学問への愛を熱く語るこのコーナー、第二弾は「文化政策」!
え? 聞いたことない? でも日本の文化を輸出しようとしている「クールジャパン」だって、大学生の皆さんの多くも参加するさまざまな国際文化交流だって、文化政策の仲間です。
どこにでも隠れていて、でも経済や国際政治に大きく影響を与えるこの分野、その面白さを語ってもらいます!
こんにちは、東京大学四年の照井敬生です。ここでは、僕の研究テーマである「文化政策」について、その内実と面白さについてお伝えしたいと思います。
いきなり「文化政策」と言われても、知らんがな、と思われるでしょうが……(つい先日、面接官にそんな表情をされました)
「和食からアニメまで、政治的・経済的な目的から政策によって働きかける領域」と一先ず考えて、お付き合い頂ければ幸いです。
流れとしては、最初に何故「文化」で、何故「政策」なのかに言及したうえで、文化政策を研究する意義と課題(面白さ)に触れたいと思います。
文化の持つ影響力とそれを公共政策が対象とする理由を考えるうえで、僕が今年見た二本の映画を例として使いたいと思います。
一本目の映画は『レゴ・ムービー』(The Lego Movie)です。
平凡な青年(レゴ)がヒロイン(レゴ)と共に、悪い独裁者(レゴ)に立ち向かい(レゴで出来た)世界を救うこの映画は、アメリカを中心に大ヒットをもたらしました。そんな本作の持つ影響力を僕が痛感したのは、英国でのサマープログラムに参加した時でした。
ケンブリッジ大学の教授が”Everything is awesome”という本作の主題歌のフレーズを口ずさんだ時、多様な国から集まった参加者から一様に笑い声が聞こえました。世界中の学生がこの映画を観て、その主題歌を知っていたのです。
そこで生じた教室の一体感から分かるのは、文化が持つ国際的な普及力と、文化を通じて人々が分かりあえた時に生じる親近感の強さです。情報技術やメディアの進歩に後押しされ、文化の発信力と影響力は今日一層高まっています。
国際社会における文化の役割が増す中で、ソフト・パワー獲得の観点から、文化発信事業を国家が後押しする「文化外交」の重要性は増しています。ここに、対外文化政策の発展を見て取ることが出来ます。
続いて二本目に、イギリス映画の『海賊じいちゃんの贈りもの』(What We Did on Our Holiday)という映画を挙げたいと思います。
この作品は、スコットランドを舞台として、ヴァイキングの生き様と死に様に憧れた祖父の想いを正確に汲んだ幼い孫たちが、親の目を盗んで船の上で<ヴァイキング流に>祖父の遺体を火葬することで生じる騒動を描いたコメディです。
ここで重要なのは、この映画を後押ししている製作支援団体です。イギリスの国営放送であるBBCによって製作され、スコットランドとイギリス本国のアーツ・カウンシルが支援を行った本作には、映画を産業として評価し、そうした文化活動を奨励する政府の意図を如実に顕れています。
このように、文化活動がもたらす経済的な効果に着目して、その評価や後押しを行うことで、国の経済成長を図ろうという取り組みが近年盛んになっています。文化が産業として注目されるのは、その付加価値や経済規模の大きさを考えると頷けるものです。事実、先程挙げたイギリスにおいては文化産業の規模は自動車製造業と肩を並べる程に伸長しています。
以上の例から分かるように、文化がもたらす政治・外交・経済的な影響力は確かに存在しており、それは今後一層増していくことでしょう。同時に、そうした文化活動を通じて国益を追求する為に、政府は文化政策を盛んに打ち出していくことになると考えられます。
人と作品を通じて異文化に触れることが好きで、産業として成長していく文化に興味を持つ人間として、僕は文化政策に強く心惹かれているのです。
続いて、文化政策を「研究」することの意義と課題についてお話します。
政策によって文化を支援することで芸術家や政府自身が得られる恩恵についてはこれまで述べてきましたが、そこで問題となるのが、「いかにして政治と文化の両者が適切な距離を取るか」という点です。
