世界史を学んでいる学生の皆さん、
あるいは、
かつて学んでいた元学生の皆さん
こんばんは。
皆さんの中で世界史の教科書を使ったことの無い方はいますか?
そういないでしょう。
では、世界史の教科書を書いている方の話を聞いたことのある方はい ますか?
こちらもそういないでしょう。
今回の記事では、世界史の教科書を執筆されている東大教授にお話を伺ってきました。
世界史の教科書の裏側の世界、ちょっと覗いてみませんか?
[広告]
招かれた研究室の扉をギィーッと開けると、年季を感じさせる作品の幾つかが目に映る。
──それレプリカですよ。
な、なんだと。レプリカだと。そうかレプリカなのか。
こちらが取材に快く応じてくださった、橋場弦教授である。
古代ギリシア史、特にアテーナイ(アテネ)の民主政を研究対象とされており、山川出版社の『詳説世界史』を執筆されている。
早速、教科書執筆についてお話を伺うことにした。
──常に微修正です。
橋場教授に、ズバリ教科書執筆について訊くと、こう答えが返ってきた。
──歴史的な事実はある程度定まっていて、大きく変わることは稀です。しかし、常に分かりやすい表現に改めなくてはいけない、そういうのがあるでしょう。
なるほど。
であれば、世界の最新の研究の成果を反映しつつ、より読みやすいものにすることが、教科書執筆の目的となる。
──僕が教科書を書きませんかって言われたのは、もう20年以上前、ちょうどゆとり教育が始まる頃の話。大幅に分量を減らさなくちゃいけない、そう、大改訂の時期でした。
ゆとり教育への転換に伴って、授業数は削減され、世界史を含め教科書の内容は大幅に精選されることになった。
その大改訂の中で橋場教授は何を見たのだろうか?
──「衆愚政」という言葉をオミット(削除)しました。
[広告]
──「衆愚政」という言葉をオミット(除外)しました。
「衆愚政」。
ペリクレスの死後、大衆に迎合するデマゴーグらの詭弁に先導され、アテーナイが「衆愚政」に陥って衰退したのは有名な話。判断力に欠いた「愚かな」民衆によって政治動向が左右された、民主主義の失敗型といった具合に使われる。
自分も高校の世界史の授業で、「衆愚政」という用語を習った記憶がある。というか、かなりの重要単語として教わったはず。
ここを変えたのは一体どういうわけなのだろうか?
──いわゆるアテーナイの「衆愚政」というのは、デモクラシーの中で起こったある例外的な出来事にすぎないんです。
例外的な出来事、と。
──考えてみてください。ペロポネソス戦争が始まって、狭い城壁内に何十万というアテーナイ市民が家畜も含めて集まってきて、寝泊りするところにも事欠くような環境で生活していたわけです。
やがて、そこで疫病が流行りだすわけです。人がばたばた死んでゆく。
そんな状況にいたら、別にアテーナイ市民じゃなくても頭がおかしくなっちゃいませんか?
ギリギリの生活の中で、疫病が流行りだす。
冷静な判断ができなくなるのも当然であろう。
──そう考えてみれば、極限状況に置かれた彼らが犯してしまった1つのエピソードなんです。だから、それをもって、「衆愚政」という政体ができたみたいに語るのはおかしいわけですよ。
──「衆愚政」という言葉はレッテル貼り、悪口に使われるもので、客観的な政体を表すものでは全くない。どういう愚行をしようとも、デモクラシーという政体には変わりはないわけです。
実際に、ギリシャ史の学者が自分の著作の地の文で「衆愚政」なんて言葉を使うことは全くないと言っていい。
ここについて、橋場教授の著書を確認してみると、分かりやすい言葉で記されている。以下に要約する。
「衆愚政」という言葉は「気まぐれな民衆が群集心理によって国政を左右する悪質な衆愚政治」という否定的な評価を含んでいる。
しかし、前4世紀のアテネを、「衆愚」という価値判断のあからさまな用語で評価することは問題があり、使用すべきでない。この言葉は古代では使われたが、現在の歴史叙述では使われなくなっていることに注意する必要がある。
橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験』2016 講談社学術文庫
常に正しい表現にと、世界の世界史研究を汲み、更新していく必要があるのだ。
しかし、教科書の内容はそう簡単に変えられるものではない。
──教科書は非常に保守的なものであって、一旦書いてしまうとなかなかそれを動かすってことができないんです。
その雰囲気の中で、橋場教授は思い切って「衆愚政」をオミットしたのである。
ところが。
──そしたら、現場の高校の先生からクレームが来て……。