「東大生200人で、タダで旅に行く」サクセスストーリーとは限らない、挑戦と挫折の物語

2017.04.11

武林 秀征

サクセスストーリー、それは成功した挑戦だけのものだろうか。

過程が失敗の連続でも、最終的に成功した挑戦。それは、サクセスストーリーとして残る。UmeeTの記事も、大体そう。

じゃあ、失敗した挑戦はどう残るの?

昨年、東大生200人の集団を作って、タダで旅に行くことを目指した。

結果は、失敗だった。

ついに、新学期が始まった。去年の自分の挑戦が、今年の誰かの一歩につながれば嬉しい。

そんな想いで、記事を書かせていただいた。

学生証
  1. 名前:武林秀征
  2. 所属:東京大学文科一類
  3. 進路:この春から世界一周

サークル作り

昨年の2月、旅サークルを作った。新歓はうまくいき、3ヶ月で150人集まった。

サークルの活動実績はもちろんなく、具体的な活動ビジョンもなかったが、旅サークル設立の理由、新学期から新しいことをしたいという欲求に訴えかけた。

気づけば、何か面白そうなことをしてくれるんじゃないかという期待も後押しして、多くの人が集まってくれた。

設立のきっかけは、運動部の退部だった。

競技スポーツ人生は長く、サッカーを15年間続けていた。だが、怪我が続き、高校の部活を引退する頃には、ろくにボールも蹴れない足になっていた。

大学ではサークル活動に精を出そうと思うも、やはり競技スポーツへの未練が断ち切れず、サッカーとは違うスポーツを始めた。

しかし、1年間で2度の手術。ついに、ドクターストップがかかった。

とりあえず、どこかのサークルに入ろうと思ったが、ふと、去年の新歓期を思い出した。

サークルと部活を天秤にかけて、怪我の迷いを振り切ってでも、部活を選んだ人間だ。

そんな自分が、今年になって本当に入りたくなるサークルを見つけられるとも思えず、自分が入りたくなるサークルを作ることにした。

立ち上げメンバー。

父が単身赴任ということもあって、家族旅行をした記憶がほとんどない。

物心ついた頃から、自由に世界を旅するバックパッカーに憧れていた。

大きくなるにつれて、世界のことを知るようになるも、実際に行ってみる、時間も金もない。

大学ではついに、金はないが、時間を手に入れた。社会に出ると、金はあるが、時間はなくなる。

旅に出るには今しかないな、同じ思いの人は他にもいるんじゃないかな、そんな思いで、バックパッカーサークルを作ることにした。

そして、サークルを引退したら、夢だった世界一周の旅に出ることも決めた。

新歓広報はSNSに頼らず、口コミで広げた。

旅は友人としたいもの。それなら旅サークルに入るのも、友人とセットで入るだろう。それなら、人伝いに新歓するのが一番だと考えた。

運動部にしか所属していなかったせいか、大学には友人は少なかった。だが、友人の友人まで広げると急に広くなる。

友人を介して、サークルの輪を広げていった。

旅費をまかなえる、旅サークル

サークルで旅をするけど、そのための旅費は、サークル外で準備してくる。そのサイクルは不自然に思えた。

旅費をまかなえる、旅サークル。それは、夢のように思えるが、本来あるべき姿だと感じていた。

そんな、ある日、友人が、はあちゅうという人の話を教えてくれた。

「文章のうまさ」という自分の武器を生かして、様々なところから旅費をかき集め、タダで世界一周した女子大生の話だ。

素直に、うらやましい。そして何より、それをサークルでできたら面白いと思った。

東大生150人の旅サークル。メンバー個々の多様なタレントに加えて、集団として生み出せる価値もあるだろう。

バックパッカーの節約術も使えば、さらに旅費は抑えられる。

簡単にできそうなことをやってもつまらないし、学生サークル身分で失敗のリスクを取らない理由もないので、旅サークルの夢に正面から挑んでみることにした。

ただ旅するだけじゃなくて、タダで旅に行く。最終的には、そこを目標にした。

とはいえ、何の根拠もなければ、誰もついてこない。

サークル活動のキックオフを遅らせ、ビジョン実現への糸口を模索した。

五月祭にて

夏前に、企業とのタイアップを1つとれた。

