「1年生で休学してホテルを経営している東大女子がいるらしい」
誰もが”何なんだ・・・!?”って思ってしまいそうなフレーズですね。そんな彼女の驚きの行動力に迫って参りました。
夢に向かってひたむきに貪欲に進んでいくその姿に、圧倒されること間違いナシです。
東京で生まれ、京都で青春を過ごした翔子さん。
そんな彼女のロックな人生は小学5年生の時読んだ「ズッコケ三人組ハワイに行く」という小説から始まりました。
作品に登場する、ハワイでホテル経営をする日系人のおじさんに、なぜか彼女はすっかり心を奪われてしまったそうです。
「めっちゃ楽しそうやん!うちもホテル王になりたいわ〜」
彼女は小学生なりに考えます。
「これからの時代、交通はどんどん発達していく。それに伴って人々の移動も活発化していくだろう。
ホテルは人間の生活に必要不可欠な「衣食住」の「住」に相当するもの。じゃあ、ホテルってビジネスモデルはこれから先も続いていくはずや!」
こうして突如として、ホテル経営者を目指すことを心に決めたのです。
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彼女は小学校低学年の頃、ご両親の仕事の都合で短期間アメリカに住んでいました。
家族でアメリカ横断旅行をしたとき、その道中泊まるホテルは、どこも同じ設備、同じ見た目。
「場所が違うのに、泊まるところは変わらんなんて、おもんないなー。その土地土地の文化や特色を感じられたらもっとおもろいのにな。」
のちに調べてみると、長いホテルの歴史の中では、「どこの国においても同じ条件の部屋で過ごせること」がホテルが目指してきたものでした。
たとえ国が違っても、似通ったインテリアの部屋ばかり。趣向を凝らしているのは高級ホテルの一部だけ。
「その街に来た人がその街らしさを感じられるような、趣向を凝らしたホテルを作ろう。」
彼女の夢はどんどん具体的になり、スケッチブックは理想のホテルのイメージデッサンで埋まっていきました。
特色あるホテルを自ら世界各地にプロデュースするべきか? あるいは既存のお城ホテルなどの特色あるホテルをフランチャイズ化するべきか? など、ビジネスモデルを考えては、家族や周りの大人に自分の考えをぶつけていきました。
(小学生の時点で、ここまで考えていたというのは驚きです・・・)
そして彼女は思いました。
「自分で考えるだけじゃなんもわからん。東大行こう。東大行ってすごい人たちに教えてもらお。」
ホテル経営を本気で学ぶ。その決意を胸に東大の文科Ⅱ類を目指した彼女。京都の国立高校から、その高校では5年ぶりの東大生として、入学を果たしました。
入学後まもなく、いずれ起業を目指す彼女は、スタートアップ界隈の東大生やOBと仲良くなりたいと考え、大学の先輩たちとの交流会に行ってみました。
自分の夢を語る彼女に、
「じゃあその夢を叶えるために、あなたは何かしてるわけ?」
先輩は厳しい言葉を浴びせました。
「は?夢の叶え方をアドバイスしてもらうために交流会に来とんねん!悩んどんねん!分かってたらこんなとこきいひんわ!」
現実を見ろと言わんばかりに執拗に質問を畳みかけてくるその先輩に、彼女は内心いらだちを隠せませんでしたが、同時に自分の見通しの甘さを突き付けられました。
「こいつめっちゃムカつくのになんも言い返せへんのめっちゃくやしい・・・」
その当時彼女が描いていた人生のシナリオは
東大生になる
↓
ハーバードのビジネススクールに行く
↓
ホテル業界の偉い人と知り合う
↓
そのホテルに入れてもらう
という、非常にロックなものでした。
自分の見通しのあまりのロックさに気づいた翔子さんは、焦りを感じて行動に出ました。
東大のOBが重役を務める中小企業に潜り込み、インバウンド担当として中国の大手旅行代理店への営業を買って出て、自ら中国・北京までプレゼンをしに行ったのです。
なんの知識もなく飛び込んだ彼女。結果は散々なものでした。
同時平行で行っていた他のプロジェクトも頓挫。
現実を思い知りました。
「私の実力こんなもんか・・・」
そう実感させられたと彼女はいいます。
彼女の心は完全に折れ、それまで積極的に参加していた意識の高いイベントからも遠ざかるようになっていきました。
サークル。飲み会。
意欲と自信を失った彼女を待ち受けていたのはたくさんの誘惑でした。
彼女も例にもれず、諦めきれない夢を燻らせながらも、自堕落な大学生活を送っていきました。
