あなたは社会から忘れられつつある、あの事件を覚えているか。
戦後史上最悪とも言われ、「障害者」19名が一夜にして殺傷された事件を。
あの日、起きたことの影響に、あなたは気づいているだろうか。
この国、この世界に広まりつつある恐怖と嫌悪が、人々の平和を破壊することを。
いま、あなたはあの事件に背を向けられないことを、理解しているだろうか。
凄惨な暴力の「当事者」が置かれた状況に、あなたも決して無関係ではないことを。
インタビューの趣旨 この集会には東大の学生も多く出席しており、筆者もその一人である。事件の深刻さを理解できても、身近さを感じることができていなかったため、なんとなく当事者の世界を覗き、よく理解するきっかけとしようと思い参加した。 そして今回、たまたま機会があって、熊谷先生のもとへとインタビューに行くことができた。 この記事は、その記録であり、インタビューを通じた私たちの体験そのものである。 どのように向き合うべきかわからないうちに、忘れてしまうこと。これだけは避けていきたいと思い、私たちはこのインタビューを実行した。この体験を皆さんと共有することで、事件と私たちの間に橋を架け、私たちの希望を見つけることをしたい。 いまこそ障碍の本質を問おう。この事件を思い出し、その衝撃を受け止めることを通じて。 |
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さて、インタビューに入る前に「津久井やまゆり園」で起きた事件がどのようなものであったか、振り返ろう。
2016年7月26日午前1時45分ごろ、相模原市緑区千木良の障碍者施設「津久井やまゆり園」にて、ハンマーを使って施設に侵入した男によって就寝中の障碍者19名が殺害され、他に職員と入居者6名が傷害された。
犯行はもっとも警備が手薄な時間帯を狙ったとされ、自首により捕まった容疑者の植松聖(26)が元職員であったことから、施設の安全性や職員の管理に問題があったのではないかという指摘がなされてきた。
その根拠とされているのが、植松氏が同施設を退職した理由である。
「障害者は死んだほうがいい」
彼は2016年より差別発言を繰り返し、2月19日に同施設を退職している。その後、園の要請で津久井署員に事情聴取を受け、措置入院させられることになる。その際に「精神障碍」の認定がなされたことやその他の問題行動から、彼の異常性が取りざたされることになった。インターネットでは、彼を犯行に向かわせたであろうメカニズムを分析するよりも、彼に関する情報を「サイコパス」として結びつける記事・投稿が多い。
彼は優生思想の持ち主であったと思われ、措置入院の際には「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と医師に話し、その直前には「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為」「私は障害者総勢470名を抹殺する」と書かれた声明を衆議院議長に渡そうとしていた。
この声明文では実際の事件に近い「作戦内容」が書かれており、大義名分を掲げ作戦を実行した植松氏を英雄視する反応も一部では上がっている。その根底には、「生産能力が無く、他人に危害を及ぼす可能性が高い重度の精神障害者は社会的に負の存在である」という共通認識がうかがえる。彼の犯行を非難する側にも、「精神障害者を施設に入れるべきではなかった」という意見が存在し、いずれにせよ障碍者の社会参加を制限すべきという考えが広まっている。
また筆者も、この考えを即座に切り捨てることはできなかった。「生産性がなく害を及ぼすものを排除する」発想自体は身近なものであり、自分にも経験がある。例えば、電車に悪臭を放つホームレスが乗っていると、浮浪者の移動を規制してほしいと感じる。
事件は私たちの中にある優生思想を暴いたとも言えるだろう。だからこそ、衝撃的であった。
あらわになった優生思想に再びふたをするか。その選択は読者の皆さんに委ねられている。
では、インタビューに入るとしよう。
学生Y:今回熊谷先生のお話を聴きたいと思った動機として、今回の事件の衝撃をどのように受けとめたらいいのか、という悩みがあります。そのような戸惑いを抱えている者はたくさんいることでしょう。
まず初めに知りたいのは、根本的な、構造的な原因です。
私たちも一人の人間を非難すれば良いというわけではないと感じていますが、私たちはそれについて実際どう感じるべきなのでしょうか。かなり個人としては危険な状態だったということはあると思いますが、個人にすべてを求めるのは限界があるのではないでしょうか。
先生:事件が起こってしまった根本的な原因とは何か。事件の真相を明らかにするというのと、事件の影響を明らかにするというのは分けなければいけない。
根本的な原因というのは、現時点では情報が不足しているので言及しません。真相や原因に関する様々な推測をし、拙速に原因を何かに帰属させるのではなく、時間をかけていく必要がある。
今日のお話も、真相と影響を切り分けたい。事件の真相というよりは、事件のインパクト、すなわち社会に対する影響についてお話したいと思います。事件後になされている、措置入院をどうするか、薬物依存をどうするか、施設管理をどうするか、という様々な議論をどうするか。あるいはこの社会に住む様々な当事者について、どのようにして、ともに生きてゆくのか。また、今回の事件が与えた影響のなかには、メディアの取り上げ方とその帰結という問題もある。
