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【三度の飯よりコレが好き・社会心理学】「人間である以上、所詮私も研究対象」

2018.03.11

ある日、UmeeTのサイトを見ていて思いました。

UmeeT、社会人とか起業した人とかにインタビューしすぎじゃない?

別に働くために東大行ってる訳じゃなくない

このサイト、普通に大学で勉強してる人のこと全然取り上げてなくないか?」と。

東大だったらそこらへんにいるであろう、普通に勉強好きな人が、自分の勉強について話したっていいじゃない。

というわけで、この企画では卒業を控えた4年生の方に、自分の書いた卒論や自分の専門への愛について語っていただきます。

三度の飯より美味い学問の味を、おすそ分けしてもらいましょう。


今回お話ししていただくのはこの方。

学生証
  1. お名前:みやこんぬ
  2. 所属:東京大学文学部行動文化学科社会心理学コース4年
  3. サークル:吹奏楽

私が社会心理学を専攻したワケ

一度は諦めた「心理学」への道、そして文転。

私は幼い頃、母親が読んでいた心理学の本を勝手に読み漁っており、気づいた頃には心理学に興味を持っていました。人の心が行動に現れたり、反対に心理試験から心が読み取れたりすることはすごく面白いと思ったのです。

また、幼いながらに精神的な病気を抱えてしまう方々の助けになりたいと思っており、小学校6年生の時の夢は精神科医になることでした。

しかし、心理学は就職につながりづらいから専攻はしない方がいい、興味があるなら本を読めばいいと周囲に止められ、専攻しようという気持ちは一旦なくしてしまいました。

病気をしやすかったり肌が弱かったりする母親を見て、何か助けになれないだろうかと考えた結果、薬学を志し理科Ⅱ類に入学しました。

一度は薬学へ

とはいえ、駒場で選択科目として心理学関連の授業を受けてみた結果、やはり心理学を学びたいという思いが強くなっていきました。

特に、大久保街亜先生の「人間行動基礎論」の導入で紹介されていた、囚人と看守の実験のお話を聞いて、その時の被験者たちの心の中でどういうことが起こっていたんだろう?と興味をそそられました。

囚人と看守の実験:普段は温厚な人たちを囚人役と看守役に分けて偽の刑務所で過ごさせると、看守役がエスカレートして囚人役に暴力的なふるまいをするようになるという実験。

普通の人であっても、「権力者」という役割を与えられると、次第に理性を失い暴走してしまうということを示した。

心理学にも色々ある

あまり知られていないのですが、この大学には心理学関連の学科は4種類ほどあります。

私の選んだ社会心理以外だと、脳機能に近いこと(最たる例として錯覚など)を学ぶ「文学部心理(文心)」や、子どもの発達や教育のことを学び臨床心理士の資格が取れる「教育学部教育心理(教心)、実験的アプローチを主に用いて心理学を幅広く扱う「後期教養学部認知行動(認知)などです。

なかでも私が興味を持っている「人と人との関わりのなかでの心の動き(例えば同調圧力やステレオタイプのメカニズムなど)」を学ぶのに最も適しているのがここ「文学部社会心理(社心)」だったため、文転してこの学科に進学することを決めました。

同調圧力がどうやって起こっているか、気になりませんか?

社会心理学に進んでみて

専門に進んだ今だから言えることですが、やはり市販の書籍を読んでいるだけでは、興味を持っていたとしても最先端の知見に触れる機会はほとんどなかったと思います。

市販の本では、ごく有名な古典的な知見や、多くの人々に面白いと思われそうなことばかりをかいつまんで書かれていることが多いので、どうしても深い知識を得ることは難しくなります。

一方、学科でたくさん読む(ときに読まされる)論文には、その事柄または現象を突き詰めている専門家の意見や、その事柄に関連するこれまでの研究の流れなどが事細かに記されているので、読めば読むほど知識が深まり、同じ事柄にも様々な立場の意見があることも知ることができます。

また、他の人の研究成果を論文を通して知るだけでなく、興味のある事柄について自らデータを収集し、自分の考えを論文という形で学問の歴史の上に少しでも残していけるのだと思うと、うまくやれるのかという不安はあれ、嬉しい気持ちが大きいです。

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社会心理学のココが好き!

