進振りの存在が最も大きな特徴とも言える東京大学。
レイト・スペシャライゼーションと言うと聞こえはいいですが、「自分は何に興味があるのだろう」と進学先に迷う1・2年もそう少なくはないでしょう。
また後期課程にすでに入られた方も、「どの分野に残りの生涯を捧げたら…?」と不安を抱える方もいるのではないでしょうか。
文科三類といういわゆる’進振り弱者’に所属する僕も進路に迷う一人です。(注:厳密には今年度から進学選択)
「自分が興味を持っているのは人文科学。しかしそれって就職には直接関係なくないか?」
「東大に入ったからには将来そこそこ出世したいぞ」
「両親や親戚の期待に応えないと」
などなど、幼い虚栄心やちっぽけな野心にとらわれてしまう日々。
そんな中、東大医学部を卒業したにも関わらず、
病院を離れ地域の精神病患者を地域で支えるという無賃のボランティアアクトを行っている方の話を耳に挟みました。
初めてこのお話を聞いた時、不肖私大変驚きました。
というわけで、どういった心境でボランティアを行っているのかを聞くためにインタビューへ行ってきました。
とっても優しそうな先生です。
この素敵な笑顔も勝者の余裕から来ているというやつでしょうか?(再び失礼)
[広告]
筆者:本日はインタビューを快諾していただいて本当にありがとうございます。よろしくお願いします。
単刀直入にお聞きするのですが、どういった心情でボランティア活動や地域密着型医療を行っているのでしょうか?
先生:よろしくお願いします。
そうだね、簡単に説明するのは難しいのだけれど、『自分の考える精神医療というものを実現するため』というのが答えですね。
これは医師免許を取って間もない頃の話なのだけど、ある病院にパート医として勤めることになり希望と意欲に胸を膨らませながらその病院の見学に赴いた。
色々と案内してもらっているうちにある保護病棟にたどり着いた。
そこは異様な臭気が漂っていて、まるで檻のような部屋の中を様子は私を驚愕させた。
そこにいる患者は、丸裸で髭もじゃ、全身が糞尿にまみれ性器をいじりながら意味のわからない独り言をぶつぶつとつぶやいていて、私を見るや否や鉄格子の間から強烈な蹴りを突き出してきた。
衝撃だった。これは一体何もの何だ。これは人でなく動物ではないか。
本来人としてあった彼を動物まで貶めるようなものが医療であるはずがない。
そういった想いが40年以上たった今でも残っている。そういった『これは医療ではない』という想いが尾を引いて、今行っている活動に繋がっている。
筆者:なるほど……それでは、先生のお考えになる医療とはどういうものなのでしょうか?
先生:僕の考える医療の大切なテーマは「対等な関係性」というもの
医者が治療の権限を握ったり、患者の活動の自由を阻害するといった医療上の鉄格子を外して、互いに生身の人間同士一対一の関係性を構築することです。
それはコストの面でも労力の面でも大変な部分が多いが、一人の人間として患者さんを取り巻く人間関係の中に身を置くこと、
引いては精神病の治療が上手くいくことは何にも代えがたい嬉しさを与えてくれる。
筆者:ふむふむ、つまりは『自分はこれをやるんだ!というテーマ』に従って活動を行っているというわけですね。
先生:そうですね。
若い頃は病院の体制を根本から変えてやろうという熱意がないわけでもなかったけれども、現実はそう上手く行かなかった。
これは医学部に入ってからの話になるんだけれでも、当時の医学部生たちは東大医学部紛争の中で医学部のあり方に異を唱え大学側と対決していた。
(注:東大医学部紛争…全国の医学部でのインターン廃止運動に端を発する学生運動。後に東大全学部に波及し俗に言う東大紛争となる。有名な1969年安田講堂立て籠もり事件もこの流れにある。)
昔はここで学生運動がありました。今では考えられない話です。
僕もその運動に加わっていたから、情熱によって周りの環境は変えることができる!と思っていた。
しかしそういったものだけではあまりうまくいかないんですよね。
例えば、若い医師なんかは患者さんを前にすると、「治してやろう」という情熱が前へ前へと先走っちゃうものなんです。
そういうのが患者さんに伝わるのは良くない。それに執刀の時なんかは意気込みすぎるとつまらないミスをしてしまうんですよね。
医学部紛争にしたって、いざ「病棟を管理してください」という事態になると困ってしまった。
理想を掲げていた時は良かったが、それを現実で行うとなるとどうしても歪みが起きてしまったんですね。
話がずれてしまいましたが、病院長を任されていた間はあまり面白くありませんでしたね。
責任ある立場になった以上、先ほど述べた自分のやりたい医療というものだけをやっているわけにはいかなかった。
医療というものも提供するためにはお金がいるわけですから、現実的な部分を疎かにできませんでした。
そうやって色々と経験を重ねた結果、自分のやりたい医療をやるためには、完全にボランティアの活動をするのが一番理にかなっているのではと思った。
ボランティアだと、完全に自発的な行動なので依頼する側もされる側もない。対等な人間関係の構築になると思ったんです。
[広告]
筆者:精神医学自体は学生時代の初期から志されていたんですか?
