東大生が自分の恋愛について真剣に考えてみたけれど…

LINEで送る
Pocket

「セックスは恋人同士のコミュニケーションの頂点」?

ぴょこ:私のしんどさとしては、今恋人がいるんだけど、そもそも恋人っていう名前の付いた相手に何を求めるかって点で相手と齟齬があるので、どうしたらいいのかなって。

お互い、相手とコミュニケーションがとりたいって点では一致してるんだけど、コミュニケーションっていろんな形があるじゃないですか

例えば主要なものは言語によるコミュニケーション、抱きつくとか手を繋ぐとかっていう身体接触によるコミュニケーション、性的接触によるコミュニケーション。

自分の場合はそれぞれのコミュニケーションの形にそれぞれ別の役割があって、他のもので代替するのはちょっと違うなって思う。

そんな私と反対に、相手は、性的接触で他の分の不足を全部補えると思っている節があるように感じていて。あまり言葉によるコミュニケーションが得意な人じゃないのもあるけど。

 

かび:彼はセックスを、恋人同士のコミュニケーションの頂点というか、上位互換だと思っているんでしょうかね。

 

広島:ぴょこさんが言う身体接触によるコミュニケーションの形、要するにスキンシップは、彼にとってセックスに至るまでの過程でしかないのか。

 

ぴょこ:自分がスキンシップに重きを置きすぎている自覚はあるんだけど。でもやっぱり、セックスとは結びつかないスキンシップというコミュニケーションの形を大事にしたい。

 

広島:それ、でもそのぴょこさんの意思は尊重されていないんだよね、それって彼氏さんがぴょこさん自身のことを見ていないからなのでは?

 

ぴょこ:お互いが、自分の世界の中のお互いと付き合っているのかもしれない。だけどその像には齟齬があって、っていう。

結果、表向きなんとなく平和な関係は維持できるけど、裏でこういう風にうじうじ言ってるみたいな期間がほとんど。

彼はその齟齬を認識しているけれど、私の問題について、自分が変わらなくても解消できるだろうと解釈している、というのが一番しっくりくる。自分の世界を出ようとはしていないと思う。

 

広島:自分は言語によるコミュニケーションだけで満足しちゃうなあ。

 

好きな人って代替可能?

ぴょこ:付き合う前は、自分と相手の価値観にこんなに差があると思わなかった。付き合ってから知った相手の側面と、付き合う前にその相手に対して抱いていた予測がだいぶ違ったんだよね。

相手のことを自分に都合の良い方向に解釈しちゃってた感がある

 

かび:そういう、予測から外れた部分をいかに愛するかっていう問題は大きいですよね。今ぴょこさんは、彼の持っている様々な側面、つまり彼の持ち物の一部だけを好きになっていて、彼の存在自体が好きというわけではないのかな。

 

ぴょこ:存在自体を好きになるべきってこと?でも人間ってその人の持ち物の集合じゃない?

 

かび:そうだとしたら、同じ持ち物を持ってる人なら誰にでも代替可能ってことになるんでしょうか。

「代替可能じゃない自分を愛して欲しい」というのはフィクションにしかなり得ないのか

ぴょこ:うん。理論上は代替可能だけど、逆に今の彼氏と同じくらい自分の理想に適合する人ってレアだから、実質代替不可能って感じかな。

 

かび:私はそれは相手を道具にしてるみたいでなんか嫌だなあと思います。自分も今の人と付き合う前は「もう一人で生きていくぞ!」って固く決めてたんだけど、それは「相手を自分が生きのびるための松葉杖にしてしまいそうだから」っていう理由でした。すごく相手に不誠実な気がして。

 

ぴょこ:こんないろいろ言ってて、じゃあなんで別れないのってなったときに、「彼氏がいるっていうステータスが欲しいの?」って言われたことがあって。でも、それは絶対に違うんだよね。保身とかではなく。むしろその肩書が邪魔なことの方が多い。

付き合う前に考えてた彼氏が欲しい理由ってのが、「とりあえず今自分が生きててもいいかなと思っていることを正当化したい」だった。その手っ取り早い方法が彼氏を作ることだと思ってた。

 

かび:それは「彼氏」じゃなきゃダメなんでしょうか。友達じゃダメなんですか?

 

ぴょこ:いや、性別にこだわりはない。私にはめちゃくちゃ仲の良い女の子がいるんだけど、今、物理的距離が遠い。会いたいときに会えるかどうかって大事。
あとは、「お互いの『好きな人』がお互いだったら良かったのにね」って何回も言い合ってる男友達もいるな。

 

かび:「好き」ってどういう意味で使ってますか?

