こんにちは。苔です。
塾講師をしている友達が、こんなことを言っていました。
「塾講師をしていると、なんでこの子はこんなこともわからないの?って思うこともあって、イライラしてしまうんだよね。」
東大生は、何かを教わる側としてはとても優秀であるはずですが、
果たして何かを教える側としても優秀なのでしょうか?
そもそも「良い教え方」とは何なのでしょうか?
そんな疑問を、東大教育学部名誉教授の市川先生にぶつけてきました。
─本日はどうぞよろしくお願いします!
よろしくお願いします。
─まず、どのようにして教授になられたのか教えてください。
僕は小さい頃からなんとなく研究者に憧れがあったんですよね。自分の興味を追求するのって楽しいじゃないですか。
中でもずっと天文学をやりたくて、当時は天文学を勉強できる大学がかなり少なかったので、その中で東大がいいかなと思って、東大に入りました。理科I類です。
─それではじめは天文学の研究者を志したと。
ええ。でも天文学って狭き門で進振り点がすごく高いんですね。僕は運動会のソフトテニス部と音感というバンドサークルに入っていて週7で活動をやっていたら、全然点数が足りなくなっちゃって。
それで自分の進振り点で入れそうで、なおかつおもしろそうだったのが、文学部の心理学だったんです。心理学って実験してデータ取って…ということをするので、結構理系的なところもあるし。
─最初は理学部に行こうとして、進振りで文学部に入って、今は教育学部の教授になっている…。
学生の頃、心理学の中でも僕は特に認知について学んでいました。
人間の心は「知・情・意」から成り立つと言われています。知は「人間の認知や学習など」、情は「感情」、意は「意志」を表していて、僕がやっていたのは記憶や思考などの「知」の部分ですね。
実際に心理学の実験をするのはすごく楽しくて、被験者の反応を見るのも「うわ、こんな反応するんだ」って思って興味深かったです。しかも自分が行った実験のデータはこの世で自分しか持っていないわけで、わくわくしました。
─それでは、そこからはもう一直線で研究の道に突き進んだというわけですか。
いえ、駒場時代ドイツ語をサボっていたのがたたって、院試に一回落ちました。(笑)
だから、留年して卒論も二本書きましたね。
1年目は人の短期記憶について、2年目は人間の考える主観的ランダム性と本当のランダム性の間の乖離についての研究をしました。
─主観的ランダム性っていうのは…。
例えば今、コインを何回も投げて表を1、裏を0としたら、どんな0-1系列ができると思いますか。それを人に予測して作ってもらうのが主観的ランダム系列です。それがもつ性質が主観的ランダム性ということになります。
人間の作った主観的ランダム系列
1100110010011101010111101101111000111001011100110010111101101001………
でも実際にコイン投げをしてランダム系列をつくると、かなり違うんですよ。人間がつくったほうは、短い範囲で0と1が交代して同数になるようなある種の規則をもっている。
実際のランダム系列
1011111001001000010000110001101101011110000100000010110000000011………
僕はこのような、人間が思う主観的なランダム性と本来のランダム性のギャップに注目して、人間が真にランダム系列を学習できるものかどうか、といったことを研究しました。
(データの出典:市川伸一編 『認知心理学4 思考』(東京大学出版会、1996年)p.68)
─めちゃくちゃ面白そうですね。それにしても、よくこんなに違うテーマで卒論を二本書こうと思われましたね…。
心理学って日常生活のほとんどが研究対象になるので、学部生のうちにいろんなこと研究できてよかったと思います。
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─教育心理学にはどのようなきっかけで進むことになるんでしょうか?
30代までずっと心理学の基礎研究(※応用ではない、実験室での研究)をやっていてそれはそれで楽しかったんですけど、その知識を社会と接点を持たせるためにはどうすればいいかということも考え始めて、そのとき心理学の知見を「教育」に生かせないかと思いまして。
─それはまたどうしてですか?
実は大学に入ってから院生にかけて9年間家庭教師をしてたんです。
その指導の中で、「生徒はこんなところでつまずくんだ」とか「生徒ってこういう勉強法をしているんだ」とか、いろんな気づきがあって、そういう理由で教育に元から興味があったんですよね。それで、あらためて認知心理学を学んだ上で、教育の道に進みたくなりました。
─やっと教育学部とつながるわけですね。
ただ、応用をやろうと思って教育心理学の世界にはいったものの、当時の教育心理学ってやはり基礎研究が中心で、ほとんど社会とリンクしてなかったんですよね。
そこで得られる知見って、実験という統制条件下のものであって、実際の社会における教育実践に即したものじゃなかったんです。
例えば人間の記憶能力について研究するとき、実験室実験では「純粋な」記憶力を測るために昔は無意味な文字列を覚えさせたりしてたわけですけど、現実世界に無意味な文字列を暗記する機会とかまずないですし、特に教科教育っていうことに関してはほとんど当てはまらないですよね。
だから当時教育心理学は「不毛な学問」と、外からも内からも批判されていました。しかし、何をすればそこから脱却できるかということは模索状態だった。
そこで実験室研究だけではなく、実際の教育の現場で自ら教育活動をしながら研究したいと考えました。30年前のことです。
とはいえ、教員免許は持っていないので、大学に一般の小中高の生徒を呼んで、一人一人に個別指導をする形で研究してましたね。これなら、家庭教師のころにもやっていたし、免許がなくてもできる。
生徒がどんなことにつまずいているのか、どういう勉強方法が効果的なのか、生徒はどのような悩みを持っているのか、といったことをもとに事例検討会で議論をして、個別指導の力量アップと理論化していくという活動をはじめました。
─「教え方」の研究をしていくわけですね。
僕たちは教えるという行為を「認知カウンセリング」と名づけました。「心理カウンセリング」の認知版ということです。1970年代から台頭してきた「認知心理学」を理論的背景にするという意味合いもありました。
途中からは現役の学校の先生にも検討会に来ていただき、より実践的な認知カウンセリングの体制を作っていきました。
ここ10年くらいは学校の先生方と連携して、認知カウンセリングの考え方を授業改善にも生かすような活動をしています。
─その「認知カウンセリング」っていうのは、どういうものなんでしょうか?
そうですね。それじゃあ試しに聞いてみたいんですが、例えば個別指導のバイトをしているときに一番心がけた方がいいことって何だと思います?
─やっぱり、その生徒に合った分かりやすい教え方や説明をしてあげることが一番大事だと思います。
それも大事ですが、僕はそこじゃないと思ってるんです。
─?!?!?!?!?!?
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