政府が積極的に文化を利用しようとしたために、文化が制限を受け、本来の活動を行うことが出来ない、という事例が歴史上多々ありました。
事例としては、冷戦期のプロパガンダ政策がすぐに思いつきますが、日本においても戦前に演劇や映画の分野でそうした政治利用は多々行われてきました。(その中で、芸術としての魅力を強く持った作品から、学級会にも通じる「嫌々やらされています」感が味わい深い作品まで多様なものが生み出されてきました)
こうした関係性を考えた時には、国際交流基金や文化庁・外務省といった実際に文化政策を担う方々がいるだけでは不十分です。政治と文化の距離感を、外側から見て調整するためにこそ、「文化政策研究者」が必要になってくるのです。
それでは、文化政策を研究するとは、どういうことなのでしょう。その特有の難しさを2つ挙げてみます。(そして、僕にとっては研究の課題・困難こそが研究を行うことの意義・楽しさと直結しています)
第一には、文化政策の効果を評価することに難しさが挙げられます。これは文化と政策の両者が持つ根本的な性質から生じるジレンマと言えるものです。そもそも、政策とは、税金を使って実施されるものです。だから納税者への説明責任を果たしつつ、最良の政策を実施する責任があります。その為には、実際に行われた政策や今後の政策プランについて評価し、比較しなければなりません。
そこで立ちはだかるのが、文化政策の成果をどの様にして測定することが出来るのか、その手法と妥当性の問題です。
評価手法として第一に思いつくのは、文化政策がもたらす経済的な効果に着目し、文化を支援することでどれだけの雇用が生まれたか、どれだけの付加価値が生じたかを分析するという純経済的な分析手法です。
でももちろん、経済的な価値は文化の持つ価値の全てではないですよね? 長い歴史の中で育まれてきた伝統文化を市場の淘汰に委ねることは、後世の人々の選択肢をひどく狭めるでしょうし、文化活動を通じて生じる地域の連帯感や教育的な効果といったものは、経済的な指標だけを見ていても分かりません。
ですが、それにもまして文化政策の客観的な評価を何よりも難しくしているのは、「文化の良し悪しや妥当な対価についての評価は、究極的に人それぞれであること」。もっと言えば、「単一の最適解がないからこそ文化は魅力的だ」ということでしょう。(例えば、僕は去年の『ラブライブ』のライブに行く為に、7万円でチケットを入手し、得したとすら思っていましたが、周囲からは中々同意が得られません)
このように文化活動について単一の評価軸を打ち立てることが不可能に近い中で、その支援を行う文化政策はいかに『誰もが納得できる』評価軸を見出すことが出来るのか。それが今後の文化政策研究の課題だと僕は考えています。
また、僕自身は文化政策を評価・分析するだけでなく、その提言も出来る研究を行うことを目標としています。(研究が、外野から既存の取り組みを評価するだけの仕事だとしたら、研究者ってそこまで値打ちのある職務ではないとすら思いますし)
そこで問題となるのが、文化政策の領域横断性という第二の課題です。文化政策を提言するためには、経済学や政治学の専門知識が当然求められますが、それだけでは不十分です。文化政策が生む文化活動を評価するためには、作品研究の能力が必要ですし、その国の文化政策や文化の在り方を知るためには、歴史や社会の研究にも目を配る必要があります。
このように、文化政策研究とは多様な学問領域の力が求められる領域であり、簡単に答えを出すことのできない領域です。だからこそ、面白いし、これからも挑戦していきたいと思う。
僕が文化政策の研究者として独り立ち出来た時には、他の学問領域の研究者と協力して、文化政策の研究・提言を行うシンクタンクを創設したいな、と密かに野望を抱いていたりします。
そのように間口が広く、挑戦的な文化政策というテーマについて、この記事を読んだ方々が、自分の関心のある切り口から目を向けて下されば幸いです。