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平和への道のり:コロンビアのこれまでとこれから【ノーベル賞Week③】

2016.12.06

ノーベル賞とコロンビア

 2016年のノーベル平和賞はコロンビア大統領、フアン・マヌエル・サントス(1951〜)に授与されることになりました。コロンビア人としてはガブリエル・ガルシア=マルケス(1927-2014)が授賞した1982年の文学賞以来、史上2人目の授賞です。半世紀以上に渡って続いた反政府ゲリラ組織、コロンビア革命軍(Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia,通称FARC)との内戦状態の終結に向けた取り組みが受賞の理由です。

フアン・マヌエル・サントス(1951〜)(wikipediaより)

 しかし、FARC以外にもゲリラ組織は多数存在しており、ゲリラ組織との内戦状態は完全に終結したわけでは決してありません。

 また、FARCとの和平合意案は、FARCとの戦いで亡くなった人々、FARCによるテロで亡くなった人々などの被害者遺族への補償が明記されていないことや、FARCの減刑などに対する国民の反発が主な要因となり一度、国民投票によって否決されていますが、2016年11月24日に修正した新たな合意案への署名に至っています。今回は、国民投票を行わず、これが最終的な合意となるようですが、修正案も依然、国民の不満が大きく残るものとなっています[1]。

 このように、内戦の完全な終結に向けて課題は山積みで、朝日新聞が「授賞には、和平に向けた国民を挙げた努力を促す狙いがある」と書いている通り、今後への期待やメッセージの込められた授賞となっているものと思われます[2]。

 ところで、コロンビア人として初めてノーベル賞を受賞したのは先に書いた通り、ガブリエル・ガルシア=マルケスでした。

ガブリエル・ガルシア=マルケス(1927-2014)、頭に載せているのは『百年の孤独』(wikipediaより)

彼の代表作である、『百年の孤独』(1967)はマコンドという架空の町がブエンディア一族によって創設されて、ついには消滅するまでの100年間に起こる様々な出来事をブエンディア一族の孤独を1つのキーワードとして物語る小説です。ものの名前を忘れてしまう伝染病が流行したり、レメディオスという女性が宙に浮かび昇天したり、4年11ヶ月と2日間雨が降り続けたり、といった奇想天外で、時にとても可笑しい、印象的なエピソードがいくつも描かれています。

 ある時、マコンドに鉄道がつながり、アメリカ合衆国のバナナ会社が進出してきて、マコンド近郊に農園が作られます。バナナ会社の搾取、不正に対して、主要登場人物の一人、ホセ・アルカディオ・セグンドの主導によって農園労働者はストライキを起こすことになるのですが、3,000人以上が集合した鉄道の駅で、軍隊による虐殺が起こります。唯一生き残った、ホセ・アルカディオ・セグンドですが、マコンドに戻っても誰もストライキのこと、虐殺のこと、殺された人々のことを覚えていないのです[3]。

 実は、このエピソードは1928年にコロンビアで実際に起こった「バナナ農場虐殺事件」が基になっています。超現実的な出来事がいくつも起こる『百年の孤独』は、実は、ラテンアメリカ、コロンビアの近現代史をガルシア=マルケスの語り、ナラティブの力により昇華した小説でもあるのです。そして、この「バナナ農場虐殺事件」は、現在まで続く内戦状態の一つのきっかけともなった事件です。

 それでは、1928年のバナナ農場虐殺事件を経て内戦状態、現在へと至る流れを駆け足に見ていきましょう。コロンビア独立まで時は遡ります。

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「バナナ農場虐殺事件」、ラ・ビオレンシア(暴力の時代)のはじまり

 「南アメリカ解放の父」シモン・ボリバルの指導のもと始まったスペインとの独立戦争の末、1819年に大コロンビア帝国が独立を宣言します。大コロンビア帝国は現在のパナマ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドルにまたがる大国でした。

 ボリバルが1830年に死去すると、大コロンビア帝国は崩壊し、それぞれの国に分裂してしまいます。そして、コロンビアは、連邦主義派(のちの自由党)と中央集権主義派(のちの保守党)の対立が続き、1884年から内戦状態となります。

 この対立はしばらく沈静化することなく、この状況をアメリカ合衆国に利用され、どさくさに紛れるような形で、1903年にパナマ(当時はコロンビア領)がコロンビアから独立、アメリカ合衆国の実質的な属領となります。これを期に対立はようやく沈静化します。中央集権派が主流派となり、また、この頃から米国資本の石油やバナナプランテーションへの参入が進みます。

 1919年にはロシア革命、そしてメキシコ革命の影響下で社会主義党が発足して、労働運動が盛んに行われ、米国資本による搾取に対する攻勢が強まります。

 こうした中で1928年に「バナナ農場虐殺事件」が起こるのです。ユナイテッドフルーツ社(現チキータバナナ)の搾取に対するバナナ農場労働者のストライキを「共産主義の陰謀」であるとして、軍隊が出動、数百人から千人もの労働者が虐殺されたとされます。