何かしらの糸口が見つかるまで、サークル活動をキックオフしないつもりだったので、内心かなりホッとした。

なんの活動実績もないサークルだったが、東大生の数の多さと熱意、今後のビジョンに賛同してもらえた。

サークル設立4ヶ月にしてタイアップがとれたことは、サークルや自分にとって自信になり、団体をまとめる役割を果たしてくれた。

キックオフ集会。

サークル最初の企画は、日本一周リレーに決めた。

サークルメンバー100人を47都道府県に班分けして、各地で各班が立案したプロジェクトを実行しながら、日本一周のリレーをするというものだ。

メンバー個々の多様なタレント、集団として生み出せる価値、その両者を旅を切り口に発揮するのに、ピッタリの企画だと思った。

日本一周リレー前に、式根島でサバイバル。

タイアップ企業とは、47都道府県の諸々の情報を集めてくる代わりに、交通費の補助を頂くことで話が決まった。

初めての企画を前にして、サークルは大いに盛り上がった。メンバーは気づけば、200人近くになっていた。

自分としても、東大生100人とともに、日本全国を舞台に企画をできることに興奮を覚えていた。

そして何より、1人の参加者として、日本一周リレーを楽しみにしていた。

しかし、順調なのは、ここまでだった。

タイアップ破談

しかし、突如として、旅費のタイアップは打ち切られた。日本一周リレースタートの直前だった。

タイアップが破談になった理由は、僕が相手側に提示された条件を認められなかったからだと思う。

納得ができないものには、最後まで首を縦に振れなかった。

その後も、1ヶ月にわたって交渉の場が持たれ続けたが、ついに連絡は途絶えた。

企画は失敗に終わったと思った。

旅費を出す前提で説明を進めていた上に、47都道府県を網羅する都合上、ほとんどのメンバーが希望外の県をまわることになっていた。

旅費が出ない上に、希望でもない県に行く。誰もそんなことはしたくないだろう。

旅費を出せなくなったので、企画参加を取りやめてもらっても構わないと説明し、謝った。

だが、ほとんどのメンバーが自費で参加してくれ、なんとか100人で47都道府県を巡ることができた。

各県のプロジェクトこそ無しになったものの、集団として価値を生み出せる可能性を示せた。

自分の無力さもさることながら、メンバーへの感謝が尽きなかった。

日本一周リレー打ち上げ。

どん底の数ヶ月

しかし、ここからが、どん底だった。

旅費をまかなうビジョンが全く見えなくなった。

夏のタイアップ破談以降、数ヶ月経っても、具体的な打開の糸口を見出せる気配はなかった。

夏も結局、ただ旅して帰ってきただけで、普通の旅サークルと何も変わらない。

サークルの心は完全に折れた。

サークル準備期間の春、サークル運営の舵取りをする上で、一つの選択をしていた。

50人を超えたとき、ここで人数を確定させて、団体のコミュニティー化を確実にするか。

それとも200人を目指して、人を増やし続け、団体のコミュニティー化は難しくなるが、稀な勢いを出すか。

後者を選んだ。

だが、勢いで200人を保てるのは最初の半年が限界。夏までにサークルビジョン達成の具体的な糸口を提示できないと、団体の舵は取れなくなると踏んでいた。

夏前にタイアップが取れるまで活動をキックオフしなかったのも、正確に言うと、後者の舵をとると決めた以上、タイアップを取っておく必要が絶対にあったからだ。

そして、タイアップが破談になった今、全てのリスクが顕在化している。

最悪。まさしく、そう思った。

このサークルの未来が見えない、武林のやり方に未来が見えない。そう言って、運営メンバーの半分以上がサークルを去った。

残った運営メンバーも同じ気持ちだったと思う。他のサークルメンバーも、数多く辞めていった。

団体のこと見限ってないやつ、200人の中で、お前だけだよ。そんなことを言われた。誰より自分が分かっていた。

可能性

とはいえ、原点を思い出すと、できそうなことをやってもつまらない、失敗するリスクは覚悟の上で、活動を始めていった団体だ。

ここで挑戦をやめることは、団体の存在意義をゼロにする。

