東大を辞めアメリカへ渡った僕らが語る”東大にないもの”【前編】

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今回は、僕と同じように2013年の4月に東大に入学し、同年秋からアメリカの大学に進学した通称「社長」との会話のなかで浮かび上がってきた「東大にないもの」を少し紹介してみたい。いささかトゲのある内容かもしれないが、二人とも東大を馬鹿にしているわけでも嫌いなわけでもないことを予めお断りしておく

 

社長のプロフィール

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千葉市出身。小学校の三年半を北欧のノルウェーで過ごす。東京大学へ進学するも、学問に対する姿勢や人間としての成長を考え、カリフォルニアのリベラルアーツ大学であるポモナ大学へ入学を決意した。ポモナ大学で1年生を終えた後、経済的な理由から、より奨学金の多くもらえるブラウン大学へ編入。現在3年生。文化人類学専攻。社長が普段書いているブログはこちら

筆者のプロフィール

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3ヶ月間 東大に在籍したのち、アメリカの大学へ。現在3年生。芸術・哲学専攻。


東大に通ってましたって言うことはある?

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StockSnapより引用

世の教育ママにとって史上価値である「東大」という肩書き。その特殊さは、読者のみなさまもおわかりかと思う。インパクトはある。しかし、なかなか使いづらい。

 

日本で人に会うとき、大学の名前って言う?僕の大学は日本では全然知られてないから、大学名を出すだけで舐められたり、逆にアメリカにいること自体がすごいと言われてしまったりと、いろいろ反応が違うんだ。ときにはそれが会話の妨げにもなってしまったりする。社長はその辺りどう?

 

社長:カタカナの大学名を出すことの意味みたいなものっていうのは考える。でも基本的に、日本の人ってポモナもブラウンもしらないから、ブラウン大学通ってます、ってガンガン言っちゃう。すると「『茶色大学』通ってます。」みたいになって。逆に馬鹿大学っぽさがでるんだよね。そうすると、よくわかんないアメリカの大学いってる面白いやつだな、って思ってもらえるんだ。

 

— なるほど。流石の社交術だ。じゃあ逆に、東大に通ってましたって言うことはある?

 

社長:いまは東大生ではないし、そうとう突っ込まれない限り、言わないかな。やっぱり東大っていう言葉が与える重みが日本ではあると思うんだ。平坦に言ってしまえば、リスペクトされる。でも、そこで距離が生まれてしまうことがあって、それが勿体無い。だから相手が東大生とかでない限り、自分からは言わないかな。

 

— なるほど。でも社長は東大の友人とよく集まっているし、東大に対する帰属意識みたいなものは感じると思うんだ。むしろ東大のコミュニティを大事にしてる方なのかな、と。

 

社長:もちろん、東大に対する帰属意識はある。むしろブラウン生よりも東大生っていうアイデンティティの方が自分の中では強いかもしれない。

 

東大は僕にとって勉強する場所ではなかった

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— じゃあ具体的に、東大は社長にとってどういう場所だった?

 

社長:東大は友だちを作る場所だった。しかし、勉強する場所ではなかった。そして、自分が居続ける様な場所ではなかった。

 

— というのは?

 

社長:何年もいたいとは思えなかったんだ。東大は人がよかった。素晴らしい人にたくさん会えたし、そういった意味でとても良い場所だった。でも、大学としてのハードの部分では魅力的ではなかった。環境として、というか。授業はつまらなかったし、プログラムも今通っているブラウンや、ポモナと比べればかなりしょぼかった。例えばブラウンでは、大学がインターン先をいろいろと準備して紹介してくれるといったサービスがしっかりと整っていたりと。それに駒場五号館なんかは冷暖房がなかったり部屋が正直狭かったり、というか全体的にボロかったり、といろいろと設備でも見劣りしていた記憶がある。

 

— なるほど。でもね、僕としては東大が別にしょぼいとは思わないんだよね。むしろだいぶしっかりしてる。例えば施設の面で言えば、KOMCEEも2つ揃ったわけだし、駒場以外にも本郷や柏(遠すぎて行ったことはないものの)にだってキャンパスがあるわけだ。本郷の図書館は勿論、理系の研究施設は充実してると思うし、研究自体も面白いものがたくさん行われてるイメージがある。

 