 当然、労働者、農民、学生たちの怒りが爆発します。こうした声を代弁し、自由党の反主流派、ホルヘ・エリセル・ガイタンが社会派政治家として議会で政府を攻撃します。彼が攻撃したのは、米国資本とオリガルキア(寡頭支配体制)です。オリガルキアはラテンアメリカでしばしば見られた、そしていまだに見られる政治体制のことで、地主など特権的な人々によって政治が独占される体制のことです。コロンビアではオリガルキアの力が強く、未だにその状況はさほど変わっていないものと思われます。フアン・マヌエル・サントス現大統領はFamilia Santos(サントス一族)として知られる、コロンビア独立以来の名家の出身です。彼の一族は、大統領経験者、政治家、ジャーナリストを多数輩出していて、一部の特権階級によって政治が独占されていることの象徴とも言えるでしょう。

ホルヘ・エリセル・ガイタン(1903-1948)(wikipediaより)

 オリガルキアを攻撃したガイタンは大衆の人気を集めていきます。そして大統領選に出馬するのですが、1948年3月、暗殺されてしまいます。犯人の男は、その場で怒り狂った民衆により殺害され、事件の全容はわかっていませんが、オリガルキアの陰謀によるものとされています。筆者が聞いた話によると、今でもコロンビアではガイタン暗殺について、ケネディー暗殺事件のように、様々な陰謀説がまことしやかに囁かれているそうです。

 ガイタン暗殺に怒った民衆は暴徒化し、ボゴタソ(ボゴタ動乱)と呼ばれる大事件に発展します。この鎮圧のため軍隊が出動しボゴタ一帯で数千人が死亡しています。先日(2016年11月25日)亡くなったフィデル・カストロは偶々ガイタンと会見するために丁度ボゴタにおり、ボゴタソに巻き込まれていて、この経験を基にキューバ革命を戦ったとも言われています。

 1950年には、冷戦を背景として、左派勢力を恐れた、保守党政権、ラウレアノ・ゴメス政権のもと自由党員・左派への弾圧が強まり、極右勢力による左派勢力の殺戮も起こりました。右派・左派ともにゲリラ化し、戦闘を繰り広げるといったような状況になってしまいます。

 これを沈静化させたのは、軍人、グスタボ・ロハスピニージャです。彼は1953年にクー・デタを起こし、武装行動を鎮圧、左派勢力を恩赦と引き換えに武装解除、民衆の支持を背景に1954年に大統領になります。

 なんとか内戦状態を沈静化することができましたが、ボゴタソの混乱、ロハスピニージャへの民衆の支持などを目の当たりにしたオリガルキア勢力はオリガルキアの維持のため、1958年—74年までの4期の間、自由党と保守党による二大政党体制を制度化します。二大政党が「国民戦線」を結成、両党統一候補を出す取り決めがされ、交互に政権を担うようになります。

 「バナナ農園虐殺事件」を一つの契機として、ガイタン暗殺、ボゴタソから始まる凄惨な内戦状態が沈静化する1958年までを通称、La violencia(ラ・ビオレンシア、暴力の時代)と呼びます。「暴力の時代」は二大政党制の確立により、一応沈静化しましたが、本当の意味での暴力の時代はまだまだ続きます。

国・左派ゲリラ・カルテル・極右集団による四つ巴の戦いへ

 二大政党制の確立によって、政治は安定しましたが、それはオリガルキアによる政治の独占も意味しました。政治から締め出された市民、農民や学生たちの中にはゲリラ化する人々がでてきます。1964年にはFARCが、1965年には現在第二のゲリラ組織であるELN(Ejército de Liberación Nacional,民族解放軍)が結成されています。

  1970年、第3政党ANAPOのロハス将軍が左派勢力・学生の支持を得て得票数で保守党候補、ミサエル・パストゥラナを上回ったとされるものの、開票が途中で中止され、パストゥラナが当選するという事件が起こります。「勝利を奪われた4月19日運動」、通称M19という青年左翼勢力のゲリラ組織がこれを機に結成されます。M19は1989年に政府と和平し、解体、政党として認められるまでは、国内最大の勢力を誇るゲリラ組織でした。

 そして、ここからもうひとつ要素が付け加わります。麻薬組織です。1967年ごろから大麻の栽培がされるようになり、1969年ごろにコカインの製法が伝わると、麻薬の密輸・密売を行うカルテルが台頭し力を持つようになります。主にアメリカ合衆国を市場としたコカインビジネスは莫大な富を生み、首都ボゴタに次ぐコロンビア第二の都市メデジンを拠点とするメデジン・カルテルのボス、パブロ・エスコバルは一時期フォーブスの長者番付の常連でした。政府もアメリカ合衆国と協力してカルテル掃討、通称コロンビア麻薬戦争に乗り出しますが、多数の犠牲者を出します。余談ですが、このパブロ・エスコバルとの戦いを描いたNetflix制作のドラマ,Narcosは事実を基にしながらエンターテイメントとしても成立させた作品で、とても面白かったです。もちろん事実と異なる部分は大いにあるようなのですが、コロンビア麻薬戦争の全体像をうまく描いていて、勉強にもなり、また、単純な善悪二元論に陥らず様々な問題を提起している作品です。

