【留学記】ハーバード・サマースクールで”Diversity”さがし




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「過去」:バックグラウンドのDiversity

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1日3食バイキングが出る食堂。ハリーポッターの世界みたいですね。友達やその友達、初対面のひとにも会える、一種の社交場でした

当たり前のことですが、世界各地から学生が集まるハーバード・サマースクールの学生は、みなすべて異なるバックグラウンドをもっています。

カメルーン出身のアメリカ人がいれば、イギリスの大学に通うカザフスタン人がいます。新たな友人との会話は往々にして、”Where are you from?”から始まりました。

日本で育った学生がそのほとんどを占め、留学生も別カリキュラムで学んでいる東大では、まず体験できない環境かもしれません。

余談ですが、サマースクールの最終週、最後の授業が終わった後のこと。クラスの中国人の女の子が近づいてきて、アメリカを発つ前にご飯へ行かないかと誘ってくれました。ついに、第一モテ期が到来したようです。

その後よく聞くと、彼女は以前日本に留学したことがあるらしく、久しぶりに日本語を試してみたかったという話でした。いわば練習台にされたわけです。それでも、そんなふうに新たな人々と出会い、体験したことのない刺激を受けるのは本当に楽しかったです。僻みではなく。
 

「現在」:意見のDiversity

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最後の授業は、ひたすら教授に質問をぶつけまくる回になりました

それぞれの学生がもつ「過去」についての多様性は、「現在」の多様性にも通じます。

日本の講義とアメリカの授業の大きな違いの一つとして、ディスカッションの多さがあげられるのではないでしょうか。東大では、教官が一方的に説明をするマシンガントーク形式の授業が大多数だと思います。一方ここハーバードでは、毎授業で課される50〜100ページのリーディングを土台に、教授と生徒すべてを巻き込んだ活発な議論が交わされます。教室最後方に座って105分熟睡、なんてことはもちろんできません。

それぞれの学生が、各々の受けてきた教育、身につけた考え方、体験した出来事に基づいてまちまちの意見を述べる。そのなかである時は自らの思いもよらなかった点に気づかされ、ある時は自分の主張をどう補強すべきか考えさせられます

議論は授業内に起こるとは限りません。

いうまでもありませんが、食事の席では基本的に英語で会話します。その日食堂で隣に座った、台湾出身の学生と北京大学の学生も途中までは英語で話していたはずなのですが、ふと気づくと早口の中国語でお互いがまくしたてている。

もはや無いに等しい中国語のリスニング能力をもって耳をそばだててみると、どうやら中国と台湾が国家としてどうこうという議論(口論?)をしている様子。あまりの白熱に英語で踏み入ることもままならず、横で薄い薄いアメリカンコーヒーを啜っているほかありませんでした。

「未来」:夢のDiversity

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近くの川で、5対5に分かれてカヤックで競争。僕の左にいるアメリカ人が強すぎて完勝しました

サマースクールの学生に最も豊かな多様性を感じたのは、彼らが「未来」について語るときでした。

中国国内の医療改革を目指し、VR技術を学ぶ香港の学生。紛争後の国家再建に従事することを夢見つつ、非営利団体の研究を行う金融専攻のアメリカ人学生。

多くの日本の大学では、専攻に応じて「この中から○単位」などの要件を満たす必要から、あまり興味のない科目を取らなければいけない、またはその逆ということが起こり得ます(これについては、通常の学期であればアメリカでも似たような状況はあると思います)。ですがこのサマースクールでは専攻・副専攻にかかわらず履修できる場にあって、純粋な興味に応じた授業に参加している学生が多かった印象があります。

持論ですが、一流と呼ばれる人々は総じて将来についてのビジョンを持っているように思います。

僕はというと常に後手後手、周りの人間をきょろきょろと見渡してから慌てて動き出すような人間。その意味で、彼らが学んでいること、彼らが見すえているものについて聞くことは、じつに有意義だったと感じています。

学びの横断

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書き込まれた教材と深夜を示す時計を並べた、作為しかない写真

ところで、サマースクールの授業で読んだものの中に、文系学問・理系学問は統合されていくだろうと予測する、なんとも大胆不敵な文献がありました。

地球規模の問題(地球温暖化など)が出現しているが、いまの体系化された学問がその対処に失敗しつつある。だから、学問領域を横断して問題に直接対処する考え方が必要だという主張です。

研究分野をすべて統合してしまうべきであるかどうか、僕には白黒をつけることはできません。

ですが、たかが一学生が大きな問題を解決したいと志したとき、他の学問領域に手を出したくなるのはごく自然なことではないでしょうか

偉大な理論のうしろに、一見かけ離れた学問の影響を見つけることは少なくありません。

確かなビジョンがあるからこそ、サマースクールの場で自由に授業を選び、さらに将来像を固めていく。そんな合理的な学びかたが、この多様な未来のあり方を保障しているのかもしれません。

まとめ

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最終日の夜、サプライズで誕生日を祝ってもらいました。友達との別れは本当に泣くほどつらくて、つらすぎて飛行機逃しました笑

ハーバードには豊かな多様性がありました。それは、一人一人ちがった歴史をもった学生が、臆することなく意見をぶつけあい、互いの将来について語らう場所でした。

どうしたらDiversityを実現できるのか?

サマースクールが教えてくれた答えは3つ、おたがいのバックグラウンドへ興味をもつこと議論によって好奇心を追求すること、そして学術領域にとらわれない学びの場に浸ることでした。

3つ目について言えば、東大には教養学部という素晴らしい制度があります。ただ、大学に入るまで何も考えていなかった僕のような人間にとっては、それは専門をとことん追求する場所ではなく、興味を見つけ出し、はっきりさせる場所でした。

専門課程に進んだ後だからこそ、多様な学びを得ることのできる場も必要であるように思います。僕は大学で2年間を過ごすうちにようやく、自分が何に興味を持っているのか、それがどんな学びの分野につながっているのかを知ることができました。だからこそ、このサマースクールでは自由な授業選択を楽しむことができたのだと感じています。

 

現在僕はシンガポール国立大学でメディアとコミュニケーション人種問題について学んでいます。それもまた「Diversity」というテーマを掘り下げてくれると信じているからです。

日本にはいっさい戻っていないのでさみしいといえばさみしいのですが、この国の多様性を楽しみつつ、一年間のモラトリアムを過ごしたいと思っています。

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