こんにちは!
経済学部金融学科3年、浦野湧と申します。
現在は交換留学先のシンガポールで勉強をしています。たぶん東京より暑いです。
シンガポールへは日本から飛んだわけではなく、アメリカ・ボストンから地獄のようなフライトを経て到着しました(モニターが離陸1時間で故障し、フリーズしたハリウッド俳優の顔を15時間眺めていました)。
なぜボストンにいたのかというと、UTokyo GLP-GEfIL Programというプログラムのもと、ハーバード大のサマースクールに参加する機会をいただいたためです。今回はこのハーバード・サマースクールでの体験についてお話ししたいと思います。
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先ほど出てきたUTokyo GLP-GEfIL Program(GEfIL)というのは、地球規模の問題に対する解決策をグループ・個人で研究することをテーマにした、東京大学によるリサーチプログラムです。
プログラムには大きく二つの活動があります。一つは「GEfIL海外プログラム」というもので、海外有名大学のサマー・ウィンタースクールに参加できる機会が与えられます。今回僕が参加したハーバード・サマースクールはこれにあたります。
一方国内では、英語によるリサーチ・ディスカッション・プレゼンなどを行います。今年前半は「難民問題」をテーマとしたグループプロジェクトを完成させ、後半には”Peace Building” “Sustainability”そして “Diversity”などの分科会に分かれて個人研究を行う予定です。
さて、僕がGEfILに参加したのは、この「難民問題」さらには「Diversity」というトピックに強く惹かれたためでした。
僕には、中高時代から抱き続けてきたひとつの疑問があります。
「ある人とある人は、どうして仲良くしたがらないんだろう?」
それは、初めはクラス内の「仲良しグループ」についての疑問でした。ですが、大学でさまざまなことを学ぶにつれ、その疑問が浮かぶ機会は多くなりました。
日中関係、人種差別、宗教、そして難民問題…いたるところにその糸口と難しさが転がっています。
僕がGEfILで探求したかったこと、それは「どうしたらある”異なる”人たちは仲良くできるか」つまり「どうしたらある場所でDiversityを実現できるか」という問いへの答えでした。
この夏のハーバード・サマースクールも、いわば「Diversity探しの旅」であったように思います。
ハーバード大を選んだ理由は単純、世界最高峰の大学ならばより面白い経験ができ、より面白いものが見つかると思ったためです。
そんなハーバード大学での「Diversity探し」、いったいいくつ「多様性」を見つけることができたのでしょうか?
まずは、ハーバード・サマースクールでの授業と生活について紹介します。
今回取った授業は「International Politics」と「Globalization and Global Justice」のふたつ。それぞれ3時間のクラスが週2回のみですが、授業時間外で鬼のような量のリーディングやエッセイを課されるので、月曜から木曜まではたいてい勉強に追われます。
一方週末は常に3連休となるため、パーティと観光、寮のイベントなどで逆に忙しくなります(ここで勉強すれば平日に追い込まれることもないのではないかという指摘もある)。まさしくwork hard, play hardですね。
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ボストンでの7週間は、慌ただしく過ぎ去っていきました。授業での学びはもちろん、慣れない生活、週末の観光やパーティも含め、すべてが刺激的でした。
でもこの7週間のなかで、僕は大きく分けて3つの「Diversity」を見つけることができました。
それは「過去」、「現在」そして「未来」それぞれについての多様性です。
当たり前のことですが、世界各地から学生が集まるハーバード・サマースクールの学生は、みなすべて異なるバックグラウンドをもっています。
カメルーン出身のアメリカ人がいれば、イギリスの大学に通うカザフスタン人がいます。新たな友人との会話は往々にして、”Where are you from?”から始まりました。
日本で育った学生がそのほとんどを占め、留学生も別カリキュラムで学んでいる東大では、まず体験できない環境かもしれません。
余談ですが、サマースクールの最終週、最後の授業が終わった後のこと。クラスの中国人の女の子が近づいてきて、アメリカを発つ前にご飯へ行かないかと誘ってくれました。ついに、第一モテ期が到来したようです。
その後よく聞くと、彼女は以前日本に留学したことがあるらしく、久しぶりに日本語を試してみたかったという話でした。いわば練習台にされたわけです。それでも、そんなふうに新たな人々と出会い、体験したことのない刺激を受けるのは本当に楽しかったです。僻みではなく。
