私は今月初め、無事に就職活動を終えることができました。昨年の5月に留学から帰国後、すぐ就職活動を始めて丸1年。ようやく長かった闘いが終わり、総合商社に内々定を頂きました。
国際関係論コースに留学経験。パッと私の経歴を聞くと、「意識高い系」の余裕の就活だったのではないかと思われるかもしれません。
私も一年前は、「どうせ余裕だろう」、そんな風に心のどこかで高を括っていました。しかし、いざ蓋を開けてみると、大きな挫折に悩み、苦しみ、もがき… 大学生活で最も辛い経験となったのが、この就職活動でした。
「よし、やってやる!!」 そんな風に気合ばかり入っていた1年前の自分には、今の自分は想像もつかなかったと思います。気合の入った後輩、また逆に腰の重い後輩に対して、私の就活話が少しでも役に立てばと思い、今回記事を書きました。
就活を始めた頃は、私も特にやりたいことがありませんでした。もともとあまり意欲的で無く、そんな自分がここまでの大学生活を頑張ってこれたのは、周りの友人から多くの刺激をもらったおかげだと考えていました。だから、優秀な社員が多くいるところで働き、刺激を受けて成長したい! という思いだけを持ち、コンサルや外資メーカーなどを次々と受けていきました。
しかしながら、私は就職活動をどうやらなめていたようです。というより、就職活動は私が未だかつて経験したことのない「激戦」だったのです。
インターン、本選考と、選考にどんどん落ちてしまいました。 自分でも何がいけないのか、教えてほしいくらいですが、面接下手、性格が万人受けしない、あるいはただ能力的に足りていない、などなどが理由だったのかもしれません。
いずれにせよ、落ちることへの耐性がゼロに近かった私にとって、「落ちる=否定される」ことの精神的ダメージは、じわりじわりと私をむしばんでいきました。留学もやり終え、それなりに大学生活頑張ってきた自分への暗黙の自信が、崩れ去りました。
「順調なはずだった大学生活」から一転、泥沼に落とされた気分でした。
落ちて落ちて、落ちて…。やっと受かって、内定一歩手前というところまで進んでも、結局最後には落とされる…。
この辛い経験を通して学んだことは、「東大生の価値」は平均値に過ぎないということです。たしかに、大学全体を見ると東大生は優秀だろうし、それゆえ就活市場で東大生がちやほやされるのは当然の流れだと思います。けれど、そのことと自分が優秀であることとは、まったく関係の無いことなのです
就活という戦場で戦っている中で、全国の大学にはすごい!と思わされる学生が数多くいることを肌で感じました。
自分は知らないうちに「東大生」という肩書を頼りにしていて、「東大生だから」という周囲からの魔の言葉に踊らされていました。
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辛い辛いと思いながら就活を進めていたわけですが、特に行きたいと思っている企業では無かったことが、落ちた時のショックを和らげていました。
しかし、当時第一志望としていた超人気外資メーカーの選考で、最終まで残った末に落とされた時のショックは衝撃的でした。
本当に行きたいと思っていて、自分にも性格的におそらく合っていて、なおかつ実力的にも大きくは劣らないと感じていた企業に落ちた。
この事実はもう逃げられないショックとなりました。お祈りメールを見た夜は涙が止まらなかったし、その後1,2週間はショックを引きずっていました。
ところが、ショックが落ち着いてきたころに、私は本当にその会社に行きたかったのか、疑問に感じ始めました。
自分は本当に消費財を世に出す仕事がしたかったのか? どうしてこの企業をそこまで志望していたのだろう…?
