私がまだ高校生だった頃。
同い年の東大志望だった(そして後日合格したと聞いている)旧友が、電車の窓から東京の夜景を見下ろしながら言った言葉を、今でも覚えています。
「こうして東京の景色、東京の人びとを見下ろしていると、この日本全体を自分が背負っていってあげたいと思うんだ。
私はそれができる、選ばれた人間なんだ。
普通の仕事をしている、他の人たちとは違うんだ」
結論から言えば、私たちはこの後30分間、冷たい風の吹く冬の駅のホームで、大ゲンカしました。
自身は働いたこともなく、まだまだ親に食わせてもらっている身分の高校生が、なぜ職業を勝手にランク付けし、自らが良しとする「勝ち組」エリートコース以外を歩む人を見下せるのか。
なんて傲慢なんだろう、と思いました。「エリートなんて嫌いだ」、そんなことを一丁前に呟いていました。
ーー今思えば、私も子供でした。
確かに事実、多くの東大生は卒業後、「エリート」的な働き方を選んでいきます。
しかし当たり前ですが、「エリート」であることと、「エリート」であること自体をステータスと捉えることは全く違います。
「エリート」と呼ばれる人がその働き方、生き方を選んだ理由は千差万別で、一つに絞れるようなものではありません。
でも、その逆はどうでしょう。
自分の望む生き方が、いわゆる「エリート」コースから外れていたとしたら。
自分の好きなことを追いかけた結果、あえて大変な道を選んだとしても、
あなたは周囲からの視線をものともせず、
自分の選んだ道に自信を持って、進んでいけますか?
こんにちは。就職のことも頭にちらつきつつ、まだまだ自由な大学生生活を謳歌中のりつこです。
先日、東大OGの北欧翻訳家・ライター、柳澤はるかさんのもとへ、取材に行ってきました。先日第二巻が出版された、フィンランドで大人気の本、「マッティ」シリーズの翻訳をも担当しているのだとか。
※「マッティ」シリーズとは?
内気で繊細な、典型的なフィンランド人「マッティ」が、日常の敏感に感じてしまう、日常のささいな喜怒哀楽を、かわいらしい絵と共に紹介していく作品。2016年フィンランド国内売上No.1(コミック部門)の大人気作。日本でも2017年ガイマン賞センバツ!作品賞・第1位に選出。
東大生なのに、「出世コース」だと呼ばれる職業を選んでいない方だという事実にも興味を持ちましたし、
「北欧」の響きの女子力の高さにも、正直ドキドキしてしまう…
そして取材当日。緊張しつつ集合場所に向かうと、そこにいたのは
ああ…私もこうなりたい…
そう思わせるような、洗練され凛とした雰囲気を漂わせた女性でした。
でもこの後2時間取材する中で、彼女から一番感じたのは、あろうことか
ただならぬ「イカ東」感。
確かに誇りと愛をもって自らの仕事に打ち込み続ける彼女の姿が、メディアで揶揄されるような、試験の点数ばかり気にする、負のイメージである「イカ東」像とは程遠いのは言うまでもありません。
でも、好きなものへの愛が彼女自身の生き方の軸としてぶれずに存在し続けている、しなやかにしてあまりにも強い生き様は、もしかしたら東大生にありがちな性質を持ちあわせる「イカにも東大生」が目指すべき、あるべき「イカ東」の新しい姿なのかもしれません。
ー「マッティ」シリーズ、読ませて頂きました。とても面白かったです!
ー舞台となっている北欧自体が元々お好きと伺ったのですが、北欧が好きなのは学生時代からなんですか?