 

ぴょこ:難しい。彼氏と、今言った二人はみんな「好き」だけど、どう違うかは説明できない。けど、これをするならこの人、あれをするならこの人、とかはなんとなくある。

 

かび:好きの分節化の必要がある気がしますね。

 

ぴょこ:うーん。そういうことを考えれば考えるほど、今の恋人のことを本当に好きなのかな?って思っちゃうな。

今の私を説明するのにめっちゃ役立つ言葉にこの前出会って。「授かり効果」って言うんだけど。

マーケティングの文脈で聞いた話なんだけど、被験者を集めて、参加賞みたいな感じで2つ景品をあげるんだよね。その景品を仮にA、Bとしたとき、AもBも同じような価値のものだったとしても、まずAを渡してから「Bもありました、換えたかったらどうぞ」って言うと、Aを持ち続ける人の方が圧倒的に多い。逆もそう。

 

かび:なるほど。で、今の自分がそれ、と。

 

ぴょこ:そう。しかも私の例だと、今持っているAを手放したからといってBが与えられる保証もない。そうやって色々考えたとき、今は現状を維持することを選んじゃう

 

広島:逃した魚は大きい、って諺があるけど、今の恋人を手放してしまうときっとまさにそう感じるだろう、ってことだよね。

 

かび:5000円もらった時よりも5000円失った時の方が、つまりプラスの価値よりマイナスの価値の方が大きく感じる、という話もありますよね。

 

価値観が合わないとき、自分が変わるか相手が変わるか

かび:彼は自分のことを変える気がないから、まあぴょこさんが価値観を変えていかざるを得ない形でコミュニケーションを図っているわけですが、ぴょこさん自身は相手とどうしていきたいんでしょうか

 

ぴょこ:別れたいわけではない。だけど、彼の持つ側面の中に私が予測していなかったものがあって、それを捨ててくれるのが理想。めっちゃエゴエゴしいけど。

 

かび:そうなればwin-win、めでたく互酬性が成立するわけですね。

 

広島:「捨ててくれるのが理想」って言ってるけど、彼が本当にそうしてくれると信じてるの?

 

ぴょこ:うーん、なるべく早く自分に合う持ち物を持っている相手を新しく探した方がいいんだろうなという気持ちはずっとある。だけどそうしてないっていうのは、どこかで期待があるのかもしれない。

 

かび:なんかこう、共に生きている感じが全然しないですね(笑)

 

ぴょこ:しんどいな…。

さっきもちょっと言ったけど、お互いの世界にお互いの理想像があって、それと共に生きていると思っているんだけど、実際の像には乖離があって。

その現実と理想とのズレに日々直面しているのが自分、相手はそれをあんまり感じていないように見える。

 

かび:『痛みの哲学』という本の中で鷲田清一さん熊谷晋一郎先生が対談してるんですが、

「覚醒とは予測からのずれを感じ取り続けることなのではないかと思います。自分のファンタジーにどっぷり浸かれるときというのは、すべて自分でつくっていますから、予測不可能なものは論理的にはゼロです。そんな人を取り囲む人たちも、なんとなく面倒臭いし責任も追いたくないのでマニュアル通りに接しておこう、となります。そうすると、全てが予測可能になってしまう。例えば、怒ると必ずおいしいものを買ってきてくれるとか(笑)。全部予測可能な世界にいるときというのは、目を開けていても夢を見ている状態なのではないでしょうか。つまり、予測からのずれ、思い通りにならなさ、想像と違うということ、そういうずれこそ覚醒の第一要因なのではないでしょうか。

(中略)

「覚醒というのは意外とスカッといくことではなく、どうしようもない、自分の思い通りにならないものが浮上してくることなんですよね、きっと。」(鷲田)

(熊谷晋一郎、大澤真幸、上野千鶴子、鷲田清一、信田さよ子『ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』より引用)

ぴょこさん自身は覚醒しっぱなしでそろそろいい夢みたいんだけど、相手はズレを観測しているのかしていないのか…っていう状態なのかもしれないですね。

 

次ページ:あなたも「恋バナ」したくなってきませんか?

あわせて読みたい

LINEで送る
Pocket

ABOUTこの記事をかいた人

私たちは、イロモノとして扱われがちな「恋愛・性」という話題について真面目な顔をして昼間から議論をします。爆発してしまいたくなるほど恥ずかしい話も一人称で、自分の物語として語り、共有し、「恋愛・性」を通して自分たち自身のことを研究しています。 東大生の"こじらせた"恋のお悩みを、アカデミアの最前線を行くゲストに解体していただく座談会形式の企画です。ゲストには熊谷晋一郎先生(東大先端研准教授)、綾屋紗月さん(東大先端研特任研究員)、國分功一郎先生(哲学者・東京工業大学教授)、信田さよ子さん(臨床心理士)、上岡陽江さん(薬物依存症の自助グループ「ダルク女性ハウス」代表)、倉田めばさん(「大阪ダルク」センター長)、恋バナ収集ユニットの「桃山商事」さんをお呼びしております。 誰もが当事者だからこそ深く立ち入って議論しにくくなっている恋愛や性の話題。そして、誰もが当事者だからこそ、学問の領域をまたいで議論できる面白い領域が、「恋バナ」ともいえるでしょう。ここ東大でしか聞けない「アカデミック恋バナ」にご注目ください! 駒場祭1日目(23日金曜日)13:00から1号館117教室にてお待ちしております。

この記事に感想を送る▼

メールアドレス (必須)

メッセージ