このままではいけない、そう強く感じました。
やりたいことを探さなければいけない、そのために、「自分はどういう人間で、何を大事にして生きてきたのか」を考える自己分析に取り組む覚悟を固めました。それまでも、社会人の方に何回か同様のアドバイスを頂いていましたが、決してカッコよくはなかった自分に向き合うのが嫌で、避け続けてきたのです。
小学校の頃の自分から現在まで。考えてはワードに打ち込む作業を繰り返している中で、留学中に感じた2つの「思い」にぶつかりました。
1つ目は、日本の技術や力を海外に発信し、日本の影響力や評判を上げたいということです。シンガポールに暮らし、東南アジア6か国を旅行する中で、また東南アジアの歴史について現地で受講する中で、日本がこの地域に与えてきた影響力の大きさや、日本への憧れにも近い評判に触れてきました。予想していなかったことなので、日本人としてとても嬉しかった反面、このままでは中国や韓国と評判が逆転する日も遠くないのではないかと感じました。
2つ目は、「途上国の人々の生活を豊かにしたい」と心から思ったことです。きっかけは、カンボジアに1人で旅行したことです。バンコクから陸路でカンボジアに入っていったのですが、バスの中から何時間も見続けた荒地や藁ぶき屋根の家の光景は、私にとっては衝撃的でした。4,5歳の子供たちが観光バスにはだしでお金をせびりに来ていたこともショックでした。
私はこうして留学もできて、旅行もできているけれど、彼らはこの生活しか選択肢が無い。そんなことをバスで考えていて、胸が痛くなりました。
他にも世界中に数多くある途上国の人々が、もっと人生の選択肢を持てるようになる仕事ができれば。そんな風に思いました。
そこから出た結論が、「日本という看板の下で世界に与えるインパクトの深い仕事がしたい」という思いでした。これに加え、もともと大事にしていた「海外で働く」、「刺激をくれる人」の要素も持つ企業や業界でないと嫌だ。
そう考えた時、真っ先に上がってきたのが総合商社でした。
自己分析をした結果、ようやく「自分のやりたいこと」が曲がりなりにも定まり、3月以降は軸の定まった状態で就活に臨むことができました。
就活を終えてみて、就活はスポーツに似ているのかなと思いました。
例えば野球の試合では、1回の打席でいきなりホームランを打てることなどまずありません。1個のホームランが出るまで、何度も打たなければいけません。そのために、常日頃から体を鍛え、バッティングの練習をしておく必要があります。それでも、結局「いつホームランが打てるか」はわかりません。
これと同じことが就活にもあてはまります。1回目に受けた企業が内定につながることなどほとんどありえないので、数を受け、慣らしていかないといけません。そのために、面接を受ける前に、自己分析をしたり、企業について調べたり、面接の話す内容を練ったりと様々な準備が必要になってきます。
しかし一方、必ずしも志望していた会社に受かるとも限りません。当初は思いもしなかった会社からラブコールをもらい、気が付いたら自分も好きになっていた… なんてことはよくある話です。
そういう意味で、就活は努力と縁によって決まるものなのだなとしみじみ感じます。
実際私も内々定を頂いた総合商社は、当初は特に志望していませんでした。出会いはインターンに応募した冬のことでした。
第一志望だった外資メーカーの落選直後で傷が癒えない中、とりあえず海外に行けて人気も高い商社のインターンに応募しておこうと考えました。(自己分析の結果、商社を志望するようになるのはだいぶ後の話です。)
しかし総合商社についての知識がほとんど無かった中、個人面接で志望動機を聞かれたら困ると思い、「選考に面接が無いから」という理由だけでその商社を選びました。
そこからたまたまインターンに参加することができました。インターンとその後のOB訪問を通して、その会社の人と社風が大好きになり、そして現在の結果に至ります。
私の場合、他に内々定を頂いた会社も、どれも最初はほとんど関心のないところばかりでした。当初第一志望業界であった外資メーカーの選考が、ESで落とされたりとボロボロだったこととは大違いです。
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ここまでの記事を読んでいて、就活が怖くなった人もいるかもしれませんね。
しかし、何も恐れることはありません。就活を「選考される場」と捉えるのではなく、「自分の過去と向き合い、そこから見つけたボールを自分の得点したいゴールに向かっていろいろ投げてみる」、そんな場だと思ってみてください。
選考は時に辛いですが、自分が今まで知らなかった社会や業界について、いろいろ知れることは楽しいです。就活を通して、大学の垣根を超えた刺激的な友人に会うことができるのも醍醐味です。
何より、就活をやり切った時、間違いなく一回りも、二回りも成長しているし、大きな自信につながっているはずです。
みなさんの就活の成功をお祈りしています!