いや、北欧が好きになったのが大人になってからなので、学生時代はまさか北欧関係の仕事をするとは思っていませんでした。新卒で入ったのも全くの別業種でしたし。北欧に初めて行ったのが2013年6月、社会人6年目でした。
就職したての頃は、ワーカホリックというのでしょうか、土日含めて仕事漬けだったんですよ。でもそういう働き方をしていく中で体調を壊したり、転職したりするうちに考え方が変わってきて、旅行にでも行くかとなって。
行先を北欧にしたのは、友達が行きたがっていたとか、そういう偶然の理由です。今から考えると仕事で行き詰っていたから、というのもあったのかもしれません。
―そこで、北欧と出会ったと。
そうですね。最初に行ったときから、大好きでした。
まず自然はホントに素敵ですね。北欧の人びとって、自然と共に生きている人たち、って感じがするんですよ。都会のヘルシンキ住まいのバリバリのビジネスマンでも、夏休みは田舎のコテージに行って何週間もゆったり暮らすのが好きな人が多い。自然に還りたがっている人が多いんですよ。
北欧って、自然享受権が認められているので、森にだれでも入って、土地の所有権に関係なく、自然の恵みを誰でも自由に享受できる。キノコやブルーベリーを摘むのも自由です。それに、アウトドアに慣れていない人でも行って気軽に自然に癒されます。日本にいるとハードルが高くて、結局何もなにもしないんですよね。
そして旅する中で何より感じたのが、
何この居心地の良さは、と。
観光地の美しさだけではなくて、そこに流れる空気感自体が、楽で心地いいんです。
居心地の良さの理由を後から探すと、静けさってあるんですよね。わりと静かめな人が多いし、パーソナルスペースもゆったりしている。だから無理にテンションあげなくてもいいし、楽だなーって思って。
街の中にいても、横断歩道のないところでも渡りたいなあって思って立っていると、車やバスが止まってくれるんですよ。世界観が違ってびっくりしました。
そんな場所だったから、もともとの友達に再会したような……。昔から知ってた気がする人、運命の人にあったような感覚がして、むしろなんで私は日本に今までいたんだろう、と不思議に思ったほどです。
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――なるほど。その愛が、先日出版されたフィンランド人あるあるを描いた「マッティ」シリーズにも生きているのですね。
そうですね。主人公のマッティは自分だ、と思いながら翻訳していました。
具体的にあげると、例えば朝出ようとして、隣の人がドアをがちゃって開ける音がすると、家を出るのをちょっとずらそう、って笑 朝外出するのが隣人と一緒になるかどうかで、その日の憂鬱度が違ってきてしまう。
これ全体すべてが当てはまらなくとも、本作の中で紹介されている、つい憂鬱になってしまうささいな日常のひとコマが、生活の中で自分の感じていたことにすごく共通していました。この本のいいところは、例えば普段ドアの外に住民がいる時の憂鬱をいちいち言葉にしたことはなかったんだけど、ここで言われて初めて、そうそう、って自分の気持ちを肯定できるところ。そこがすごいなって思って。
これを読むことで自己理解が深まるというか、そうそう私こういうときに憂鬱になるんだってよく分かると思うんです。
ーーー確かにばったり家の前で顔見知りと会った時の微妙な空気感とか、考えてみればちょっと苦手かもしれない…これも遠く離れたフィンランド人と実は共有していた密かな「あるある」だと考えると、ちょっとほっこりしますよね。
――内向的なマッティに自らが似ているとおっしゃいますが、こうして取材している中でも社交的にお話下さるし、「マッティ」シリーズの翻訳・出版のため自ら周囲に働きかけたと事前に伺っていたので、正直柳澤さんからは外向的な印象を強く受けます。この一見矛盾するようなご自身の中での二面性は、どこから生まれているのだと思いますか?