たしかに自分だけかもしれないが、団体ビジョンを信じて、打開策を模索し続けることにした。

分かってはいたことだが、努力したからといって、結果がついてくるわけではない。受験勉強とは違う。

相変わらず、何をやってもうまくいかない。解決の糸口は、全く見えない。

答えのない答えを求めて、毎日を必死に過ごしていた。

ある日、そんな毎日が、心の底から楽しくなっていた。

最初は、どん底の日々が楽しいはずもなかった。

現状から逃げられないだけでなく、結果を出さなければいけない。周りを見ればサークルメンバーが辞め、耳をすませば自分への批判が聞こえる。

半年間自分は何とかやってきたんじゃないか、気づけば安い自負を生んで自分を守ろうとしていたが、無駄な足掻きだと分かっていた。

現状が悪化の一途を辿る時、起こっている全てのことは誰のせいでもなく、自分が原因で起こっていると身に染みて分かった。

情けなさが募っていった。しかし自分への甘さから、守れないと分かっている自分に鎧を着せようとしていた。

何か結果が欲しい、その手がかりが欲しいと思うも、それを邪魔しているのは自分に着せた鎧。

まずは鎧を捨てないといけない。誰よりも物事を冷徹に捉え、その結果を素直に受け止めてみることにした。

最初は、自分を守れずグサグサと多くのことが突き刺さったが、そう感じられるようになれば前よりも少し成長したと思ってみた。

慣れれば、毎日いろんな多くのことを教えてもらえる。昨日よりも今日は何か収穫を得たいと思う。

辞めたサークルメンバーにも多くのことを教えてもらい、味気なかった身の回りのことも色味を持って見えてきた。

教えてもらうと同時に、ひたすら考え続けてみることにした。夜はサークルのことが頭から離れず、寝落ちするまで寝れなくなった。

今までになく、目標に向かって必死になっていた。そんな毎日に、生きている実感がいつになく湧き、楽しくて仕方がなかった。

VASQUIATやUmeeTと、東大でハロウィンパーティーを開いてみたり。200人ほど集まり、盛り上がった。

どん底を楽しめるようになると、結果はついてきた。

全国の400団体が出場したプレゼンの全国大会で、オールジャンル部門のグランプリを獲れた。

サークルメンバー、辞めたメンバーが喜んでくれたことが、何より嬉しかった。

気づけば、冬が近づいていた。

その後は、全国の大学のモニターで、サークルの特集ムービーを流してもらえたり、企業とのタイアップも順調に進んだ。

サークルで旅費をまかなうシステムも、ゼロから一緒に作っていってもらえるようになり、設立から1年、やっと可能性を提示できるようになった。

だが、自分の挑戦はここまでだった。

先日、代表の任期を終えた。

夢は次の代に引き継がれた。

タダで旅に行く、東大生200人の集団を作る。

自分の13ヶ月の挑戦は、失敗に終わった。

サクセスストーリー

もう一度、最初の問いを問いたい。サクセスストーリー、それは成功した挑戦だけのものだろうか。

そうだよ、お前のストーリーは敗者の物語だよ。そう言われたら、何の異論もない。

だが、挑戦そのものは失敗だったとは微塵も思っていない。

失敗するリスクをとって挑戦してみたことで、良かったことも悪かったことも多くを学び、夢に向かって団体を確実に進ませてくれた。

失敗の13ヶ月は、学びある1つの物語を、立派に紡ぎあげてくれた。

それは、団体の中に、1つのサクセスストーリーとして残っている。

そして、最後に成功という結果で幕を閉じる、1つの大きなサクセスストーリーにつながると信じて、今も挑戦を続けている。

巷で人気の浪人侍。

この旅サークルは、これからも多くの夢を追い続ける。その生き様に、今後も注目してみてほしい。

そして何より、去年の挑戦が、今年の誰かの一歩につながれば嬉しい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ちなみに、東大CONOZCO(コノスコ)というサークルです。2期も、よろしくお願いいたします。
この記事を書いた人
武林 秀征
はじめまして! 武林 秀征です。UmeeTのライターをやっています。よろしければ私の書いた記事を読んでいってください!
記事一覧へ