それぞれの学生がもつ「過去」についての多様性は、「現在」の多様性にも通じます。
日本の講義とアメリカの授業の大きな違いの一つとして、ディスカッションの多さがあげられるのではないでしょうか。東大では、教官が一方的に説明をするマシンガントーク形式の授業が大多数だと思います。一方ここハーバードでは、毎授業で課される50〜100ページのリーディングを土台に、教授と生徒すべてを巻き込んだ活発な議論が交わされます。教室最後方に座って105分熟睡、なんてことはもちろんできません。
それぞれの学生が、各々の受けてきた教育、身につけた考え方、体験した出来事に基づいてまちまちの意見を述べる。そのなかである時は自らの思いもよらなかった点に気づかされ、ある時は自分の主張をどう補強すべきか考えさせられます。
議論は授業内に起こるとは限りません。
いうまでもありませんが、食事の席では基本的に英語で会話します。その日食堂で隣に座った、台湾出身の学生と北京大学の学生も途中までは英語で話していたはずなのですが、ふと気づくと早口の中国語でお互いがまくしたてている。
もはや無いに等しい中国語のリスニング能力をもって耳をそばだててみると、どうやら中国と台湾が国家としてどうこうという議論(口論?)をしている様子。あまりの白熱に英語で踏み入ることもままならず、横で薄い薄いアメリカンコーヒーを啜っているほかありませんでした。
サマースクールの学生に最も豊かな多様性を感じたのは、彼らが「未来」について語るときでした。
中国国内の医療改革を目指し、VR技術を学ぶ香港の学生。紛争後の国家再建に従事することを夢見つつ、非営利団体の研究を行う金融専攻のアメリカ人学生。
多くの日本の大学では、専攻に応じて「この中から○単位」などの要件を満たす必要から、あまり興味のない科目を取らなければいけない、またはその逆ということが起こり得ます(これについては、通常の学期であればアメリカでも似たような状況はあると思います)。ですがこのサマースクールでは専攻・副専攻にかかわらず履修できる場にあって、純粋な興味に応じた授業に参加している学生が多かった印象があります。
持論ですが、一流と呼ばれる人々は総じて将来についてのビジョンを持っているように思います。
僕はというと常に後手後手、周りの人間をきょろきょろと見渡してから慌てて動き出すような人間。その意味で、彼らが学んでいること、彼らが見すえているものについて聞くことは、じつに有意義だったと感じています。
ところで、サマースクールの授業で読んだものの中に、文系学問・理系学問は統合されていくだろうと予測する、なんとも大胆不敵な文献がありました。
地球規模の問題(地球温暖化など)が出現しているが、いまの体系化された学問がその対処に失敗しつつある。だから、学問領域を横断して問題に直接対処する考え方が必要だという主張です。
研究分野をすべて統合してしまうべきであるかどうか、僕には白黒をつけることはできません。
ですが、たかが一学生が大きな問題を解決したいと志したとき、他の学問領域に手を出したくなるのはごく自然なことではないでしょうか。
偉大な理論のうしろに、一見かけ離れた学問の影響を見つけることは少なくありません。
確かなビジョンがあるからこそ、サマースクールの場で自由に授業を選び、さらに将来像を固めていく。そんな合理的な学びかたが、この多様な未来のあり方を保障しているのかもしれません。
ハーバードには豊かな多様性がありました。それは、一人一人ちがった歴史をもった学生が、臆することなく意見をぶつけあい、互いの将来について語らう場所でした。
どうしたらDiversityを実現できるのか?
サマースクールが教えてくれた答えは3つ、おたがいのバックグラウンドへ興味をもつこと、議論によって好奇心を追求すること、そして学術領域にとらわれない学びの場に浸ることでした。
3つ目について言えば、東大には教養学部という素晴らしい制度があります。ただ、大学に入るまで何も考えていなかった僕のような人間にとっては、それは専門をとことん追求する場所ではなく、興味を見つけ出し、はっきりさせる場所でした。
専門課程に進んだ後だからこそ、多様な学びを得ることのできる場も必要であるように思います。僕は大学で2年間を過ごすうちにようやく、自分が何に興味を持っているのか、それがどんな学びの分野につながっているのかを知ることができました。だからこそ、このサマースクールでは自由な授業選択を楽しむことができたのだと感じています。
現在僕はシンガポール国立大学でメディアとコミュニケーション、人種問題について学んでいます。それもまた「Diversity」というテーマを掘り下げてくれると信じているからです。
日本にはいっさい戻っていないのでさみしいといえばさみしいのですが、この国の多様性を楽しみつつ、一年間のモラトリアムを過ごしたいと思っています。