【ヒンシュク上等】勉強できると、肩身が狭い?!~地方公立東大生あるある~

2017.05.01
ぽてまる

初めまして、ぽてまるです。地方公立から東大に進学して、現在は大学院に所属しています。

晴れて東大生となった君へ。

学校の勉強ができたせいで、なんだか居心地が悪くなったことはないだろうか?

「東大生って、勉強ができるからってずっとチヤホヤされてきたんでしょ」

と思っているそこのあなた。

「いやいやそんなことありませんから!!むしろ生きづらかったですから!!!」

と思っているそこの君。

是非この本を読んでほしい。

「勉強できる子卑屈化社会」(前川ヤスタカ著)

学校の勉強ができる子がかえって居心地の悪いような気がしてしまうのは何故なのか、数多の「勉強できる子あるある」とともに解きほぐした本である。

筆者は「わかりすぎてつらい」の連続で、一気読みしてしまった。

勉強する場所であるはずの学校で、学校の勉強が出来ることが理由に、居心地の悪い思いをするのはなぜなのか。

経験者はぜひとも「わかるわかる」と、さながら企業説明会で見受けられるヘドバンなみの頷きをしながら読んでほしい。

浮いちゃう地方出身者

「勉強ができるから居心地悪い」という感覚、東大生同士でもわかりあえないことがある。これは中学受験という選択肢の有無が影響しているのではなかろうか。

“有名私立・国立中学に進学すれば、早くから「学校の勉強を頑張る、出来るのはいいことだ」という風潮が当たり前の環境に居られます。

一方地方はというと、都会基準ではさしてガリベンでも勉強ができるわけでも無い子が「成績優秀者」になってしまいます。”

学校で浮くなら塾で受験仲間を作ればいいのかと思えば、東大志望クラスは衛星授業。

仕切られたブースの中で1人パソコンと向き合い、休憩時間はたむろする浪人生にビビりながら1人でパスタサラダを食べる生活。

御三家のある首都圏だったら大したことない私が、どうして孤高の存在みたいになっちゃってるんだ、地方に居るばっかりに!という気持ちに。

いい成績は隠すのが当たり前。でも謙遜したら嫌味な奴。

まず勉強ができることは自慢にはならない。むしろひた隠しにしたいくらい。定期試験の返却、これは勉強のできる子が存在感を消す時間である。

クラスが「うわやっべぇ~!」「○○が赤点だってよ!」「ぎゃはは!」と盛り上がるなか、ひたすら息をひそめる。

だって、「“あいつは勉強ができるから調子に乗っているんだ”」と陰口を叩かれるのが怖いから。ちなみにこれ、なまじ受験意識が高い環境だからこそ起こりうるのでは。

自分も盛り上がりたい。ちょっと羨ましい。

“自慢したら確実に叩かれる一方、謙遜すれば嫌味な奴”と思われてしまう。試験直前なら「定期試験いやだあああ」って誰しも思うじゃん。だって嫌じゃんテスト。もはや謙遜ですらないじゃん。でも「ぽてまるなら大丈夫でしょ~」と言われてしまうんだ。さみしい!

もうひとつ筆者の記憶に残っているのは、テストの点数で勝負して、高い方がジュースを奢ってもらえるというもの。

塾や中学の帰り道で友達がそんな話をしているのだけど、話題が変わるまでボケーっと過ごす。「私も混ざりたい」て言ってはいけないのは分かってるので。でも混ざりたかったな!

勉強できる子が上位レベルの学校に入学して感じるのは「安心」。

これ、筆者がザ・モスト共感したところ。

“勉強できる子は、小学校や中学校のせまい世界のなかでは勉強ができるがゆえに目立ってしまい、バッシングの対象になってしまいますが、上位レベルの学校に行けば、同じレベルで勉強ができる学生ばかり。すると、その状況に甘んじて、集団の中に埋没する喜びを満喫してしまうのです。”

遠方の高校に入学したての頃うれしかったこと、それは自己紹介しても「ああ(塾のテストでよく名前を見る)あの子ね!」ではなく「ああよろしくね!」の連続だったことだ。

それもほどなくして無くなり「ああ(勉強がものすごく出来るって噂の)あの子ね」が増えていく。「ああこの子がか!(原文ママ)」のこともあった。

結構仲良くなってくると「最初はちょっと怖かったんだけど、案外親しみやすい人でビックリした!」と言われもしたが、喜んでいいのかわからないよね!苦笑い!

段々そういわれるために道化を演じるようになっていくのだ。体育の授業で思い切りはしゃいだりして。

体育でやたらとノリノリ(ちなみに運動は出来ない)

さあここからは、そろそろ五月病になりそうな東大1年生必見だ。

東大に入学して、“まるで自由を手にしたかのように「ああよかった、これで目立たないでいられる」と並みになったことを喜ぶ”のは結構。でも埋没する喜びに浸りすぎて勉強をサボりすぎないようにな!

勉強しか取り柄のないことを悩んできた人間が、ひたすら堕落して勉強すら取り柄じゃなくなるぞ!

「受験勉強が出来るから東大に入れたけど、受験勉強じゃ測れない力こそ大事だよね(だから自分なんて)」と本心から思ってる人間こそ要注意だぞ!

なんだかんだ大学入学後も受験勉強的な努力が有用である場面はあるし、それを頑張ることで出来るようになることもある。

せっかく受験勉強から解放されたことだし、大学生活、何に重きを置くかはそれぞれの自由だが、

「勉強できる子」からの解放から生まれるものがサボる言い訳だけ、ってなっちゃうと、大変残念な4年間になるかも…

筆者は惰眠を貪った

誰にも言えない! 