自分でも内向的だしシャイだし臆病なのに、矛盾してるなって思いますよ。そんなにタフでも平気なわけでもないのに、北欧翻訳家・ライターとして、わざわざ大変な方を選んで生きているなと。
でも好きなものに対してだけは、理屈じゃなくて選んじゃうんですよ。
好きだから、これのよさを人に伝えたい。そのことしか考えてないので、あんまりその時は気にしていないんだよなあ…好きなもののためだったら突然大胆になれるんですよ。不思議なんですけど。
この間マッティシリーズのトークイベントをやったんですよ。すごく嬉しいんですよ、この本を読んでる人と直絶会う初めての機会だし、自分の好きなことについて語って聞いてもらえるから。それでも直前はとても緊張するし、なんでこんなに得意じゃないことをやってるんだろう、何やってんだろうと思ったりもしました。でも大好きなこの本のためなら全然平気。いいんです。
自分が目立つのは苦手だけど、私が頑張って宣伝して、一人でも多くの人がこの本に出会って、フィンランドってこんな国なんだと知ってもらったり、同じようにシャイな性格に悩んでいた人がこんな自分でいいんだって肯定感を味わったりするための役なら、喜んで買って出ます。理由があればやる。その後すごいぐったりしてますけどね。
逆に北欧やこの本への愛がないと強くなれないかもしれないです。学生時代に国語学を専攻してたときも、特に人気の学科だったわけでもなく、それをやって何になるの?とよく言われるんですよ。笑 私からすれば、好きだからやる、自分のわくわくすることをいつも考えていたいから、というだけで、それが後々どう役に立つかは考えていないんですよね。国語学の授業は面白かったですし、そうしてつけた国語学の知識が、今翻訳家の仕事で生きている。そういう好きって気持ちをベースに選ぶ時だけは、強いというか他のことを気にしていない、と思います。
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ー内向的でシャイな本作品の主人公、「マッティ」とご自身の相違点について今まで伺ってきましたが、東大生とマッティにも共通するところがあるとか…?
自分が何を研究してるのかについてとかは熱く語れるけれど、テーブルでたまたま一緒になった人たちとするたわいのない雑談が苦手、大勢での飲み会がうまく盛り上がらない、というのは割と東大生っぽいかなと思っていました。もしかしたらひとつのことを深くつきつめられる人が多いから、それでマッティと同様内向的な人が多いのかな、と。
ーなるほど。私はこの作品を読んでいて、例えば同じタイミングで外に出てきた隣人を意識してしまう「マッティ」と、世間の評価を気にしてエリートコースを選びがちな「東大生」に、外部からのの目を必要以上に意識してしまう点で似たものを感じたのですが…
そうですね…学生の時も、就職してからも、「なんでいちいち東大生って言われるんだろう」とは思いますよね。東大生だというだけで否定されて、いろんなコミュニティから排除されてしまう。就職の面接時にも「東大生だから挫折したことないんでしょ」と嫌味を言われたり、たくさんのおじさんたちに囲まれて延々と意地悪な質問をされたり。
別にずるして東大入ったわけでもないし、勉強が好きだからそれを追求して東大に入っただけなのに、なぜ悪く言われたり揶揄されたりしちゃうんだろう、っていうことを感じる機会はすごく多くて。絵が好き、スポーツが得意・・・・・・などあるなかで、私は勉強が好きだった。それぞれの個性を、もっとありのまま受け入れたらいいじゃん、って気持ちが強まったんですよ。
パーソナリティについても、明るく社交的な人がよいとされているけれど、暗くてもじもじしている、一人でいるのが好き、それも別にいいじゃないですか、という。優劣じゃないし、そういうヒトだけに見える世界があるんだからそれでいいよね、っていう。それぞれでちゃんと多様なものとして共存したいんです。
ー今でも「東大」のレッテルで嫌な思いをすることはありますか?
そうですね…。心無い言葉を投げられることはいまだにあるし、地味にいちいち傷ついたりもします。私って誰からも理解されないのではないか?って。
でもそれはそれで、そういう役割を背負ったんだなって思うようになりました。マイノリティですとか、優劣で悪いような烙印を押されている側に回って、彼らの気持ちをライターとして代弁しよう、と。
同じ東大生でも、たとえば官僚とかになっていたら、その世界では東大生という属性が多数派だから、同じような悩みは抱えなかったかもしれない。でも「好き」が高じて新卒でも好きな作品を扱うエンタメ系の中小企業に入った私は、たまたまマイノリティの働き方、生き方を選んでしまった。マイノリティを選ぼうとしたわけではないけれど、就職する時には会社の規模、だとか職業威信、だとかいう、一般的に気にするべきだとされる判断軸が抜け落ちていて、好きなものに突き進む生き方を貫いてしまったのだから、どうしようもない。
ー好きなものへの愛をそこまで貫くとは…!就職する時、自らのやりたいことと「東大生なんだから」という世間の目との間で葛藤する東大生もきっと多い中で!