社長:ああ、それは意外と理系と文系で考えの差があるのかもしれないな。確かに理系のリサーチはちゃんとやっていると思う。でも、例えば俺がやっている文化人類学なんかは人文系に分類されることが多いんだけど、日本ではしっかりリサーチはされてないと思うんだ。手法なんかを見ても、それじゃあリサーチとは言えないんじゃないか、むしろそれは随筆なんじゃないか、みたいなものもあったりするし。

 

— そうだね。自然科学や社会科学とは一つまた違って、人文はかなり日本ではゆるい印象があるな。

 

リベラルアーツの本質は学生同士の会話にあると思う

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StockSnapより引用

–ところでさ、駒場の前期教養ってたしかに基本的につまらなさそうだったけど、3、4年生になった今の同期が受けてる授業ってどうなんだろう。僕自身は、後期教養なんかは結構面白そうだなあと思うんだけど。

 

社長:うーん。確かに勉強量、は増えてると思う。授業が面白くなってるかっていったら受けてないからなんとも言えないね。でも、リベラルアーツの本質って多分学生同士の会話——授業外であれ授業内であれ——にあると思うんだ。違う分野を勉強している人間が一つの場にいて、その人達と交わすアカデミックな会話がつまるところ、大局的に自分の学びを見ることにつながり、包括的に考え方について考えるきっかけを生んでると思うんだ。

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StockSnapより引用

— そうだね。僕もその感覚は共有してる。その点で言えば、あるいは僕の努力不足かもしれないけど、アカデミックな会話っていうのを日本であまりしたことがない 。勿論、みんなアホだ、とかアカデミックな文化がないとは全然おもわない。でも会話にアカデミックなものを持ち込むのに対して抵抗がある人が多いのかな、と思って。

 

社長:それは俺もすごく思う。日本でいうコミュ力っていうのはアカデミックなものとは全く関係ないし、もっといえば普段のコミュニケーションの中ではそういうアカデミックさは求められてない。

 

— そう。そしてね、アカデミックな会話っていうのは実は人文の知識や考え方が結構必要だと思うんだ。自然科学におけるアカデミックな会話って、やっぱり前提知識がないとついていけないというところが多い。数学の考え方だったり、そもそも諸現象に関する知識だったり。でも僕が思うに、人文っていうのはそもそもの性質からして、誰でもある程度はつながれるというところがあるはずなんだ。こういうことを考えると、アカデミックな会話が日本の大学で行われにくいだろうなあ、という仮説と、日本の大学での人文の研究がいまいちぱっとしないというところにはつながりがあるように思えるんだ。

東大にはアートがない

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StockSnapより引用

社長:文系廃止なんていう話もあるし、日本全体として、人文軽視、アート軽視の傾向は強まってる気がする

イノベーションという言葉が最近よく取り上げられてるけど、本当にイノベーションを起こしたいのなら、やっぱりクリエイティブな思考ができる人を育てなきゃいけないな。

— そうだね。日本の中高も、芸術や文学みたいなものにはほとんど触れないよね。

 

社長:東大もアートがないからな

 

— そう。美学はあるんだけど芸術ではないんだよね。やっぱりオブザーバーの立場が前提なんだ。学問というのは観察から始まる、みたいな考えが染み付いてしまってる。日本の学問でその立場から離れていて「最終的には学問を通じて何かを作るんだ」っていう意志が強く感じられるのは工学、数学、理論物理、とかで。そういう捉え方をしてる人からしたら、理系の方がクリエイティブだ、と思えてしまうのも理解は出来るんだ。でも、人文がクリエイティブじゃないんじゃなくて人文のクリエイティブな部分を無視してるだけなんじゃないか、とも思うんだ。いわゆる文系の科目の中で、何かを生む立場の人たちを、アカデミックだ、と認識する努力が欠けてるんだと思う。

 

社長:日本はアートを教育にちゃんと取り込んでいったほうがいい。それは勿論美術だけじゃなくてダンスや演劇とかも含めて。

 

— そうだな。年を取るにつれて、いわゆる我を出すことを求められなくなってくるのは問題だよね。個々人がどういうふうに生きようがその人の勝手だけども、自分が感じていること、考えていることを積極的に出す機会は定期的に作った方がいいと思う。

 

(後編では、起業や就職活動について語られます。お楽しみに。反応お待ちしております!)

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singo

3ヶ月間 東大に在籍したのち、アメリカの大学へ。現在3年生。芸術・哲学専攻。

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