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飲み、デート、パーティーと遊びの予定を詰め込んでも心は満たされず、ふさぎこみがちになっていた彼女に、運命が導くかのように転機が訪れます。
Airbnbとの出会いです。
Airbnbとは、一軒家やアパートなどの空き部屋を旅行客に貸し出すことができるサービス。旅行者は、Airbnb上に掲載されている個人の空き部屋やベッドを選んで宿泊することができます。
当時は世界中で急速に人気を集めており、日本でも知名度が少しずつ上がってきた段階でした。
このAirbnbというサービスのシステムを知った瞬間、彼女の中の「ホテル」の定義に転換の時が訪れます。
「ホテルの本質は、きらびやかで大きな建物じゃない。・・・部屋だ。
泊まれる部屋がそこにあればいい。
いきなり100室のホテルを建てるのは無理だけど、1組のお客さんのためにお部屋を1つ用意してあげることなら、私にもすぐにできるじゃないか。」
Airbnbという突破口から、夢の実現がすぐそこに見えたのです。
彼女は、Airbnbを利用してホテルを経営するというアイディアに共感した母親とともに、北海道富良野市にあった中古のペンションを一軒買いました。
最初は小さくていいんだ。小さなものをいくつも売ればいい。
そこから大きくしていけたらいいんだ。
彼女は若干19歳にして夢を叶え始めたのです。
そんな彼女のホテルに対するこだわりは生半可なものではありません!
かねてより抱いていた「ライフスタイルを提案する場としてのホテル」という考え方は、実は業界の最先端を走っていました。
来てくれた方の旅を、一層鮮やかに彩るようなホテル。
可愛くて素朴な、富良野らしさを体感できる内装。
「ホテルスタッフ」と「ゲスト」であることを忘れさせるような暖かで親切なサービス。
夏は、ラベンダー鑑賞やサイクリング、釣り。
冬は、スキー、スノボ。
朝は空を真っ赤に染める朝焼けを、夜は一面に輝く星空を心ゆくまで楽しめる。
館内全体のデザイン、サービス、iPadを活用したチェックイン・会計システムの開発など、全て龍崎さん自ら指揮をとり、旅行者視点でこだわり抜いたホテルを実現しています。
明確なビジョンによって支えられた彼女のホテルは、外国人観光客を中心に宿泊する旅行者の心を捉えています。
宿泊した方から、ポストカードが届くのだと、嬉しそうにお話ししていました。
若き経営者は開業半年にして忙しい日々を送っているのです。
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そもそも龍崎さんはどうやって経営を始めたのでしょう。そこにはやはり、独特の苦労がありました。
渋谷のホテルでアルバイトをしてホテル業務を一通り学ぶとすぐさま、富良野でホテル経営を始めました。
最初は、フロントの業務ができるのが龍崎さんしかおらず、一人で全ての運営を行っていました。
当然大忙し。日常の業務に追われていると、いつしか前が見えなくなっていることに気付きます。この先、どんどん事業を拡大していきたい。そう考えるとこの状況は望ましいものではありませんでした。
追い込まれた龍崎さんは、経営者の役割の何たるかに気がつきます。
仕事を任せる。そのために任せられる仕組みを作る。働きやすい空間を作る。それこそが経営者の役割。
経営の教科書には書いてある。でもそれを実践し実感している大学生が何人居るでしょう。
雇っていた社員さんは、元来勉強熱心な方で、非常に仕事に熱意がありました。
その社員さんの仕事に対する姿勢を見た龍崎さんは、システムの理解と向上の一切を社員さんに任せることにしました。
結果的に、それまで龍崎さんしか担当しえなかった業務を社員さんが分担してくれるようになり、ホテル全体としてうまく回っていくようになりました。このような支えのおかげで、別の業務に専念することができたのだそうです。
ちなみに龍崎さんが仕事を任せた「社員さん」も、もちろんホテルのオープンから彼女が集めてきました。
最初はなんと見ず知らずのおっちゃんを雇い、一つ屋根の下で暮らし始めたのだそう。
もはや僕の中の「女子大生像」とはかけ離れています。
社員さんはとても誠実で優しく、お客さんのことが大好きな方なんだそうで、お客さんからももちろん大人気。誰が欠けても今の状態を実現することはできなかった。その素敵な出会いへの感謝をこの記事を通して伝えたい。