パブロ・エスコバル(1949-1993)(wikipediaより)

 話が脱線しましたが、こうして、国、左派ゲリラ、カルテル、左派ゲリラを虐殺する極右集団による四つ巴の戦いが繰り広げられることになるのです。左派ゲリラの中にも麻薬ビジネスに手を出すものがあったり、反政府組織の間でも、時に対立したり、協力したりとかなり複雑な様相を呈します。例えば、1981年に資金調達のためにM19がメデジンカルテル幹部の娘を身代金目的で誘拐し、メデジンカルテルとM19の抗争に発展します。その後和解したメデジンカルテルとM19は協力関係を結び、1985年にはパブロ・エスコバルの依頼によりM19が最高裁判所を襲撃、占拠するという事件が起きています。また、1994年にはエルネスト・サンペル大統領がカルテルからの献金を受けていたことが発覚したこともあります。

コロンビア第二の都市 メデジン

 この後の細かい経過を追うことは紙面の都合でできませんが、1993年にパブロ・エスコバルは治安部隊によって殺害され、麻薬カルテルの力は弱まっていきます。2000年代に入ると左派ゲリラとの戦いも政府が優位に進めていきます。そうして、和平交渉へと繋がっていくのです。FARCは最大規模を誇るゲリラ組織ですが、第二の勢力であるELNとも近々和平交渉が始まるようです[4]。

 しかし、先に述べたように、和平交渉にあたっては課題が山積みで、完全な内戦状態終結までは、まだしばらく時間がかかりそうです。また、ここまで見てきたようにオリガルキアなど、国の制度的問題が改善されなくては根本的解決にはならないでしょう。

 また、これまで見てきた暴力の歴史の一方で、他の中南米諸国と比べてみると、コロンビアが議会制民主主義の維持においては比較的安定していたことも付け加えておきます。他の中南米諸国では独裁者による軍事独裁政権がしばしば現れましたが、コロンビアでは(短期間の軍事政権はありましたが)いわゆる独裁者が長期政権を握ったことはありません。コロンビアでは独立以来、政権交代は常に選挙によって行われています。二大政党制はゲリラ勢力が生まれる原因となった一方で、民主主義政治の安定をもたらしてもいるのです。コロンビアの問題は様々な視点から考えなくてはなりません。

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コロンビアの文化

 ノーベル賞解説という性質上、ここまで主に、コロンビアの暴力の歴史の紹介になりましたが、「コロンビアは危ない国」という風に思われてしまうのは、筆者の意図するところではありません。コロンビアは文学・音楽など非常に豊かな文化を持った国です。文学ではガブリエル・ガルシア=マルケスの他にも、次世代のラテンアメリカ文学を担う作家であるフアン・ガブリエル・バスケス(1973〜)がいます。バスケスの作品は今年、『物が落ちる音』(柳原孝敦訳、松籟社、2016)と『コスタグアナ秘史』(久野量一訳、水声社、2016)の2冊の翻訳が出版されています。どちらも傑作ですが、『物が落ちる音』は80年代、90年代のコロンビアの暴力の歴史を背景とした作品です[5][6]。彼の最新作La forma de las ruinas(遺跡の形)(2016)は未翻訳ですが、ボゴタソを題材とした長編小説です。

 コロンビアの代表的な伝統的な民衆音楽としてはクンビアやバジェナートなどが知られています[7]が、最近ではMonsieur Periné(ムッシュ・ペリネ)といったような洗練されたポップスグループも注目されています[8]。

 コロンビア映画も近年とても面白くなっていて、第88回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた、シーロ・ゲーラ監督『彷徨える大河』は素晴らしい映画でした[9]。また、治安改善と並行して、都市開発、アート活動が推進されていて、今後どういった才能がコロンビアから出てくるのか目が離せません。ノーベル平和賞授賞を一つのきっかけとして、コロンビア国内の状況が少しでも改善し、またコロンビアへ興味を持つ人が増えることを願っています。


[1] http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161125/k10010783721000.html

[2] http://www.asahi.com/articles/ASJB75D7TJB7UHBI018.html

[3] ガブリエル・ガルシア・マルケス『百年の孤独』鼓直訳、講談社、2011年

[4] 伊高浩昭『コロンビア内戦』論創社、2004年

      国本伊代・中川文雄編著『ラテンアメリカ研究への招待[改訂版]』新評論、2014年

[5] 『コスタグアナ秘史』出版社ホームページ http://www.suiseisha.net/blog/?p=5059

[6] 『物が落ちる音』出版社ホームページ http://shoraisha.com/main/book/9784879843449.html

[7] 石橋純『熱帯の祭りと宴 カリブ海域音楽紀行』、つげ書房新社、2002年

[8] Monsieur PeinéがÁlvaro Carillo作曲、Los panchosの演奏で知られる伝統的ボレロ歌曲Sabor a miをジプシージャズ風にアレンジして演奏している動画

[9] 『彷徨える大河』公式ホームページ http://samayoerukawa.com

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