【下町アフリカのルーツに迫る】アフリカのリズムに乗れ!ジェンベと町屋のコミュニティ

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町屋のアフリカコミュニティ

TDFとアフリカ屋さんは、文化や語学に関するワークショップを開催され、さらには有名アーティストの招聘や、フランス政府の公式施設であるアンスティチュフランセとコラボなど、文化振興の領域で大きな存在感を放っていらっしゃいます。参加者が集まって、TDF主催のマリでのカルチャーツアーに出かけることも。

▲夏の「TDF合宿」には、アフリカンダンスの「神」ユスフ氏と、スーパージェンベ奏者のラウラウ氏がやってくる!

ある人は布がきっかけで、ある人は楽器がきっかけで、西アフリカの文化に興味を持ち、学び、実際に訪れるということが、東京の下町で20年近くも続いているのです。

この交流は、決して日本からの一方通行ではありません。職業や学業を理由として日本に滞在するアフリカ出身者のお世話も、TDFやアフリカ屋さんは請け負うことが多いのです。そうした在留アフリカ出身者の方々は、お店に集まる日本人に自身の国について紹介することも。

▲アフリカ屋に滞在するギニア出身の方が、自国の文化を紹介した紙芝居

このようにして、アフリカ屋さんは創立以来、日本に滞在するアフリカ関係者のハブとして機能してきたのです。

ところで、アフリカ屋さんの周囲にアフリカ出身者が集まり、ここまで順調に大きなコミュニティが形成された秘訣はなんだったのでしょう?インターネットも、つい10数年前までは今ほど盛んでもなかったでしょうし…。

いよいよ、「地元感」溢れる荒川区の住宅地に息づく「下町アフリカ」のルーツに迫っていきたいと思います。

下町だからこそ、アフリカ

不思議に思って訪ねてみると、アフリカ屋店主・佐和子さんはあるエピソードを語ってくださいました。

アフリカ屋を立ち上げてすぐのある日、近所の外国人ご夫婦に招かれて食事会にいくと、なんとそこにはたくさんの在留アフリカ人の姿が!彼らは、東京の工場に外国人労働者として働いていた人々でした。

そこで佐和子さんは、町屋零細工業地域には、労働者を中心とした小さなアフリカンコミュニティが育まれていたことに気づかれました。アフリカ屋を始める前にも、テレフォンカードを売ったりしている黒人さんに出会ったなあという朧気な記憶もあるそうですが、特にバブルの前後は「労働力」の流入も盛んだったと振り返ります。


▲語学や文化を学び合う。工業地域としての町屋のポテンシャルが、アフリカンコミュニティの下地になっていた。

これは全くの偶然で、NYでアフリカの布に出会った時にも、地元でアフリカ屋を開くときにも、思ってもみなかった話だそうです。

「アフリカの布に出会ったことがきっかけで、知らなかった地元の歴史に出会った」

この2回の記事を振り返ると、壮大な複数の歴史の流れが、偶然の出会いを経て、町屋駅に集まってきていることが分かります。

数百年昔、アジアにルーツを持った布が、たまたまオランダの貿易によって西アフリカに根付いた。戦後には、日本の繊維工業の主力輸出製品ともなり、アジアに「里帰り」。

90年代、ひとりの日本人がニューヨークで布に出会い、実家である下町の履物店を西アフリカの布でリノベーション。

▲テーラーのBamba先生。アフリカ屋WEBページより

それが、下町の工業地域の持つ「外国人労働者コミュニティ」のポテンシャルと結びつき、アフリカンコミュニティとしてのハブになり、一方でジェンベや踊りを愛する日本人が集まってくる…ある人はトーゴやマリ、バマコに出かけ、一方で和の文化と融合した作品が生み出される…

▲前回好評だった写真は、トーゴ・ロメの朝市で撮影されたもの。アフリカ屋ブログより

文化の融合とか、新しい歴史の誕生には、土地土地が長く積み上げてきた大きなものと、ほんの少しの偶然、どちらも欠かせない要素なのかもしれません。

いかがだったでしょうか?次回は、打って変わって東京のど真ん中から、最先端企業と「アフリカ」との出会いをご紹介します。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

去年東大法学部を卒業しました。今はキンシャサの現代美術を研究してます。 ピン芸人。

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