彼女は取材後に改めてこのことを僕に念押ししてきました。
そして龍崎さんを支えてきた人といえば、富良野のペンションを一緒に買って、今も一緒に経営をしているお母様でしょう。
自分の母親とビジネス・・・僕は想像もできませんが、龍崎さんのお母様は一味違うようです。
親子の関係でありながら、ビジネスの話になれば率直に意見を交わし合う。論理的に正しければ、お互いに意見を尊重しあう。
お母様は、自分の教育と自分の娘を、何よりも信頼しているのでしょう。
だからこそ娘を、対等な立場から助けてあげられる。
自分の子供を所有物とし、最終決定権は親が持つ、という家庭はまだまだ日本には多く感じます。
でも、自分で考えることを教えられてきた翔子さんだからこそ、後悔のない人生を歩むことができているのでしょう。
そんな対等な関係でありながら、実は親御さんらしい心配もしているらしく、今年復学する際の家はお母様が選ばれているそうです。
そのギャップになんだかすっかりやられてしまいました。
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翔子さんはまだまだ、サービスの質に満足していないといいます。
富良野が観光シーズンを終え閑散期となる10.11月。彼女はなんと、京都の清掃会社の派遣や、京都市内のホテルのフロントスタッフとして働いていました。
われわれが取材をした日も、京都のホテルで夜勤アルバイト明けだったというのです。
他のホテルスタッフも全国に散り散りとなり、修行を積む。こうして再び冬のシーズンを迎えたホテルは、よりパワーアップしたものになっています。
この学びへの姿勢こそ、彼女の最も驚くべき能力だと思います。
学校での勉強はもちろんのこと、アルバイト・ネットサーフィン・人との他愛のない会話。「生活の全てが学びなのだ」と龍崎さんは言います。
龍崎さんの全ての行動には、狙いがあり、明確な論理がある。そして常に、学ぶための謙虚な姿勢を保っている。
僕の身の回りのいわゆる意識高い系の次元とは全く違う、本当に成長に貪欲で、自分の夢に忠実な姿。刺さるものがありました。
彼女の成長に置いて行かれないよう、ぼくも日々を生きていこうと思います。
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龍崎さんはすでに、次へ向かって動き出しています。
今年の4月には京都に新店舗がオープンします。富良野での経験を踏まえ、2号店はさらなる進化を遂げます。
旅をより感動的なものにするのは旅先で出会った人との関わりだ、という経験から、ラウンジ等の共有スペースやシェアキッチンを充実させ、ゲスト同士が仲良くなってもらうことを目指します。
さらには最新技術を取り入れて、旅行先の高揚感をメディアアートでインタラクティブに楽しむことができる仕掛けも。
そして2020年には東京進出を目論んでいるとのこと。彼女のホテルが東京にやって来るのが待ち遠しいですね。
翔子さんの経営するホテル「petit-hotel #MELON富良野」「HOTEL SHE, KYOTO」では一緒にホテル業界をより面白くしてくれる社員さんを募集しているそうです!
「選択肢が沢山あるアパレルや飲食のように、ホテルも多様であるべき。高級ホテルでもビジネスホテルでもない、新しいホテルを世界に増やしていきたい」
翔子さんがお母さんと経営している株式会社L&Gグローバルビジネスはこの想いを掲げ、ホテルの企画・運営・プロデュースを行うホテルベンチャー企業です。2015年5月に北海道・富良野で1号店「petit-hotel #MELON」をオープンして以来、国内外のゲストから高い評価を獲得し、2016年4月には「ソーシャルホテル」というコンセプトを掲げて京都で2号店「HOTEL SHE, KYOTO」をオープンしました。2016年7月には鎌倉のテラスハウス「PLAGE YUIGAHAMA」の運営委託を開始し、他数件のプロジェクトが進行中。
2020年の東京進出を目標に、自社ホテルの運営・プロデュースをはじめ、委託運営業務やブランディング業務など多角的に拡大していく見通しとなっております。
接客業・観光業をはじめ、空間デザインやホテルプロデュースに興味のある方はぜひWANTEDLYページをチェックしてみてください。
ぼくの惚れ込んだ龍崎さんのエネルギーをぜひ体感してきてください!