「『世界最速の社長』の異名を持つ、東大卒の社長」
をあなたはご存知ですか?
なんでも「株式会社オトバンク」に創業当時から関わり、現在は代表取締役社長でありながらも、フルマラソンを2時間台で走るランナーでもある、久保田裕也さんという方がいらっしゃるとのこと。
〜株式会社オトバンクとは〜
「耳で聴く本」オーディオブックの製作・配信や、書籍のプロモーションを行っている会社。
事業の1つであるオーディオブック配信サービス「FeBe」は国内最大規模を誇り、多くのベストセラー書籍が、プロの声優たちによって声が吹き込まれ、オーディオブックとして配信されています。
数々のエピソードを語っていただく中で飛び出した、
「東大生はリスクを取れる集団」
の言葉の真意とは。
ぜひ最後までご覧ください!
(以下、敬称略)
筆者:久保田さんは当時ベンチャーであった「オトバンク」に新卒で入社なさったとのことですが、どのような経緯からベンチャーへの就職を決められたのでしょうか。
久保田:3年生の時に、サークルの同期が急にスーツを着ていて、「なんでスーツなんて着てるんだ」と聞いたら、それがインターンの面接用だったんですね。
その時の僕は就活をどうやるのか全然知らなくて、インターンもそこで初めて知りました。その同期に誘ってもらってはじめて僕もやることにしました。
それで、結局ありがたいことに複数の会社から内定をいただいて実際に働いてみたんですが、なんとなく疲れてきたんですよね。
筆者:疲れてきた?
久保田:大学までは、価値基準が偏差値や点数など、すごくわかりやすかった。でも仕事においては、自分で価値基準を決めなきゃいけないということに気づいたんです。
それでも入る会社を決めて、就活に区切りをつけたちょうどその日の夜に、大学のゼミがあったんです。そこに、上田(オトバンクの創業者)が来て、会社を作ったから一緒にやろうと誘ってきたわけです。
当時は、ベンチャーというと大変そうなイメージしかなくて、誘われてもいい印象をもっていなかったんですけど、ミーティングだけでいいから来てくれと誘ってきて。
雑居ビルの1室に行ったのがオトバンクに関わった最初のときでした。
当時は人手は足りなかったし、音声を手軽に聞けるような情報環境も整ってなかったので、営業の電話をかけてもなかなかうまくいかず。
やっとオフィス訪問できることになり行ってみると「就職しなさい」と諭されたりもして…八方塞がりの状態でした。
それでも協力してくださる会社様や著者様のおかげで会社も拡大していくなかで、いろんなことをやらせてもらえるという状況は面白くもありましたね。
筆者:でも、入る会社はもう決めてらしたんですよね?
久保田:そうです。入社前の研修や、語学の勉強なども始まっていました。それに加えて、金融や不動産など、いろいろな会社で働いていたので、とても忙しかったです。
でも、その忙しさの中で、「働く」ということがどういうことかわからなくなってきたんです。
さきほども言った通り、仕事においては価値観を自分で定めなきゃいけない。でも、就活でやりたくもないことをやりたいとか言っている間に、自分は何をしたいのかわからなくなってきた。
とりあえず1人になりたくて、海外に出ました。
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久保田:いろんな国を回ったんですが、すごく印象的だったのが、ブルガリアからルーマニアに行く越境列車に乗っていたホームレスのおじさんです。
彼は現地語でバンバン話しかけてくるんですが、何を言っているのかわからない。治安もあまり良くなかったし、これは相手にすると危険かもしれないと思って無視していたんです。
そしたら、同じコンパートメントにいたスイスの女の子に、「あのおじさんはあなたに色々と質問してるから、無視しないであげて」って言われました。
「言葉がわからないんだ」と言ったらその子が通訳してくれたんですが、彼は「日本映画がすごく好きで、『7人の侍」のこの場面はどういうことだ」ということを聞いていたみたいでした。
そのあとも日本映画について色々聞かれたんですが、僕も詳しいわけじゃなかったので、あんまり答えられなかったんですよ。
そしたら彼がとても怒っていて。
「ブルガリアは産業があまりなく、希望もない。反対に君の国は豊かだし、すごいコンテンツもたくさんある。それなのになんで知らないんだ」
と。彼はブルガリアを出て出稼ぎに行くところだったらしいです。
他の国でも出会った人たちと、日本の音楽や漫画が話のとっかかりになることが多くて、日本のコンテンツの質の高さを知りました。
個人的にも、中学受験の勉強を頑張るモチベーションが「受かったらラジオを買ってもらえる」ということだったくらいラジオが好きだったこともあり、
日本のコンテンツにはとても大きな可能性がある、と思いました。
筆者:そうか、オーディオブックもコンテンツの一種ですもんね。
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