出したことができないかわりに、すべてにおいて平均以上のことができてしまう。

東大生とはかなり長い間付き合ってきましたが、あなたたちは親や先生の期待に応えることが大事だと思ってきた。優等生だから。わたし自身が優等生だったからよくわかります。

でも好きなことも嫌なことも、なんでもできてしまう人って、自分のほんとうに好きなことが分からなくなるの。

自分の本当に好きなことって自分の快感なのに、何が「快」で、何が「不快」なのか、優等生は判別がつかなくなる。

司会

さきほどのジェンダーの話をそこにいれると、男性は女性に比べて相対的にそういう傾向が強いことになるんですね。

上野先生

そう。我慢して頑張れよ、不快なことに耐えろって言われるでしょう?それが男の人を過労死させるんです。自分の体が発信している危険信号が聞けなくなってしまう。頑張っちゃうの。頑張れるから。

親や教師に褒められるためにこれまでやってきたかもしれないけど、自分が死ぬときに、自分を褒めてくれた人たちがみんな先に死んじゃってたら、だれもあなたを褒めてなんてくれません。

それなら、最期に、ああ、生きてきて楽しかったって自分で言おうじゃない。

そのためにこれが不快だ、と女はたくさん言ってきた。男も不快だったら言おうよ。

不快なことを我慢しないほうが、ずっといいよ。

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