学生Y:この事件を機に社会がどう反応するかということで言えば、WEBの過激のなものであれば、犯人一人をサイコパスなどと扱って、彼一人を悪者として扱っていますよね。しかしそれは危険な扱い方ではないでしょうか。
障碍を持った方を否定することは良くないと言いながら、薬物依存や精神疾患を抱えていた加害者の方を非難するのはどういうことなのだろうか、と疑問を抱きます。
そこに先生は、どのような思いを持っているのでしょうか。
先生:こういう事件がおきると、まずセキュリティの問題が指摘されます。
措置入院の制度が甘すぎたのではないか、薬物に対して厳罰的に対応すべきだったのではないか、施設の安全管理も不十分だったのではないか、という話になる。しかし、そういう議論が行き過ぎると、これまで半世紀の間になされてきた、多様な当事者が包摂される地域社会を目指す実践がないがしろにされる危険がある。
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私は当事者研究をやってきました。当事者研究は精神障碍の人の方々の中から生まれた自助の実践です。当事者研究をやっていると、障碍のカテゴリー、障碍の有無さえも超えて、「そうだったのか」と気づくことがしばしばあります。 たとえば、これまで当事者研究を重ねてきて、属性を超えてかなり共通してみられたのが、「頼れる依存先が少なくなると、大きな困難に直面する」ということ。
たとえば身体的障碍者。社会は歴史的・進化的に多数派の身体的条件に合うよう構築されてきた。私自身、2011年の東日本大震災の際に、エレベーターが停止したために避難するのが遅れたときに気付いたのは、健常者のほうがより多くのものに依存している、という事実でした。周囲の健常な人々は、エレベーターが止まっても、階段や梯子という道具に依存して逃げることができたが、私はエレベーターしか使うことができなかった。
依存先の多さと、依存先一つあたりへの依存度は反比例している点も重要です。健常者は依存先を多く持っているために、依存先に対して「あなたなしでも、代わりはいくらでもいるのよ」という強い立場をとれる。しかし、私のような障碍者は依存先に対して、「あなたなしでは、もうおしまい」という弱い立場に置かれるのです。
エレベーターのようなモノだけでなく、ヒトに対しても同様です。
一般的に誰かから暴力を振るわれたら、関係を切りますよね。しかし障碍のため暴力を受けても関係を切り離せない状況というのは、その人以外に頼ることができない場合に生じやすい。依存先がすくないと、暴力に巻き込まれやすくもなるわけです。
依存先の少なさは、暴力被害のリスクを高めるだけではありません。今回、容疑者が依存症だったことが注目されていますが、依存症を考えるうえでも依存先の多寡は重要です。
依存症というのは、依存しすぎる状態と思われているけれども、むしろ人的な依存先が少ないことが多い。依存症の人の多くは、虐待の被害者であることが報告されています。他者に依存し、弱いところをさらけ出すというのは、社会的な動物である人間にとって必要不可欠な営みだが、こうした弱さの開示と他者への依存は人間に対する信頼がないとできない。虐待による深い人間不信によって、他者に依存できなくなったからこそ、特定の物質、あるいは神格化した一部の他者に依存するしかない状況に置かれる。これが、依存症です。
また、津久井やまゆり園がどうであったかは分かりませんが、一般的に障碍者施設での労働はしばしば過酷なものになります。体調がすぐれず誰かに替わってもらいたくても、容易にはそうすることができない。
つまり、施設の職員もまた、依存先がすくない状況に置かれやすいということです。そしてその過剰なストレスが、時に暴力に向かうことになる。
さらに、障碍児者の家族も依存先がすくない。一般に子どもは、生まれたばかりのころは養育者に依存先が独占されがちですが、成長するにつれて養育者以外の様々な人やモノに依存先を広げ、養育者への依存度を減らしていきます。やがて、養育者が先に死んでも、生きていけるようになる。これが、自立というプロセスです。
ところが障碍を持った子が生まれると、世界中の物理的・人的デザインがアウェイですので、何歳になっても子どもは養育者にのみ依存し続けることになる。年老いた親は、周囲に依存先を探しますが、まだまだ頼れる資源は少なく、密室的な親子関係の中で抜き差しならない状況になってしまう。何が言いたいかというと、障碍者の親もまた依存先がすくないということですね。それが、ことによっては虐待につながる。
依存先が少ない状況というのは、暴力の加害者や被害者になるリスクを高めるものである。今回の事件に関わっていた人たちがどうであったかはわからないが、それと類似した立場にいる人たちの現状というのは、共通して依存先がすくないという点を知っておく必要があります。
このような状況を背景にして1970年前後に本格化したのが、身体障碍者の自立生活運動というもの。これは障碍者が自立生活する権利を訴えたもので、そのときに目指された方向性は、「家族でもなく施設でもなく、地域へ」というものであった。
かつて身体障碍者の居場所というのは、家族か施設の二つしかなく、依存先が少なかった。好きな場所で、好きな人と暮らし、好きなことをできる状態を目指したのが障碍者の自立生活運動であった。
そこでは障碍を持っているからと言って、社会への参加を制限される必然性がないことが主張された。
しかし、今回の事件に対する反応として、明らかに依存先を減らす動きがある。