例えば、社会心理学の古典的な概念に「確証バイアス」(自分の信念や考えに沿う情報のみを選択的に取得すること)といったものがあります。

具体的には、苦手な人の行動を見たときに「苦手」という前提のせいで、嫌な部分ばかりに注目してしまうことなどが挙げられます。

嫌なところばかり目についちゃうこと、ありますよね

自分の好きな社会心理学を学んでいる者としては、確証バイアスによって思い込みのスパイラルに陥る、といったことはしたくないと思っている訳ですが、なんということでしょう、いつの間にかその罠にはまっていて、「ああああ確証バイアスゥ!」と自覚する瞬間があります。

もちろん悔しいのですが、人間である以上、自分も所詮社会心理学の研究対象の一部なのだと、社会心理学の面白さや奥深さを感じるときでもあります…。

次章:私の卒論内容をチラ見せ

自分が研究していること

私は、「赦す」(普通の「許す」は許可を与えるという意味でも使われるのに対して、「赦す」は誰かの加害によって生まれたネガティブな感情が軽減されていくという過程を指します)ということ、

特に「赦しはどうすれば促進されるのか?」に興味をもっており、それを知るために赦しの促進要因についてまず調べています。

私自身、人を赦せなくて苦しんだ時期があったのですが、最終的にその人を赦したことによって、自分の心の動きについてより深く考えるようになったり、他人に対して寛容になれたりしたという経験がありました。

その時に自分がたどった精神的な過程を科学的に証明したいと感じたこともあり、大学3年生の冬ごろから「赦し」に関する研究をやっていきたいと考えるようになりました。

人はどうやって他人を赦しているのでしょうか

さて、人を赦したいと思ったとき、皆さんならどうしますか?

ひどいことをした相手の立場に立ってみる(「視点取得」といいます)」と答える人もいるかもしれません。実際、それは赦しを促進する強力な要因としてこれまでの学説でも支持されてきました。

しかし、相手が明確な加害意図を持っていた場合はどうでしょうか?私は、そのような場合には相手の加害意図やその背景についても深く考えることになってしまい、逆にますますネガティブな気持ちを持ってしまうのではないかと考えました。

これが、私が卒業論文で示そうとした仮説です。

具体的な手法としては、加害意図の有無や視点取得の有無の条件分けを含むシナリオを読んでもらった後、加害者への赦しの程度を測るアンケートに回答してもらうという方法をとりました。

データ分析の結果、仮説は支持されず、視点取得は加害意図が強くても弱くても赦しの促進要因になるということが分かりました。

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自分の研究のココが好き!

私は、自分が興味を持っていること、というだけでなく社会の役に立つ研究を行いたいと思っています。

赦せないということは、いつまでも被害者の立場に置くということであり、そこに存在する負の感情は確実に被害者の精神を蝕みます。その苦しみを軽減するには相手を赦すことが必要だと思ったのです。

実際に、赦すことで精神的な健康が取り戻されるという報告もあり、私も赦せなさに苦しむ人を少しでも助けることができればと思いこのテーマを選択しました。

私の立てた仮説は実際には支持されませんでしたが、視点取得という行為についてもっと知りたいという気持ちが強くなり、研究という営みの奥深さに惹きつけられました。

これから研究したいこと

「赦し」は、研究者によって定義も様々ですし、類似概念も多く複雑です。

そのため修士進学後本格的に研究をしていくにあたっては、赦しの中でもよりピンポイントで自分の興味のある部分を明確化しなければなりません。

また、赦しの促進要因について探っていくのと並行して、「赦しはもう一度加害行為をされる可能性を高めてしまう」という主張に対しても反対意見を述べていく必要もあります。

そのような中でも自分の研究の方向性を見失わず、ゆくゆくは、赦せないことにより苦しみを抱えている人たちに対してよりよい介入の仕方のヒントになるような研究成果が発表できれば、と考えています。

そんな成果が得られたら、まず一番に、人を赦せずに苦しんでいた過去の自分に教えてあげたいですね。


第一弾にふさわしい愛の詰まった文章でしたね…!

次回文学部英文科の方にお話していただきます。お楽しみに!

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みやこんぬ
はじめまして! みやこんぬです。UmeeTのライターをやっています。よろしければ私の書いた記事を読んでいってください!
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