さてお話しは戻りまして、何がつらいって上記のような悩みを誰にも言えないこと。明らかに嫌味になるよねわかってる。

「自己紹介するとテストで名前が載ってる子だーってなるのが嫌で...」とか言ってみ?

「は、田舎の外に出たら大したことない人が何言ってんの?ウザ」とか、「自意識過剰乙…」てなるんでしょ、自分が一番よくわかってるわ!(キレ)

友達に言えないなら親や学校の先生に愚痴ればいいのかというとそうでもない。

“慰めの言葉として大人がよく使うのが「勉強ができるのは人生をトータルで考えれば得だから、周囲の言葉など無視すればよい」という言葉です。”

いや今悩んでいますから!何なら「高校受験に失敗してから引きこもるようになって」「地元の有名大学は出たものの就職に失敗」など優等生がちょっとしたつまずきから道を踏み外した話が山ほど出てくるけど?!…というのも勉強できる子は先回りして気づいてしまうから最初から言わないことの方が多いのではないだろうか。

そうして「勉強できる子」はただひたすら悶々と1人で抱え込むのである…。

誰もわかってくれない

わかる、わかるわかる…!

さて、筆者ぽてまるは

散々文句たれてますが、私の場合はかなり幸福な学校生活を送った方だと思います。

どぎつい性格のガリベンにしては苛められずにここまで来ましたし、「黒歴史」からは程遠い小学校~高校時代を送ることができました。周りに感謝ですね。

ただ、それはそれでモヤモヤはございまして…

悪気が無いんです、みんな。

テスト前に「ぽてまるは余裕でしょ~」と言ってくる友達も、

ジュースを賭けてテストの点数で勝負しようと盛り上がっている友達も、

自己紹介で「ああ、あのぽてまるさん!」と反応する友達も、

「案外親しみやすい人だね!」と言ってくれた友達も、

みんな悪気ないんですよ。たぶん。

誰も悪くないんだったら、じゃあ私が感じていたものは、どこに向ければよかったんでしょうか。それとも、誰も悪くないなら私の感情が筋違いだったのでしょうか。

そんなこんなで、「”勉強しか取り柄のない人間”になりたくないけど、でも既になってしまっているのではないか」と恐れつづけた私は、その勉強絡みでなんとなく疎外感のようなものを感じるたびに、別に仲間外れに遭っているわけではないぞっと言い聞かせてきました。

…今思うとこれこそしょーもない寂しがり屋の自意識過剰乙って感じですね。わぁ恥ずかしい!

そうはいっても

「(本人にとって好ましくない形で)浮いちゃう」「学生の本分であるはずの学業で優秀でも隠さねばならない」「誰にも言えない」…「勉強できる子 卑屈化社会」は、この他にもたーくさん、「勉強のできる子が居心地の悪い原因」を解釈してくれている。

が、周りを責めるだけで終わるな

この本の良いところは原因分析に留まらずに、勉強できる子が今より生きやすくなるための指南が続くところ。

まずは自覚しよう

“会話の中で不必要に難しい単語を使ったり”していないか。

“友達に「え、こんなことも知らないの」みたいな顔”をしていないか。

“上から目線だ、自己中心的だなどと思われ、それを勉強できることと結び付けられる”、君はそのことに気が付いているか。

友人には君がこんな風に見えているかもしれない「え~そ~んなことも知らないの~~ぅ?」

筆者はギクっとした。自分としては相手の話を理解したり、自分の話をわかりやすく伝えようとしたりしているつもりでも、それが「理屈っぽい」「めんどくさい」と受けとられることもあるかもしれない。

語彙が豊富であったり、論理的であったり、それ自体は素晴らしいことなので、小中学生にそれを抑えろというのは少し酷な気もするが…。

「悪気がないからOK」というわけではないぞというのは、現役の東大生も気を付けなければいけないことかもしれない。

ガリベン×運動音痴の生きる道

勉強できる子はそれだけで肩身が狭いが、これで運動が出来ないともう最悪。体育の団体競技は戦犯扱い。自分でよくわかってるんだ、いたたまれない。

そんな子でも生きるすべがある。ひとつ得意種目を作ること。

運動でも技術で伸ばせるところはあります。勉強が得意なら運動も理詰めでやればいい。

著者一番のおススメは、「武道」。個人技だし、運動神経があまり関係ないということで。

必修化されたことだしちょうどいいかもしれない。

もっと生きやすくなれる

最終章は勉強できる子が生きやすい社会にするための提言で締めくくられる。

今「勉強ができてすいません!」状態の小中学生は是非この本を読んでスカッとしてほしい。そして読み終わったら親や教師の目に付くところに置いておこう、読ませよう。教壇に「ほら聖書だぞ」と言わんばかりに置いておくのもよし、なんなら職員室に1人1冊ずつ置いていく本テロをかますのもありなんじゃないか。

大丈夫、君の悩みは正当だし、おかしいと思っていいそしてもっと生きやすくなるための術は、ある。

目標を持って努力する、1つのことに打ち込む、その内容がたまたま勉強になっている子どもたちが、自信を持ってノビノビと生活できますように。

この記事を書いた人
ぽてまる
はじめまして! ぽてまるです。UmeeTのライターをやっています。よろしければ私の書いた記事を読んでいってください!
記事一覧へ