え?東大生でも葛藤するんですか?
ーしますよ!!!(いい意味での東大生としての自信で満ち溢れている…なんなんだこの自信!)
そうなのね…(笑)好きなものを持っている人は多いはずなのに、仕事にはしない人、確かに多いかも。正解はないにせよ、やってみたい気持ちがあるのに、「せっかく東大に入ったのに」とあきらめてしまうのはは勿体ないと思うけれど…
「せっかく東大に入ったのに」、のトウダイは、有名企業への就職で有利に働く肩書としてのトウダイじゃないですか。
でも、例えば私の視点からすれば、東大が意味するものはそれではなくて、好きなことを深く勉強できる力があるとか、興味があるものに対して深く掘り下げられるだとか、割と一人で淡々と作業できるとか、そういう性質がたまたまそういう大学にいきついているだけなので、それを活かして思いっきりマニアックな事に挑戦してもいいんじゃないかな。
学内にいると気づかないかもしれないけれど、たとえば東大生は10ちゃんとすべての観点から検証した上で結論を出したがる人が多い印象なんですよ。処理する情報量も多いし、複雑なことをはしょらないで捉えようとする人も多いし、物事の本質を見ようと努力を惜しまない人だって多いと感じます。
3割調べただけで10知ってるかのように発表できる人は目立ちやすいし、確かにスピードも大事ではあるけれど、違う良さだってきっとある。社会に出てみると、アプローチの違いなどで気づくことも多いですね。肩書としてのトウダイばかりでなく、なんだかんだそういう特殊能力をもっているんだから、そっちのポジティブな面にフォーカスしてもいいんじゃないかな、と思います。
「東大生だから」って色々なコミュニティから疎外されることも、確かにある。
でも、だからこそその特殊性を逆手にとって、東大生にしかできないことをやってやろうじゃないか、って思えばいいじゃないですか。
ーそうはいっても、大企業への憧れだとか、本当にここの会社のやっていることが自分のしたいことなんだろうかとか、怖くなりませんか?
そしたら転職すればいい。
私も大企業で通用するのか自分を試したくて、一度IT系の大企業に転職したことがあったんです。でも半年でやめました。利益至上主義的な文化や、長時間働く働き方が合わなくて。それで満足しました。
最初から自分に合ってる仕事なんてわかるわけないし、どの仕事にだって自分と合わない部分がある。
そんなの当たり前です。その時に新しい仕事を探すのか、自分の置かれた状況を改善するための解決策を探すのか。東大生お得意の「問題を解決するチカラ」を、ここで使えばいいんです。
…ぐうの音も出ませんでした。
「東大生だから世間体のいい会社に入らないと」「東大生だから就活ではこの会社には有利で、ここでは不利だよね」
確かに世間がレッテルを押し付けている面もあるのかもしれないけれど、それを結局受け入れてしまっているのは、東大生そのもの。
「東大生」の特徴を最大限生かして、やりたいことをやり抜けばいいじゃない。
「東大生」のレッテルを気に病むことなんてない、むしろ「東大生」を自分なりに謳歌しちゃえばいいじゃない。
そんな柳澤さんのメッセージは、すがすがしいほどにシンプルで、だからこそまっすぐに胸に響きました。
ーーー自分はどう生きたいのか。どう働きたいのか。今こそ、静かに、問い直してみませんか。
※今回インタビューでもあがっていた「マッティシリーズ」の第二巻が先月21日に発売されました!↓
是非チェックしてみてください!