先生:そんなことはないですね笑
進路にとても迷ったし、一時期アイデンティティクライシスにも陥ることなんてのもあった。特に駒場生の頃なんて。
当時の駒場には理系科類は理科一類と理科二類しかなく理科三類がなかった。医学部に入るためには試験を受ける必要があったんですね。
理科二類で入学した僕は、今後自分が何をしたいかわからずに授業をサボって三鷹寮にこもってりなんかもした。
そんなせいで成績が悪くてどこにも行けなかったから、医学部受験しか選択肢が残されてなかった。
だから医学の世界に入ったのは本当に偶然だね笑
筆者:え、そんなもんなんですか?てっきり駒場時代から「俺が医療を変えてやる…!!」という気持ちでギラついていたのかと思っちゃいました。
先生:そんなことはないよ笑
精神医学というものが自分にしっくりきたのは、自分の進路を決めてしまう前に哲学だったり文学だったり色々試したおかげだと今は思える。ニーチェなんか読んでみたり笑
自分のテーマが見つかったのも、あの時迷っていた自分が礎になっているからこそ。
筆者:大変心強いお言葉をいただきました……!
進振りまであと数ヶ月、迷える贅沢を享受したいと思います……!
筆者:それでは最後に、先生のお考えになる”幸せ”とはどのようなものなのでしょうか?
先生:幸せって、お金じゃないんですよね。若いうちは野心や情熱があるからなかなか見えてこないけれども。
食べていければ十分だし、自分の仕事はやった分だけ患者さんがきっちり評価してくれる。
ヨットを買ったり、豪邸を建てたりしても楽しいの最初のうちだけだったし、
結局は「この人と生きててよかった」と思えるような関係性を築くことがとても素敵なことだと今は思う。
筆者:とっても素敵な先生です(涙)
あらぬ邪推をしてしまったことを深く反省いたします。身が引き締まる思いになったところで、インタビューを終えさせていただきたいと思います。
本日はありがとうございました!!
先生:ありがとうございました。
[広告]
というわけで、先生から素敵なお話を伺うことができました。
自身のテーマを見つけることができた、と先生は話されていましたが、どうしたら自身のテーマが見つけることができるのでしょうか。
まずは先生がおっしゃっていたように、迷うことが大事なのではないのかと僕も思います。
しかしただ迷っているだけではそこから先へ進むことができません。
もっともっと、もっともーーーーーーっと積極的に迷ってもいいんじゃないか?僕はそう思います。
どういうことかというと、迷うための素材、つまり自身の進路の選択肢を増やすための情報を積極的に手にしましょう、ということです。
本を読んだり、人の話を聞いたり、色んな活動に参加してみたり。
僕自身面倒くさがりで、何かのイベントの前にはとっても面倒くさいと思ってしまうのですが、
いざ行ってみるとなんだかんだ楽しめるし、何かに参加して後悔することはあまりないので、きっとそういうことなんだと思います。
こんなざっくりありきたりにまとめてしまうと先生に怒られてしまうかもしれませんが。
というわけで、進振りが控える方も、すでに終えてしまったという方も自身が誇れる素敵な人生が送れることを祈っています!!!
お互い頑張りましょう!!!!